
幻惑の森3
それでも、森を抜けるために歩みを進める。どこから幻惑が襲ってくるか分からない。不安と恐怖を抱えながら、前を見据える。 そこで、アヴリルの足が止まった。「またか......。そこ、退いて」 アヴリルが見せているのはいつもの呆れ顔ではない。口元が引きつった、悲しそうな表情だ。盾を持つ手も震えている。「アヴリル、何が見えてるんだ?」 リックスが問いかけても、返事はない。「退いてったら! あんたたちがあたしの前に現れるなんて、幻でしかないんだから!」 とうとう、アヴリルの瞳から雫が零れ落ちる。「アヴリル、どうしたんだ......?」「リックスも、さっきこうなってたぞ」「えっ......」 リックスは伸ばしかけた手をそのままに、瞳を震わせる。 私が魔法を使えば、アヴリルの幻惑は解けるだろう。アヴリルが見詰める前方へと左手を翳し、水よ起きろと念じる。 瞬く間に滝のような水が天から降り注ぎ、アヴリルは我に返ったように口を小さく開けた。「......ごめん、お父さん、お母さん」 たったそれだけで、なんとなくアヴリルが見ていたものを察してしまう。私の方こそ、勝手に覗いてしまってごめんなさい。そんな言葉も自然と心に溢れてくる。 アヴリルは涙で濡れた頬を手の甲で拭い、ぐっと目に力を込めた。「あとはノエルとオフィーリア。悪いけど、オフィーリアは幻惑から助け出せないから。自分で何とかして」 アヴリルの声は震えている。よほど、幻惑が堪えたのだろう。 ノエルは何も言わず、拳を握る。私も何も言葉が出てこず、僅かに俯いてしまった。 森は続く。私たちの不安を飲み込むかのように、紫の霧は濃くなっていく。 今度はノエルの足が止まった。「これが幻惑、か」 小さく呟くと、剣の柄に手を掛ける。「俺の時は、やたらと物騒じゃないか。三人がかりで俺を殺そうってか?」 しかし、ノエルは口角を上げる。「生憎、三人は俺に刃を向けるような仲間じゃない。去れ」 私が魔法を放つ間もなく、ノエルは斬撃を放つ。幻惑が掻き消えたのか、ノエルは膝から崩れ落ちてしまった。「さっすがノエルー! 自分でやっつけちゃうなんてね!」「俺の幻惑は分かりやすかったからな。でも、さすがに神経を持っていかれるな......」 ノエルの予測通り、私たちが幻惑としてノエルに襲いかかたのだろう。信用している仲間に裏切られるところなんて、想像したくもない。「......許せない」 自然と私の口から洩れていた。 私たちは更に進む。別れ道もない、まっすぐな一本道だ。迷うことはなかった。 先に明かりが見えたような気がして、口元が一気に緩む。アヴリルの表情も明るい。「もうすぐ出口に着くよ! もしかしたら、オフィーリアは幻惑に襲われなくても済むかもね」「幻惑に襲われないって......そんなことあるのか?」「うーん、奇跡に近い」「駄目じゃんか」 リックスがアヴリルに溜め息を吐いてみせる。 後は私が乗り越えればいい。父の姿が見えたら、幻だと割り切って水を浴びせればいい。そんなふうに、単純に割り切ろうとしていた。 ところが、私が見たものは、そんな次元とはかけ離れていたのだ。 前方に現れたのは、黒の短髪にグレーの瞳の騎士――父の姿ではない。「エスメラルダ」 言われた途端に、心臓が妙に脈打った。「私は......エスメラルダなんかじゃない」 幻惑の影響なのか、視線が騎士から離れてくれない。「君はエスメラルダだよ」「違う」「早く私のところに来てくれ」「止めて......ローレンス!」 自分の口から飛び出した言葉に、戦慄を覚えた。私は、ローレンスなんていう人は知らない。エスメラルダの夢の中で見ただけだ。父ではなく、ローレンスが私の一番大切な人だというのだろうか。 そんなの認めない。
私が私であるために、前方へと左手を翳す。それなのに、ローレンスの笑顔が優しいのだ。私が攻撃しようとしているのを見ているはずなのに。 一滴の涙が私の瞳から零れ落ちる。「オフィーリア!」 一瞬だけ、リックスの叫び声が彼方に聞こえた気がする。そうだ、これはただの幻惑だ。森が何と言おうとも、私が一番大切にしているのは父――私だけが心の中で信じていればいい。 ローレンスに向かって左手を翳す。頭の中で滝がローレンスを襲うところをイメージすると、その通りのことが現実で起きた。 幻惑が消えた。私の周りにはノエルとリックス、そしてアヴリルがいて、険しい顔をこちらに向けている。膝から力が抜けた。「何でお父さんじゃないの......?」 幻でいいから、一目だけでも父に会いたかった。そんな願いもあっさりと打ち砕かれていく。 リックスは私の前にしゃがみ込み、私の顔を覗き込む。「オフィーリア。ローレンスって......誰?」「私が会ったこともない人。エスメラルダの恋人だったんだと......思う」「何でそんな人が......?」 リックスが訝ると、横にいたアヴリルは首を軽く振る。「オフィーリアにとって、そのローレンスって人が一番大事なんだろうね」 違う。私の一番大事な人は父だ。上手く声にならず、言葉を飲み込んでしまう。「会ったこともない人が一番大事なんて......そんな馬鹿げた話があるか?」「オフィーリア自身が言ってたじゃん。『エスメラルダだったんだと思う』って」 ノエルが疑問をぶつけても、アヴリルが覆してしまう。私も反論の余地がなくなってしまった。 自分が言った言葉がこんな形で返ってくるなんて。予想すらしていなかった。 幻惑の森3
それでも、森を抜けるために歩みを進める。どこから幻惑が襲ってくるか分からない。不安と恐怖を抱えながら、前を見据える。 そこで、アヴリルの足が止まった。「またか......。そこ、退いて」 アヴリルが見せているのはいつもの呆れ顔ではない。口元が引きつった、悲しそうな表情だ。盾を持つ手も震えている。「アヴリル、何が見えてるんだ?」 リックスが問いかけても、返事はない。「退いてったら! あんたたちがあたしの前に現れるなんて、幻でしかないんだから!」 とうとう、アヴリルの瞳から雫が零れ落ちる。「アヴリル、どうしたんだ......?」「リックスも、さっきこうなってたぞ」「えっ......」 リックスは伸ばしかけた手をそのままに、瞳を震わせる。 私が魔法を使えば、アヴリルの幻惑は解けるだろう。アヴリルが見詰める前方へと左手を翳し、水よ起きろと念じる。 瞬く間に滝のような水が天から降り注ぎ、アヴリルは我に返ったように口を小さく開けた。「......ごめん、お父さん、お母さん」 たったそれだけで、なんとなくアヴリルが見ていたものを察してしまう。私の方こそ、勝手に覗いてしまってごめんなさい。そんな言葉も自然と心に溢れてくる。 アヴリルは涙で濡れた頬を手の甲で拭い、ぐっと目に力を込めた。「あとはノエルとオフィーリア。悪いけど、オフィーリアは幻惑から助け出せないから。自分で何とかして」 アヴリルの声は震えている。よほど、幻惑が堪えたのだろう。 ノエルは何も言わず、拳を握る。私も何も言葉が出てこず、僅かに俯いてしまった。 森は続く。私たちの不安を飲み込むかのように、紫の霧は濃くなっていく。 今度はノエルの足が止まった。「これが幻惑、か」 小さく呟くと、剣の柄に手を掛ける。「俺の時は、やたらと物騒じゃないか。三人がかりで俺を殺そうってか?」 しかし、ノエルは口角を上げる。「生憎、三人は俺に刃を向けるような仲間じゃない。去れ」 私が魔法を放つ間もなく、ノエルは斬撃を放つ。幻惑が掻き消えたのか、ノエルは膝から崩れ落ちてしまった。「さっすがノエルー! 自分でやっつけちゃうなんてね!」「俺の幻惑は分かりやすかったからな。でも、さすがに神経を持っていかれるな......」 ノエルの予測通り、私たちが幻惑としてノエルに襲いかかたのだろう。信用している仲間に裏切られるところなんて、想像したくもない。「......許せない」 自然と私の口から洩れていた。 私たちは更に進む。別れ道もない、まっすぐな一本道だ。迷うことはなかった。 先に明かりが見えたような気がして、口元が一気に緩む。アヴリルの表情も明るい。「もうすぐ出口に着くよ! もしかしたら、オフィーリアは幻惑に襲われなくても済むかもね」「幻惑に襲われないって......そんなことあるのか?」「うーん、奇跡に近い」「駄目じゃんか」 リックスがアヴリルに溜め息を吐いてみせる。 後は私が乗り越えればいい。父の姿が見えたら、幻だと割り切って水を浴びせればいい。そんなふうに、単純に割り切ろうとしていた。 ところが、私が見たものは、そんな次元とはかけ離れていたのだ。 前方に現れたのは、黒の短髪にグレーの瞳の騎士――父の姿ではない。「エスメラルダ」 言われた途端に、心臓が妙に脈打った。「私は......エスメラルダなんかじゃない」 幻惑の影響なのか、視線が騎士から離れてくれない。「君はエスメラルダだよ」「違う」「早く私のところに来てくれ」「止めて......ローレンス!」 自分の口から飛び出した言葉に、戦慄を覚えた。私は、ローレンスなんていう人は知らない。エスメラルダの夢の中で見ただけだ。父ではなく、ローレンスが私の一番大切な人だというのだろうか。 そんなの認めない。
私が私であるために、前方へと左手を翳す。それなのに、ローレンスの笑顔が優しいのだ。私が攻撃しようとしているのを見ているはずなのに。 一滴の涙が私の瞳から零れ落ちる。「オフィーリア!」 一瞬だけ、リックスの叫び声が彼方に聞こえた気がする。そうだ、これはただの幻惑だ。森が何と言おうとも、私が一番大切にしているのは父――私だけが心の中で信じていればいい。 ローレンスに向かって左手を翳す。頭の中で滝がローレンスを襲うところをイメージすると、その通りのことが現実で起きた。 幻惑が消えた。私の周りにはノエルとリックス、そしてアヴリルがいて、険しい顔をこちらに向けている。膝から力が抜けた。「何でお父さんじゃないの......?」 幻でいいから、一目だけでも父に会いたかった。そんな願いもあっさりと打ち砕かれていく。 リックスは私の前にしゃがみ込み、私の顔を覗き込む。「オフィーリア。ローレンスって......誰?」「私が会ったこともない人。エスメラルダの恋人だったんだと......思う」「何でそんな人が......?」 リックスが訝ると、横にいたアヴリルは首を軽く振る。「オフィーリアにとって、そのローレンスって人が一番大事なんだろうね」 違う。私の一番大事な人は父だ。上手く声にならず、言葉を飲み込んでしまう。「会ったこともない人が一番大事なんて......そんな馬鹿げた話があるか?」「オフィーリア自身が言ってたじゃん。『エスメラルダだったんだと思う』って」 ノエルが疑問をぶつけても、アヴリルが覆してしまう。私も反論の余地がなくなってしまった。 自分が言った言葉がこんな形で返ってくるなんて。予想すらしていなかった。 次の話ローレンス1›