Episode 2 — Shift
「――にしても、その年で死刑囚とはね。何をやらかした?」
ノアは狭い車内で脚を組んで問い掛けた。
向かいに座るエイトはその話題にさして興味も無さそうに瞼を伏せる。
「......何も」
「何もしてなきゃ死刑になんてならねえんだよ、普通は」
そう口にして、ノアは失言に気付いた。
この国は軍事国家であり、そして独裁的な性質も持ち合わせる。
本人に罪があろうとなかろうと、国や軍にとって不都合と判断されればありもしない罪状で死を命じられることもあった。
それを踏まえても、即時処刑という四文字は珍しい。
本当に何もしていないというのであれば、そちらの方が問題だ。
この手のものには触れぬが吉と相場が決まっている。
事実、先程まではエイトの返答を促していた軍人も、今は我関せずとばかりに無言を貫いて床を見つめている。
場を誤魔化すようなノアの咳払いを最後に車内は静寂に満ちた。
視線を逸らしていても分かるほど露骨に向けられるエイトの瞳が気になるものの、それ以上口を利く気にもなれなかった。
恐らく自分が死刑になることは知っているのだろう。
だからこそ逃げ出した。
だというのに、捕らえられたその身体は恐怖に震えもしていなければ、逃げる隙を窺おうとする様子さえなかった。
「......なあ、お前」
思わずノアが口を開くと同時に、エイトの顔が勢いよく上がる。
瞳が向く先はノアの元ではない。
双眸を見開き、まるで微かな音を拾おうとする獣のように、焦点は虚空へと定められていた。
ノアも、そして軍人も、その変化を見逃さず視線を向ける。
だが問いを発する間もなく、次の瞬間、派手な音と共に文字通り天地がひっくり返った。
狭い車内の中で身体が宙に浮く。
頭が理解したのはそこまでだった。
無意識にきつく目を瞑った暗闇の中で、色んな角度で身体を何度も打ち付け、どこかに転がり落ちていく感覚があった。
幾つの呼吸を挟んだのか。
ようやく目を開けられたのは、物音が途絶えて少しした時のことだった。
不自然な姿勢で固まっていた身体を起こそうと手を伸ばす。
その手を何かが掴み、引いた。
顔を上げるとそこにはエイトが立っていた。
手錠に繋がれたままの手でノアの手首を握っている。
ノアはその手に支えられてようやく重力に逆らわない形でその場に座り込み、すぐに異変に気が付いた。
先程まで座っていたはずの座面が縦に刺さっている。
周囲には車内に積んであった荷物が散乱し、それに埋もれるように軍服を纏った男が倒れていた。
その首は、不自然な角度に曲がっている。
「っ、おい――!」
思わず手を伸ばし掛けて、触れられないまま指先は止まった。
声を掛けたところで返事が無いことは、もう頭が先に理解してしまっている。
咄嗟に窓の外へと目を向けて、ノアの頭はようやく現状を把握した。
「......崖から、落ちたのか......?」
車両は地面に突き刺さるようにして止まっていた。
走っていた山道からガードレールを突き破り、転がり落ちたらしい。
「まさか自動操縦にしてなかったのか? ......クソ」
喋るだけでも身体のあちこちが痛むものの、それで済んでいる方が奇跡に近かった。
横目で隣に転がったままの身体へと向く。
身体に対しおかしな方向へと曲がってしまっている頭部から、呼吸の音は聞こえない。
中途半端に強張ったままの指先も、僅かにさえ動かない。
一つ間違えれば自分もこうなっていたことだろう。
壁を隔てた運転席からも物音一つ聞こえなかった。
そこにいる人物の生死は不明だが、後部座席から接触することは出来ない作りだ。
ノアは縋るように真上を見上げる。
そこにある後部扉だけが、外へと繋がる唯一の道だった。
この車両は移送している囚人が出られないように、内側からは扉の解除が出来ないようになっている。
ノアは扉へと痛む右手を翳した。そして脳内で命じる。
ピピッ、と電子音が鳴り、閉ざされていた扉が自動的に外に向かって開いた。
「頭打ってないだけマシと思うべきか......」
ノアは再びぼやきながら自分の頭部へと指を添えた。
その内には精密な電子部品が埋め込まれている。この国では珍しいことではない。
人間が一々手足を動かすより、脳に直接埋め込んだ小さな脳機接続端子と呼ばれる部品によって直観的に機械を制御した方がどうしたって効率が良い。
難点は衝撃によって破損しやすいことだが、幸い後部扉のロックが正しく解除されたところを見るにその心配もないようだった。
「ノア」
不意に、隣に立っていたエイトが口を開く。
「てめえ、呼び捨てかよ......」
反射で眉根を寄せながらもノアはその身体へと視線を滑らせた。
見る限りどこにも傷は見当たらない。
先程もノアが目を開くよりも先に立ち上がり、支えて起こしてみせた。
幸運なのか、やけに運動能力が優れているのか。
「ノア。俺が先に出る」
「おい待て、許可出来るか。お前は移送中の囚人だぞ。もし逃げ出そうものなら――」
「逃げない」
ノアの言葉を遮ってエイトは言った。
「あんたを置いて逃げることはしない」
「はあ......?」
先程から向けられているものと同じ、真っ直ぐな目をしてエイトは言った。
ノアは表情を苦く歪めながら再び顔を上げる。
車両の扉は開かれたとはいえ、頭から地面に突き刺さっている今、それは真上にある。
手を伸ばしても簡単には届かない上、身体のあちこちを痛めている。
それに元々運動の類は不得手だ。
「............」
少しの間の後、ノアは舌打ちを零す。
そして傍らの青年へと視線を向けた。
状況を打開するのに最も手っ取り早いであろうその人物は、やはり真っ直ぐにノアを見据えていた。