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エピローグ 風の吹いた後

「お望みの人工神はいなかったわ」
 鳴上から遠く離れた山奥のコテージ。樹木が赤や黄色に彩られ、錦秋の美しさに包まれていた。
 その中でギレーヌが風凰神社の顛末を男へ報告していた。
 テーブルの上の紅茶は冷めきっている。出された直後に一度だけ口に運んだが、ギレーヌがそのティーカップを手に取ることはなかった。口に合わなかったようだ。
「依り代を用意した意味もなかったわね」
「いや、そうでもない」
 テーブルを挟んでギレーヌに相対する壮齢の男性。黒のスーツにグレーのシャツが覗く。その着こなしもあってか実年齢よりも若く見えた。
「どういうこと?」
「人工神の残滓でそれだけの力。かつての人工神に届かずとも、似たような存在ものは作れるかもしれない」
「あんな物作ってどうするつもり?」
 鳳凰となった愛紗をギレーヌは制御できなかった。強大な力を生み出したところで制御できないのなら、それは暴力を振りまく機械に他ならない。自身さえ危険に身を晒すことになる。
 自分で制御・操作できないのならそれは欠陥品。ギレーヌはそう思っていた。
 しかし男は、あくまで力を求めるらしい。
「お前と同じだ。ギレーヌ・ライン」
「は?」
 慌てふためく結果を想像して笑みを浮かべる訳でもなく、力を願うようになった原因を思い出して憤怒する訳でもなく、男は抑揚のない声で言う。
「復讐だ」
 その声量とは裏腹の有無を言わさぬ迫力。
 ギレーヌも思わず閉口した。男が本気だと分かったから。
 復讐に他人が口を挟む余地は無い。いくら共感しようと復讐者の怨讐はその人のもの。同じ地獄を体験しない限り「お前の想像以上だった」と心を焦がす。そして正論を振りかざすのなら「お前に何が分かる」と憎悪が燃え上がる。
 ギレーヌは違う話題を出そうにも思い浮かばず、テーブルのティーカップに手を伸ばす。指先が取っ手に触れた時、中の紅茶が不味かったことを思い出し、手が硬直した。
 少しばかり目を細めると、男の方から新たな話題が提供される。
「ところで子供は良かったのか。手放して」
 愛紗の事である。彼女は玲菜たちに保護され、今は鳴上の天宿にいる。
「別に。依り代の為に利用させてもらっただけだから。この件が終われば不要よ」
 ギレーヌにとって愛紗はその程度。その程度のはずである。
 紅茶から手を引き、そのまま腕を組む。紅茶には手を出さないという意思にも見えた。
 まだまだ力を求める男へ忠告する。彼自身の復讐にではなく、その方法について。
「同じ方法を取るなら依り代は別に用意した方が良いわよ」
「どういう意味だ」
 男は彼女が愛紗に少なからず愛情が芽生えていたのかと思った。被検体とは言え、子供を失った者が愛らしい子供と長く一緒にいればそういったものが生じてもおかしくはないと。
 しかしそれは違うようだった。
 ギレーヌが男から視線をそらして理由を零す。
「もうそんなに長くはないもの」
「それほどか」
「違う血液型の血を入れているようなものよ。私が言うのもおかしいけれど、よく耐えたものね」
 膨らんだ風船に空気を漏らさないように水を入れている感覚だった。破裂しないように細心の注意は払っていたが、それでも内心ヒヤヒヤしていた。
「融和の術を仕込んでいたのだろう?」
「拒絶反応の山を均して間延びさせていただけよ。異物を入れ続けているのだから、いずれそうなるのは必然よ」
 急激な変化を緩やかにすることで、瞬間的な負荷を軽くしていた。愛紗の身体へ耐性を持たせようとした試みだった。
 最初は内側からではなく、外側から侵食させるように魔力を馴染ませようとした。少量では彼女の天力が魔力を打ち消してしまい、一定以上の魔力では体内で馴染むどころかすぐに肌が灼けてしまった。その上から魔力を当てようものなら一瞬で気絶しそうだった。
「それにその魔術は私のではないわ」
 そこに現れたのがクルスだった。減速魔術という遅延魔術を持って。ここで外側からではなく膨大な天力を内包する体内へ魔力を直接送り込む手法へ切り替えた。この方法は、肌が灼けるという前兆が見えない。異常が即死に直結し兼ねないので諦めていたが、クルスの魔術ならば対処する時間が作れる。天魔力を研究することになったギレーヌにとって、またとないパートナーだったのだ。
「その助手はどこに行った?」
「さあね。お姫様と戦ったようだけど......見つからなかったわ」
 しかし今はいない。優里菜と戦った後、いつもの合流場所へ一向に姿を見せなかった。
 ギレーヌは風凰神社を調べに行ったが、天子や警察が多くて境内に入ることは叶わなかった。天子協会に捕まっていないことを考慮すると、ギレーヌから手を引いたと考えるのが妥当に思えた。
 元々お互いにお互いの力が必要だったから組んだ協力関係。契約も結んでいないので、いなくなったところでそれほど深刻にはならない。少しばかり移動が面倒になるくらいだった。
「これからどうしするつもりだ?」
 男は一つ案を持ってギレーヌに聞いた。
 風凰神社の奥宮を確認したことで、二人の契約は終了した。クルスも愛紗もギレーヌの元から居なくなり、彼女を制限するものは何もない。完全にフリーのはず。
「そうね、どうしようかしらね」
 案の定、ギレーヌに今後の予定は無いらしい。男は遠慮なく案を提示した。
「予定がないのなら提案が有るが、聞くか?」
 思ってもみない申し出に、ギレーヌは少し驚く。男の顔は冗談を言っているようには見えない。そもそもこの男から冗談を聞いたこともないが。
「聞くだけ聞かせてもらうわ。面白そうなら乗ってあげる」
 不敵な笑みを浮かべ、ギレーヌは男の話に耳を傾けた。



  *****


「かわいい〜〜〜!!」
 天宿一階、エントランスに女性の黄色い声が響き渡る。
 ソファーの上で、"むぎゅう"と擬音が聞こえてきそうなほど歩が愛紗を抱きしめていた。
「ああもう、どうしてこんなにかわいいの!」
 金色の髪を撫で、頬に頬を当ててすりすり。
「――――」
 される側の愛紗の顔は面白いくらい虚無である。
「髪はさらさらで柔らかいし、このほっぺもおもちみたい。それに何かいい匂いもするし......」
 歩が妙に鼻を鳴らすと、ゾクリと悪寒が愛紗の背筋を駆け上った。
 愛紗は歩の抱擁から脱出し、近くで見守っていた優里菜の後ろへと逃げ隠れる。
「あーん、待って〜」
「歩さん、そのくらいで」
 優里菜は歩の溺愛具合に苦笑い。若干......かなり引きつつ愛紗の防波堤になった。上着の裾を掴む愛紗の手が心なしかいつもより強く感じる。
 歩が手を伸ばしてくるも、その場所から動かない。愛紗が本気で嫌がることはしないようだ。歩が近づいてこないことが分かると愛紗はテーブルの上に置いておいたスケッチブックに鉛筆を走らせる。
 そして、猜疑の視線と一緒に歩へ向けた。
「(あゆむ こわい)」
「がーん」
 ハートが飛び散っていた笑顔が一瞬にして真っ青に。伸ばした手と首がだらんと垂れ下がった。
 愛紗にこのスケッチブックを与えたのは広輝である。声は出せないが、読み書きのできる愛紗とのコミュニケーションが少しでも円滑になればと思ってのことだった。ついでに暇潰しに絵でも描ければと色鉛筆も一緒にプレゼントしたが、そちらはまだ手を付けていないようだった。
「さすがにやりすぎだな」
「いつもの倍、いや三倍は酷いですよね」
 七重と紫鶴も今回は愛紗の味方である。今日の歩は見兼ねるものがあった。
「だって、今日でお別れなんですよ! 日々の栄養がなくなる」
 この世の終わりのように未練がましい歩に晶も苦言を呈すが......
「その子が来る前に戻るだけでしょう? たかだか一月前に......」
「そんなこと言って......晶様だってアイちゃんにお熱じゃないですか」
「そ、そそ、そんなことありませんわ」
「知ってるんですよ。アイちゃんと二人っきりなったらデレッデレの笑顔になるの」
「な、なにを根拠に......(ハッ)紫鶴? 七重?」
 二人とも晶の視線を綺麗に躱した。気まずそうな横顔だけが晶に映る。
「〜〜〜〜!」
 諸々、バレバレらしい。
 恥ずかしさで顔がみるみる赤くなったところに、止めの褒め射撃が晶を襲う。
「(あきら やさしい かわいい)」
「はうっ」
 晶は顔を隠してうずくまった。
 そこに天守の部屋に行っていた広輝が戻ってくる。ある人物を天守に紹介しに行っていたのだが、二人は元々知り合いだったらしい。軽く世間話をした後、簡単な伝達だけで話は終わった。
「......どういう状況?」
「あ、おかえりなさい」
「ああーーおっと」
 広輝を見るや否や、愛紗は優里菜から離れて広輝に飛びつく。愛紗の満面の笑みが広輝に向けられた。
 右手で愛紗の頭を撫でると、愛紗は一層嬉しそうに花を咲かせる。
 その様子を指を咥えて羨ましそうに眺めるのは陽本四人娘。特に歩と晶。
「アイちゃん、広輝くんに一番懐いているよね。いいなー」
「なんであのぶっきら棒に......」
「それはまあ、身を挺して愛紗ちゃんを救った張本人ですからね。信頼もするんじゃないですか」
 羨ましそうどころか、どこか恨めしそうに広輝を見る晶に紫鶴の苦笑いは深くなる。
 愛紗は天宿に保護され、瞬く間にその愛らしい笑顔で女性陣を中心に虜にしていった。その場にいれば、陽本と月永の小競り合いも中断されるほどだった。
 そんな彼女が一番の笑顔を咲かせたのは広輝に対してだった。その笑顔の前には硬い表情も優しくほぐれ、穏やかになる。
 広輝と愛紗の仲睦まじい姿を、広輝の隣で感心した様子で見守る一人の女性。広輝と一緒に天守の部屋へ行っていた人物だ。
 広輝よりも頭一つ分背が高く、上から下に一本線が通っているように姿勢が良い。長袖のシャツにジーンズ姿のシンプルさがスリムな体によく似合っており、彼女の格好良さが際立った。髪は黒髪のショートカットで、その端正な顔立ちは中性的。彼女の雰囲気もあってか、男性よりも女性に人気がありそうな女性である。
「やっぱりお前に懐いているじゃないか、コウ」
「そう、なんですけどね」
 "コウ"と呼ばれた広輝の返事はどこか寂しそうだった。愛紗を撫でるのを止め、広輝は愛紗に隣の女性を紹介した。
「愛紗、この人がお前を面倒見てくれる人の中の一人。星永ほしなが円まどかさんだ」
 風凰神社の一件の後、愛紗は広輝もろとも病院へ運ばれ、一週間の検査入院の後に鳴上支部へ保護された。その後、多くの所と愛紗の処遇を協議した結果、星永が纏める岳隠支部で保護することに決定。天子の孤児を多く預かる岳隠が適任だろうとの判断だ。
 その岳隠から愛紗を引き取る為にこの女性――星永円が来訪していた。
 円は片膝を折り、愛紗と目線を合わせる。その一連の所作が既に格好良かった。
「改めて、私は星永円。皆からはマド姉ねえと呼ばれている。君のこれからが楽しいものになるよう手伝わせてもらうつもりだ。よろしく」
 笑顔で右手を差し出すも、愛紗の両手は広輝の右手を掴んではなさず、どこか不安そうに円を見るばかり。今にも広輝の後ろに隠れてしまいそうだった。
「大丈夫だ、愛紗。この人はオレの姉同然の人。信頼できる人だ」
 愛紗を安心させるように言うと、愛紗は不安気に広輝の顔を見上げる。本当かな?と。
 愛紗の不安を取り除くため、円は悪ノリを始める。あくまで愛紗に安心してもらう為である。
「そうだな。一緒に風呂も入った仲だしな」
「ふrっ!?」
 別のところが反応した。愛紗が振り返ると、優里菜が開いた口を両手で抑えていた。
 広輝は半ば呆れながら周りに説明するように不服を言う。
「――小学校低学年の話をされてもですね」
「間違いではないだろう?」
「そうですけど」
 事実ではあるが、誤解を招く言い方に納得いかない。かと言って、広輝は円に強く出れない。モヤモヤしたまま引き下がった。
 そんな二人のやり取りで、愛紗は広輝と円の関係性を感じ取る。大丈夫だ と信じてみることにした。
 両手を広輝から離し、スケッチブックと鉛筆を手に取る。一枚ページを捲り、新しいページに丁寧に自分の言葉を書いていった。
 書き終えると鼻から下を隠すようにスケッチブックを円へ見せる。
「(あいしゃ です。
  よろしくおねがいします)」
 そして小さな勇気を振り絞り、その小さな手を差し出した。
 腕が伸び切らないその手に込められた、勇気の大きさを円は知っている。
 だから迎えに行く。
「ああ。よろしく」
 安心と優しさで包み込むように、愛紗の右手を握った。
 愛紗は少し驚いたように見えたが、皆へ向けるのと同じ笑みを浮かべるのだった。
「それでは愛紗をよろしくお願いします。円さん」
「ああ、任せておけ」
 広輝は愛紗を円に託すと、円と同じように愛紗の目線を合わせる。両膝を付いて。
「愛紗」
「?」
 今までにない神妙な面持ちの広輝に愛紗は首をかしげた。悲しいと悔しいの間のような表情。
 そして頭を下げる。
「ごめん、一緒に居られなくて」
 広輝も分っている。愛紗が誰に懐いて、誰と一緒に居たいのかを。自分の人間性を省みれば、人から慕われるような人物ではないと十分に理解できる。しかし愛紗は、この少女は他の誰よりも広輝の傍に居たがった。機会があれば広輝に抱きつくほどに。
「本来なら助けたオレたちが、オレがお前を引き取ることが筋だと思う」
 鳴上支部で彼女を引き取ることができない訳ではなかった。任務によって死亡した天子の子供を引き取り、自立への支援をする制度も設備はある。
 しかし特別な事情を持つ愛紗を引き取ることに鳴上のほとんどが敬遠した。特に月永は、魔術師に侵された天子を遠ざけた。愛くるしい少女に絆される者も少なくはなかったが。
 何より、愛紗と一番近くに居ることになるだろう広輝の踏ん切りがつかなかった。
「でも、覚悟ができなかった。愛紗を守り育てる覚悟が」
 広輝がいた岳隠支部は星永の初代当主の志を受け継いで、天子が独りにならないよう可能な限りの孤児・遺児を引き取って育てている。ある種のセーフティーネットとして作用していた。
 それ故に、子供一人を引き取ることがどれだけ大変なことかを知っている。生半可な覚悟ではならないことを知っている。
 今の広輝には、愛紗と一緒にいる覚悟ができなかった。
「だから、ごめん」
 それは喉が痛みそうな声だった。冷静・冷酷の堕天子とは程遠い、申し訳無さが詰まった。
 愛紗は少しの間何かを考えると、鉛筆を持ってスケッチブックに言葉を綴る。
 愛紗も広輝から離れたくはない。けれどそれが、難しいことなのだと幼いながらに感じ取っていた。いつか来る別れの不安を抱えながら広輝の傍を享受していた。
 だから二週間前に今日のことを告げられても泣きはしなかった。悲しかったけれど、そうなんだと受け止められた。逆に今みたいに広輝の方が苦しそうだった。その理由は、愛紗にはよくわからない。心の痛みだけが伝わってくる。
 その痛みはどんな言葉なら和らげられるのか。愛紗は言葉を紡ぐ。
 一向に頭を上げない広輝の頭をポンポンと叩くと、その言葉を広輝へ見せた。
「(だいじょうぶ)」
 愛紗は知っている。広輝だけが最初から助けようとしてくれていたことを。
 あの緑色の風は優しかった。あの風が広輝の本質に思えた。
 その優しき人が自分を責めなくても良いように。
 広輝を安心させるような精一杯の幸せな笑顔を向けた。
「(たすけてくれて ありがとう)」
 広輝は少し驚いたような顔を見せてたが、その後はもう痛そうな顔ではなかった。
 穏やかだけど少し寂しそうに愛紗の髪を撫でる。
「ありがとう」
 優しさがちゃんと広輝に届いていた。
 愛紗はスケッチブックを置き、広輝の首に両腕を回す。いつものように。
 広輝もまたその両手で愛紗を抱きとめ、柔らかな金色の髪を優しく撫でるのだった。
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エピローグ 風の吹いた後

「お望みの人工神はいなかったわ」
 鳴上から遠く離れた山奥のコテージ。樹木が赤や黄色に彩られ、錦秋の美しさに包まれていた。
 その中でギレーヌが風凰神社の顛末を男へ報告していた。
 テーブルの上の紅茶は冷めきっている。出された直後に一度だけ口に運んだが、ギレーヌがそのティーカップを手に取ることはなかった。口に合わなかったようだ。
「依り代を用意した意味もなかったわね」
「いや、そうでもない」
 テーブルを挟んでギレーヌに相対する壮齢の男性。黒のスーツにグレーのシャツが覗く。その着こなしもあってか実年齢よりも若く見えた。
「どういうこと?」
「人工神の残滓でそれだけの力。かつての人工神に届かずとも、似たような存在ものは作れるかもしれない」
「あんな物作ってどうするつもり?」
 鳳凰となった愛紗をギレーヌは制御できなかった。強大な力を生み出したところで制御できないのなら、それは暴力を振りまく機械に他ならない。自身さえ危険に身を晒すことになる。
 自分で制御・操作できないのならそれは欠陥品。ギレーヌはそう思っていた。
 しかし男は、あくまで力を求めるらしい。
「お前と同じだ。ギレーヌ・ライン」
「は?」
 慌てふためく結果を想像して笑みを浮かべる訳でもなく、力を願うようになった原因を思い出して憤怒する訳でもなく、男は抑揚のない声で言う。
「復讐だ」
 その声量とは裏腹の有無を言わさぬ迫力。
 ギレーヌも思わず閉口した。男が本気だと分かったから。
 復讐に他人が口を挟む余地は無い。いくら共感しようと復讐者の怨讐はその人のもの。同じ地獄を体験しない限り「お前の想像以上だった」と心を焦がす。そして正論を振りかざすのなら「お前に何が分かる」と憎悪が燃え上がる。
 ギレーヌは違う話題を出そうにも思い浮かばず、テーブルのティーカップに手を伸ばす。指先が取っ手に触れた時、中の紅茶が不味かったことを思い出し、手が硬直した。
 少しばかり目を細めると、男の方から新たな話題が提供される。
「ところで子供は良かったのか。手放して」
 愛紗の事である。彼女は玲菜たちに保護され、今は鳴上の天宿にいる。
「別に。依り代の為に利用させてもらっただけだから。この件が終われば不要よ」
 ギレーヌにとって愛紗はその程度。その程度のはずである。
 紅茶から手を引き、そのまま腕を組む。紅茶には手を出さないという意思にも見えた。
 まだまだ力を求める男へ忠告する。彼自身の復讐にではなく、その方法について。
「同じ方法を取るなら依り代は別に用意した方が良いわよ」
「どういう意味だ」
 男は彼女が愛紗に少なからず愛情が芽生えていたのかと思った。被検体とは言え、子供を失った者が愛らしい子供と長く一緒にいればそういったものが生じてもおかしくはないと。
 しかしそれは違うようだった。
 ギレーヌが男から視線をそらして理由を零す。
「もうそんなに長くはないもの」
「それほどか」
「違う血液型の血を入れているようなものよ。私が言うのもおかしいけれど、よく耐えたものね」
 膨らんだ風船に空気を漏らさないように水を入れている感覚だった。破裂しないように細心の注意は払っていたが、それでも内心ヒヤヒヤしていた。
「融和の術を仕込んでいたのだろう?」
「拒絶反応の山を均して間延びさせていただけよ。異物を入れ続けているのだから、いずれそうなるのは必然よ」
 急激な変化を緩やかにすることで、瞬間的な負荷を軽くしていた。愛紗の身体へ耐性を持たせようとした試みだった。
 最初は内側からではなく、外側から侵食させるように魔力を馴染ませようとした。少量では彼女の天力が魔力を打ち消してしまい、一定以上の魔力では体内で馴染むどころかすぐに肌が灼けてしまった。その上から魔力を当てようものなら一瞬で気絶しそうだった。
「それにその魔術は私のではないわ」
 そこに現れたのがクルスだった。減速魔術という遅延魔術を持って。ここで外側からではなく膨大な天力を内包する体内へ魔力を直接送り込む手法へ切り替えた。この方法は、肌が灼けるという前兆が見えない。異常が即死に直結し兼ねないので諦めていたが、クルスの魔術ならば対処する時間が作れる。天魔力を研究することになったギレーヌにとって、またとないパートナーだったのだ。
「その助手はどこに行った?」
「さあね。お姫様と戦ったようだけど......見つからなかったわ」
 しかし今はいない。優里菜と戦った後、いつもの合流場所へ一向に姿を見せなかった。
 ギレーヌは風凰神社を調べに行ったが、天子や警察が多くて境内に入ることは叶わなかった。天子協会に捕まっていないことを考慮すると、ギレーヌから手を引いたと考えるのが妥当に思えた。
 元々お互いにお互いの力が必要だったから組んだ協力関係。契約も結んでいないので、いなくなったところでそれほど深刻にはならない。少しばかり移動が面倒になるくらいだった。
「これからどうしするつもりだ?」
 男は一つ案を持ってギレーヌに聞いた。
 風凰神社の奥宮を確認したことで、二人の契約は終了した。クルスも愛紗もギレーヌの元から居なくなり、彼女を制限するものは何もない。完全にフリーのはず。
「そうね、どうしようかしらね」
 案の定、ギレーヌに今後の予定は無いらしい。男は遠慮なく案を提示した。
「予定がないのなら提案が有るが、聞くか?」
 思ってもみない申し出に、ギレーヌは少し驚く。男の顔は冗談を言っているようには見えない。そもそもこの男から冗談を聞いたこともないが。
「聞くだけ聞かせてもらうわ。面白そうなら乗ってあげる」
 不敵な笑みを浮かべ、ギレーヌは男の話に耳を傾けた。



  *****


「かわいい〜〜〜!!」
 天宿一階、エントランスに女性の黄色い声が響き渡る。
 ソファーの上で、"むぎゅう"と擬音が聞こえてきそうなほど歩が愛紗を抱きしめていた。
「ああもう、どうしてこんなにかわいいの!」
 金色の髪を撫で、頬に頬を当ててすりすり。
「――――」
 される側の愛紗の顔は面白いくらい虚無である。
「髪はさらさらで柔らかいし、このほっぺもおもちみたい。それに何かいい匂いもするし......」
 歩が妙に鼻を鳴らすと、ゾクリと悪寒が愛紗の背筋を駆け上った。
 愛紗は歩の抱擁から脱出し、近くで見守っていた優里菜の後ろへと逃げ隠れる。
「あーん、待って〜」
「歩さん、そのくらいで」
 優里菜は歩の溺愛具合に苦笑い。若干......かなり引きつつ愛紗の防波堤になった。上着の裾を掴む愛紗の手が心なしかいつもより強く感じる。
 歩が手を伸ばしてくるも、その場所から動かない。愛紗が本気で嫌がることはしないようだ。歩が近づいてこないことが分かると愛紗はテーブルの上に置いておいたスケッチブックに鉛筆を走らせる。
 そして、猜疑の視線と一緒に歩へ向けた。
「(あゆむ こわい)」
「がーん」
 ハートが飛び散っていた笑顔が一瞬にして真っ青に。伸ばした手と首がだらんと垂れ下がった。
 愛紗にこのスケッチブックを与えたのは広輝である。声は出せないが、読み書きのできる愛紗とのコミュニケーションが少しでも円滑になればと思ってのことだった。ついでに暇潰しに絵でも描ければと色鉛筆も一緒にプレゼントしたが、そちらはまだ手を付けていないようだった。
「さすがにやりすぎだな」
「いつもの倍、いや三倍は酷いですよね」
 七重と紫鶴も今回は愛紗の味方である。今日の歩は見兼ねるものがあった。
「だって、今日でお別れなんですよ! 日々の栄養がなくなる」
 この世の終わりのように未練がましい歩に晶も苦言を呈すが......
「その子が来る前に戻るだけでしょう? たかだか一月前に......」
「そんなこと言って......晶様だってアイちゃんにお熱じゃないですか」
「そ、そそ、そんなことありませんわ」
「知ってるんですよ。アイちゃんと二人っきりなったらデレッデレの笑顔になるの」
「な、なにを根拠に......(ハッ)紫鶴? 七重?」
 二人とも晶の視線を綺麗に躱した。気まずそうな横顔だけが晶に映る。
「〜〜〜〜!」
 諸々、バレバレらしい。
 恥ずかしさで顔がみるみる赤くなったところに、止めの褒め射撃が晶を襲う。
「(あきら やさしい かわいい)」
「はうっ」
 晶は顔を隠してうずくまった。
 そこに天守の部屋に行っていた広輝が戻ってくる。ある人物を天守に紹介しに行っていたのだが、二人は元々知り合いだったらしい。軽く世間話をした後、簡単な伝達だけで話は終わった。
「......どういう状況?」
「あ、おかえりなさい」
「ああーーおっと」
 広輝を見るや否や、愛紗は優里菜から離れて広輝に飛びつく。愛紗の満面の笑みが広輝に向けられた。
 右手で愛紗の頭を撫でると、愛紗は一層嬉しそうに花を咲かせる。
 その様子を指を咥えて羨ましそうに眺めるのは陽本四人娘。特に歩と晶。
「アイちゃん、広輝くんに一番懐いているよね。いいなー」
「なんであのぶっきら棒に......」
「それはまあ、身を挺して愛紗ちゃんを救った張本人ですからね。信頼もするんじゃないですか」
 羨ましそうどころか、どこか恨めしそうに広輝を見る晶に紫鶴の苦笑いは深くなる。
 愛紗は天宿に保護され、瞬く間にその愛らしい笑顔で女性陣を中心に虜にしていった。その場にいれば、陽本と月永の小競り合いも中断されるほどだった。
 そんな彼女が一番の笑顔を咲かせたのは広輝に対してだった。その笑顔の前には硬い表情も優しくほぐれ、穏やかになる。
 広輝と愛紗の仲睦まじい姿を、広輝の隣で感心した様子で見守る一人の女性。広輝と一緒に天守の部屋へ行っていた人物だ。
 広輝よりも頭一つ分背が高く、上から下に一本線が通っているように姿勢が良い。長袖のシャツにジーンズ姿のシンプルさがスリムな体によく似合っており、彼女の格好良さが際立った。髪は黒髪のショートカットで、その端正な顔立ちは中性的。彼女の雰囲気もあってか、男性よりも女性に人気がありそうな女性である。
「やっぱりお前に懐いているじゃないか、コウ」
「そう、なんですけどね」
 "コウ"と呼ばれた広輝の返事はどこか寂しそうだった。愛紗を撫でるのを止め、広輝は愛紗に隣の女性を紹介した。
「愛紗、この人がお前を面倒見てくれる人の中の一人。星永ほしなが円まどかさんだ」
 風凰神社の一件の後、愛紗は広輝もろとも病院へ運ばれ、一週間の検査入院の後に鳴上支部へ保護された。その後、多くの所と愛紗の処遇を協議した結果、星永が纏める岳隠支部で保護することに決定。天子の孤児を多く預かる岳隠が適任だろうとの判断だ。
 その岳隠から愛紗を引き取る為にこの女性――星永円が来訪していた。
 円は片膝を折り、愛紗と目線を合わせる。その一連の所作が既に格好良かった。
「改めて、私は星永円。皆からはマド姉ねえと呼ばれている。君のこれからが楽しいものになるよう手伝わせてもらうつもりだ。よろしく」
 笑顔で右手を差し出すも、愛紗の両手は広輝の右手を掴んではなさず、どこか不安そうに円を見るばかり。今にも広輝の後ろに隠れてしまいそうだった。
「大丈夫だ、愛紗。この人はオレの姉同然の人。信頼できる人だ」
 愛紗を安心させるように言うと、愛紗は不安気に広輝の顔を見上げる。本当かな?と。
 愛紗の不安を取り除くため、円は悪ノリを始める。あくまで愛紗に安心してもらう為である。
「そうだな。一緒に風呂も入った仲だしな」
「ふrっ!?」
 別のところが反応した。愛紗が振り返ると、優里菜が開いた口を両手で抑えていた。
 広輝は半ば呆れながら周りに説明するように不服を言う。
「――小学校低学年の話をされてもですね」
「間違いではないだろう?」
「そうですけど」
 事実ではあるが、誤解を招く言い方に納得いかない。かと言って、広輝は円に強く出れない。モヤモヤしたまま引き下がった。
 そんな二人のやり取りで、愛紗は広輝と円の関係性を感じ取る。大丈夫だ と信じてみることにした。
 両手を広輝から離し、スケッチブックと鉛筆を手に取る。一枚ページを捲り、新しいページに丁寧に自分の言葉を書いていった。
 書き終えると鼻から下を隠すようにスケッチブックを円へ見せる。
「(あいしゃ です。
  よろしくおねがいします)」
 そして小さな勇気を振り絞り、その小さな手を差し出した。
 腕が伸び切らないその手に込められた、勇気の大きさを円は知っている。
 だから迎えに行く。
「ああ。よろしく」
 安心と優しさで包み込むように、愛紗の右手を握った。
 愛紗は少し驚いたように見えたが、皆へ向けるのと同じ笑みを浮かべるのだった。
「それでは愛紗をよろしくお願いします。円さん」
「ああ、任せておけ」
 広輝は愛紗を円に託すと、円と同じように愛紗の目線を合わせる。両膝を付いて。
「愛紗」
「?」
 今までにない神妙な面持ちの広輝に愛紗は首をかしげた。悲しいと悔しいの間のような表情。
 そして頭を下げる。
「ごめん、一緒に居られなくて」
 広輝も分っている。愛紗が誰に懐いて、誰と一緒に居たいのかを。自分の人間性を省みれば、人から慕われるような人物ではないと十分に理解できる。しかし愛紗は、この少女は他の誰よりも広輝の傍に居たがった。機会があれば広輝に抱きつくほどに。
「本来なら助けたオレたちが、オレがお前を引き取ることが筋だと思う」
 鳴上支部で彼女を引き取ることができない訳ではなかった。任務によって死亡した天子の子供を引き取り、自立への支援をする制度も設備はある。
 しかし特別な事情を持つ愛紗を引き取ることに鳴上のほとんどが敬遠した。特に月永は、魔術師に侵された天子を遠ざけた。愛くるしい少女に絆される者も少なくはなかったが。
 何より、愛紗と一番近くに居ることになるだろう広輝の踏ん切りがつかなかった。
「でも、覚悟ができなかった。愛紗を守り育てる覚悟が」
 広輝がいた岳隠支部は星永の初代当主の志を受け継いで、天子が独りにならないよう可能な限りの孤児・遺児を引き取って育てている。ある種のセーフティーネットとして作用していた。
 それ故に、子供一人を引き取ることがどれだけ大変なことかを知っている。生半可な覚悟ではならないことを知っている。
 今の広輝には、愛紗と一緒にいる覚悟ができなかった。
「だから、ごめん」
 それは喉が痛みそうな声だった。冷静・冷酷の堕天子とは程遠い、申し訳無さが詰まった。
 愛紗は少しの間何かを考えると、鉛筆を持ってスケッチブックに言葉を綴る。
 愛紗も広輝から離れたくはない。けれどそれが、難しいことなのだと幼いながらに感じ取っていた。いつか来る別れの不安を抱えながら広輝の傍を享受していた。
 だから二週間前に今日のことを告げられても泣きはしなかった。悲しかったけれど、そうなんだと受け止められた。逆に今みたいに広輝の方が苦しそうだった。その理由は、愛紗にはよくわからない。心の痛みだけが伝わってくる。
 その痛みはどんな言葉なら和らげられるのか。愛紗は言葉を紡ぐ。
 一向に頭を上げない広輝の頭をポンポンと叩くと、その言葉を広輝へ見せた。
「(だいじょうぶ)」
 愛紗は知っている。広輝だけが最初から助けようとしてくれていたことを。
 あの緑色の風は優しかった。あの風が広輝の本質に思えた。
 その優しき人が自分を責めなくても良いように。
 広輝を安心させるような精一杯の幸せな笑顔を向けた。
「(たすけてくれて ありがとう)」
 広輝は少し驚いたような顔を見せてたが、その後はもう痛そうな顔ではなかった。
 穏やかだけど少し寂しそうに愛紗の髪を撫でる。
「ありがとう」
 優しさがちゃんと広輝に届いていた。
 愛紗はスケッチブックを置き、広輝の首に両腕を回す。いつものように。
 広輝もまたその両手で愛紗を抱きとめ、柔らかな金色の髪を優しく撫でるのだった。
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深緑のシルフィード作者:U
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