Episode 4 — Recall
深夜。
休みなく歩き通してようやく辿り着いた街のホテルの一室。
ベッドの端に腰を下ろしたノアは携帯端末を前に眉根を寄せていた。
あれから何度軍本部への通信を試みても繋がらない。
脳機接続端子を介した通信のみならず、特殊な専用回線を持つ携帯端末からも接続出来なくなっている。
外部からの回線を偽装しても結果は同じだった。
ノアが弾かれているわけではない。
軍の回線が全て遮断されているかのような不自然さだった。
「クソ、これじゃ車も呼べやしねえ......」
思わず舌打ちを零す。
まさか死刑囚を連れて民間の公共車両を使うわけにもいかない。
万一、公になったら始末書では済まない。
ふと視線を横へ向けると、エイトは同じベッドに腰掛けて何もない天井を見上げながら退屈そうに足の先を揺らしていた。
ホテルに着いた時間が遅かったせいで部屋にほぼ空きがなく、ダブルサイズのベッドが置かれた部屋しか取れなかった。
とはいえ、眠っている間も手錠でエイトの動きを制限するのだ。むしろ都合がいい。
二人を繋ぐ手錠の短い鎖を見下ろしながら自分にそう言い聞かせ、黙って同じベッドに座っている。
ノアはつい先ほど軽食を摂ったものの、エイトはただ一言「要らない」と言って結局何も口にしてはいない。
特別これといった表情もないその横顔からは、空腹なのか、そうでないのかの判別さえも出来なかった。
疲弊も、空腹も、不満も。何一つ口にしない。
まるで人の造った機械人形のように。
「......お前は一体何者なんだ」
半ば無意識に、そんな言葉が零れ落ちた。
知らない方がいい。頭では分かっている。
エイトの金色の瞳が静かにノアへと向いた。
「お前に会ってからというもの、あの事故。通信障害。異常が起きすぎてる。
それにお前自身だって、どう見てもまともじゃない」
あの事故の中、ノアを庇いながら無傷で生き延びたこと。
死を恐れようとしない空気。
顔を合わせたばかりのノアに対する異常なまでの従順さ。
その全てに納得できる理由が見当たらなかった。
ノアの問いを受けて数秒。
初めてエイトの顔に表情が浮かんだ。
眉根を寄せ、色素の薄い瞳を細める。
怒りか、苛立ちか。あるいは落胆に似た何かか。
そんな感情が滲んでいた。
「――あんたこそ、俺のことを忘れちゃったの?」
形の良い唇が紡いだ言葉に、今度はノアが黙り込む。
黒縁の眼鏡の奥で昏い瞳が見開かれた。
「......何だと......?」
問い返した声は思ったよりも掠れて口を出た。
寝台を静かに軋ませて立ち上がったエイトを、ノアは視線だけで追い掛ける。
互いの手首を手錠で繋いでいる以上、大きく離れることは出来ない。
エイトはノアの膝の間に脚を差し込むような位置で立ち止まり、静かにノアを見下ろした。
「......おい、エイト」
「違う」
名を呼ぶなり、声を重ねるようにして否定が返る。
「あれは俺の名前じゃない。八はただの番号」
見上げた先の表情に先程の感情はもう見当たらない。
それなのに、どうしてか冷たく睨まれているような錯覚に陥った。
ノアが無意識に身を引こうとした瞬間、互いを繋ぐ細い鎖が擦れた音を細く鳴らす。
「俺は八番目――」
そう紡がれた言葉に、喉の奥で息が詰まった気がした。
続きを聞くことを拒むように、心臓が嫌な音を立てはじめる。
エイトは伸ばした指先をノアのネクタイに掛け、身を屈める。
そして耳元に唇を寄せて、低く囁いた。
「第八計画......その被検体だよ」
今度こそ冷たい鎖が音を立てた。
*
第八計画。
数年前に凍結命令が出た、とある研究の名称だ。
通称――『エイト』。
魔法という不気味な術を扱う隣国との戦争に備え、戦力増強を目的とした研究だった。
戦になればたくさんの兵が死ぬ。
それならば、死なない兵士を。あるいは死んでも構わない兵士を作ればいい。
理屈は単純だった。
人間から採取した卵子と精子を受精させる瞬間に、人工的に造り上げた遺伝子を混ぜる。
ただそれだけ。
生まれた存在は、限りなく理想に近かった。
専用の装置の中で一年と掛からずに成人と同じ大きさにまで成長し、人の言葉を理解し、話す。
人間よりも強靭な身体と反射神経を持ち、それに追随するだけの運動能力と怪力を持ち合わせる。
知識は目覚めるまでの間に脳へ直接叩き込んでおけば、教育も必要ない。
何より特徴的なのは食事だ。
人間と同じ食事は不要。
代わりに人間の血液や、死肉からでさえ栄養を摂取することが出来る。
戦場には掃いて捨てるほど転がっているものだ。
こうして実に効率のいい兵士が誕生した。
誕生した存在を、ある研究者は他国の伝承に準えてこう名付けた。
血肉を食らう不老の怪物。
吸血鬼と。
*
「思い出した? ノア」
そう問うエイトを呆然と真下から見上げて、初めてノアは気が付いた。
言葉を紡ぐ度に薄く開かれる唇の内側。
そこにある犬歯が、人の皮膚など容易く裂けるほどに鋭い形をしていることに。
それはかつて自分がそう名付けた存在を象徴する特徴と、完全に一致していた。