最終話 近すぎて甘くないふたり、ついに
「やはり、ロタラ王女しかいない」
神官のひとりが、重々しく言った。
「若君の間合いに入れるのは、あの方だけだ」
☆
珊瑚宮の将軍謁見の間は静まり返っていた。
翡翠宮から遣わされた神官が居住まいを正した。
「......今、なんと申した」
将軍の隣で、奥方が頬に手を添えた。
居並ぶ家臣たちは互いの顔を見合わせている。
ロタラは黙って神官を見ていた。
「恐れながら再度申し上げます」
顔を上げた神官の目に、曇りはなかった。
「第二王女殿下に若宮司の寝込みを襲っていただき、既成事実を作っていただきたく存じます」
家臣たちから、かすかな殺気が漏れた。
将軍は片手をあげて家臣たちを制し、ため息を吐いた。
「たしかに。これまでの経緯を考えれば、ロタラが適任ではあろうが......」
肩を落とす父親を、ロタラは脇から見つめていた。
「だが、さすがに我が娘にそのような......」
「なぜです?」
ロタラは立ち上がった。
「武門の娘に及び腰は似合いません!私が立派に務めを果たしましょう!」
拳で胸をどんと叩いた。
将軍はあんぐりと口を開け、奥方は目を細め、「まあまあ......!」と小首を傾げた。
そして、出立の朝。
「では、行ってまいります!」
いつも通り朗らかに歯を見せるロタラを、将軍は複雑そうに見つめた。
「そなたは......三姉妹の中でも恵まれた身体をしておる。存分に活かすのだぞ」
「はい!心得ております!」
奥方は衣類の入った包みを手渡した。
「夜間の装束はこちらに」
「母上の見立てなら間違いありませんね!」
ロタラは包みをぎゅっと胸に抱いた。
⭐︎
その夜、ロタラは長槍を置いた。
母が用意した白い装束の帯を固く結ぶ。
「機は熟した」
ロタラは寝所の扉に手をかけ、薄明かりの部屋に足を忍ばせた。
寝台で寝息を立てているエンジュ。
ロタラは枕元に立ち、息を殺して友人の顔をしばらく見下ろしていた。
やがて静かに手を持ち上げる。
「許せ、エンジュ」
暗闇に風を切る音がした。
――ドスッ。
「び......っくりしたー......」
エンジュは布団を巻き取りながら寝台の上を転がっていた。
枕のすぐ下、先ほどまでエンジュの首があった場所に、ロタラの手刀が突き刺さっていた。
「避けたか」
ロタラは顔を上げた。
「......避けるでしょ」
「さすがだ」
ロタラはそう言い残し、部屋を出ていった。
草木もすっかり眠るころ、エンジュは再びすやすやと眠っていた。
そしてまた、忍び寄る手刀。
ガシッ。
「......反応速度が上がっている!」
ロタラは目を見開いた。
「......二度同じ手は効かないよ」
ロタラの腕を掴みながらエンジュが起き上がった。
「いちおう確認だけど、何してるの?」
ロタラはするっと腕を抜き、腰に手を当てた。
「極秘任務だから言えない」
「そっかぁ。もう起こさないでね」
「......永遠の眠りか」
ロタラは寂しそうな顔で出ていった。
空が白み始めるころ。
エンジュは懲りずに、三度目の眠りについていた。
ロタラの手刀は、風を切るというには甘すぎる、音の速さを超え、空気を破裂させる威力で振り落とされた。
エンジュは目を開き喉元寸前で手刀をかわすと、布団に突き刺さったロタラの手首を掴んだ。
手首を掴んだままロタラの懐へ転がり込み、自分の背を潜り込ませた。
手刀が振り下ろされた直後には、すでにロタラの身体が宙を舞っていた。
大きな音を立ててロタラの身体が落ちた。
だが、寝台に背中がついたのは一瞬だった。
肩を軸に身体を回転させたロタラは、右脚でエンジュの左肩を狙った。
振り抜かれた右脚と、横に崩れるエンジュ。その手はロタラの足首を掴んでいた。
身体を捻り、両手をついて、ロタラは拘束されていない左脚を繰り出した。
しかし体重を支える両腕は布団に深く沈み込み、左の踵が届く頃には体勢を崩していた。
エンジュに脚を引き寄せられ、身体が寝台の上に引き摺られた。
「地の利を読み違えたか!」
仰向けに倒れ込みながら、ロタラは悔しそうに唸った。
「はい、これで取った」
エンジュはロタラの上に乗り上げ、体重をかけて脚を封じた。
エンジュの鼻先を目掛けて突き出された拳も、受け止め、そのまま押さえ込んで制圧した。
「......やるな」
ロタラは目を光らせた。
「僕、寝起きは動けないんだけど」
ロタラの腕を寝台に押し付けながら、エンジュがため息をついた。
「だからこそ狙われやすい」
「狙ってきたのは君だけだよ」
「そういう指令が出たのだ」
ロタラは息を切らしながら白状した。
「国家ぐるみで僕を消しにかかってるの?」
「いや。夜間の警戒力を鍛える目的だろう」
「......なにそれ」
「寝込みを襲い、既成事実を作れと承った」
「え」
「これで証明されたな。若宮司は夜襲を察知する能力が高いと!」
ロタラは心の底から友人を祝うように満面の笑みを浮かべた。
エンジュはゆっくり手を離した。
「ロタラは何か勘違いしてるみたいだね」
「なんのことだ?」
「僕から教えてあげなきゃいけないみたいだ」
エンジュは戦闘で乱れてしまった、ロタラの胸元に手を伸ばした。
⭐︎
「なるほど。そういう意味だったのか」
ロタラは唸った。白い装束は整えられ、腕組みをしながら寝台に腰掛けている。
その背後ではエンジュが、ロタラの髪を梳いていた。
「父上にも、この身体を存分に活かせと言われたが......」
「素手でやれって意味じゃないと思うよ」
「長槍は狭い室内では不向きかと思ったんだ」
ロタラは腕を掲げ、軽く手刀を振り下ろした。
「婉曲的な表現は苦手だ」
「単純明快なところがロタラの良いところだよ」
エンジュは笑いながらロタラの髪を紐で一括りにした。
それから、ひと仕事終えたように隣に並んで座った。
「神殿にはもちろん、珊瑚宮にも僕から申し入れておくよ。ロタラにこんな任務を与えるなって」
ロタラの手のひらが静かに上がり、エンジュに向いた。
「心配するな。不当な任務は自分で断る」
ロタラはエンジュの顔を真っ直ぐに見た。
「今回は確認が足りなかった。次からは気をつける」
窓の外から朝の光が差し込んでロタラの瞳に反射した。
「私の身体をどう使うのか、決めるのはいつだって私だ」
「眩しいなあ」
エンジュは目を細めた。
⭐︎
神殿の事務所に、あくびをしながらエンジュがやってきた。
「若君、今朝はごゆっくりされてましたね」
上役の神官が皆を代表するように歩み寄った。
「ロタラが夜、寝かしてくれなかったんだ」
「......それはそれは!」
見るからに顔が輝く。
「僕、死んじゃうかと思ったよ」
「え......?」
「だって数時間おきだよ?」
「そんなに......?」
事務作業をする手を止め、神官たちが息を呑んだ。
「うん。喉元を狙って、手刀を振り下ろしてくるんだよ」
「え?」
「最後は殺気を抑えられていなかった。僕じゃなかったら死んでたね」
神官は天井を一周見回して、再び微笑みの若宮司に視線を向けた。
「第二王女が、昨夜、あなたを襲った」
「寝込み、襲われたよ」
「何度も?」
「正確には三度だよ」
「寝床で?」
「寝床で」
「手刀を?」
「殺気を持って振り下ろしてきたよ。そう依頼したんでしょ? 君たちが」
エンジュは首を傾げて楽しそうに目を開いた。
上役の神官の顔から輝きが失われた。
「これじゃ仕事にならないから、今日はお休みするねぇ」
⭐︎
寝所にもどると、ロタラが手足を投げ出して眠っていた。
寝台の足元に腰掛け、そのまま倒れ込んだような格好で、半分ほどを占領している。
「寝ずの番は疲れるよねぇ」
エンジュはあくびをしながら枕をどけ、空いているところに身体を斜めに横たえた。
「やっぱり狭いな」
ロタラの頭に自分の頭をぶつけて、エンジュは不満を漏らした。
それでも眠気には勝てずに、そのまま布団に沈んでいく。
朝日に照らされて温まっていく部屋の中では、ふたりの寝息が追いかけっこをしていた。