交差
私は、母に愛されていない。
「帰りたくないなぁ......」
学校が終わり、放課後のチャイムが鳴るころに、私は誰もいない図書室でつぶやく。
私、大宮純愛(オオミヤスミレ)は中学二年生。お酒とギャンブルと男漁りの好きな母とボロアパートに住む、地味な女の子です。
いわゆるネグレトと呼ばれるタイプの私のお母さんは、私の養育費を強請るために私を生んだらしく、私への愛情はない。
養育費を“強請られてる”お父さん...と呼んでいいのかわからないけど、その人は私の事を憎んでいるか、「いないもの」として思っているのか、会ったことはないし顔も名前も知らない。
そしてその養育費もほとんどギャンブルに消えて、お母さんから僅かに渡される生活費で毎日をやりくりしている。
家事は全て私がやっているし、お小遣いなんて貰ったことはないし、携帯すら持ってない。こうやって図書室や公民館で本を読むくらいのお金のかからない趣味しか持てない。自分でいうのもなんだけど、薄幸な境遇だと思う。
と言っても、学校のみんなは優しいし、いい友達に恵まれたし、図書室で本を読むのは好きだし、学校にいるうちは結構楽しく過ごしている。
「スミレ、帰ろうー」
そして、部活終わりに図書室に迎えに来てくれる彼女が、私のステキな友達の花森愛李澄(ハナモリアリス)ちゃん。活動的で、面倒見がよくて、とても明るい、私の幼馴染で大親友。
「......うん」
アリスちゃん、いつも思うけど読みやすくて可愛い名前だな。「純愛」と書いて「スミレ」と読む私の名前は、お母さんが私の生まれの理由に対して当てつけた名前だ。愛情からじゃない。
“純恋”じゃないの? とよく言われるが、適当に付けた名前なので、届け出を出すときに字を間違えたらしい、おかげでちゃんと読まれないし、挙句の果てに「ピュア」なんて読まれることがある。そこまで痛い名前してないもん。
「帰るのイヤそうだけど、また知らないおっさんが来てるの?」
「わかんない、昨日はいなかったけど、今日はいるかも......」
一緒に帰りはじめると、今日もアリスちゃんが私の事を心配してくれる。
男漁りが好きなお母さんは、頻繁に知らない男の人を家に連れ込んでくる。今のところその男の人に酷い目にあったとかはないけれど、あの狭いボロアパートで私がいても構わずおっぱじめるのが凄いイヤだ。
「うーん、ウチに泊めてあげたいけど、ウチもいっぱいいっぱいだからなぁ......」
アリスちゃんちは二人目の弟が生まれたばかりで、お母さんが育児疲れでノイローゼ気味らしい、とてもそんなところにお邪魔はできない。
「大丈夫だよ、ありがとう。どうせ帰って家事やらないと怒られるし」
どのみち、私に“帰らない”という選択肢はない。洗濯をしないと自分の着るものが無くなるし、お小遣いもないので帰って夕食を作らないと食べるものもない。特に夕食は残りを翌日のお弁当にしているので作らないと二食分抜くことになってしまう。
「スミレは真面目だよねー、私ならそんな家絶対家出してやるわ」
「そんなことないけど......」
家事をすること自体は嫌いじゃないし、お母さんだって私を愛してはくれてないけど嫌ってはいない。暴力は振るわれないし、学校にはちゃんと通わせてくれるし、ギャンブルに当たって機嫌がいい時なんかは優しくなったりするし......。
こうやって頑張ってればいつか愛してくれるんじゃないかなって思ってる。
「それに家出するにしたってどこに行くの?」
「それはまぁ......、神待ち的な?」
アリスちゃんも特に頼る相手とかはいないらしい。スマホを指しながらケラケラ笑って言って見せるが、私にはそのスマホもない訳で......。
「家にいる知らない男の人がイヤなのに、知らない男の人の家に泊まるの?」
「いや、でも女の人も泊めてくれるって話だよ?」
「割合的には男の人の方が多いんじゃないかな......。それにそんなサイト? 利用してる女の人ってどのみち危ないんじゃ」
世の中には女の子が大好きな女の人も結構いるらしいし、何の裏も無く泊めてくれるなんて怪しさ大爆発だよ。ていうかアリスちゃんそれどこ情報なの、もしかしてクラスメイトに神待ちしてる子とかいるの?
「どうせエロいことされるなら女の人のがマシかなー、神待ちでイケメンのお兄さんなんてもっといないだろうし」
「どうせって......」
「そりゃ女の子を家に泊めるならみんなエロい事目的でしょ」
「えぇ......、やだなぁ......」
アリスちゃんだってそういう経験ないだろうに、「アレ」されるのは覚悟の上での話してたの。と言ってもアリスちゃんは家出するような予定もないだろうから、冗談で聞きかじった話をしてるのだろうけど。
「結構気持ちいいって話も聞くし?」
「アリスちゃん!」
「冗談! 冗談だって!」
誰に聞いたのかあの行為にちょっと憧れがあるようなことを言うので、私が注意するように怒り出すと慌てて謝りだす。
好きな人とのそういう行為にあこがれを持つのは私たちの年齢ならまぁ普通? なのかもしれないけど、あの行為自体はそんないいものとは思えない、少なくともお母さんがやっているのを見せられている私には。
「でも神待ちはともかく、スミレの元には『カミサマ』現れてくれないかねー」
「そんな都合のいい話ないよ」
そんな『神的に都合のいい人』現れるわけないでしょ。
「ある日いきなりステキな王子様が現れて、不幸な境遇のスミレを救っていくの、憧れない?」
「私はあしなががおじさん的な人がいいなぁ」
あと別に薄幸だとは思うけど、「不幸」だとは思わないし。
「スミレって変に現実的だよね」
「アリスちゃんが少女漫画の読み過ぎなだけだよ」
アリスちゃんに借りて読むくらいしかしたことないけど、少女漫画にはたしかに私みたいな境遇を救うイケメンヒーローはよくある話。
「はいはい、どうせ私は漫画しか読まない子供ですよー。スミレみたいにヘビィノベル読む大人じゃありませんからー」
「純文学、別に大人でもないよ」
学校や公民館の図書館にはほとんど漫画置いてないから純文学が好きになっただけだし。まぁ手塚治虫の黒本とかは結構置いてあるけれど。
「でもヘビィノベルって、クスッ」
「実際ヘビィじゃん?」
ライトノベルの反対だからヘビィノベル? でも京極夏彦とかの本のサイズ考えると言いえて妙かもしれない。
そんな他愛のないことを話しながら、憂鬱な帰り道をアリスちゃんと楽しく過ごして帰った。
『今回も無難な出来ですね』
原稿を送った俺に届いた返答のメッセージは、いつも通りの不愛想な「無難」な返事だった。
「今回も、ね」
絶賛も称賛もない、担当のいつもの返事。ま、コレはコレでOKって事だから一仕事終えて一息つくとしよう。
「言われ慣れちまったなぁ」
俺は売れない作家の富田成也(トミタセイヤ)、10年近く小説を書き続けて今年で32......だったか? 自分の年齢もちょっと曖昧だが、まぁ冴えない作家のおっさんだ。
「売れない作家」と言っても、一人で生活していく分には困らない程度で、貧乏作家というわけでもない。その程度に売れているのはまぁ作家として恵まれている方だろう。
「慣れたといえば、この家にもか...」
母は俺が物心付く前に離婚して海外で再婚、故に会ったことはないし顔も名前も知らない。俺を男手一つで育てた親父は数年前にガンで早死にしちまった。故に、今この家には俺一人。
写真でしか知らないひぃ爺さんの代からあるそこそこ立派なこの家に住んでるおかげで、売れない作家の俺でも暮らしには困らないわけだが、一人で暮らすにはこの家は広すぎる。部屋なんて3つも余ってるんだぞ。
「おい、猫」
寂しさから縁側で横になっている黒猫を呼んでみたが、ちょっとこちらに目を向けるくらいで寄ってもこない。餌を持ってねぇと不愛想なこと。
アイツはいつ頃からか家に住み居ている野良猫、名前はまだない。夏目漱石にあやかって付けないでいるだけだが...、まぁ猫一匹じゃこの家の寂しさは変わらないな。
「散歩にでもいくか...」
散歩は俺のライフワークで数少ない趣味の一つだ、今しがた仕事を終えたところだが次の作品の構想も練らなければならない、俺みたいな冴えない作家は取り合えず数を書き上げるしかないのだから。
散歩は良い。創作意欲が湧くし、健康にいいし、なにより金がかからない。
物書きはネタが上がらないと「カンヅメ」になるとよく聞くが、俺は反対だ。こうやって歩くことで創作意欲が湧いてくる。それに外を歩いていると何気なくネタを拾うこともある。ていうか他の作家は引き籠ってどうやってネタを出しているんだ?
「人間性のつまらなさが作品に滲んでるんだよなぁ...」
散歩を初めてすぐ、いつもの批評が頭によぎる。
「無難ですね」言われ慣れてしまった言葉だ、別に「つまらない」って訳でもなければ「出来が悪い」という訳でもない。「良くはあるが及第点」まぁそういうニュアンスだ。
自分の作品が世で評価されている作品に劣っているとは思わない。だが、自分で読んでみても大ヒットするようなものじゃないな、というのはいつも感じている。
難しい表現は使わない、難しい話は書かない、ドギツイ表現はしない、風呂敷は広げない。凡庸な俺の作風はそんな凡庸なもので、「読みやすい」との評価を受けても「傑作」の評価を受けることはない。
「スミレか......」
大きな刺激はなく、大きな感動はなく、大きな笑いもない。読んでるうちはそこそこ楽しめるが、読み終わったらたちまち忘れられてしまうような......。
まさにそこの路傍の菫の花のような存在が俺の作品。たまたまに目に入った、綺麗だがなんら特別感のない菫の花に目をやって、勝手に自分に重ねる。
「もっとこう、人として軸をブレてみるべきか......」
かの文豪、太宰治は数度にわたる自殺未遂を行い、挙句自殺「未遂」に失敗して死んだという。
俺はと言えば、趣味が散歩くらいの、見た目にも性格にも真面目つーっか、地味の極地。酒も煙草も喧嘩もギャンブルもやらないつまらない男、女を抱いたどころか恋愛経験のない童貞、魔法使いでござい。
人間失格、それくらいのドギツさが作家には必要なのかもしれないな......。
「酒でも買って帰るか......」
どうにも今日は次の話の構想も湧かないで俺という人間の悩みばかり考えてしまう、ここはダメ人間を目指してみるべく手始めに酒にでもおぼれてみよう。ほとんど飲んだことないし好きな味の酒もないが、適当に飲んでもアルコールに依存できるんじゃないか。
「それに家出するにしたってどこに行くの?」
「それはまぁ......、神待ち的な?」
近場のコンビニを目指して歩いていると、前を歩いている女子中学生二人の話が耳に入る。なんだ? 家出の計画か?
今どきの家出と言ったら、スマホで神待ちとかいう『カミサマ』を探して助けてもらうっていう、他人の善性に頼り切った世の中を舐めた方法が一般的とは聞くが......。
とはいえ、その『カミサマ』が本当に無償で助けてくれる保証なんてなく、年頃の少女を助けるヤツに裏がないわけもなく、「思い知らされる」事例も少なくはないようだ。
そして前を歩いている二人から聞こえてくる会話によると、彼女たちはそういった裏の事情も知っているようだ。最近の子供はませてるねぇ。
「ふむ......」
現代社会の問題提訴、みたいな作風には興味なかったのでそういう話はとくに書かないでいたのだが、「世間をなめた神待ち少女が本当に神的にイイ人に出会って真実の愛に目覚める」そんな話も面白いかもしれない。
とはいえ、主人公が中学生じゃ流石にまずいので高校生くらいにして......(こういうところが俺の凡庸さなんだろうな......)。うーん、現代版「舞姫」みたいになりそうだな......。まぁいいか。
「タイトルはそうだな...現代風に『神待ち少女ですが真実の愛を見つけました!』」
うん、このタイトルは無しだな。我ながら流行りものに迎合しすぎだろ。まぁタイトルは無題でいいか、それで出したら担当がまたそれっぽいの付けてくれるだろう。
俺は酒を買う予定をやめて家に引き返すことにした、女子中学生の会話で思わぬネタを拾った、これだから散歩はやめられない。
「あ、お母さん起こさなきゃ」
日曜日の朝、寝床である押し入れ(ドラえもんスタイルです)から出た私は朝のシャワーを済ませて、洗濯機を回して、朝食の準備を始めようとしたところでお母さんを起こさなきゃいけない事を思い出す。
いつもは起こすと文句言われるし、碌に働いていないお母さんなので起こす必要はないのだけど、今日はイイ台を取るのに朝一で並ぶとかなんとか......、よくわからないけどパチスロをするのに起こせと言われている。
「お母さん、起きて、朝だよ」
「あぁぁ、もう、なによぉ......」
ビール缶を避けて布団にくるまっているお母さんの体を揺する。案の定自分が起こせと言ったことも忘れて不機嫌に返事をするだけで起きる気配がない。
起きないのは本人が悪いのだけど、ここで諦めると後で起きたときに文句言われるのは私だ、どのみち不機嫌になられるなら今の方がいい。
「もうすぐ8時だよ、今日は早くから並ぶんじゃなかったの?」
「ん-あー、そういえば......」
目的を思い出したようだけどまだ起き上がる様子はない、ここで気を抜くとまた寝るのでちゃんと起きるまで面倒を見なきゃいけない。
「ほら起きて、シャワー浴びて。朝ごはん作っておくから」
「たく、わかったわよぉ」
起きるのは自分のためだろうに、しつこく体を揺する私に悪態をついてお母さんは起き上がる。そしてふらついた足取りでシャワーへ行った。
昨日片づけたはずのビール缶がまたあるということはまた飲んで寝たみたいだけど、あの様子なら二日酔いではなさそうかな? 二日酔いだと「迎え酒」とか言って朝から飲み始めるから、二日酔いじゃないのは一安心。
「さっ、朝ごはん作ろう」
朝ごはんと言っても、お味噌汁とご飯に昨晩の残り物の付け合わせくらいしかないけれど......。
「ちょっとスミレぇ、肉とかないのぉ」
「昨日はお肉のセールとかなかったから......、それに朝から食べるものじゃないと思うけど」
案の定、今日も朝食のメニューに文句を付けられる。お母さんは私に生活費を僅かばかりしか渡してくれないのに......。まぁ大体は外で男の人と美味しいモノ食べてくるから、文句言われること自体は少ない方なんだけど。
「ふーん、それじゃぁ、今日はお肉沢山買ってきてあげよっかなぁ」
「はいはい、勝てたらね」
「なによぉ、負けるっていうの!?」
「そうだね、勝てるといいね」
こうやってギャンブル行く前は機嫌がよいのだけど、大体は大負けして帰ってくる。勝ってもお土産を買ってくるなんて稀で、期待する気も起きない。
「フン、今日はイケル気がするのよ。待ってなさい新台ちゃん!」
そして朝ごはんを半分近く残してお母さんは立ち上がり、私になにも言わず玄関へ向かう。
「いってらっしゃい」
バタン―。今日も私の「いってらっしゃい」には、建付けの悪いドアの閉まる音が帰ってくる。
いってらっしゃいも、いってきますも、ただいまも、おかえりなさいも、私の言葉はいつも一方通行。お母さんは言わないし返してくれない。
愛してくれとは言わない、せめて、言って欲しい。返して欲しい。ここが私の居場所だということを、ここが私の帰る場所であることを、そう思うことを許して欲しい......。
「せめて、勝って帰ってきますように」
あんな母親の勝ちを願うのもシャクかもしれないけど、帰ってきて機嫌が悪いよりかは、良いほうが私も楽だから。
「ふむ......、さてどうしたものか......」
俺は今、らしくもなくパチ屋にいる。散歩ついでに昼飯を食いにブラブラしていたらなんか新台入荷とか盛り上がってたので少しつられてみた、新台だとなんか違うのか?
「まぁどれでもいいか......」
取り合えず店のシステムを簡単に調べて適当に空いてる席に座る、台ごとになんか表示が出てるがこの数字が台選びの何の役に立つのかかはまるでわからん。
さて、パチ屋に来た経緯だが、なにも次はギャンブルモノを書こうなどと思ったわけではない。人としてつまらん俺なので、ギャンブルにでもハマってみようと思ってみた次第だ。
勝つとか負けるとか、ましてや稼ごうなんて微塵も思っていない。むしろ素人の俺がうっかりハマったら大負けするんじゃないか?
そして借金にまみれてケツに火が付けばそれこそ傑作が書けるかもしれない、俺に足りない「必死」さが作品に出てくるかもしれない。だから負けることすら期待している。
「......」
打ち始めてから3時間、転がる玉と不規則に動くフリップみたいなのとやけに凝った演出のムービを適当に眺めること3時間。
(何が面白いんだ......コレ?)
転がる玉の動きも、フリップみたいなやつの動きも、ましてや演出も、自分が関与する余地があるのかコレ? 出玉のタイミングをちょっと調整するくらいはできるが、動きが不規則なので調整する意味があるのかも疑問だ。
(うーん......)
初めてから1時間くらいは良くわからないがやってるうちに面白くなるのだろうと、適当に眺めていた。
そして2時間経ったあたりから「イイ感じ」になったようなのだが、演出が派手になろうが「見ているだけ」という状況も変わらず、何処に楽しみを見いいだせばいいかもわからず......。
そうして見ているうちに3時間たって、ずっとその「イイ感じ」は続いていて、所謂俺は「大当たり」している状態らしい。ビギナーズラックというやつだろうか。
(ていうか台よりもなぁ......)
その「大当たり」の状況に喜べないのは、楽しくないのともう一つ理由がある、隣の席の女がめっちゃこちらを覗いてきて鬱陶しいったらない。
「おにーさん、調子いいじゃーん」
(うわ、話しかけてきやがった......)
隣の席のケバい女は「こっちは負けてんのに勝ってる癖になんて顔してんのよ」と言った風に絡んでくる。
「えぇ、まぁ」
「その割には楽しくなさそうねぇ」
楽しくないのはもっともだが、その理由はアンタがめっちゃ覗き込んでくるからだよ、なんていう訳もなく。
「代わりますか?」
「え?」
正直、このまま続けててもハマれそうにはない。そもそも初めから負けを期待しているような俺じゃ「ギャンブル」の勝ち負けに一喜一憂できるわけがないのだ。
「席、譲りますよ。俺はこの後用事があるので」
大当たりを見たこの女に付きまとわれても面倒なので、席を譲ってやることにする。
「マジで!? おにーさんやっさしー!」
ケバイ女は男に媚び慣れている態度で俺を称賛する。本当に俺を優しいと思っているのでなく、台を譲ってもらえる幸運9割と言った感じだ。その証拠に俺が立つとその瞬間に席に滑り込んでくる。
「それじゃ、幸運を」
正直こんなケバイ女に感謝されても嬉しくないので、さっさとその場を離れようとすると......。
「ちょっとおにーさん! タマ、タマ!」
袖をつかまれて止められてしまった。なんだ? いい歳して下ネタか? と女の方を振り向くと俺が積み上げたであろう出玉の箱を指さしている。そういえば俺のか。
「譲りますよ」
「えぇ!? うそ!?」
換金するのも面倒だ、コレでいくらになるかは知らないが所詮はあぶく銭。俺の本が売れて入った金なら大事にするところだが、こんなもんで出来た金に価値なんて感じない。
「お姉さん綺麗だから、お気持ちです」
「わーお! おにーさんイイ人すぎー!」
男に媚び慣れているようなので、おべっかして譲れば当然遠慮なんてしなかった。どうせ使った金は5千円くらいだ「遊び」の料金としてはこんなもんだろ。
「それじゃ」
感激している女に今度こそ別れを告げて、速足で席から離れる。別れ際に女が俺の連絡先を欲しがっている風だったが気付かないフリをした。
アレは自分に気がある俺にもっと媚びれると思ったのだろう、しかし台を譲ったこともあり女は席を離れられず、追ってくることはなかった。
ま、もう会うこともないだろう。
「スミレ、見てよコレ!」
「おかえりなさ──ってえぇ!?」
夕方、母さんは両手にいっぱいの戦利品を抱えて帰ってきた。半分以上お酒だろうけど......。
「ほら、お肉よお肉、今日はこれで美味しいモノ作ってよ」
恐らく大勝したであろうお母さんは袋の一つからこれ見よがしに高そうなお肉を見せびらかしてくる。
「美味しいモノって、お母さんコレすき焼き用のお肉だよ......、ウチすき焼き用の出汁なんてないよ? それにお鍋もないし野菜も......」
すき焼き用の出汁は作るのは難しくないと思うけど、すき焼きなんてやる機会がないので作り方を知らない。調べようにも私はパソコンはおろか携帯も持ってないし。
「えぇー!? じゃぁ買ってきてよー!」
「え? あ、うん」
そういってお母さんはお札が沢山入った財布から一万円渡してくる。すごい、どれくらい勝ったんだろう......。じゃなくて、私に一万円渡すなんてお母さん既に酔ってる?
「わかった、すぐに買ってくるね」
お母さんの気が変わらないうちに私は一万円を大事にしまって家を飛び出す。
出汁はちょっと図書館寄って作り方調べよう、絶対作った方が安いし。野菜も八百屋さんのほういって痛んでるやつとか分けてもらおう。お鍋もお借りしたいな、買ってもどうせ今後使わないし。
一万円......、これを切り詰めれば色々買える...。新しいノート...ペン...下敷き、分度器...はあんまり使わないし借りればいっか。あ、水筒もボロボロだから買い換えたいな。
凄い、すき焼きが食べられるより嬉しい。ギャンブルなんて大嫌いだけど、今日は大当たりに感謝しなくっちゃ!
その後、すき焼きを食べながらお母さんに聞いたところによると、本当は負け気味だったらしい。だけど隣の席の大勝してるステキなお兄さんが出玉ごと席を譲ってくれてんだとか。
ギャンブルやる人なんてみんな碌な人じゃないイメージがあったけど、そんな人がいるんだなぁ。
お母さんは「アタシの美貌にメロメロになったのよ」と言ってたけど、そうだとするとイイ人なのに悪趣味だなぁ......。
「どうも、ナリナリです」
「あら、ナリナリ先生いらっしゃい」
近所の小さな図書館の受付、俺は先日できたばかりの新刊を持って挨拶する。
俺の名前は「成也(セイヤ)」であって「成也(ナリナリ)」ではない。しかし凡庸な俺なので名前くらいはちょっと遊び心を入れようと、最初の担当が処女作のフリガナに「ナリナリ」と入れたせいで、以降ペンネームになってしまった。
「本の寄贈にきました」
「先生の新刊ですね、いつもありがとうございます」
「いえ......よろしくお願いします」
新刊を寄贈すると売り上げに関わるから良くないのだが、この小さな図書館で、なおかつ俺の本ではたかが知れているのでこの行いを出版社に突っ込まれたことはない。
まぁ俺なんかが出版社を通して本を出し続けていることがどういう訳だかと思うこともあるのだが、出版社としても大ヒットする作家ばかり囲えないし、格付けだとかなんとか、俺みたいな作家も必要ではあるらしい。
ついでにいうと、俺は締め切りよりずっと早く仕上げる上に作風も凡庸なので校正が楽だと、出版社からの評判は良かったりする。読者からの評判の方が欲しいけどな......。
「では」
俺は見知った受付のおばさんに本を渡すと軽く会釈して逃げるように純文学コーナーへ足を運ぶ。
散歩くらいしか趣味のない(仕事にする前は執筆も趣味だった訳だが)俺には、図書館に本を寄贈した後のささやかな楽しみが一つある。
それは寄贈した俺の本の貸出カードをこっそり確認することだ。
最近は何かと便利になったもので図書館の貸出も電子カードを読み込むだけになり、貸出カードが廃止されているものだが、この小さな図書館は未だに貸出カードのままである。
「今日も全巻揃ってるな......」
自分のシリーズの棚の前に立って、全巻揃っているのを確認する。しかし全巻揃っているのは壮観なんかではない、コレは“一つも借りられていない”という事なのだから。
「名前は......増えてないか」
ちょっと凹みつつ俺の代表作『五番地二丁目物語』の一巻を手に取って裏表紙の貸出カードを確認すれば......名前は前に見たときから増えていない、5つだ。
「はぁ......」
二巻以降は確認する必要もないだろう、まさか途中から借りて続きだけ読むなんてヤツはいないだろう。ドラゴンボールをZから読む、とか、ジョジョを三部から読むとかなら、あるかもしれんが。
「新しい方は、どうかな」
小さな図書館とはいえコレだけ本があるんだ、無名の俺の本を手に取ってくれる可能性なんてたかが知れてる......そう自分を慰めて新しいシリーズの方の一巻を確認してみるが......、こちらも名前は増えていない。
「はぁ......」
更に凹みつつ、最後の望みの前回寄贈した準新作を手に取る。ここまで打ちのめされておいてなんだが、俺は確信している、コイツには新しく一人名前があると。
『大宮純愛』
そして開いてみれば、やはり彼女の名前があった、むしろ、彼女の名前しかない。
「よかった......」
確信こそあったが、彼女の名前がなければどうしようかと心臓がバクバクだった。そしてちゃんとあった彼女の名前に俺は何かに認められたような安心感を覚えるのだ。
『大宮純愛』彼女の名前はなんて読むのか、オオミヤ・ピュア、だろうか? 多分最近の親が子供に付ける名前ならそんな感じだろう。まぁ名前の読みはどうでもいい。
彼女の名前は寄贈している俺のすべての本の貸出カードに書かれている、むしろ彼女の名前しか書かれていないのがほとんだが......それは置いておくとして。
最初は凄い読書家で、純文学コーナーの本の制覇でもしているのだろうと思った。
しかし何気なく確認したが、同じコーナーの本に彼女の名前はあったりなかったり、特にシリーズモノは一巻でやめているものがいくつかあり、ちゃんと好みがあって、手当たり次第に読んでいるわけではない事がわかる。
夏目漱石、太宰治、京極夏彦、etc...古い文豪の作品にすら彼女の名前はあったりなかったりする。そんな中、俺の作品だけすべてに彼女の名前がある。
これは俺の勘違いでなく、彼女が「俺の作品のファン」であることは間違いないだろう。
売れない作家とはいえ、一応は「売れている」からこそ作家を続けている俺なので、日本中探せばどこかに俺の本の読者はいるのだろう。ファンレターなど滅多に貰わないが、少なからずファンはいてくれるのだろう。
だが、それら少ない俺のファンたちには申し訳ないが、俺が今も作家を続けているのは、続けられているのは、この貸出カードの彼女一人のためだけだと言ってしまっていい。
どこの誰かも知らない、ファンレターを送ってきたわけでもない、ただ寄贈した本を借りてくれるだけ、決して「買って」いない。それは「買っている」読者たちに劣るかもしれない。
だが俺は、身近にいるであろう彼女に、たしかに作家としての喜びを、元気を、勇気を貰ったのだ。
自分の作風のありかたに、作家としてのあり方に悩み・落ち込み・挫折した時に、俺は貸出カードに書かれた彼女の名前に、救われたのだ。
もしかしたら彼女は俺の作品をそこまで好きな訳ではないかもしれない、だから図書館で済ませている。向こうはその程度のファンなのかもしれない。
だとしても、彼女が俺の本の貸出カードに名前を残してくれる限り、俺は作家を続けよう。他の誰でもない、彼女のためだけに作家を続けよう。
そして、彼女が俺の本を借りなくなくなった時、貸出カードに名前を残さなくなった時、俺はようやく作家としての自分を諦めることができるかもしれない......。
「こんにちはー」
「あら、いらっしゃいスミレちゃん」
図書館にいくと受付に良く知ったおばちゃんがいたので小声で挨拶する。すると向こうも笑顔で返してくれた。やっぱり挨拶が返ってくるっていいな......。
「本の返却をお願いします」
「はい」
借りてた料理の本や勉強用の本を受付に並べる。お小遣いのない私はこうして本を借りるのが数少ない趣味だ。小さな図書館で学校の図書室にも色々劣るけれど、こっちは休日にも利用できるのが嬉しい。
それになにより、こっちの図書館には学校にはない、大好きなナリナリ先生のシリーズが全部寄贈されている。
全部一度借りていて、休日はこっちで読み返す、いったい何度読み返しただろう。もう一度借りないのは、他の人にもナリナリ先生の本を手に取って欲しいから、私が借りてちゃ借りれないものね。
でも、読み返すたびに確認する貸出カードの名前には全然名前が増える様子がない......、この図書館の利用者自体多くないみたいだし、なかなか手に取ってもらえないのかな。
「丁度いいタイミングね、さっきナリナリ先生の新刊が入ったところよ」
「え! ホントですか!?」
嬉しさのあまり思わず声が大きくなってしまって私は慌てて口を押え、集めた視線にペコペコと頭を下げる。いけないけない、利用者が少ないとはいえ、静かにしないと......。
「本当はこっちで一日預かってライブラリとかに登録しなきゃいけないんだけど、スミレちゃんだから一足先に貸し出しちゃうわ」
「わぁ! ありがとうございます!」
再び感激、今度は声を抑えられた。
「はい、コレね」
新しい貸出カードと一緒に渡されたのはナリナリ先生らしく質素な表紙で、タイトルは──
「『紫陽花が枯れたころに』......?」
「今回は珍しくなんだか悲しい感じのタイトルよね」
「わぁ、どんなお話なんだろう......。ちょっと不安になるけれどナリナリ先生はいつも優しいお話を書くし、今回も安心して読めると思います」
いつも飾り気のないタイトルで、タイトルに深い意味のないことがほとんどだから、今回も多分作中の台詞が元とかなんじゃないかな。「五丁目二番地物語」なんてシリーズタイトルを付ける先生だもの、タイトルで不安になる必要はないよね。
「スミレちゃんはホントにナリナリ先生の本が好きよねぇ」
「はい! 先生のお話はとても優しくて、暖かくて、安心できて。全然壮大じゃないけど、なんだか身近にあるような、手が届くような幸せのお話で、大好きなんです!」
難しい表現はないし、難しいお話でもない、ドギツイ表現もなければ、大きな感動も、大笑いするような事もない。あるいはありきたりとも言えるかもしれない、そんなお話。でも、そのどれもが、優しくて、幸せなお話。
王子様に見初められるシンデレラじゃなくて、継母姉妹たちと仲良く幸せに暮らすシンデレラ。そんな他愛のないお話だ。それは、私が憧れる「凡庸な幸せ」の形なのかもしれない。
「そこまで好きになってもらえて先生も喜ぶと思うわ、今度伝えておくわね」
「え? ナリナリ先生ここに来てるんですか?」
「えぇ、ご自分で寄贈にこられてるわよ。スミレちゃんが来る少し前にいたのだけどねぇ」
え、うそ、先生本人が持ってきてたの!?
「凄い、会いた──いややっぱり会いたくないなかも......」
先生のイメージが全然違ったらどうしよう、今後読むときに先生のイメージ引きずっちゃいそう......。憧れの人には会わない方がいいって言うし。
「寄贈の時くらいしかこられないから、お会いするのは難しいと思うけどね。すぐ帰っちゃうし」
「そうなんですか。なんでこの図書館なんでしょう?」
思えばここから少し離れた大きな図書館には先生の本は寄贈されていない。わざわざこの小さな図書館を選んで寄贈しているということだ。
「そういえばなんでかしらね? 先生の思い出の場所とかなのかしら?」
作家の先生だもの、この図書館が先生の作家としての原点、とかなのかもしれない。
「今日も今日とて、なーんも変わりなし」
居間で猫と並んで横になって、何もなかった一日を思い返す。
「刺激がなぁ、ないんだよなぁ」
平凡な生活それ自体は何物にも代えがたい幸福なのだろう。しかし作家の俺にはこんな生活は静かすぎる。それもこれも、この広すぎる家のせいだ、男一人猫一匹で、寝室二つに居間(客間)に座敷にリビングに書斎......、どうしろっていうんだ。
一応寝室はそれぞれ俺の部屋と猫の部屋にして、書斎は仕事部屋にしているが、座敷なんて使いようがない。しかも俺の執筆はノートPCだからぶっちゃけ仕事部屋である必要はないし、大概自室か居間で仕事している。
猫も部屋を与えてやっているのに大概は俺の部屋か居間で俺と一緒にいる、そしてリビングも料理を全くせず外で食べることがほとんどなのでまるで使われていない。
「ミニ四駆かプラレールの趣味でも始めてみようか......」
いっそのことコースとかでも置けばこの無駄な部屋も有効利用できそうなもんだが......。まぁどうせすぐ飽きるだろうな。どうにも俺は何かしらの娯楽にのめり込むって事ができない。
「一人には慣れたと思っていたんだがなぁ」
この広い家の一人暮らしに慣れたと思っていたが、全然そんなことはなかったようだ。この際幽霊でも同棲してくれないかだろうか、この場合可愛い座敷童がベターだな。
「あるいは目が覚めたらお前が美少女になってたりな」
横で丸くなっている猫の額をつんつんとつついてありもしないファンタジーを期待してみる。猫のヤツは俺の呼びかけにも無反応、ていうかコイツ雌なのか?
「散歩にでも行くか......」
このままじゃ静けさに気が狂いそうだ、適当にぶらついて時間をつぶそう。それで適当にどこかで飯食って、帰ってきたら風呂入って寝よう。よし、今日のスケジュール完成。
「お母さん、今日は帰ってくるかな......」
図書館にナリナリ先生の新刊を返却したその帰り道、お母さんの心配が頭によぎる。
パチで大当たり──といっても譲ってもらった席だけど、してから暫く、大金を手にしたお母さんは良くない遊びにハマったのかガラの悪い人たちと一緒にいるみたい。
そして一昨日からお母さんは帰ってきてない。何の連絡も無しに帰ってこない日は今までも何度かあったけど、ガラの悪い人たちの事もあるから心配だ......。
でも連絡を取ろうにもお母さんの携帯は付き合っている男の人のを借りるから頻繁に代わるし番号もわからない。
「少しだけ、仲良くなれたと思ったんだけどな......」
大当たりしてお金を持っている余裕のおかげだったのか、最近のお母さんはずっと上機嫌で、少し優しかった。でもやっぱり、ギャンブルで手に入ったお金だから、簡単に無くなっちゃう淡い幻想だったのかな......。
いつしか心配は不安に代わって、私の足は橋の上で立ち止まる。
「死んでみるのもいいかもな......」
すると、橋の反対側からそんなイヤなつぶやきが聞こえた。
散歩の途中、橋で足を止めて夕焼けに反射する川をのぞき込んでいると、不思議な気分になる。
「死んでみるのもいいかもな......」
別に死にたいって訳ではない。文豪・太宰治が数度の自殺未遂を繰り返したように、自分も自殺を図れば何かが変わるだろうか。そんな馬鹿な考えからだ。
仮に自殺未遂に失敗したとして、俺が死んだとして、大して悲しむヤツもいないだろう......。
「ダメです!」
「おわっ!?」
そんな馬鹿な考えにふけっていると少女が後ろから俺の腰に抱きついてくる。
「死んじゃダメです! アナタの不幸も悩みも、何も知らないけど、わからないけど! 死ぬのはダメです!!」
「ちょっ、ちょっと君!?」
体も小さく力こそないが、だからこそ俺を離さぬように少女は俺の背中に張り付き、必死で俺を説得しようとする。
「わ、わかったからまずは離れて......」
「イヤです! 離したら飛び込んじゃうかもしれないじゃいですか! お話ならこのまま聞きます!」
背中にがっしり張り付いているので顔は見えないが、どのみち俺にこの年齢の知り合いなどいない。この少女は見ず知らずの俺のために必死になってくれているのだ。
こんな俺に必死になってくれるのをありがたいと思うと同時に、馬鹿な考えをしたせいでこんな事をさせてしまって申し訳なさもこみあげてくる。
ともかく少女を落ち着かせようと、少女がの腕を掴んで腰から引きはがし、振り向いた時──
「ちょっと、アンタなにやってんのよ!?」
「え、アリスちゃん!?」
飛び込もうとしてる男の人と揉み合っていると、アリスちゃんの怒声が割ってはいった。
男の人は私の腕をひきがして掴んでいる状態で、二人揃って急に表れたアリスちゃんに硬直している。
「その手を放しなさいよ、この変質者!!」
「どわっ!?」
「ちょっ、アリスちゃん!?」
あ、これはまずい。と思う間もなく、アリスちゃんはテニスラケットを振り回して男の人に襲い掛かる。男の人はそのテニスラケットを避けて私の腕を離し、続くアリスちゃんの追撃から逃れようと一目散に逃げだした。
「逃げるなこの変態!」
「待って、アリスちゃん!!」
幸い、アリスちゃんは私の事を心配してか逃げる男の人を追いかける事はしなかったので、私は急いでアリスちゃんに駆け寄る。
「スミレ、すぐに通報──ってアンタ携帯持ってないか」
「違うのアリスちゃん! あの人は飛び降りようとしてて、私がそれを止めてたの!」
私が携帯を持ってないので、自分のスマホで通報しようとするアリスちゃんを止めながら誤解を解く。
「へ......。じゃぁスミレはあの男に襲われてたわけじゃないの?」
「どっちかというと私の方が襲ってたようなものだけど......」
説得の言葉なんてわからないから思わず抱き留めたけれど、それがまさか誤解を生むなんて。
「じゃぁアタシは自殺しようとしてた人間に襲い掛かったって事? うわ、アタシ最悪じゃん」
たしかにあの人からすれば最悪だ、これでさらに落ち込んだりしたどうしよう......。追いかけようにも結構な速さで逃げちゃったし、後日謝ろうにも必死だったから顔なんて全然見てないし。
「えと、でもアリスちゃんありがとう。誤解とはいえ私のために男の人に立ち向かってくれて」
「スミレぇー......なんか色々ごめんねぇ」
とりあえず今は目の前で落ち込んでるアリスちゃんを慰めよう......。大人の男の人に立ち向かうなんてすごい勇気だと思うし。アリスちゃんのその行いはとても嬉しかった。
「あービックリしたー」
まさか自殺を図って止められて変質者に間違われるとは......。
「滅多なことをつぶやくもんじゃないな」
流石に変質者でない事はあの少女が誤解を解いてくれるだろうし、今後の心配は無用だろう。とはいえ、求めてたのは違うが、普段できない貴重な体験をできたのはありがたい。
「しかし凄い勇気だな」
俺に襲い掛かってきたあの子、友人を助けるために大の大人の俺に立ち向かうなんて、なかなかできることじゃないんじゃないか。
「あの子にも......また会えるといいが」
そして見ず知らずの俺を救うために必死になってくれた少女、こんなことになってしまって更に俺が苦悩を抱えたなんて心配しているんじゃないだろうか。
しかし「気にしてないよ、もう死ぬ気なんてないZE☆」と安心させようにも、彼女の顔を見ることもできなかったので誰かはまるでわからない。
「取り合えず帰るか」
後ろめたいことはないはずなのに思わず全力で逃げてしまったので結構疲れた、飯は......家にカップ麺の備蓄がいくらかあったろうし、今日はそれでいいか。