ホーム法鍵士は夕暮れに鳴る ―三声の共鳴、世界を守護する三人の絆―外伝:ミチクサ日和第2話 ヒーローとクリームコロッケ
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第2話 ヒーローとクリームコロッケ

夜の九時時を過ぎた頃。バイトを終えたジョウは一人、
裏の拠点へ向かう途中だった。
今夜の秘密裏に行っている巡回は仲間たちに任せ、
ジョウは別件で寄り道をしていた帰り道だった。

懐には......まだ温かさが残っていたクリームコロッケ。
ジョウが大好きな賄の一つで拠点で食べようと思って少し残しておいていたのだ。
一口食べればサクサクの衣とお店秘伝の甘いクリームソースが中から溢れて来て、
そのままでも、どんなソースでも合う。
ジョウの中では完璧過ぎるクリームコロッケだった。

そんなホクホク顔のジョウが大学の裏手に続く、
街灯の乏しい細い通りに差し掛かった時、ふと喉の奥がざわついた。

(......この感じ)

闇......異形の気配だ。まだ微かだが、確かにある。
ジョウは足を止め、耳を澄ませた。
その時、通りの奥から悲鳴に近い声が聞こえた。

「――っ、な、なにこれ......!」

聞き覚えのある声。ジョウの心臓が、跳ねるように大きく脈打った。

(空さんの声だ......!)

考えるより先に、ジョウは走り出していた。
頭の中で仲間たちに連絡すべきかという考えがよぎったが、
その一瞬すら惜しかった。

(今、行かなきゃ......!)

暗がりの奥、街灯の光すら届かない場所に、
大型犬ほどの大きさをした輪郭だけの影が蠢いていた。
それは既に一体だけではない。二体、三体と、じわじわとその輪郭を濃くしながら、道の真ん中で立ち尽くす空へと迫っていた。
空はまだ、それが何なのか理解できていない様子だった。
ただ本能的な恐怖に足がすくみ、後退ることしかできずにいる。
ジョウは走りながら、唐突に気づいた。

(――待てよ。空さんに、ワシの顔、見られる......!)

このまま素顔で飛び出せば、空はジョウの顔をはっきりと見てしまう。
封印空間の外側での記憶は曖昧になり難いと、以前、仲間から聞いたことがあった。でももしここで顔を見られてしまえば、
後々「あの時助けてくれたのは鍵城くんだったんだ」と、
気づかれてしまうかもしれない。

(どうする、どうする......!)

視界の端に、道端の掲示板が映った。
近隣の子供向けイベントのポスターが貼られたその下、
忘れ物なのか、色褪せた戦隊ヒーローの安っぽいお面が、
紐だけを残して落ちていた。
考えるより先に、ジョウの手はそれを掴んでいた。

(これに掛けるしかない......!)

走りながら、震える手で紐を耳にかける。
安っぽいプラスチックの匂いが鼻を掠めた。
顔の半分も隠れていない、あまりにも心許ない仮面。
それでも、ないよりはマシだと自分に言い聞かせる。

「――君、動かないで!!」

ジョウは声を張り上げながら、空と影の間に強引に割り込んだ。

「え......?」

空が、涙目のまま呆然とこちらを見上げる。
仮面越しの視界は狭く、影の動きが半分も見えない。
それでもジョウは両腕を広げ、空を背に庇うようにして立った。

「ぬわーっはっは!私が来たからには、もう大丈夫だ......!」

自分でも何を言っているのか分からなかった。
テンパった勢いで出た言葉が、思いのほか芝居がかった調子になってしまい、
内心で盛大に後悔する。

(な、なんだこの喋り方......! ヒーローかよ、ワシ!)

だが、その滑稽なまでの空回りが、逆に効果を発揮した。

「......ヒーロー、さん......?」

朦朧としていた空の目に、恐怖よりも先に困惑と、ほんの少しの安堵が浮かんだ。
人間ではないモノに追われる恐怖の中で、
突如現れた仮面の人物という非現実的な光景が、
彼女の混乱した認識をさらに塗り替えていく。
その隙に、影の一体がジョウ目掛けて飛びかかってきた。

「――っ!」

淡いゴールドの光が喉の奥で疼く。素手で凌げる相手ではない。
ジョウは覚悟を決め、喉の奥に力を込めた。

「――ッ!」

淡いゴールドの光が喉から溢れ出し、
瞬く間に一本の短剣――鍵の輪郭を結んでいく。
仮面の隙間から漏れる光が、暗い通りをぼんやりと黄金色に染めた。

「な......っ」

空が、その光を見て小さく息を呑む音が聞こえた。だが、朦朧とした意識の中では、
それすらも非現実的な光景の延長として処理されているようだった。
仮面のヒーローが、光る剣を出した――
彼女にはきっと、その程度にしか映っていない。
ジョウは構わず、実体化したゴールドの鍵を両手で握り直した。
一人で、しかもトウゴの重さもヨシの精度もない、
自分だけの実力でどこまでやれるのか。それでも、迷っている暇はなかった。

「はぁっ――!」

飛びかかってきた影へ向けて、鍵を横一線に薙ぐ。
淡い光の刃が、影の輪郭を鋭く切り裂いた。手応えは確かにあった。
だが完全には消滅しない。ぐらりと歪んだ輪郭が、
すぐにまた形を取り戻そうとする。

(一撃じゃ足りない......!)
「君、絶対に動かないで......!」

声を張り上げながら、ジョウは鍵を構え直した。左の影が先に仕掛けてくる。
半身をひねって初撃を躱し、返す刀でその胴体らしき部分を斬りつける。
今度は確かな感触と共に、影が輪郭を保てなくなって霧散した。
だが、その隙を突くように右の影が背後から迫ってくる。

(見えて、ない......!)

振り返る余裕はなかった。
ただ本能が、体を投げ出すようにして横に転がることを選ばせた。
地面に肩を強く打ち付け、痛みに息が詰まる。
影の爪が、ジョウがいたはずの空間を虚しく切り裂いた。

「っ、はぁ、はぁ......」

立ち上がりながら、ジョウは荒い息を吐いた。
仮面の内側が、既に汗でぐっしょりと濡れている。
手の中のゴールドの光も、心なしか揺らいで見えた。

(このままじゃ、まずい......)

残る一体の影が、ゆっくりとジョウとの間合いを詰めてくる。
ジョウは鍵を握り直し、深く息を吸い込んだ。

(一人でも、絶対に守る......!)

腹の底から、もう一度声を絞り出す。

「――どけよッ!!」

咆哮に近い声と共に、ゴールドの光が一際強く輝いた。
地を蹴り、影の懐へと迷いなく飛び込む。
相手が反応するよりも早く、鍵の切っ先を突き上げるように振り抜いた。
閃光が走り、影の輪郭が内側から弾けるようにして消滅する。
すべてが終わった瞬間、ジョウはその場に崩れ落ちるように膝をついた。
手の中のゴールドの鍵が、役目を終えたように
ゆっくりと光の粒子となって消えていく。

「はぁ......っ、はぁ......っ......」

腕には、いつの間にか浅い切り傷ができていた。
仮面の下の顔は、汗で張り付いていた。

「......ヒーロー、さん......大丈夫、ですか......?」

空が、朦朧とした意識のまま、ふらつく足取りでジョウに近づこうとしていた。

「来ないで、ください......!」

ジョウは慌てて手のひらを向け、それを制した。
今、これ以上近づかれれば、傷の様子や、消えたはずの光の残滓から
何かを勘づかれてしまうかもしれない。

「あなたは、何か......あの、名前......」
「気にしないで、ください。ただの、通りすがりの......」

言いながら、ジョウは自分の情けなさに内心で悶絶していた。
名乗るような立場でもない上に、体はボロボロで、声も震えている。
とてもヒーローと呼べる代物ではなかった。
空の瞼が、限界を迎えたようにゆっくりと落ち始めた。
恐怖と混乱と、封印空間特有の意識の希薄化が、彼女の身体から力を奪っていく。

「あ......」

崩れ落ちる寸前の身体を、ジョウは慌てて抱き止めた。

「......っと、大丈夫、ですか......!?」

答えはなかった。空は完全に意識を失っていた。
ジョウはしばらくその場に立ち尽くし、腕の中で眠る空の顔を見下ろした。

(これ、どうすればいいんだ......)

一人であることの心細さを、今更のように実感する。
ジョウの仲間なら迷わず封印術で記憶を処置しただろう。
だがジョウにその術式は使えない。
鍵を出せても、記憶を操作する言霊までは知らなかった。
記憶がどう定着するのかも分からないまま、
ただ空を安全な場所まで運ぶしかなかった。
幸い、空の自宅は以前シフト表で見た記憶がうっすらとあった。
ジョウは彼女を背負い、痛む腕を庇いながら、重い足取りで歩き出した。

*

空の自宅の玄関先に、そっと彼女を横たえた時には、既に体力の限界が近かった。
仮面を外し、荒い呼吸を整えながら、ジョウは自分の腕の傷を見下ろす。

(......この傷、バイトの時にどう誤魔化そう)

そんな現実的な悩みが、ふと頭をよぎったが、
それだけ、いつもの日常が戻ってきたという証拠でもあった。
ポケットの中で、仮面がくしゃりと潰れる感触がした。
ジョウはそれを取り出し、しばらく見つめてから、
リュックのポケットにそっと押し込んだ。

(......ちゃんと、守れたな)

一人で鍵を使いこなせたとは到底言えない、ボロボロの戦い方だった。
それでも、胸の奥で淡いゴールドの光が、かすかに、確かに満足げに揺れていた。

ふと、懐に入れていた何かを思い出し、ジョウは急いで懐にあった紙袋をだした。

「あああああああ......終わった」

見事に別の揚げ物になった平たいクリームコロッケがジョウの視界に映った。

(片桐さんにまた明日作ってもらお......)

ジョウは溜息がてら最後にもう一度、眠る空の寝顔を見つめると、
痛む体を引きずるようにしてその場を後にした。

*

翌日。土曜の昼のピークが過ぎた「ミチクサ」
ジョウはカウンターの隅で、賄いの残りの緑茶を湯呑みですする。
まだ昨日の痛みは残るものの、仕事には支障が出なかったので安心していた。
空は隣の椅子に頬杖をつき、暇そうにストローの袋を弄んでいる。

「そういえばさ、鍵城くん」
「ん?」
「昨日、なんか変な夢見たんだよね」

湯呑みを傾けたまま、ジョウの手が止まった。ほんの一瞬、視線だけが泳ぐ。
だが空はそれに気づく様子もなく、天井を見上げながら思い出すように続けた。

「遊びに行った帰り道でさ、なんか黒いモヤモヤしたやつに追いかけられて。すっごい怖かったんだけど」
「へ、へえ......」
「そしたらさ、なんか――戦隊ヒーローみたいなのが助けてくれるの。仮面つけた、なんかコミカルな格好の」

ジョウの口の中の緑茶が、思い切り気管に入りかけた。

「ぶっ......げほっ、げほっ!」
「うわ、汚な! 大丈夫?」
「だ、だいじょ、げほっ......だいじょうぶ......」

咳き込みながら口元を拭うジョウを、空は呆れたように見ている。
だが、その呆れ顔の下で、ジョウの心臓は嫌な速さで脈打っていた。

(な、なんでよりによって......あの時のこと、覚えて――)
「......で、その仮面のヒーローが、なんか変な構えでこう、ビシッてポーズ決めてさ。ダサいんだけど妙にカッコよかったんだよね。夢なのに、やけにリアルで」

空が笑いながら、両手を広げて下手なポーズの真似をしてみせる。
ジョウは動揺を必死に押し殺しながら、湯呑みをそっとカウンターに置いた。

「へー......変な夢だなー」

我ながら、棒読みすぎる相槌だと思った。
だが、それ以上気の利いた言葉が出てこない。

「でしょ? しかもさ、目が覚めたら家の玄関の前で寝転んでたんだよ。なんでそんな場所で夢見てたのか、自分でも謎」
「そ、それは......危ないね、うん」
「危ないよねー。今度から夜道、気をつけよ」

空はけらけらと笑いながら、話をそれ以上追及することなく、
ストローの袋をカウンターのゴミ箱に放り投げた。
ジョウはその横顔を、心臓の音を鎮めるようにゆっくりと見つめる。

(......よかった。ちゃんと、記憶が曖昧になってる)

安堵と、ほんの少しの寂しさが同時に胸を過ぎった。
空を守れたことは間違いなく良かった。
けれど、その事実を彼女は知らないまま、ただの「変な夢」として処理していく。

「鍵城くん、なんか黙り込んでるけど、大丈夫?」
「あ、いや......別に。ちょっと、むせただけ」

厨房から片桐の声が飛んできた。

「鍵城、茶を吹き出すとか行儀が悪いぞ。ちゃんと拭いとけよ」
「す、すみません......」

雑巾を取りに立ち上がったジョウの背中を、
片桐は洗い物をする手を止めることなく、しかし少しだけ長く見つめていた。

「......戦隊ヒーロー、ねぇ」

呟き口が緩んだその声は、空にもジョウにも届かない小ささだった。
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夜の九時時を過ぎた頃。バイトを終えたジョウは一人、
裏の拠点へ向かう途中だった。
今夜の秘密裏に行っている巡回は仲間たちに任せ、
ジョウは別件で寄り道をしていた帰り道だった。

懐には......まだ温かさが残っていたクリームコロッケ。
ジョウが大好きな賄の一つで拠点で食べようと思って少し残しておいていたのだ。
一口食べればサクサクの衣とお店秘伝の甘いクリームソースが中から溢れて来て、
そのままでも、どんなソースでも合う。
ジョウの中では完璧過ぎるクリームコロッケだった。

そんなホクホク顔のジョウが大学の裏手に続く、
街灯の乏しい細い通りに差し掛かった時、ふと喉の奥がざわついた。

(......この感じ)

闇......異形の気配だ。まだ微かだが、確かにある。
ジョウは足を止め、耳を澄ませた。
その時、通りの奥から悲鳴に近い声が聞こえた。

「――っ、な、なにこれ......!」

聞き覚えのある声。ジョウの心臓が、跳ねるように大きく脈打った。

(空さんの声だ......!)

考えるより先に、ジョウは走り出していた。
頭の中で仲間たちに連絡すべきかという考えがよぎったが、
その一瞬すら惜しかった。

(今、行かなきゃ......!)

暗がりの奥、街灯の光すら届かない場所に、
大型犬ほどの大きさをした輪郭だけの影が蠢いていた。
それは既に一体だけではない。二体、三体と、じわじわとその輪郭を濃くしながら、道の真ん中で立ち尽くす空へと迫っていた。
空はまだ、それが何なのか理解できていない様子だった。
ただ本能的な恐怖に足がすくみ、後退ることしかできずにいる。
ジョウは走りながら、唐突に気づいた。

(――待てよ。空さんに、ワシの顔、見られる......!)

このまま素顔で飛び出せば、空はジョウの顔をはっきりと見てしまう。
封印空間の外側での記憶は曖昧になり難いと、以前、仲間から聞いたことがあった。でももしここで顔を見られてしまえば、
後々「あの時助けてくれたのは鍵城くんだったんだ」と、
気づかれてしまうかもしれない。

(どうする、どうする......!)

視界の端に、道端の掲示板が映った。
近隣の子供向けイベントのポスターが貼られたその下、
忘れ物なのか、色褪せた戦隊ヒーローの安っぽいお面が、
紐だけを残して落ちていた。
考えるより先に、ジョウの手はそれを掴んでいた。

(これに掛けるしかない......!)

走りながら、震える手で紐を耳にかける。
安っぽいプラスチックの匂いが鼻を掠めた。
顔の半分も隠れていない、あまりにも心許ない仮面。
それでも、ないよりはマシだと自分に言い聞かせる。

「――君、動かないで!!」

ジョウは声を張り上げながら、空と影の間に強引に割り込んだ。

「え......?」

空が、涙目のまま呆然とこちらを見上げる。
仮面越しの視界は狭く、影の動きが半分も見えない。
それでもジョウは両腕を広げ、空を背に庇うようにして立った。

「ぬわーっはっは!私が来たからには、もう大丈夫だ......!」

自分でも何を言っているのか分からなかった。
テンパった勢いで出た言葉が、思いのほか芝居がかった調子になってしまい、
内心で盛大に後悔する。

(な、なんだこの喋り方......! ヒーローかよ、ワシ!)

だが、その滑稽なまでの空回りが、逆に効果を発揮した。

「......ヒーロー、さん......?」

朦朧としていた空の目に、恐怖よりも先に困惑と、ほんの少しの安堵が浮かんだ。
人間ではないモノに追われる恐怖の中で、
突如現れた仮面の人物という非現実的な光景が、
彼女の混乱した認識をさらに塗り替えていく。
その隙に、影の一体がジョウ目掛けて飛びかかってきた。

「――っ!」

淡いゴールドの光が喉の奥で疼く。素手で凌げる相手ではない。
ジョウは覚悟を決め、喉の奥に力を込めた。

「――ッ!」

淡いゴールドの光が喉から溢れ出し、
瞬く間に一本の短剣――鍵の輪郭を結んでいく。
仮面の隙間から漏れる光が、暗い通りをぼんやりと黄金色に染めた。

「な......っ」

空が、その光を見て小さく息を呑む音が聞こえた。だが、朦朧とした意識の中では、
それすらも非現実的な光景の延長として処理されているようだった。
仮面のヒーローが、光る剣を出した――
彼女にはきっと、その程度にしか映っていない。
ジョウは構わず、実体化したゴールドの鍵を両手で握り直した。
一人で、しかもトウゴの重さもヨシの精度もない、
自分だけの実力でどこまでやれるのか。それでも、迷っている暇はなかった。

「はぁっ――!」

飛びかかってきた影へ向けて、鍵を横一線に薙ぐ。
淡い光の刃が、影の輪郭を鋭く切り裂いた。手応えは確かにあった。
だが完全には消滅しない。ぐらりと歪んだ輪郭が、
すぐにまた形を取り戻そうとする。

(一撃じゃ足りない......!)
「君、絶対に動かないで......!」

声を張り上げながら、ジョウは鍵を構え直した。左の影が先に仕掛けてくる。
半身をひねって初撃を躱し、返す刀でその胴体らしき部分を斬りつける。
今度は確かな感触と共に、影が輪郭を保てなくなって霧散した。
だが、その隙を突くように右の影が背後から迫ってくる。

(見えて、ない......!)

振り返る余裕はなかった。
ただ本能が、体を投げ出すようにして横に転がることを選ばせた。
地面に肩を強く打ち付け、痛みに息が詰まる。
影の爪が、ジョウがいたはずの空間を虚しく切り裂いた。

「っ、はぁ、はぁ......」

立ち上がりながら、ジョウは荒い息を吐いた。
仮面の内側が、既に汗でぐっしょりと濡れている。
手の中のゴールドの光も、心なしか揺らいで見えた。

(このままじゃ、まずい......)

残る一体の影が、ゆっくりとジョウとの間合いを詰めてくる。
ジョウは鍵を握り直し、深く息を吸い込んだ。

(一人でも、絶対に守る......!)

腹の底から、もう一度声を絞り出す。

「――どけよッ!!」

咆哮に近い声と共に、ゴールドの光が一際強く輝いた。
地を蹴り、影の懐へと迷いなく飛び込む。
相手が反応するよりも早く、鍵の切っ先を突き上げるように振り抜いた。
閃光が走り、影の輪郭が内側から弾けるようにして消滅する。
すべてが終わった瞬間、ジョウはその場に崩れ落ちるように膝をついた。
手の中のゴールドの鍵が、役目を終えたように
ゆっくりと光の粒子となって消えていく。

「はぁ......っ、はぁ......っ......」

腕には、いつの間にか浅い切り傷ができていた。
仮面の下の顔は、汗で張り付いていた。

「......ヒーロー、さん......大丈夫、ですか......?」

空が、朦朧とした意識のまま、ふらつく足取りでジョウに近づこうとしていた。

「来ないで、ください......!」

ジョウは慌てて手のひらを向け、それを制した。
今、これ以上近づかれれば、傷の様子や、消えたはずの光の残滓から
何かを勘づかれてしまうかもしれない。

「あなたは、何か......あの、名前......」
「気にしないで、ください。ただの、通りすがりの......」

言いながら、ジョウは自分の情けなさに内心で悶絶していた。
名乗るような立場でもない上に、体はボロボロで、声も震えている。
とてもヒーローと呼べる代物ではなかった。
空の瞼が、限界を迎えたようにゆっくりと落ち始めた。
恐怖と混乱と、封印空間特有の意識の希薄化が、彼女の身体から力を奪っていく。

「あ......」

崩れ落ちる寸前の身体を、ジョウは慌てて抱き止めた。

「......っと、大丈夫、ですか......!?」

答えはなかった。空は完全に意識を失っていた。
ジョウはしばらくその場に立ち尽くし、腕の中で眠る空の顔を見下ろした。

(これ、どうすればいいんだ......)

一人であることの心細さを、今更のように実感する。
ジョウの仲間なら迷わず封印術で記憶を処置しただろう。
だがジョウにその術式は使えない。
鍵を出せても、記憶を操作する言霊までは知らなかった。
記憶がどう定着するのかも分からないまま、
ただ空を安全な場所まで運ぶしかなかった。
幸い、空の自宅は以前シフト表で見た記憶がうっすらとあった。
ジョウは彼女を背負い、痛む腕を庇いながら、重い足取りで歩き出した。

*

空の自宅の玄関先に、そっと彼女を横たえた時には、既に体力の限界が近かった。
仮面を外し、荒い呼吸を整えながら、ジョウは自分の腕の傷を見下ろす。

(......この傷、バイトの時にどう誤魔化そう)

そんな現実的な悩みが、ふと頭をよぎったが、
それだけ、いつもの日常が戻ってきたという証拠でもあった。
ポケットの中で、仮面がくしゃりと潰れる感触がした。
ジョウはそれを取り出し、しばらく見つめてから、
リュックのポケットにそっと押し込んだ。

(......ちゃんと、守れたな)

一人で鍵を使いこなせたとは到底言えない、ボロボロの戦い方だった。
それでも、胸の奥で淡いゴールドの光が、かすかに、確かに満足げに揺れていた。

ふと、懐に入れていた何かを思い出し、ジョウは急いで懐にあった紙袋をだした。

「あああああああ......終わった」

見事に別の揚げ物になった平たいクリームコロッケがジョウの視界に映った。

(片桐さんにまた明日作ってもらお......)

ジョウは溜息がてら最後にもう一度、眠る空の寝顔を見つめると、
痛む体を引きずるようにしてその場を後にした。

*

翌日。土曜の昼のピークが過ぎた「ミチクサ」
ジョウはカウンターの隅で、賄いの残りの緑茶を湯呑みですする。
まだ昨日の痛みは残るものの、仕事には支障が出なかったので安心していた。
空は隣の椅子に頬杖をつき、暇そうにストローの袋を弄んでいる。

「そういえばさ、鍵城くん」
「ん?」
「昨日、なんか変な夢見たんだよね」

湯呑みを傾けたまま、ジョウの手が止まった。ほんの一瞬、視線だけが泳ぐ。
だが空はそれに気づく様子もなく、天井を見上げながら思い出すように続けた。

「遊びに行った帰り道でさ、なんか黒いモヤモヤしたやつに追いかけられて。すっごい怖かったんだけど」
「へ、へえ......」
「そしたらさ、なんか――戦隊ヒーローみたいなのが助けてくれるの。仮面つけた、なんかコミカルな格好の」

ジョウの口の中の緑茶が、思い切り気管に入りかけた。

「ぶっ......げほっ、げほっ!」
「うわ、汚な! 大丈夫?」
「だ、だいじょ、げほっ......だいじょうぶ......」

咳き込みながら口元を拭うジョウを、空は呆れたように見ている。
だが、その呆れ顔の下で、ジョウの心臓は嫌な速さで脈打っていた。

(な、なんでよりによって......あの時のこと、覚えて――)
「......で、その仮面のヒーローが、なんか変な構えでこう、ビシッてポーズ決めてさ。ダサいんだけど妙にカッコよかったんだよね。夢なのに、やけにリアルで」

空が笑いながら、両手を広げて下手なポーズの真似をしてみせる。
ジョウは動揺を必死に押し殺しながら、湯呑みをそっとカウンターに置いた。

「へー......変な夢だなー」

我ながら、棒読みすぎる相槌だと思った。
だが、それ以上気の利いた言葉が出てこない。

「でしょ? しかもさ、目が覚めたら家の玄関の前で寝転んでたんだよ。なんでそんな場所で夢見てたのか、自分でも謎」
「そ、それは......危ないね、うん」
「危ないよねー。今度から夜道、気をつけよ」

空はけらけらと笑いながら、話をそれ以上追及することなく、
ストローの袋をカウンターのゴミ箱に放り投げた。
ジョウはその横顔を、心臓の音を鎮めるようにゆっくりと見つめる。

(......よかった。ちゃんと、記憶が曖昧になってる)

安堵と、ほんの少しの寂しさが同時に胸を過ぎった。
空を守れたことは間違いなく良かった。
けれど、その事実を彼女は知らないまま、ただの「変な夢」として処理していく。

「鍵城くん、なんか黙り込んでるけど、大丈夫?」
「あ、いや......別に。ちょっと、むせただけ」

厨房から片桐の声が飛んできた。

「鍵城、茶を吹き出すとか行儀が悪いぞ。ちゃんと拭いとけよ」
「す、すみません......」

雑巾を取りに立ち上がったジョウの背中を、
片桐は洗い物をする手を止めることなく、しかし少しだけ長く見つめていた。

「......戦隊ヒーロー、ねぇ」

呟き口が緩んだその声は、空にもジョウにも届かない小ささだった。
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