ホーム›法鍵士は夕暮れに鳴る・外伝:ミチクサ日和›第4話 ピザトーストとナモナキ影
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第4話 ピザトーストとナモナキ影

空が最初にそれを見たのは、閉店作業中の「ミチクサ」の裏口だった。

「......あれ?」

ゴミ袋を抱えたまま、空は足を止めた。
裏路地の隅、常夜灯の届かない暗がりに、何かがちょこんと蹲っている。
犬でも猫でもない。輪郭は丸くて小さく、
耳のような突起が頭の両脇にぴょこんと生えているが、
足がどこにあるのかよく分からない。
ふよふよと、地面から少し浮いているようにも見えた。

「......また、視えちゃった系?」

空は特に驚かなかった。小さい頃から、人には見えないものがたまに視える。
うっすら、輪郭がぼやけた人影とか、光の粒とか、
時々こういう「よく分からない生き物っぽい何か」とか。
両親には「気のせいよ」と流され続けてきたが、
空自身はとうの昔に、これが自分の中では「普通のこと」だと受け入れていた。

「ちっちゃいね、あんた」

しゃがみ込んで覗き込むと、その丸っこい影がびくっと身を震わせた。
逃げるかと思いきや、逃げずに、じっと空を見上げている――
目らしきものがあるのかも定かではないのに、
なぜか「見られている」という感覚だけは確かにあった。

「お腹すいてるの?」

ちょうどカウンターの裏に、賄いの残りのピザトーストがあったのを思い出した。
今日の賄いは片桐特製のピザトースト。
ジョウが「うますぎる」と半泣きで食べていたやつだ。
空は端の一切れを、持ってきては空は何気なく地面に置いてみた。
丸い影が、ふよふよと近づいてくる。
そして――躊躇うようにその端を、ちょんと触れた。
次の瞬間、ピザトーストが、影の中に静かに吸い込まれるようにして消えた。

「......食べた」

空は目を丸くした。咀嚼する口も、歯も見当たらなかったのに、
確かに「食べた」ということだけは分かった。
丸い影は、心なしか嬉しそう......と、空には見え、その場でくるん、と一回転した。

「気に入ったの? じゃあ、また今度ね」

その日はそれだけで別れた。

*

翌日も、その次の日も、丸い影は裏口に現れた。
空はいつしか、それが来るのを楽しみにするようになっていた。
賄いの端切れを持っていくと、その丸い影は決まって嬉しそうにくるんと回る。
触ると、ひんやりしているようで、でもどこか温かいような、
不思議な手触りがした。

「あんた、名前ないの? じゃあ......モチ、とかどう? なんかその丸さ、お餅っぽいし」

呼びかけると、モチと名付けられたそれは、
少し伸びをするようにふにゃりと形を変えた。
返事なのか、ただの偶然なのか、空には分からなかった。
分からないままでいいと思っていた。

「空さん、また裏で何か話してます?」

ある日、ジョウが厨房のゴミを出しに出てきて、空の様子に気づいた。
「あ、鍵城くん。見て見て、この子」
空はモチを指差した。だが、ジョウの視線は空の指先の先、何もない空間を素通りした。

「......何もいないですけど」
「え、いるじゃん。ここに」
「いや、マジで何も見えないんですけど......」

ジョウは怪訝な顔で空の指す方向を凝視したが、何度瞬きしても、
そこにはただの薄暗い路地があるだけだった。

(――待てよ。喉が、鳴らない)

ジョウの内心が、微かにざわついた。
異型が近くにいれば、ジョウの喉の奥は必ず反応する。
だが今、何も感じない。ということは、そこに本当に何もいないのか、あるいは――ジョウの声紋鍵が反応しないほど、何かが徹底的にその気配を殺しているのか。

「鍵城くん、もしかしてあんたには視えない系?」
「いや、あの......空さん、それ、大丈夫なやつですか?」
「大丈夫大丈夫。昔からこういうの視えるんだよね、ワタシ。多分、幽霊とか、そういうのの親戚みたいなやつ」

空はあっけらかんと笑った。ジョウは何も言えなかった。
異型だ、と直感していたが、空にそう説明したところで信じてもらえるはずもない。それに――もし本当に異型なら、なぜ空を襲わないのか。なぜ喉が反応しないのか。
その夜、ジョウは拠点で仲間たちに相談した。

「......バイト先の人に、なんか変な生き物が懐いてる気がして」
「変な生き物?」高音の仲間が首を傾げる。「異型ってこと?」
「多分。でも喉が全然鳴らないんだ。近くにいても、何も感じない」

低音の仲間が眉を寄せた。

「隠蔽の術式を纏っているか、あるいは――お前の探知能力が及ばないほど格上か」
「格上......?」
「異型にも序列がある。下位の影は数で押すことしかできないが、上位のものは気配そのものを消すことができる。もしそういう類のものが、一般人の傍に居着いているとすれば」
低音の声が、珍しく緊張を帯びた。
「危険だ」
高音の仲間が顎に手を当てて考え込む。
「でも、ジョウの話を聞く限り、異形の子はその人にに危害を加えてる様子はないんだよね?」
「うん。むしろ......懐いてるっていうか、なんか嬉しそうにしてる」
「じゃあ、しばらく様子を見よう。無理に手を出して、逆に危険に晒すのは避けたい」

その方針に、もう一人の仲間も渋々頷いた。
だがその夜、低音の仲間は一人、拠点の資料室に残り、古い記録を漁り続けていた。姿を消せるほどの上位異型で、なおかつ人間に懐くような個体――
そんな記録が、過去にあっただろうか。

*

空は知らなかった。
三日前の夜、バイトを終えて一人で帰る道すがら、彼女の背後にずっと、何か禍々しいものがついてきていたことを。
黒い外套の男――片桐の店を訪れ、片桐に追い返されたあの男が、諦めていなかったことを。

「良い喉をしている坊やの、周りの人間関係も。......集めておいて損はありませんからね」

男は物陰から、帰路につく空をじっと観察していた。冷たい笑みを浮かべたまま、一歩、距離を詰めようとした、その時。
道の脇、街路樹の陰から、小さな丸い影が、音もなく飛び出した。
男の足元に、それはぴたりと張り付いた。次の瞬間、男の視界が、理由も分からないまま激しく歪んだ。まるで、自分の輪郭そのものが誰かに強引に握り潰されるような、耐え難い違和感。

「――っ、なんだ......」

男は反射的に飛び退いた。丸い影は、何事もなかったかのように、また空の後をふよふよと追いかけていく。まるで、最初から護衛のためにそこにいたかのように。
男は、闇の中でその小さな背中を睨みつけた。

「......なるほど。随分と、質の良い番犬を飼っているんですね、あの子は」
愉悦とも警戒ともつかない声で、男はそう呟くと、今夜のところは静かに姿を消した。
その一部始終を、空は何一つ知らないまま、いつも通りの足取りで家路についていた。

*

「モチ、今日もありがとね」

空がピザトーストの端をちぎって差し出すと、
丸い影はいつも通り、嬉しそうにくるんと回った。

「あんた、ほんと可愛いよね。なんなんだろ、ほんとに」

空はしゃがみ込み、その丸い頭――らしき部分を、そっと撫でた。
ひんやりして、でも温かい、あの不思議な手触り。

「まあ、いっか。正体とか、別に知らなくても」

空は笑って、立ち上がった。モチは名残惜しそうに、彼女の足元にもう一度、
ふにゃりと擦り寄ってから、暗がりへと溶けるように消えていった。
その光景を、店の窓から片桐が静かに見つめていた。

「......あれか」

片桐の呟きは、誰にも届かない低さだった。だがその目には、
ただの疑念ではない、もっと別の――何かに気づいたような、
深い色が浮かんでいた。

翌朝、片桐は古い引き出しの奥から、一枚の色褪せた写真を取り出した。
三人の若者が写るその写真の片隅、
長髪の女性の足元に――ちょこんと丸まった、小さな影のようなものが、
写り込んでいた。
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法鍵士は夕暮れに鳴る・外伝:ミチクサ日和作者:福天六(ふくたむ)
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空が最初にそれを見たのは、閉店作業中の「ミチクサ」の裏口だった。

「......あれ?」

ゴミ袋を抱えたまま、空は足を止めた。
裏路地の隅、常夜灯の届かない暗がりに、何かがちょこんと蹲っている。
犬でも猫でもない。輪郭は丸くて小さく、
耳のような突起が頭の両脇にぴょこんと生えているが、
足がどこにあるのかよく分からない。
ふよふよと、地面から少し浮いているようにも見えた。

「......また、視えちゃった系?」

空は特に驚かなかった。小さい頃から、人には見えないものがたまに視える。
うっすら、輪郭がぼやけた人影とか、光の粒とか、
時々こういう「よく分からない生き物っぽい何か」とか。
両親には「気のせいよ」と流され続けてきたが、
空自身はとうの昔に、これが自分の中では「普通のこと」だと受け入れていた。

「ちっちゃいね、あんた」

しゃがみ込んで覗き込むと、その丸っこい影がびくっと身を震わせた。
逃げるかと思いきや、逃げずに、じっと空を見上げている――
目らしきものがあるのかも定かではないのに、
なぜか「見られている」という感覚だけは確かにあった。

「お腹すいてるの?」

ちょうどカウンターの裏に、賄いの残りのピザトーストがあったのを思い出した。
今日の賄いは片桐特製のピザトースト。
ジョウが「うますぎる」と半泣きで食べていたやつだ。
空は端の一切れを、持ってきては空は何気なく地面に置いてみた。
丸い影が、ふよふよと近づいてくる。
そして――躊躇うようにその端を、ちょんと触れた。
次の瞬間、ピザトーストが、影の中に静かに吸い込まれるようにして消えた。

「......食べた」

空は目を丸くした。咀嚼する口も、歯も見当たらなかったのに、
確かに「食べた」ということだけは分かった。
丸い影は、心なしか嬉しそう......と、空には見え、その場でくるん、と一回転した。

「気に入ったの? じゃあ、また今度ね」

その日はそれだけで別れた。

*

翌日も、その次の日も、丸い影は裏口に現れた。
空はいつしか、それが来るのを楽しみにするようになっていた。
賄いの端切れを持っていくと、その丸い影は決まって嬉しそうにくるんと回る。
触ると、ひんやりしているようで、でもどこか温かいような、
不思議な手触りがした。

「あんた、名前ないの? じゃあ......モチ、とかどう? なんかその丸さ、お餅っぽいし」

呼びかけると、モチと名付けられたそれは、
少し伸びをするようにふにゃりと形を変えた。
返事なのか、ただの偶然なのか、空には分からなかった。
分からないままでいいと思っていた。

「空さん、また裏で何か話してます?」

ある日、ジョウが厨房のゴミを出しに出てきて、空の様子に気づいた。
「あ、鍵城くん。見て見て、この子」
空はモチを指差した。だが、ジョウの視線は空の指先の先、何もない空間を素通りした。

「......何もいないですけど」
「え、いるじゃん。ここに」
「いや、マジで何も見えないんですけど......」

ジョウは怪訝な顔で空の指す方向を凝視したが、何度瞬きしても、
そこにはただの薄暗い路地があるだけだった。

(――待てよ。喉が、鳴らない)

ジョウの内心が、微かにざわついた。
異型が近くにいれば、ジョウの喉の奥は必ず反応する。
だが今、何も感じない。ということは、そこに本当に何もいないのか、あるいは――ジョウの声紋鍵が反応しないほど、何かが徹底的にその気配を殺しているのか。

「鍵城くん、もしかしてあんたには視えない系?」
「いや、あの......空さん、それ、大丈夫なやつですか?」
「大丈夫大丈夫。昔からこういうの視えるんだよね、ワタシ。多分、幽霊とか、そういうのの親戚みたいなやつ」

空はあっけらかんと笑った。ジョウは何も言えなかった。
異型だ、と直感していたが、空にそう説明したところで信じてもらえるはずもない。それに――もし本当に異型なら、なぜ空を襲わないのか。なぜ喉が反応しないのか。
その夜、ジョウは拠点で仲間たちに相談した。

「......バイト先の人に、なんか変な生き物が懐いてる気がして」
「変な生き物?」高音の仲間が首を傾げる。「異型ってこと?」
「多分。でも喉が全然鳴らないんだ。近くにいても、何も感じない」

低音の仲間が眉を寄せた。

「隠蔽の術式を纏っているか、あるいは――お前の探知能力が及ばないほど格上か」
「格上......?」
「異型にも序列がある。下位の影は数で押すことしかできないが、上位のものは気配そのものを消すことができる。もしそういう類のものが、一般人の傍に居着いているとすれば」
低音の声が、珍しく緊張を帯びた。
「危険だ」
高音の仲間が顎に手を当てて考え込む。
「でも、ジョウの話を聞く限り、異形の子はその人にに危害を加えてる様子はないんだよね?」
「うん。むしろ......懐いてるっていうか、なんか嬉しそうにしてる」
「じゃあ、しばらく様子を見よう。無理に手を出して、逆に危険に晒すのは避けたい」

その方針に、もう一人の仲間も渋々頷いた。
だがその夜、低音の仲間は一人、拠点の資料室に残り、古い記録を漁り続けていた。姿を消せるほどの上位異型で、なおかつ人間に懐くような個体――
そんな記録が、過去にあっただろうか。

*

空は知らなかった。
三日前の夜、バイトを終えて一人で帰る道すがら、彼女の背後にずっと、何か禍々しいものがついてきていたことを。
黒い外套の男――片桐の店を訪れ、片桐に追い返されたあの男が、諦めていなかったことを。

「良い喉をしている坊やの、周りの人間関係も。......集めておいて損はありませんからね」

男は物陰から、帰路につく空をじっと観察していた。冷たい笑みを浮かべたまま、一歩、距離を詰めようとした、その時。
道の脇、街路樹の陰から、小さな丸い影が、音もなく飛び出した。
男の足元に、それはぴたりと張り付いた。次の瞬間、男の視界が、理由も分からないまま激しく歪んだ。まるで、自分の輪郭そのものが誰かに強引に握り潰されるような、耐え難い違和感。

「――っ、なんだ......」

男は反射的に飛び退いた。丸い影は、何事もなかったかのように、また空の後をふよふよと追いかけていく。まるで、最初から護衛のためにそこにいたかのように。
男は、闇の中でその小さな背中を睨みつけた。

「......なるほど。随分と、質の良い番犬を飼っているんですね、あの子は」
愉悦とも警戒ともつかない声で、男はそう呟くと、今夜のところは静かに姿を消した。
その一部始終を、空は何一つ知らないまま、いつも通りの足取りで家路についていた。

*

「モチ、今日もありがとね」

空がピザトーストの端をちぎって差し出すと、
丸い影はいつも通り、嬉しそうにくるんと回った。

「あんた、ほんと可愛いよね。なんなんだろ、ほんとに」

空はしゃがみ込み、その丸い頭――らしき部分を、そっと撫でた。
ひんやりして、でも温かい、あの不思議な手触り。

「まあ、いっか。正体とか、別に知らなくても」

空は笑って、立ち上がった。モチは名残惜しそうに、彼女の足元にもう一度、
ふにゃりと擦り寄ってから、暗がりへと溶けるように消えていった。
その光景を、店の窓から片桐が静かに見つめていた。

「......あれか」

片桐の呟きは、誰にも届かない低さだった。だがその目には、
ただの疑念ではない、もっと別の――何かに気づいたような、
深い色が浮かんでいた。

翌朝、片桐は古い引き出しの奥から、一枚の色褪せた写真を取り出した。
三人の若者が写るその写真の片隅、
長髪の女性の足元に――ちょこんと丸まった、小さな影のようなものが、
写り込んでいた。
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法鍵士は夕暮れに鳴る・外伝:ミチクサ日和作者:福天六(ふくたむ)
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