第9話 再会
第9話 再会
6月23日 朝 | ハルの自宅
窓を叩く雨の音が夢の中にいたハルの目を覚ます。
まだ完全に開き切らない眼を無理やり開けてカーテンの隙間から外を眺めると、厚い雲が空を覆い、視界に見える道路が水に濡れている。
ここのところ色々なことがありすぎて天気予報を見ていなかったが、梅雨真っ盛りのこの時期は予報を見ていたところで結果は変わらなかったであろう。
時計を見ると、いつも起床している時間の5分前。
やや不本意な目覚め方ではあるが、このまま二度寝をするには時間が足りないので、仕方なくベッドの中で大きく伸びをして身体を起こす。
今日もテレビでは様々なニュースを取り上げている。
関東地方では今日も一日雨であるとか、季節の変わり目で体調を崩す人が多いだとか、この時期だからこそのアクティビティの紹介だとか。
ニュースとは名ばかりのエンタメ情報の羅列は、社会の動きを知る上で十分とは言えないが、朝の和やかな朝食の時間には相応しいのかもしれない。
朝食が終わる頃、テレビでは占いコーナーが終わり、この番組で唯一と言っていい社会ニュースの報道が始まる。
とは言っても政治や経済などの本格的なニュースが取り上げられることは稀で、やはりここでも視聴者の気を引きやすいエンタメ寄りの社会現象が取り上げられることが多かった。
「続いて、最近多発している盗難事件についてです」
遠藤キャスターが手に持つ原稿にちらりと目をやると、そのまま前を向きながらニュースを読み上げていく。
「各地で相次いでいる盗難事件の中には電線などの金属などもあり、いわゆる換金を目的とした窃盗である可能性が高いとしております。その一方で、繁華街のゴミ箱や街路樹といった、およそ金銭価値があるとは思えないものまでが忽然と姿を消していることから、一概に換金だけが目的とは断定できないとして、愉快犯などの可能性も視野に入れて慎重に捜査を進めているとのことです」
その内容に思わず手を止める。
この不可解な事件は消滅現象と何か関係があるのだろうか?
大多数の人はただの不可思議な出来事として捉えるだろうが、消滅という非現実に触れているハルにとっては重大なニュースであった。
ハルの手の届かないところで、今この瞬間にも何かが消滅しているかもしれない。そう思うと何とも言えない無力感に襲われてしまう。
ふぅとため息をつくと、すっかり冷めてしまったコーヒーを一気に飲み干し、学校の準備を始める。
***
雨は嫌いではないが、傘を差すことによって周囲と自分を隔ててしまう感覚がなんとなく好きではない。
街の慌ただしい雰囲気を感じながら歩くいつもの通学路が、雨音と広げた傘のせいで周囲と自分が切り離され、世界から自分だけが取り残された感じがするからだ。
もちろん周囲が見えないわけではないし音だって聞こえるのだが、何となく普段と違う世界に飛び込んだような気になってしまう。
それは雨と傘のせいで自分という個人がどこかに埋もれてしまうという恐れなのかもしれない。
そのせいだろうか、周囲と切り離されたその再会は突然訪れた。
傘のせいで視界が狭まり、何となく憂鬱な気持ちで校門をくぐるところで、他の生徒にぶつかりそうになるが、幸い向こうが気づいてくれたおかげで衝突は免れたようだ。
傘を持ち上げて顔を上げると、その生徒はハルよりもはるかに背が高く、視界は彼の胸あたりだったため、間近にいる彼の顔を見るには首を大きく上に向けなくてはいけなかった。
視線をあげるとハッとするが、それは相手も同じだったようだ。
「あなたは......」
「君は昨日の......」
二人は同時に呟く。
ぶつかりそうになった相手は昨日突然話しかけてきた男女2人組の男性の方、土屋リクだった。
***
二人は肩を並べながら昇降口に向かう。
同じ高校であったことは驚きであるが、高校ともなるとクラス数が多いため、自分のクラス以外の生徒は部活などで一緒にならない限り特に接点はなく、部活とは無縁な帰宅部のハルと、恐らく何かしらの運動部に所属しているであろうリク。二人が互いに面識がないのも当然だった。
「昨日は突然申し訳なかったな」
「いえ、気にしていませんよ」
リクの背丈は180センチを超える。
高校生にもなると身長が高い方が高学年とも限らないのだが、自分より背が高い人に対して何となく委縮してしまうのは、きっと人間の本能なのだろう。
昨日一緒にいた女性の態度を謝罪するリクに、つい敬語で返事をしてしまう。
「俺は土屋リク。君は?」
「僕は真壁ハルです」
「ハルか、よろしくな」
「よろしくお願いします」
「おいおい、俺たち同じ学年みたいだし敬語なんか使うなよ」
リクは同じ色の上履きに履き替えながら気さくに笑いかける。
ハルの学校では学年ごとに上履きの色が分かれているが、同じ学年であれば当然ながら同じ色となる。つまりハルとリクは同学年ということだ。
そのことに気付き、ちょっと照れたように笑みを返す。
「そうだね。そうさせてもらうよ」
「ところで、俺たち同じ学校だったんだな。知らなかったよ」
「それはお互い様だよ」
軽い雑談を交わしながら教室に向かう。
その間もリクはすれ違う生徒とあいさつを交わす。
「友達が多いんだな」
「そうか? 普通だろ?」
人たらし、とはこういう人のことを言うのだろう。
気さくな態度と何とも言えない人懐こい笑顔を周囲に振りまきながら歩くリクは、いつの間にかハルとの距離も縮めている。ナナといい、リクといい、こういった自分に持っていないものを持っている人は素直にすごいと思える。
「ハルは二つの隣のクラスだったんだな」
「今までお互いのことを認識してなかったからね、気付かないのも無理ないよ」
「それもそうだな」
気付けば教室の前まで来ていた。
それじゃまた、と別れのあいさつを交わして背を向けようとするが、リクの方は何か言い残したことがあるかのように、歯切れ悪く口ごもっている。
「どうした? そろそろチャイムが鳴るよ?」
「いや、そりゃそうなんだけどよ......」
思い当たることは一つしかない。
「もしかして昨日のこと?」
「ああ......まぁそうなんだけどよ」
「無理もないよ。あんな不思議なこと、僕だっていまだに信じられないよ」
「いや、そのことでちょっと相談っていうか......」
リクは言葉を選びながら話しているというよりも、言いたいことをどう言葉にしていいのか分からないといった様子だが、内容的にあまり人の目があるところでしたい話題でもない。
校内にチャイムの音が響き渡る。
学生の本分の始まりを告げる合図だ。
「もしよければ昼休みに改めて聞くけど、どう?」
「あ......いやそうだな。悪いな。気を使わせて」
「いや、僕の方も実は聞きたいことがあったしね」
「そっか。それじゃ昼休みに昇降口でいいか?」
「うん、分かった」
「それじゃまた後でな」
そう言うとリクの背中は廊下の向こうに消えていく。
その視界の端に担任が何やら書類らしきものを小脇に抱えて歩いてくるのが見えた。
その姿を見て、ハルも慌てて自分の教室に飛び込むのであった。
***
昼休み。
友人たちと弁当を食べ終わると「ちょっと用事が」と告げて、リクとの待ち合わせ場所である昇降口に向かう。
まだ雨が降りやまない中、わざわざ昇降口に来る者はいない。
朝とは異なり、人の気配が途絶えた場所でリクの姿を見つけた。
「ごめん、待たせちゃったかな」
「いや、問題ないぜ」
リクの足元を見ると弁当の空箱が転がっている。
どうやらここでお昼を済まし、そのまま待っていたようだ。
「で、何が言いたかったの?」
「それは......」
ここで一度言葉を区切る。
ごくりとのどを鳴らす音が聞こえ、それから口を開く。
「この前一緒にいたやつ、日下部ミオっていうんだけど......」
「ああ、あのちょっときつそうな?」
「昔はあんな感じじゃなかったんだけど、ちょっと色々あってな。って、その話は今はいいんだ。そうじゃなくて、ミオが言っていたこと......」
「【予定表】のこと?」
「そう、その【予定表】ってやつ。ハルも見えるんだろ?」
改めて話を聞くと、リクと一緒にいたミオは一つ年上の三年生で、彼女もこの高校に通っているらしい。その名前だけはハルも知っていた。
学校で一、二を争う美人として有名ではあるが、人を寄せ付けない雰囲気があり、誰かと群れるのを嫌い、一人でいることが多いらしい。
そのミステリアスな雰囲気が彼女の人気をさらに高めているのだが、幼馴染で昔からミオのことを見ているリク曰く、ホントはちょっと気が強いだけの普通の女の子らしい。
リクにとっては憧れであり、目標であるという言葉はにわかには信じられないが、幼馴染と言うからには二人にしか分からないようなことがあるのだろう。
もしかしたらリクも自分と同じように幼馴染に淡い心を抱いているのであろうか?
そんな思春期ならではの興味が湧いてくるのだが、リクが言うにはそんなものではなく、親友のようなものであるらしい。
異性に対してそう断言できるリクが自分よりも少しだけ大人に見えた。
「ミオはちょっととっつきにくそうに見えるけど、それは自分に厳しいってだけで他人に対してあんな態度をとるようなヤツじゃなかったんだよ。それが【予定表】が見えるようになってから何か必死なんだよ。そりゃあんなことが起きたら必死になるのも分かるけど、ちょっと見てられなくてな」
「あんなこと?」
一気にまくしたてる様子からミオのことを心の底から案じている気持ちが伝わってくる。リクが言う「あんなこと」を尋ねると、視線を外して小さく呟く。
「サロンが......飼っていた犬がミオの目の前で消えたんだ」
約1か月半前、ゴールデンウィークのある日にミオの目の前で突然消えたらしい。
リクが言うには、小学生の頃に色々あって大変だった時期があり、そんなミオにとってサロンは唯一心を許せる存在だったらしい。
そんな大事な存在が目の前で消滅する。
その時のショックはとても言葉で言い表せるものではないだろう。
必死になって探し回っているうちになぜかスマホに【予定表】が現れたらしい。
「そんなことが......」
「俺はその時、そこにはいなくて後から呼ばれて駆けつけたんだけど、あんなに取り乱したミオを見たのは初めてだったよ」
無理もない。
ハルだって拠り所にしていた木が消えた時には心にぽっかりと穴が開いたようだった。
それは思えばほんの数日前の出来事。
それなのに遠い過去のように感じるのは【予定表】を見ることができるようになってから色々と考えることが増えたせいなのかもしれない。
消滅によって開けられた心の穴を【予定表】に振り回されることによって紛らわせている。そう思うと何だか皮肉な話だなと思う。
「あれからミオは躍起になってサロンが消えた原因を突き止めようとしているんだ。ミオが言うには、サロンにはもう二度と会えないから、せめてその原因を突き止めないと気が済まないらしい」
「二度と会えない?」
「俺にはそれが本当なのか分からないけど、ミオが言うことだからな。多分そうなんだろう」
ミオがどんな気持ちでその結論を出したのか。
昨日会ったばかりであり、彼女に対する印象は決して良いとは言えないが、それを差し引いてもミオの心痛は計り知れない。
自分なら大人しく諦められるだろうか?
そう考えると、確かに木が消滅したことを受け入れている自分がいる。
なぜそれなりに思い入れがあったものの消滅を認めることが出来たのだろうか?
思い当たることは一つしかない。
【予定表】だ。
【予定表】には消滅する対象が淡々と描かれている。
誰が何のために作ったものか分からない。
誰が今もそれを更新しているのかも、なぜハルやミオのスマホに【予定表】が現れたのかも分からない。分からないことだらけだ。
今分かっているのは【予定表】に記載されたモノ、あるいはヒトは、予定の時間になったら消滅するということだけだ。
そんな死刑宣告書にも等しい【予定表】が見えてしまうからこそ、消滅したという事実を認めざるを得ず、もう二度と会えないという辛い現実を受け入れるしかなかったのかもしれない。
「で、ハルはどうして【予定表】が見えるようになったのか聞いてもいいか?」
「ああ、構わないよ」
ハルは初めて消滅を目撃した時のこと、そしていつの間にか【予定表】が見えるようになったことを語る。
「そっか、ハルもそうなのか」
「今でもなんで【予定表】を見ることができるようになったのかはよく分からないけどね」
「なんか嫌なことを思い出させちまって悪いな」
「いや、ミオ先輩ほどじゃないと思うよ。そりゃそれなりに思い入れがあったし、ショックでもあったけども、リクの話を聞いて僕のショックなんてミオ先輩に比べたら、大したことないって思ったよ」
「それは違うだろ。人が何かを大事にする気持ち、それが消えちまった時の喪失感に重いも軽いもあるもんかよ」
リクがハルの言葉を即座に否定する。
確かにその通りだ。
何かを想う形は人それぞれであり、その対象は千差万別だ。
相手が犬だろうが木だろうが、その対象をどのように感じて、どのように想うのかはその人次第だ。相手が犬だから想いが強い、木だから想いが軽いなどということは決められるわけはない。何かを想う気持ちというのは全て等しいはずなのだ。
それを当たり前のように言ってのけることができるリク。
そんな彼のことを頼るミオの気持ちが何となくわかる気がした。
「何かを想う気持ちってやつは、当人にとっては自分が一番って思うのかもしれないけどよ、そんなのはみんな同じだろ。同じように大事なものを失う辛さってやつは、例え何が対象であっても等しいもんだと俺は思うぜ」
「......うん、そうだね。ありがと」
「あ、まぁ分かればいいんだけどよ」
不意の礼に虚を突かれ照れくさそうに視線を逸らすリクの様子に、ハルは思わず笑みをこぼした。
「だからさ。ハルも色々あって大変だったろうけども......って、俺が言いたいのはそういうことじゃなくて......」
「......?」
「だから、ミオのやつと協力してほしいんだよ」
「協力? なんの?」
「昨日、なんであのお婆さんが消えなかったかは分からないけど、それってハルが何かしたからじゃないか? ミオはあれからずっと調べてるけど、【予定表】に載ったら消滅は避けられないって言ってた。でもそれを防げたってことは、ハルは俺たちが知らない何かを知ってるんじゃないか?」
興奮気味にまくしたてるリクに、ハル自身もどうして消滅が防げたのか分からないので何も答えられない。
「ミオは本当に切羽詰まってて、なんか見てられないんだよ。でも【予定表】ってのが見れない俺じゃミオに言われたことしか出来ない。それじゃミオの力になれないんだよ。だから頼む! ミオの力になってやってくれ!」
そう言うとリクは頭を深々と下げ、そのままハルの言葉を待つ。
いくら幼馴染のためとはいえ、人のためにここまでできる人はそうはいない。
それだけでハルの心は決まっていた。
「分かったから顔をあげてくれよ」
「それじゃ......」
顔をあげながら期待を込めた眼差しをハルに向ける。
「でもさ」
気付けばいつの間にか雨はやんでいた。
地面にできた水たまりには、まだ雲が立ち込める空が映っている。
雨が降った後の独特な澄んだ空気を吸い込みながら、ハルは発する言葉に小さな熱を込める。
「あの時、結果的に消滅を防げたけど、実はなぜ防ぐことが出来たのかよくわからないんだ。だから協力って言っても教えられることは何もないんだ」
「そう......なのか?」
ハルの言葉に落胆するリクであったが、それでもさらに言葉を続ける。
「でも消滅を防げたってことは間違いない。消滅は間違いなく防げたんだ」
「......!!」
視線を落としかけたリクが、ハルの力強い言葉に再び視線をあげる。
「つまりあれは絶対的なものじゃない。だから方法は分からないけど、きっと消滅は防ぐことができるものなんだ」
力強い断言にリクは言葉を詰まらす。
「消滅なんてものは二度とごめんだ。それは僕や日下部先輩が身をもって体験している。だから一緒に協力しよう」
そう言うとリクの前に手を差し出す。
一瞬意味が分からず呆けるリクであったが、その意図に気付くと、リクは驚いたように目を見開いた後、差し出された手を力強く握りしめた。
痛いほどの熱を帯びたその掌から、ミオを救いたいという彼のなりふり構わぬ必死さが、真っすぐハルの心へ流れ込んできた。
「よろしく頼む」
「こっちこそ」
二人は視線を合わせ、どちらからともなく笑みをこぼしあった時、校内に設置されているスピーカーからチャイムの音が鳴りだした。
時計を見ると丁度昼休みが終わる時間となっていた。
慌てて弁当を片づけるリクを待って、二人は肩を並べて校舎の中に入っていった。