第6話 迫る時間
6月21日 17時18分 | 風見中央公園
週末の風見中央公園は、子供たちや見守る母親、ジョギングの老人、芝生に寝転ぶカップルなどで賑わっていた。
穏やかな天気の中、ハルとナナは並んでベンチに座り、傍目には微笑ましい二人に見えたかもしれない。
しかし実際にはそんな微笑ましい雰囲気とは程遠い差し迫った内容を真剣に話していた。
「それで、その近藤ハナさん?ってどこでどうやって消えるの?」
何をするにもまずは情報だ。
モノや人が消えるという信じがたい現象。
その実態を掴まなければならない。
どんな些細なことでも確認しなければ何がヒントになるか分からない。
そう考えたナナの判断は正しい。
しかし返ってきた回答は予想の斜め上をいくものであった。
「それは●●●●●●で、18時12分に●●●●●●●ときに消滅するらしい」
ハルは正面を向いたまま答えるが、ナナは何故か彼の言葉の一部が理解できない。いや、理解できないのではなく認識できないといった方が正しいのかもしれない。
今の言葉から18時12分に消滅することは分かったが、それ以外の言葉は日本語であることすら認識できなかった。
「......え?」
思わず聞き返す。
「だから●●●●●●、18時12分に●●●●●●●ときに消滅するんだよ」
ナナの疑問に今度は顔をこちらに向けて言い直すのだが、その言葉も先ほどと同様に認識できない。
今度はナナが青ざめる番だった。
目の前にいるのは幼稚園からずっと一緒にいる真壁ハル。
ナナが密かに小さな想いを寄せている幼馴染の同級生だ。
そんな想いとともに幼いころからずっと見続けてきたハルのことは、誰よりもよく知っている自負がある。それなのに、今ハルが口にした言葉の意味が分からなかった。
もし目の前のハルが実は宇宙人が化けていた存在だったとしても、些細な仕草や喋り方などからそれを見破る自信はあると断言できる。
だからこそ目の前にいる人物はナナが幼いころから良く知っているハルで間違いない。
何かがあると調べなくては気が済まない好奇心と探求心に溢れ、ウソや誤魔化しが下手くそだけど、それは必ず誰かのためにつくウソで、自分なりの正義感をしっかり持っている自慢の幼馴染であり、密かに想う大切な想い人――。
だからこそ、ハルの言葉が理解できないのは通常では起こりえない何かのせいではないかとナナは考えた。
「ハル、一つずつ聞いていくね?」
「え? う、うん」
ハルはどうして?とは聞かない。
なぜなら、ナナの表情は先ほどハルを問い詰めた時よりもはるかに真剣だったからだ。
「名前は近藤ハナさん、消える時間は18時12分、だよね?」
「うん」
ナナは一呼吸置き、慎重に尋ねる。
「それで、それ以外は何て言ったの? 一つずつ教えて」
ナナは聞き取れた情報だけを一つずつ確認することによって、分からない部分を再確認していく。
「場所は●●●●●●で――」
「待って!」
反射的にハルの前へ手を出して言葉を遮る。
その指先がハルの唇に触れてしまい、彼は小さく肩を跳ねさせナナの方を見る。
ナナも手のひらに残る柔らかい感触に思わず鼓動が跳ねたが、今はそれどころではない。顔に上りかけた熱を必死に抑え、ナナは今の一言を確認するために姿勢を正した。
「あのね。ハルはどこかの場所のことを話してくれてるんだと思うけども、私には何故かそれが聞き取れないの。ううん、聞き取れないって言うか、何かを話しているのかはわかるんだけども、それが理解できないの」
「理解できない?」
「そうなの」
その時、公園のスピーカーから帰宅を促す音楽が流れ始める。
風見市では毎日18時、公共の場のスピーカーから音楽が鳴る習慣になっている。
6月は1年の中で一番昼間が長い時期である。
そのため18時であっても周囲の明るさは昼間と変わらず、時間を意識していないと日没になるまで時間が分からなかったりする。
毎日定刻に流れる音楽は、本来は外で遊ぶ子供たちに帰宅の時間を知らせるためのものであるが、時間感覚を失いがちなこのような時期には、子供以外であっても大いに重宝する。
そしてそれは今のハルも同じであった。
――しまった!
生まれた時から風見市に住むハルはスピーカーの音楽の時間を把握していたが、それでも慌ててスマホを取り出し時間を確認する。
18時01分。
「しまった!消滅まであとちょっとしかない!」
「えっ!?」
「すぐに探さないと!」
「探すって、どこにいるかも分からないのにどこを探せばいいの?」
ナナには近藤ハナの場所を伝えることができない。
その理由は分からないが、ハルがそれを伝えても何故かナナは理解できないという。
先ほどハルが伝えた【予定表】の内容である名前、時間、場所、状態のうち、ナナが理解できたことは名前と時間だけだ。そのため近藤ハナがここにいることをナナは知らないが、それを悠長に説明している時間はない。
「大丈夫、すぐに見つけられる!」
音楽が鳴りやみ、公園にいた人たちが心なしか慌ただしそうにしている中、ハルたちは走り出す。
残り時間はあと数分。
この公園にいることは分かっているが、その場所までは分からない。
【予定表】によると「木を眺めている」とのことだったので、きっと遊歩道沿いのどこかにいるはずだ。
探す当てが明確でないものを探すという行為がこんなにも焦燥感をあおるものだとは思いもしなかった。
焦る気持ちに足がもつれ何度か転びそうになるが、その度にナナに心配される。
程なくして遊歩道沿いのベンチに座り、のんびり木を眺めている老婆を見つけた。
真っ白な髪を上品に結った老婆は、年齢相応の顔に穏やかな笑みをたたえ、のんびりと木を眺めている。見ているのは木の向こうの空か、それとも夕暮れに染まり始めた雲か 。
帰宅を促す音楽が鳴り、公園の空気がざわめきを増す中、そこだけが時間の流れから切り離されたかのような奇妙な静寂に包まれていた。
時間を確認すると、予定時間までまだ数分ある。
間に合った――そう胸をなで下ろしたのも一瞬で、次にどう動けばいいのかが分からない。
時間は18時08分。
消滅まで、あと数分。
対象の老婆――近藤ハナを見つけたはいいが、ここから何をすればいい?
「あなたはあと数分で消滅します」などと言えるはずもない。
知り合いでもない相手にそんなことを伝えたら、あの穏やかな視線はたちまち痛ましいものを見る目に変わるだろう。
そもそもどう気をつけろというのか。
そんな方法があるなら、真っ先に知りたいのはハル自身だ。
どうすればいい?
消滅したゴミ箱と消滅しなかった猫の違いはなんだったのだろうか?
ハナを探していた時間は僅か数分だったが、焦りのせいだろう。
まるで数百メートルを全力で走り続けたような疲労感が身体を襲い、上手く思考がまとまらない。
額にじんわりとにじむ汗をそのままに、何か良い案がないかと息を整えながらハナを遠巻きに見つめるが、思考は一向にまとまらない。
すると、それまで黙って後ろからついてきていたナナが一歩前に踏み出しながら尋ねる。
「あの人が近藤ハナさん?」
「多分そう......だと思う」
「で、何をすればいいの?」
「分からない。どうすれば消滅を防げるのか、まだ分からないんだ」
「そっか、それならとりあえず話しかけてくるね」
「ちょ、ちょっと待って」
ハルの制止も聞かずナナはまっすぐハナに向かい、そして話しかける。
「こんにちは。お婆ちゃん」
「はい、こんにちは」
ハナはちらりとナナの方に顔を向け、優しく挨拶をする。
ハナは想像通りの穏やかな人柄のようで、突然話しかけられたにも関わらず、自分よりも半世紀以上も年下であるナナとの会話を楽しんでいるようだった。
お年寄りにとってこういう不意の出会いは意外と貴重なものなのかもしれない。
ハルたちにとっても、このような機会がなければ自分の両親よりも年上の人に自ら話をしようとは思わなかっただろう。もし自分が逆の立場だったら、孫とも言える世代から話しかけられるのはきっと嬉しいことだと思う。
そう思っていても「言うは易く、行うは難し」である。
ナナの社交的な性格は昔から変わらないが、それを容易く実行に移せるその人柄を今ほど羨ましく、そして頼もしく思ったことはなかった。
しかし今はそんなことを悠長に考えている暇はない。
残る時間はあとわずか。
ハルは焦る気持ちを無理やり押さえつけて、冷静に二人の様子を観察する。
ナナはベンチに座ったままのハナと談笑を続けながら、時折視線をこちらに向ける。恐らくそれはハルへの期待だろう。その期待に応えたいのは山々ではあるのだが、消滅を防ぐ手立てが思いつかない。
ナナは斜め前方から話しかけたので、恐らくハナの視界には目の前にある木が映っているだろう。
つまりこのままではきっとハナは消滅してしまう。
18時10分。
あと2分。
あと2分で目の前で人が消える。
分かっているのに何もできない。
例えば「ボールが飛んできて頭に当たる」なら上空に気を付ければいい。
例えば「暴漢に襲われる」ならハルとナナの二人で周囲に警戒すればいい。
でもそうじゃない。
2分後に起こることは消滅、ただ消えるだけなのだ。
そもそもなんで突然消滅するのだろう?
神隠し?
異世界召喚?
因果律操作?
ミステリー小説や最近流行りのアニメなどでよく出る単語を連想してみるが、これは現実だ。
何かが突然消えるなんて起こるはずもない。
18時11分。
あと1分。もう残された時間はない。
お湯を沸かすこともできないような僅かな時間の後、ナナと楽しそうに談笑しているハナはこの場所から消滅するのだ。
ハルは既に二度、消滅を目撃している。
初めて目の前でそれを見た時は、信じられない出来事に強く好奇心を刺激された。しかし、モノだけでなく動物やヒトも消滅することを知り、その事実に恐怖を覚えた。それは今も完全には消えていない。
ここまで勢いで動いていたが、改めて思うと恐怖で身体が強張る。
しかし、ナナにとって消滅とはハルから聞いただけの内容なので、それを目の当たりにしたことはない。モノが消滅するところを目の当たりにしたことがあるハルだが、モノとヒトではわけが違う。
もし消滅自体を見たことがないナナが、会話をしている相手が突然消えるところを見てしまったら、ナナの心にどんな影をもたらすか想像すらできない。
もう消滅まで時間がない。
いまだにどうしたらいいのか分からないが、もはやハナを救う手立てを考えている時間も余裕もない。
――それならせめてナナの心だけでも守ろう。
そう決心し、ハナが消滅する瞬間を見せないように、ナナの視界を遮るべく二人の間に駆け寄ろうとしたところ......
焦りと疲労で足がもつれ、2人の前で派手に転倒した。
その拍子にナナの持つ紙袋に手が当たり、持ち手から裂けて中の絵画用品が遊歩道沿いにばら撒かれる。
18時を過ぎた公園は帰宅する人で賑わっていた。
木を眺めるハナや、話しかけるナナに注目する人はいない。
しかし、コントのような派手な転倒と散らばる絵画用品は無視できない。
遊歩道を歩いていた高校生のカップルは、笑いをこらえながらハルたちの前を通り過ぎた。
痛みと気恥ずかしさを感じながら、今日はモノがばら撒かれているのをよく見る日だな、などと散乱したものを眺めながら場違いなことを思う。
「あらあら、大丈夫かしら?」
「あ、お婆ちゃん、ごめんなさい。ほら、ハルも手伝って」
ハルが起き上がると、ナナとハナが慌てて散乱した画材を拾い集めていた。
画材は嵩張るものが多く、2人はこぼれ落ちた木の実を拾い集めるように、あちこちに散らばった品々を一つずつ回収していく。
――あれ?
ふと手元のスマホをのぞき込み、そしてハルは叫ぶ。
「ナナ!!」
何やら興奮している様子のハルに呆れながら、視線を合わせずナナは答える。
「いいから早く拾いなさいよね。誰のせいだと思っているの?」
その言葉にムッとするどころか、思わず笑みがこぼれそうになる。
広範囲に散らばった画材を拾うため、ハルはスマホをポケットにしまい、ナナとハナの元へ駆け寄った。