永遠のハロウィン:追憶
男は、かつて名もなき『怪物』だった。
肉を刻まれ、骨を砕かれ、死ぬことすら許されずに冷たい地下牢に転がされていた。何をしても死なず、その再生力はまさに怪物。そして、微かな血を与えて生かし続けたのは、人間たちの嗜虐心だった。
ずたぼろの身体で逃げ出した男を拾ったのは、この街のしがない貴族――のちに男が名を継ぐことになる、本物の伯爵だった。
「酷い傷だ。何もない家だが、僕のところへおいで」
伯爵の手は温かかった。彼が連れていかれた街は、誰も男の過去を問わない。
パン屋の店主は焼き立ての香ばしいパンを、仕立て屋のおばさんは男の背丈に合わせた漆黒のマントを楽しそうに縫い上げてくれた。
怪物として生かされてきた男は、ここで初めて『人の温もり』を知った。
やがて時が流れて本物の伯爵が旅立ち、男が二代目として館を継いでからも、街の温もりは変わらなかった。男は自らの牙を隠しながら、街の様子を見守り続けた。
あの日。あの一年に一度の、街中が笑顔になるハロウィンの夜までは。
◇
「火事だ!」
悲鳴が夜を切り裂く。
すでに街は大きな炎に包まれていた。
強い秋風はまるで家から家へ火の粉を運んだ。
紅蓮の炎がまるで生き物のように街を飲み込んでいく。
「伯爵! 助けて! お父さんが! お母さんが......!」
館の裏ドアを叩いたのは、幼いシシリー、コロネ、ロロの三人だった。男は三人をとっさにマントの影へと引き寄せた。
街中の焦げた匂いが風に乗って届くほどに、炎も伯爵の屋敷にまでも迫る。
どうして。なぜ怪物の僕が生き、こんな温かい人達が、美しい街が死ななければならない?
男は膝をつき、灰の降る街に向かって叫んだ。胸が割れそうなほどの悲痛な叫びだった。
生き残った三人の子どもたちが、泣きながら男の背中にすがりついてくる。
己の叫び声の裏で、男の脳裏を掠めたのは、地下牢で切り刻まれていた時に幾度となく耳にした言葉だった。
『吸血鬼の血には不思議な力が宿る』
怯える子ども達の肩をそっと離し、マントの胸元から、かつて先代の伯爵から譲り受けた古びた銀の懐中時計を取り出した。
自分の生は、この街の人々に与えられたものだ。
ならば、この不死の生をすべてを捧げよう。
男は自らの胸に爪を立て、溢れ出る血を懐中時計へと注ぎ込んだ。
「時よ、止まれ。この愛おしい夜のまま――」
チクタク、と音を刻む秒針。
グルグル、と逆に廻る。
炎は一瞬にして消え去り、焼け焦げた街は、蝋燭の光が優しく揺れる『あの日のハロウィン』へと巻き戻っていく。
燃え尽きたはずの家々には明かりが灯り、死んだはずのおばさんはレースのエプロンをつけて笑顔でお菓子を抱えている。
ただし、彼らの影は、もう二度と地面に落ちることはない。
時間が止まった死者の国。彼らは自分が死んだことすら気づかず、訪れる子どもたちを待つだけの、永遠の幻影となった。
◇
「......伯爵?」
涙を拭ったシシリーが、不安そうに男を見上げる。
「もう大丈夫だよ。街は......みんなは、あそこにいる」
男は表のドアと、裏のドアの鍵をかけた。
この館だけが、生者の時間と死者の時間を繋ぐ境界線。
そして伯爵は、この箱庭を守る永遠の番人となった。
「さぁ、子どもたち。かぼチャのバケツを持ったかい?」
伯爵は優しく微笑んだ。
「今日という日は一年に一度っきりだ。楽しんでおいで」
チリン、と黒猫の鈴が鳴る。
子どもたちが元気よく飛び出していく背中を見送りながら、伯爵はそっと胸の懐中時計を撫でた。
あの日失われたはずの温かな街。
それを繋ぎ止めるための、愛おしい嘘と、永遠のハロウィンは、ここから始まった。