第四話 階段のロッシュ限界
食堂から校舎に戻り、陽向と朔夜が並んで階段を上っていると、上の方から微かな声が聞こえてきた。
「......んっ、ダメですわ、あかり......誰か来たら......はっ......」
「大丈夫だって、雫。みんな食堂に行ってるから......ほら、力を抜いて......」
ふと見上げた陽向は、ぴたりと足を止めた。
(あかり? それに雫......?)
屋上へ続く階段の途中に座り込んでいるのは、クラスメイトの天ヶ瀬あかりと深月雫だった。
あかりが雫を壁際に追い詰めるようにして密着し、今にも触れ合いそうなほどお互いの顔を近づけている。
「ひゃっ......!」
短い悲鳴を上げそうになった陽向の口を、背後から朔夜の白い手がサッと塞いだ。
「しっ......陽向、気付かれるわよ」
朔夜の顔も、いつものおっとりした表情とは違い、うっすらと朱に染まっている。
二人は気配を殺し、そーっと階段から身を隠すようにしてその場を離れた。
十分に離れたところで、陽向は大きく息を吐き出した。
「ぷはぁ......はぁ、びっくりしたぁ......! あ、あかりに雫ってば、あんなところで......!」
陽向の顔は、熟れた林檎のように真っ赤になっている。
照れ屋で感情がすぐに表情に出る彼女は、両手でパタパタと自分の頬を扇いだ。
「この学校では珍しいことではないけれど......やはり、見てしまうと少し恥ずかしいわね」
朔夜もコホンと小さく咳払いをして、視線を泳がせていた。二人きりになれる場所なんて、他にあるだろうに。
「わ、私たちも、戦闘中はあんな風に......えっと、だ、抱きしめ合ったりしてるけどさっ」
陽向の言葉に、朔夜が少しだけむっとしたように目を細めた。
「あれは、互いの質量と光を交わらせて『調和波長』を生み出すための、必要な儀式よ。今のあかりたちのような、甘い軌道の交わりとは違うわ」
「う、うん、そのさ、分かってるよ! 分かってるけどさ......!」
言い訳のように早口になる二人。
だが、お互いに意識してしまったのか、ふいにお互いの視線が交差し、そして、ぱっと逸らされた。
しかし、気まずい空気ではなかった。
ジャンパースカートの裾が触れ合うほどの距離。
ふと、朔夜の指先が陽向の制服の裾にそっと伸び、陽向の腕に絡みついた。
「......朔夜?」
「陽向、あなたの光が少し揺らいでいるわ。こうして腕を組んで、軌道を安定させてあげる」
朔夜は瞳を少し逸らしながら、そっと陽向の腕に自分の腕を回し、身体を密着させる。
陽向は一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐに太陽のような笑顔を浮かべた。
「......うん。なんだか、すごく落ち着くね」
普段は『ステラ』として重い使命を背負う二人も、今はただの女の子。
陽向と朔夜は、互いの熱を感じるようにぴったりと腕を組みながら、午後の陽射しが差し込む廊下を、ゆっくりと歩き始めた。
夕暮れのチャイムが鳴り響き、一日の授業が終了した。
「うぅ......午後の気象学と地質学の授業、難しすぎて全然頭に入ってこなかったよぉ......」
ホームルームが終わるなり、陽向は机に突っ伏した。
ブロンドベージュのボブが、顔を隠すように力なく机の上で垂れる。
「ステラとしての任務に必要なのは星のことなのに、どうして地球のことまで勉強しなきゃいけないのぉ?」
涙目で訴えかける陽向の瞳に、朔夜は黒色のロングヘアを優しく揺らして微笑んだ。
「陽向。星の軌道や輝きを語る上で、観測点である『地球』の環境を知ることはとても大切なのよ。足元の世界を知らなければ、遠い宇宙のことは理解できないわ」
「うぅ......朔夜がそういうなら、そうなのかな......」
「――まったく。相変わらず赤点スレスレの危うい軌道を描いているようね、陽向。ステラとしての自覚を持ちなさい」
陽向がため息をついた直後、凛とした声が頭上に響いた。
顔を上げると、そこには同じクラスでステラとしてペアを組む、二人の姿があった。
一人は、茶色のツインテールを揺らし、赤色の瞳でこちらを見下ろす、天ヶ瀬あかり。
もう一人は、紺色のサイドテールを上品に撫でつけ、黒色のパンツストッキングに包まれた足を優雅に揃えて立つ、深月雫。
彼女たちは、昼休みに階段で限界まで密着し、激しい物質移動を行っていた二人だった。
「あかり、雫......?」
「いい、陽向? 私たちステラの任務は、暴走した星のかけらを救済することよ。地学や気象の知識すら疎かでは、全天で最も明るい恒星である私たち『シリウス』の足元にも及ばないわ」
あかりはまるで生徒会長のように腕を組み、足先で床をコツリと鳴らした。
悪気はないのだろうが、上から目線でちょっかいを出してくるあかりの言葉に、陽向はむすっと頬を膨らませる。
「んむーっ! あかりには負けないもんっ! 私だって、朔夜とは立派な連星なんだから!」
「ふふっ。強がりだけは一人前ね」
サバサバと笑うあかりの横で、雫はふわりと上品な笑みを浮かべ、紺色の瞳を朔夜に向けた。
「ごきげんよう、夜夜木さん。今日も相変わらず、制御の利かない主星のお守りで、ご苦労なさっている様子ですわね」
お嬢様のような優雅な口調の中に、明確な対抗心を潜ませる雫。
重力と軌道制御を担当する伴星としてのプライドを持つ朔夜と雫は、お互いに絶対に譲らないライバル同士だった。
朔夜はロングヘアをさらりと揺らし、おっとりとしつつも、一歩も引かずに微笑み返す。
「ええ、ごきげんよう深月さん。陽向の光は私が必ず受け止めるから問題ないわ。それより......あなたたちこそ、昼休みに随分と激しく、お互いの引力に惹かれ合っていたようだけれど?」
その言葉に、雫の顔がカァッと赤く染まり、サイドテールが肩を払うようにサッと動いた。
「なっ......! 見てましたのね! わ、わたくしたちはただ、シリウスとしての波長を調律していただけですわ! 決して、人前でロッシュ限界を超えていたわけでは......っ!」
「そ、そうよ! 私たちシリウスの光と重力は、いつでも完璧に混ざり合っているんだから! ほら、行くわよ雫!」
照れ隠しのようにあかりが雫の手を強く引き、二人はスカートの裾を翻して、足早に教室を去っていった。
嵐のように去っていった二人を見送り、陽向はくすくすと笑う。
「あはは! あの二人、相変わらずだね」
「ええ、本当に......さあ、私たちも図書室へ行きましょうか」
二人は連れ立って、放課後の図書室へと向かった。
ここは放課後の斜陽が差し込む、ページをめくる微かな音だけが響く空間。
高い天井まで届く本棚には、星座や神話に関する本はもちろん、宇宙の成り立ち、地球上の地質学、自然現象や気象メカニズムに至るまで、ありとあらゆる書物が整然と並んでいる。
「神話構造論の復習もしなくちゃいけないわね」
朔夜は静かな足取りで本棚の間を歩き、八十八星座の神話について書かれた数冊の重厚な本を取り出した。
「星座の神話について深く学ぶことは、ただの暗記じゃないわ。次元の歪みで地球に落ちてきたアストラルフラグメントが、どんな伝承やイメージを纏って影法師化しているかを読み解くためよ」
陽向も真剣な表情で頷いた。
「うん。暴走したアストラルフラグメントを傷つけずに鎮めて、星空に還すためには、相手の痛みをわかってあげなきゃいけないんだよね」
二人は窓際のテーブルにつき、隣り合って本を開く。
ページをめくりながら、陽向の視線が『春の星座』の項目で止まった。しし座、おとめ座、うしかい座、おおぐま座。
「あ......これ、昨日の夜に見た星たちだ。デネボラ、スピカ、アルクトゥールスを結んだ『春の大三角』に、りょうけん座のアルファ星も合わせた『春のダイヤモンド』。それから、北斗七星から伸びる『春の大曲線』......」
「ええ。それぞれに、深い神話の伝承があるわ」
朔夜は白く細い指先で、ページをなぞる。
「おおぐま座やうしかい座、おとめ座の神話には、愛する者と引き裂かれ、暗闇の森や冥界で互いを見失う悲しい離別の伝承が多く刻まれているの」
朔夜は白く細い指先で、ページに描かれた古風な星図をそっとなぞった。
黒色のロングヘアが肩からこぼれ落ち、伏せられた紫色の瞳に、どこか切なげな光が宿る。
「例えばおとめ座は、冥界の王に愛娘を奪われ、深い悲しみのあまり、世界から実りを奪ってしまった女神の姿だと言われているわ。おおぐま座も、理不尽な嫉妬から醜い獣の姿に変えられ、大切な我が子から引き裂かれて、暗い森を孤独に彷徨い続けた女性の物語よ」
「引き裂かれて、暗闇で迷子に......」
その言葉に、陽向の胸がギュッと締め付けられた。
神話の中で愛する者を探して孤独に泣く星たちの姿が、かつて自分の光と熱エネルギーを制御できずに暴走し、居場所を失いかけた『迷子』の自分自身と重なった。
朔夜も、新月のように冷たい重力の底へと沈み、誰にも気づかれず、暗闇に消えそうになっていた過去の姿も脳裏をよぎる。
「......寂しかっただろうね。自分の質量を見失って、暗い宇宙をたった一人で漂うなんて」
陽向は、ジャンパースカートの胸元をきゅっと握りしめた。
「ええ。だからこそ、孤独に耐えきれなくなった星たちは、次元の歪みの中でノイズを発して暴走してしまうのね」
朔夜はそっと本から手を離し、テーブルの上で陽向の手を優しく包み込んだ。
「でも、私たちはもう迷子にはならない。陽向の『光』と私の『重力』が惹き合い、一つの軌道を描いている限り」
「うん......朔夜が私の光を受け止めてくれるから。私が、朔夜の暗闇を照らすから」
重なり合った手から、お互いの体温がロッシュ限界を超えて溶け合うように伝わってくる。
神話の悲劇をなぞるのではなく、私たちは二人で新しい星空の物語を紡いでいく。
放課後の静かな図書室で見つめ合う二人の心に、確かな誓いの引力が働いていた。
あとがき中原はじめ
まずは、この作品に巡り付いていただき、心より感謝申し上げます。
今回の第四話は、冒頭からいきなりの「ロッシュ限界の超過」を目撃してしまうという、かなり濃密なスタートになりました。
ここで新たに登場したのは、クラスメイトの天ヶ瀬あかりと深月雫です。
階段での激しいスキンシップという、何という初登場の仕方でしょうか。
私自身、執筆しながら「おまえらもっと場所考えろよ、寮の部屋とかあるだろ」と全力でツッコミを入れてしまいました……
あかりたちには気付かれずにその場を離れた陽向と朔夜ですが、こうした光景を見慣れているはずの二人も、やはり少し恥ずかしがっていました。
その後、朔夜がどういう意味か「陽向の光が少し揺らいでいるわ」と言って、陽向とぴったり腕を組んで歩き出す展開には、彼女なりの独占欲や引力が表れています。
午後の授業は気象学や地質学と、またしてもバリバリの理系科目でした。
星のことだけでなく地球環境まで学ばなければならず、陽向の頭は超新星爆発寸前です。
そして放課後の教室で、いよいよあかりと雫が本格的に登場しました。
サバサバした性格のあかりと、お嬢様風の雫。この二人のモチーフは、冬の代表格「シリウス」です。
あかりは全天一明るい恒星である「シリウスA」、雫は小さくても高密度で強い重力を持つ白色矮星の「シリウスB」から選定しています。
昼休みに引力で激しく惹かれ合っていたところを目撃されていたことが発覚し、照れ隠しで足早に去って行った二人ですが、今後もたびたび登場することになります。
陽向たちにとってはライバルのようなイメージですが、決して悪い子達ではありませんので、これからの活躍を楽しみにしていてください。
放課後の図書室での調べ物のシーンでは、神話の悲しい伝承を、かつて迷子になりかけた陽向と朔夜の二人の心情と重ねる描写を丁寧に行いました。
お互いがお互いの光と重力であるという誓いが、読者の皆様にも伝わっていれば嬉しいです。
さて、次回は一日の終わりですが、百合の展開はまだまだ終わりません。
寮の居室での、お着替え第二弾が待っています。
次回もどうぞお楽しみに。