第20話 迷う海
8月10日
電車が山沿いのトンネルに入り、窓から見える視界が真っ黒に染まる。
お盆前という時期柄、車内の座席はすべて埋まっており、冷房が効いているにも関わらず適温よりも少々高めかなと感じる車内であったが、トンネルに入ったことにより車内温度が数度下がったような気がする。
トンネルに入った振動で車体が揺れると、窓際で外を眺めていた子供がびくっと身体を震わし、それをじゃんけんで負けて窓際に座れなかった別の子供がからかっている。
外の景色が見えなくなるのは残念ではあるが、このトンネルを抜けた先に広がる景色は今まで見えていた山や田畑とは違ったものが見えるはず。そう期待して窓の外の暗闇を見続ける旅慣れた中年男性は、視線を窓越しに電車の進行方向に向け続けている。
トンネルに入って数分、電車の速度を考えると僅か数分であっても軽く数キロは走り抜けたであろうか。ようやく前方から光が差し込んだ。
最初は点にしか見えなかった光は、近づくにつれその大きさを増し、ついに車両よりも大きくなると、その車体を一気に飲み込み電車はその姿を再び太陽の元に晒す。
急に差し込んだ光に、車内にいた人々は一様に目を細めるが、薄い視界の先に見えるのは遠くの方に見える水平線とどこまでも広がる青い空。
それを見た子供たちが「わあー」と歓声をあげるが、それを窘めるべき親たちも目の前に広がる景色に見とれている。先ほどの中年男性は雄大な景色をつまみに残っていたビールを一気に煽る。
トンネルを抜けた電車は次の停車駅に着くまで、軽快な走行音を鳴らし続けていた。
***
同日 | 潮見町 潮見駅
ドアが開くとともにそれまで適温に保たれていた車内に、塩気交じりの熱気が入り込むが、その熱気でさえもここに降り立った人々を歓迎するこの土地からの贈り物のように感じさせる。
「いやー、やっと着いたー!」
「もうここから潮の香りがするんだね」
「海からの風のせいね。それとも駅前のお土産屋さんにある日干しとかのせいかしら」
この駅に降り立った乗客に交じり、ハルたち4人もようやく踏みしめた大地の感触と鼻を刺激する潮の香りに自然と顔が綻びる。
「おいおい、喜ぶのはまだ早いぞ。ここから婆ちゃんちまではまだもうちょっとあるんだからな」
「ここからバスで15分で、さらにそこから歩きで10分くらいだっけ?」
「えー、遠いー!」
「なに言っているんだ、全部合わせても30分もかからないなんて、かなりアクセスはいい方だぜ」
「そうなの?」
「それに数年前に大きなスーパーがオープンして、駅まで行かなくても買い物できるようになったからすげー便利になったって婆ちゃん喜んでたよ」
「でも駅まで凄く遠いじゃん」
「毎日電車に乗るような人には大変かもだけど、俺たちだってそんなに電車に乗らないだろ?それよりも買い物が近い方が便利なんだよ」
ハルたちが住む風見市のような都会では、網目のように電車網が張り巡らされ、バスはその隙間を埋めるように走っている。しかしこの潮見町のような田舎では交通事情が異なり、公共交通機関と言えばもっぱらバスである。
そのバスですら昨今の急激な過疎化に伴い廃止路線となっている場所も多く、冬には雪が深くなる山間地域や、人里離れた孤立集落では生活自体が危ぶまれる地域もあるという。
その点、この地域は冬であっても雪が降ることは滅多になく、また人里離れた場所でもない。海の近くなのでさほど大きな勾配もないため、自転車や徒歩でもなんとかしようと思えばなんとかなる。
地方と一言で言っても、その環境はさまざまではあるが、そういった意味では確かに便利で住みやすい地域なのだろう。
「でも駅の付近にあんまりお店がないんだね」
「ここら辺は車社会だからな。駅よりも国道沿いの方が栄えてるんだよ」
「駅の周りなのに栄えてないって不思議な感じだね」
「そこらへんが都会と地方の事情の違いってことなんだと思うわ」
リクのいう通り、この付近には大きめの国道が走っていて、その道沿いには商業施設が多数並んでいる。その中にはハルたちが見たことがある店舗なども数多くあり、リクの言う通り、買い物に困ることはさほどないのだろう。
「風見市以外の場所に住んだことないけども、なんか色々あるんだね」
「俺だってここ以外の地方は知らないけどもな」
「なんだ、偉そうに言ってるから色々詳しいと思ってたよ」
「俺がそんな風に見えるか?」
「それもそうだね」
「ほら、のんびり話してないで。乗らなくちゃいけないバスはあそこに見えるアレじゃないの?」
ミオが指さす先には、今まさに運転手が乗り込み、発車準備を整えているバスがいた。エンジンが唸りをあげて車体を揺らし、車内放送でなにか案内している声が聞こえる。
「やべっ!あれを逃すと次のバスは1時間後だぞ!急げ!」
「あーん、やっぱり便利じゃなーい!」
ナナの嘆き声をあげる中、一行はバスに置いてかれまいと荷物を抱えて走っていった。
***
同日 | リクのお婆さん宅
「「「お世話になります!」」」
バスと徒歩を経て、今日から4日間お世話になる予定のリクの田舎に辿り着いた4人は、なにはなくともまずは挨拶を、と言うミオの言葉に頷き、リクを除く3人はリクの祖母に頭を下げて挨拶をする。
「まあまあ、ご丁寧にどうもなー」
「これ、つまらないものですが......」
「あれまー、そんなに気を使わなくていいのに。ほれ、リク。皆を案内してやんな」
3人を代表してハルが買ってきた土産を渡すと、リクの祖母は丁寧な挨拶を返し、リクに案内をするように促す。
「分かってるって。ほらお前ら、そんなに気を遣わずに自分の家だと思ってくつろいでくれ」
「なんであんたがそんなこと言うのよ」
「あれまー、よく見たらミオちゃんじゃねえのか?久しぶりだなー。最後に来たのはいつだったっけか?」
「私が小五の時だったからもう7年くらい前ですよ」
「もうそんなに経つんだっけか?すっかり大きくなっちゃってー」
何度かここに来たことがあるというミオが祖母と話に花を咲かせている間、勝手知ったる実家であるリクが3人に麦茶を持ってくる。
「ミオと婆ちゃんはなぜか昔から仲良しでな。ここに遊びに来ても婆ちゃんと話してる方が長いくらいだったよ」
「そんなことないわよ」
「んだよー。リクだって小さい頃はミオちゃんと一緒にお風呂に入ったり、一緒に寝てたりしてただろー」
「ちょ、ちょっと!それは幼稚園の頃の話でしょ?」
リクの祖母の突然の昔話に顔を真っ赤にするミオ。
しかしそんなミオの様子を意にも介さず、昔を懐かしむように目を細める。
「そうだったっけかー?そんで、確かリクはいつもミオちゃんの後ろを付いて回ってたよなー」
「そうそう、あの時はミオの方が背が高かったからな。よく遊んでもらってたんだよ」
いつの間にかリクも加わり、3人は楽しそうに談笑を続ける。
すっかり蚊帳の外となったハルとナナだったが、出された麦茶をすすりながら、時折差し込まれるミオの恥ずかしい昔話を聞いているだけで十分楽しめていた。時に笑い、時に照れながら話している3人の様子は、見ているだけでこちらの心までほぐれるようで、気付けばあっという間に30分ほどが経過していた。
「あらー、すっかり話し込んじまったなー。まだ荷物も片付けていないのにごめんなー」
「おお、もうそんなに経ってるのか。そしたらまずは部屋に案内するから荷物を持ってついてきてくれ」
そう言うとリクが立ち上がる。
これから楽しい4日間になりそうだと期待を胸に、ハルたちは荷物を持ってリクの後に続いていく。
***
それから3日間。
昼は海で海水浴やスイカ割りをしたり、夜は花火やバーベキュー。
近くの観光スポットである海浜公園で灯台に登ったり、最近出来たという変わった形のモニュメントを見学したりなど、充実した時間を過ごしていた。
そのお陰で【予定表】を見ることができるようになってから、初めて消滅のことを忘れて楽しく過ごすことが出来ていた。
そして最終日。
今日が最後だからと祖母が腕によりをかけて作ってくれた郷土料理に舌鼓を打ったあと、4人は食休みと称して夜の海に散歩に来ていた。
「今日で最後か、あっという間だったな」
「ホントだね、まだ2日間くらいしか経ってない気がするよー」
「それなら大体あってるわ、誤差1日ってところね」
「その誤差が大きいんだよー」
4人は具合の良い場所を選び、浜辺に腰を下ろす。
昼間は海水浴客で賑わっていた浜辺だったが、海を照らす明かりが太陽から月や星に変わっただけなのに、それだけでどこか幻想的な雰囲気を醸し出す。加えて定期的に鳴り響く静かな波の音は少し物悲しい感じがして、それがまた一層の非日常感を際立たせる。
向こうの方では観光に来ている家族だろうか、花火を振り回してはしゃぐ男の子と、それを窘める母親の声が遠くに聞こえる。水平線近くには外洋に向かって進路を取る大きな客船の明かりが見える。
そう言った目に映る一つ一つの風景が、夜の海というフィルターを通すことにより、遠い思い出のワンシーンのように鮮やかに輝いていた。
ハルは隣に座るこの旅の主催者に素直な感想を漏らす。
「夜の海って初めて来たけど、なんか不思議な感じだね。まるで別の世界に来たみたいだ」
「だろ?海沿いにでも住まないとなかなか来る機会がないからな」
「リクはよく来てたの?」
「流石に最近はなかったけど、子供の頃は毎年のように来てたからな。ほら、子供ってこう言う神秘的な感じに冒険心がくすぐられるだろ?」
「ああ、分かる気がするよ。日常にはない冒険を求める。僕もそうだったよ」
「まあ、日常にはないって意味なら、俺たちは既に体験しているけどな」
リクの言葉に忘れていた現実の中の非日常を思い出す。
この旅でそれをタブーとしたのは、他でもないリク自身だった。
「あ、悪い。消滅のことはこの旅では思い出さないって言い出したのは俺だったのにな」
「いや、気にしないでよ。風見市に帰ったらまた向き合わなくちゃいけないことだからね」
「そっか......そうだな」
それきり2人の間に沈黙が流れる。
少し離れた場所に座る女性2人は声を潜めて会話をしているのでなにを話しているかは分からない。時折互いに慰めあっている様子から察するに、なにか悩み相談でもしているのだろうか。
「......僕たちはさ」
唐突にハルが語りだす。
「ひょんなことから消滅なんて現象に関わることになって、それを防ぐために色々やってきたよね」
「ああ......」
遠くを見たまま話すハルの言葉に迷いのようなものを感じ、リクもハルと同じ方向を見たまま小さく返事を返す。
それきりハルは黙ってしまうが、その視線は暗い水平線の先を見つめたままだった。
リクもまた、寄せては返す波の音に思考を預けるように沈黙を貫く。
そのまま再び2人の間は沈黙に包まれる。
「それって......」
先ほどと同じように唐突にハルが語りだした言葉にリクは驚愕する。
「それって必要なことなのかな?」
「......!!」
ハルの言葉は彼らのこれまでの行動に疑問を投げかけるものだった。
あまりのことに言葉は出せず、ハルの方に目をやると、ハル自身もなにか悩んでいるような様子だった。
「なんで消滅って現象が発生しているんだろう。そしてなんでそれを事前に知らせる【予定表】なんてものがあるんだろう。僕もミオ先輩もふとしたきっかけでそれに触れているけど、そもそもなんでそんなものがあるんだろう」
問いかけとも取れるハルの言葉は、リクの答えを待たずに先を続ける。
「少なくともこれを作った人も【予定表】に名前を載せ続けている人も人間じゃないのは確かだと思う」
「まあ......そうだろうな」
「それじゃ誰が【予定表】を更新しているんだと思う?」
「......考えたこともあるけど、結局分からなかったな。もしかしたら神様的な存在かもな」
「神様か......うん、そうだね。確かにこんなことができるのは神様くらいしか思いつかないね」
今度の問いかけにリクは答えることが出来た。
しかしハルはその答えを予想していたかのように話を続ける。
「そうすると消滅は神様がやっていること、ってことになるよね」
「なるほど......確かにそうかもしれないが、それとハルの言ったことになんの関係があるんだ?」
ハルの考えが分からず、リクがその真意を問う。
「もしかしたら......」と言ったところ、それから先の言葉を紡ぐのをためらうように大きく息を吐くと、意を決して言葉を続ける。
「もしそうだったとしたらと、僕たちがやっていることはその意志に逆らうことになるのかなって......」
「......!!」
リクは再び言葉を失う。
しかし言われてみれば確かにその通りだ。
もし【予定表】に記載された消滅が本当に神の意志として実行されているものであれば、それを防ぐということはその意思に逆らうことになる。
今の今まで神様なんてものが実在するとは考えてはいないリクであったが、考えてみると消滅という現象は、それ自体が人知を超えた現象だ。それが神様の仕業だと言われれば、それを否定する材料はない。
そう思うと、ハルの推測はあながち間違っているとは言い切れないように思えた。
「それなら今後はなにもしないって言うつもりかしら?」
いつの間にか後ろに来ていたミオが声をかける。
「そうだよ。あの時に救いたいって言ってた気持ちは嘘だったの?」
隣に並ぶナナもハルに言葉を投げかける。
「嘘じゃない。嘘じゃないけど......ちょっと分からなくなったんだ......」
ハルの言葉は弱々しい。
自分の意志とは裏腹に、なにか葛藤を抱え、それに苦しめられているように見える。
しかしその内容はハル自身にしか分からない。
ナナがハルの手にそっと触れ、優しい言葉でハルの心を解きほぐそうとする。
「ハル......なにかあったなら教えて?」
「ナナ......」
ナナの顔を見て、それからリクとミオの顔を見ると、ハルは意を決したように自分の思いを打ち明ける。
「この前......夢を見たんだ......」
ハルが語るのはこの前見たヒーローになる夢。
その時に感じたこと、救えた人がいる一方で、救えなかった人がいることへの悩み。
そして掲示板で見たユウの書き込み。
消滅を防ぐことを望まないものもいる。
隣の市での妨害らしき出来事がその裏付けなのではないか。
そう考えると、自分のやっていることの意味が分からなくなり、無力感に苛まれていたのだ。
幸いなことに、リクの計らいのお陰でこの旅の間にそれを思い出すことはなかった。
しかし目の前の雄大な海の大きさと比べて、自分という存在がいかに小さいものかと感じてしまい、心の奥にくすぶっていた無力感が際限なく大きくなっていたのだった。
「それじゃ、ハルは今後消滅が起きるって分かっていても見捨てるってことね」
「そんなことは......」
「そう言ってるのと同じよ」
ハルの思いを聞いたミオが言い放つ。
思わずミオの方を振り返る。
その表情、その口調は初めてミオに会った時のそれと同じだった。
「私はかつて言ったわよね。あなたたちはいい加減な気持ちで消滅に向き合っているって。でもそれは一緒に行動するうちに私の勘違いだって思ったわ。だからこうして一緒にいるようになったの」
先ほどまでの穏やかな雰囲気は霧散し、空気が一気に張り詰めていく。
「でもやっぱりあなたはいい加減な気持ちのままだったってわけね」
「いい加減な気持なんかじゃない!」
ミオの言葉にハルが力強く反論する。
するとミオは口調と表情を元に戻し、柔らかい笑みを浮かべて言葉を続ける。
「私はね、サロンを失った時の想いを誰にもさせたくないの。もしそれが神の意志って言うなら、私はそっちの方が間違いだってはっきりと断言するわ。私から私の大事なものを奪っておいて、それが必要なことだったなんて言い訳、私は許さないわ。だから私はこれからも可能な限り消滅を防ぐつもりよ」
「ミオ先輩......」
ミオの想いは昔も今も変わらない。
きっかけは愛犬を失ったことだった。
そのために心を痛め、弔い合戦のつもりで消滅に対抗すべく色々と行動をしていた。
その想い自体は今も変わってはいないものの、目的は弔い合戦という個に対する想いではなく、消滅そのものに対する意地のようなものになっていた。
それが良いことかどうかは分からないが、その変化を見続けてきたリクが彼女の言葉を引き継ぐ。
「俺はさ。ミオのように強い想いがあるわけじゃないんだ。お前らみたいに【予定表】を見ることもできないしな」
「......」
ハルはリクに視線を送り、その言葉に黙って耳を傾ける。
「ミオが消滅に抗えば抗うほど自分の心をすり減らし、それが分かっていたのに俺にはなにもできなかった。そんな時にミオと同じ【予定表】を見ることができるハルと会った時、俺は正直ちょっと悔しかった」
「リク......そうだったの......」
リクが語る初めての本音は、ハルだけでなくミオにも少なくない衝撃を与えた。
「そりゃそうだろ。目の前で悩んでいるのに......それを共有することすらできずにずっと歯がゆい思いをしていたのに......それを突然現れたやつの方がその悩みに寄り添える資格があるんだぜ。悔しくもなるってもんだぜ」
「そんなこと......」
「まあ、その話は今はいい。とにかく最初こそはそんなことを思っていたけども、俺たちと一緒に行動してくれたことによって救われたのは消滅する人だけじゃねえ。ミオの心も救われたんだ。少なくとも俺はそう思う。俺の大事な......幼馴染を救ってくれてありがとな」
リクの発言に「幼馴染......まあそうよね......」と小さく呟くミオの声が横に立つナナの耳に届き、気持ちを落ち着けるように彼女の背中を優しく撫でる。
女性陣の心の葛藤に気付かないリクの発言は続く。
「だから神様がいるとかいないとか、消滅することを望む奴がいるとか、そんなのは俺には関係ねえ。ただそうやってミオを救ってくれた行動を否定するのは、俺は納得がいかない。だから俺が保証してやる。俺たちが、いや、ハルがやってきた行動は間違ってないし、間違いなく必要なことだった」
ハルの顔から視線を外さず断言するリク。
そのリクの表情を見て、ナナはミオの背中から手を放し、ハルの前に一歩進み出る。
「ハルは後悔しているの......?」
「後悔?」
「救えなかった人がいること。救わないという選択をしたこと」
「それは......」
――後悔している。
そう言おうとしたが、なぜかそれを口にすることが出来なかった。
「初めて消滅に立ち向かおうとした時、ハルはすごく悩んでいたよね。悩みに悩んで、やっぱり消滅するって分かってるのに見過ごすことはできない。そうやってあの時決断した。だからあの時も消滅から救うことが出来たんだよ」
「......」
「私もリクと同じで【予定表】を見ることが出来ないから、ハルたちがどんな想いを抱えているかは分からない。ハルのいう通り、消滅はもしかしたら本当に神様が決めたことかもしれない。それに逆らうことは間違ってるかもしれないし、消滅を防ぐことを望まない人がいるのかもしれない」
ナナの言葉が静かに響く。
ハルはナナから目を逸らしたかったが、なぜか視線を外すことが出来なかった。
「でも消滅から救えなかった時、ハルはすごく苦しんだでしょ?消滅から救えた時はすごく嬉しかったでしょ?」
ゆっくりと紡ぎだされるナナの言葉は、波の音と共にハルの心に染み込んでいく。
「手が届かない人たちは救えないし、救おうと思っても救えなかった人もいる。でもハルたちの行動によって救われた人たちがいることは間違いないんだよ」
その言葉に無言でミオが頷く。
「救えなかったことを後悔するんじゃなくて、救えたことを大事に思おうよ。ハルが決断したから消滅しなかった人たちがいるんだよ。その人たちは今も消滅から救われたことを知らずに過ごしているだろうけど、もし消えちゃってたらそんなことすら考えられなかったんだよ」
「ナナ......」
「神様の決めたことなら消えても仕方ないの?消滅を望む人がいるからなんだって言うの?ハルはそれでいいの?それじゃ納得いかないから頑張ってきたんじゃないの?自分のしてきたことまで否定しちゃ......ダメだよ......」
ナナの最後の言葉は夜の海に吸い込まれていった。
その言葉を最後に4人の間には沈黙が流れる。
「思うんだけど......」
ナナが再び口を開く。
「もし本当に神様みたいな存在がいて、その神様が消滅が必要なことだと思って実行しているんだとしたら、なんでそれを事前に知ることができる【予定表】があるのかな?」
「そう言われれば......」
ナナの素朴な疑問。
それは今まで考えたことすらなかった発想だった。
「もしかしたらだけど......だから神様も迷ってるんじゃない?」
「迷ってる?」
「そう、神様は消滅が必要なことだと思っていても、本当に消しちゃっていいのかどうかって迷ってるんじゃないのかなって思うの。だから【予定表】を作って、それを見ることができる人を選び、私たちに消滅を防ぐチャンスをくれているんじゃないかなって思うんだ」
ナナの考えは3人にとって大きな衝撃を与えた。
なぜ消滅という現象が起こるのか。
なぜ【予定表】というものがあるのか。
もちろんすべては推測に過ぎないのだが、消滅、そして【予定表】というものが存在する理由の一端が垣間見えたような気がした。
「神様だってどっちが正解か分からず悩んでる。それなら周りがどう思おうとも自分が納得するようにすれば良いんだと思うよ」
ナナの言葉は仮定に仮定を重ねた憶測であった。
しかしどんなに根拠がないことだったとしても、誰よりもハルのことを見てきたナナの言葉はハルの心の迷いを晴らすには十分だった。
夜の海で繰り返し響き渡る波の音が妙に心地よい。
この場にいる誰もが言葉を発さない。
きっとハルと同じように波の音に身を預けているからだろう。
「神様の迷いか......」
助けられなかったことを後悔することもあるだろうし、消滅に関与することを望まない人もいるかもしれない。
今までだってそうだったのだから、これからもそういった悩みや後悔がなくなることはないだろう。
でも――
「【予定表】が見えても、消滅に関わっていたとしても、僕はそれをそのまま無視して過ごすことも出来たんだ。でもそれをしなかったのも僕自身の意志だ。それはきっと皆も同じなはず」
そう言って3人の顔を見渡す。
「今改めて宣言するよ。例え消滅が神様の意思でも、それに迷いがあるなら、僕たちの行動は決して間違いじゃない。それなら手が届く限り抗ってやりたい」
「だから......」と3人の前に手を出す。
「これからも一緒に消滅を防いでくれるかな?」
その手に真っ先に手を重ねたのはナナだった。
「うん、もちろんだよ!」
それに続いて2人も手を重ねていく。
「俺は最初からそのつもりだぜ」
「これ以上迷ってたら承知しないわよ」
――消滅という「破壊」
――【予定表】という「迷い」
――それを託された関与者という「選択」
ハルの迷いから生じた今回の一件により、消滅という人知を超えた現象と【予定表】そしてハルたち関与者。それらが存在する意図を垣間見ることになった。
それは憶測に過ぎないことではあったが、それでも迷いながら進む彼らの決意を固めるには十分であった。
波の音だけが鳴り響く浜辺で、4人は誰からともなく笑いあっていた。