6.予定より早い到着
「あら。門のところが騒がしいわね」
美也子の隣で千代がボソリと呟いた。
学年一の秀才である千代は、美也子の一番の友である。父が医師である千代は、女子医学専門学校に進学を希望していた。
花嫁修業の一環として女学校に通っている生徒も多い中、明確な目標を持ち、好成績を維持している千代だ。
家柄だけは立派な貧乏華族と、爵位こそないが裕福な家系。
育ちは真逆だが、夢を持つ者同士が意気投合するのは当然である。
今日も千代の家で勉強をするのだ。
それにしても、人だかりはすごい。門の外をチラリとみては、きゃあきゃあと黄色い声を上げている。
「意中の学生を待っているのでしょう」
美也子の言葉に千代はうんざりしたように、はぁ、と大きなため息をついた。
大正になり、随分恋愛も自由になった。女学校の前で男子学生が待ち伏せしているのも、見慣れた光景だ。異性に好まれるタイプでない美也子も、数回だが門の前でラブレターを渡された経験がある。
「千代のことを待っているんじゃない?」
美也子はからかう。千代は美しい。渡された恋文も学校で一、二を争うだろう。本人は、全く喜んでいないが。今も、
「勘弁してよ」
と、眉をしかめている。美也子は黙る。千代がへそを曲げるとわかっているからだ。
しかし、ここまで騒がれる相手は珍しい。どんな見目麗しい人間が立っているのか。
美也子は千代に不審に思われない程度にそっと背伸びをして。その場に固まってしまった。
そこに立っていたのは、昇二だった。出てくる女学生を眺めていた昇二は、すぐさま美也子の姿を見つけて、歩み寄ってくる。きゃあ、と周りからひときわ大きな声が上がる。
その声に圧倒されてしまった美也子は、逃げ出す機会を失った。
「美也子さん」
咄嗟に視線はそらした美也子だったが、声をかけられた以上、無視する訳にはいかない。美也子はしぶしぶ、昇二を見上げた。
「昇二様。お戻りになっていたのですね」
「ええ。今朝、港に到着したばかりです」
「ご無事でなによりです。それでは」
失礼します、と美也子が続けるより先に、昇二が誘ってくる方が早かった。
「美也子さん。時間ありますか?」
「ありません」
断った美也子に、驚いたのは周りの方。中でも隣に立っている千代が一番、驚愕している。いつもの美也子であれば、もっと角が立たない言い方をする。
それでも美也子は、昇二に取り繕うのは嫌だった。静まり返った空気の中で、美也子の声が響く。
「これから友人の家で勉強をするのです。昇二様もお疲れでしょう。また、別日に......。いえ、結婚後でしたら、時間は余るほどございます。急ぎでないなら、松平の家に入った後、じっくりお話いたしましょう」
取り付く島もない返答だ。周りが息を飲む音が聞こえてくる。この場で動じていないのは、昇二だけだった。
「急ぎ、と言ったら?」
「今日は先約がございます。改めてください」
きっぱりと言い切った美也子の袖を引っ張ったのは、千代だった。
「美也子、私は明日でもいいからさ。......婚約者なんでしょう?」
小声だったが周りが静かな分、千代の声はやけに響いた。周囲から「あの方が、鷹司家の?」だの「ハンサムな方」という言葉がひそひそと飛び交う。
年頃の娘だ。小さな声で話しているつもりでも、集団になると、それなりの音量になる。
大きくなるざわめきに、美也子が一瞬、尻込みした瞬間。
「ご友人もこう仰っているんだ。今は俺に時間をいただけますか?」
丁重に依頼をしているが、これは命令だ。美也子は差し出された昇二の手を握り締めるしかなかった。
グイっと引っ張られ、足がもつれる。
「千代、ごめんなさい!」
何とかそれだけを言い残し、美也子は昇二の後ろを小走りでついていくのだった。