Episode 8 — Last Veil
もう二人を繋ぐ鎖は無いというのに、エイトはノアの傍らに立ったままだった。
まるで主を待つ忠犬のように。ノアもそれを咎めはしない。
宙に映し出されたディスプレイには待機の文字が点灯したままだ。
「......ここは先代の局長が使っていた部屋だ。あの人はとある計画に絡んでいた」
操作を待ち、動かなくなったディスプレイへと視線を留めたままノアは口を開いた。
エイトに話し掛けるというよりは独り言に近い響きだった。
それを察してか、偶然か。
エイトは口を開かず、黙ったままその瞳にノアの姿を映す。
「軍は戦争に備え、何かを隠している。俺はずっとそう思っていた。そして局長も。
――まさかその一つが第八計画だったとはな。どう使うつもりだったのかは知らないが......」
ノアがようやくディスプレイから視線を外し、デスクに片肘をつきながらエイトを見上げた。
初めて顔を合わせた時と全く同じ表情で、エイトも静かにノアを見下ろしていた。
「......なあ。お前、なぜ俺についてきた? お前の身体能力なら、それがあっても逃げられただろう」
今度はエイトの手首を拘束する手錠へと視線を移しながらノアが問う。
手錠はその表面に青白い光を定期的に走らせていた。
その物質もこの建物と同じ、感応鋼で作られている。
その硬度ゆえ、破壊は難しい。刃物の類はほとんど通さず、物理的な衝撃を加えても腕の方が先に壊れる。
熱や冷却への耐性も高い。
一般的な罪人に使うには高価すぎる代物だとは思っていたが、軍が長年隠し通していた吸血鬼の生き残りを拘束するためだと知ってしまえば納得せざるを得ない。
――だが吸血鬼の身体能力はそんな手錠一つで制御しきれるようなものではない。
造り主である自分が一番よく知っている。
手錠があってもなお、エイトがノアを撒くことも。殺すことさえ容易なはずだ。
だが、エイトは不思議そうな顔をして首を傾げるばかりだった。
「あんたを置いて逃げることはしない」
「あのな、それはもう聞いた。俺はその理由を聞いてるんだ」
呆れたようにノアが髪を掻く。
エイトは瞬きを一度挟み、他の言葉を探すようにほんの少し視線を迷わせた後、再び口を開いた。
「俺を造った人間だから」
その言葉にノアの肩が強張る。
エイトを見上げる瞳が動揺に揺れた。
「お前......いつから気付いていた? 俺が製造者だと」
「最初にあんたが名乗った時から」
事もなげにエイトは答える。
言葉を返そうとしたノアの唇が僅かに震え、一方で表情は怪訝そうに眉根を寄せた。
「――それを知りながら、車の中で俺を庇って救ったっていうのか?」
まるで理解出来ないと、ノアの声は困惑を隠し切れずに伝えていた。
だがエイトは迷うこともなく頷く。
嘘を吐いているわけではない。
そう確信出来るほど、薄暗い室内でも輝くような金の瞳は曇りのない色をしていた。
今度こそノアの唇からは声が出なかった。
なにか返事を作ろうと口を開いて、結局は声にならないままそれは閉じられる。
何度かの呼吸の後、ノアは視線を床へと落とし、薄く唇を開いた。
「......俺を、恨んではいないのか」
質問することさえ馬鹿馬鹿しかった。
戦争のための兵器として造り、不要になったら躊躇なく破棄した。
何らかの思惑で隠すように生かされ、逃げ出した後もこうして追い回し、身勝手に捕らえている。
恨まない理由がない。
今すぐその手が自分の首を掴み、捻り上げない方が不思議だった。
だが、エイトは質問の意図が分からないとでも言いたげに首を傾げる。
「恨んでいない」
また迷いのない声が頭上から降った。
「俺の造り主なら、俺の親だってことだろ」
「......おい、その呼び方はやめろ。あんな事があった後で――」
思わず額を押さえつつ片手で制止を掛けて、ノアは言葉に詰まる。
忘れかけていた昨晩の記憶が蘇り、身体の痛みを思い出すと同時に頭痛さえ湧き上がってきた。
低く呻くノアを見下ろしながら、エイトはもう一度目を瞬かせる。
「じゃあ俺はあんたの何?」
躊躇することも、恥ずかしがることもせずにエイトは問う。
ノアは問い返すような視線を向ける。
「......別に俺達の関係に名前なんざ要らねえだろ」
「欲しい」
「名前のある関係が?」
「そうだ」
ノアは眉根を寄せる。
自分が造った兵器。
命令に絶対服従する駒。
指示一つで盾にも、武器にもなる存在。
幾つか答えようはあったが、どれも相応しくないことは理解していた。
ノアは片手を伸ばしてエイトの手首へと触れる。
脳内で命じるだけでそこに嵌められていた手錠が開き、冷たい音を立てて床へ落ちた。
「......ノア?」
「名前なんか要らない。ここでお前を解放する」
ノアは視線をデスクの上へと向ける。
そこに浮かび上がったディスプレイには、まだ待機の文字が映っていた。
ゆっくりとノアの指がそこへと近付き、触れる。
すると文字が一度点滅し、短い電子音と共に切り替わった。
『終焉の霧計画――第八研究所 承認』
短く息を吐き、ノアは視線を上げないまま口を開く。
「いいか、エイト。この国は今日で終わる」
傍に立つエイトの気配へ目を向けられないまま、静かに瞼を落とした。
「その前に、お前は逃げるんだ」