第7章 拡大編 - 第4話「ジャジーの過去」
毎夜の鳳への補給を終えたあと、美月はベッドの上で膝を抱え、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
「......色々あったなぁ......」
思わず、ぽつりと声が漏れた。
あの着せ替えスキンみたいな花畑で、写仝と出会った。
そこから念願だったスローライフを始めることになったはずが。
その日の夜には、淫魔とハーピーの混血であるジャジーに夜這いをされた。
色々あってジャジーが姿を消したかと思えば、管理所で百之鬼と出会い、縁からは何故か営業を持ちかけられた。
怖いことだってあった。
絡新婦に襲われ、炎に包まれかけた。
その時に助けてくれたのが鳳だ。
そして鳳もまた、ただの九千坊河童ではなく、僵尸まで抱え込んだ存在だった。
さらに海へ行けば、東。
猛烈な求愛、甘噛み、持ち帰り未遂。
思い返せば返すほど、どこから突っ込めばいいのか分からない。
そして最近では。
消えかけていた疫病神へ、癒凪という名を与えた。
新しい名を得た彼は、今ではこの家で共に暮らす者の一人になっている。
そしてこれらは、美月が思い出せた出来事の一部に過ぎない。
「......いや濃いって」
思わず真顔で呟いた。
すると。
「寝ねぇの?」
壁を一枚挟んだ向こうから、ジャジーの声がした。
美月は少しだけ目を丸くしたあと、窓の外へ視線を戻す。
「まぁ、ちょっと......色々振り返ってただけ」
「お前、こっち来てから波乱万丈だしな」
「うん。......ねぇ、ジャジー」
美月はベッドの上で、抱えていた膝へ顎を乗せる。
「......話したいから、こっち来て」
壁の向こうが、一瞬だけ静かになった。
ジャジーの金色の目が、わずかに見開かれる。
だがすぐに眉間へ皺が寄った。
「お前、夜の寝室に男誘うなよ......」
呆れの混じった声。
美月は首を傾げる。
「人間の男じゃないし問題ないよ。あとジャジーだし」
「お前がいつだか“淫魔ってだけで九割アウト”っつったんだろ!」
「あはは......」
墓穴を掘った。
美月は頬を掻き、誤魔化すように笑う。
それでも、ふと思いついたように口元を緩めた。
「じゃあ、無理やり襲う?」
「......してぇけど、しねぇ......」
絞り出すような返答だった。
美月は即座に頷く。
「なら問題ないね」
「その信頼を守りてぇと同時に、淫魔の個性も守りてぇ衝突が起きてんだが」
「今日は真面目な話だから、信頼だけ守って」
真面目な話。
その言葉を聞いた瞬間、ジャジーの表情からふざけた空気が消えた。
やがて。
寝室の扉が、静かに開く。
部屋の中には、初めて出会った夜と同じ部屋着を纏った美月がいた。
ベッドの上で膝を抱え、窓の外を見ている。
けれど、あの時のような警戒した顔ではない。
ジャジーはしばらく美月を見たあと、ベッドから少し離れた床へあぐらをかいた。
美月も身体ごと向きを変える。
「ジャジーは、あの時なんで“お前しかいない”って言ったの?」
ジャジーの目がわずかに細くなった。
美月が隠世へ来て、まだ二日目のとき。
自分が家へ侵入したせいで、美月が施錠について管理所へ相談しに行く、その道すがらに自分が告げた言葉だった。
ジャジーは、ばつが悪そうに顔を歪める。
「......それ、聞くのかよ......」
「うん。むしろ、今がちょうどいいかなって」
「ちょうどいい?」
「うん。だって......」
美月の眉が、少し下がった。
「ジャジー、あの時、妙に言いにくそうだったから」
ジャジーの目が見開かれる。
「......お前......」
「今なら二人だし、ゆっくり話せるでしょ?」
「......あぁ」
あの頃。
美月はまだ、自分を危険な淫魔として警戒していたはずだった。
それなのに、そんな時から、自分の声色や表情まで見ていたのだ。
関心と呼ぶほどではないかもしれないが、それでも、ちゃんと意識を向けられていた。
その事実だけで、胸の奥が妙に温かくなる。
ジャジーは短く息を吐いた。
「......可哀想だと思えって話じゃねぇからな」
前置きをして。
窓の向こうの月へ目を向けた。
「......あの時俺は、淫魔からもハーピーからも、完全に絶縁されてた」
美月の表情が止まる。
ジャジーは、そのままぽつりぽつりと言葉を続けた。
生まれながらの混血。
親など知らない。
本来なら交わるはずのない種族。
「ずっと、誤魔化しながら生きてきた」
姿形など、伝承次第でいくらでも揺らぐ。
淫魔に濡れ羽色の羽根があっても。
鳥のような脚があっても。
それまでは、なんとか誤魔化せていた。
だが。
「ある日、俺の正体がバレた」
ほんの小さな出来事だった。
常夜の森で、小型の妖が異常なほど大量発生した。
周囲へ被害が出る前に追い払うため、ジャジーは咄嗟に風を操った。
当然、淫魔に風を操る性質はない。
ハーピー側の能力。
それを。
仲間だった淫魔の一人が見ていたのだ。
「次の日にゃ、このザマだ」
それまで付き合いのあった者。
補給先のつてや顔見知り。
そして、ハーピー側にまで。
ジャジーが純血ではないという話は、信じられないほどの速度で広がった。
淫魔もハーピーも、自らの種族に対する誇りが強い。
純血であること。
そこから外れたものなど、認めようともしない。
「俺は補給源の一切を失くして、彷徨ってた」
ジャジーの声は、淡々としていた。
まるで遠い昔の誰かの話をしているようだった。
けれど。
顔を美月へ向けた瞬間、ジャジーの眉が寄る。
「......んな顔すんな」
美月の目には、涙が溜まっていた。
「......酷い」
声が震える。
「たったそれだけで、今までの関係がなかったものになるなんて、酷いよ......」
種族が違った、混ざっていた。
ただ、それだけなのに。
それまで話していたことも、一緒に過ごしてきた時間も。
そんなものすら全部、消えたことにされる。
俯いた美月の目から、涙が一粒落ちた。
ジャジーはそれを見ると、立ち上がった。
ベッドへ近づき、美月の顔を覗き込む。
―――そして。
ふっと笑った。
「そんな時、お前を見つけた」
大きな手が、美月の頬へ触れる。
「俺に補給源のつてが残ってたら、あの森から出るこたぁなかった」
ジャジーは笑う。
「最近の隠世の文明、進みすぎて見ただけで頭痛くなるからな」
冗談めいた声に、美月の口元がほんの少しだけ緩む。
「だから、結果オーライだ」
そう言って、ジャジーがゆっくりと手を離そうとした。
その時。
美月が、その手を取った。
「......美月?」
ジャジーが瞬く。
美月は、両手でジャジーの手を包んだ。
「......前の仲間が、ジャジーのこと突き放しても......」
握る手に、少しだけ力がこもる。
「私はこの手、絶対離さないからね」
美月はそのまま、ジャジーの手を自分の方へ引き寄せた。
一瞬、ジャジーは黙った。
やがて。
「......言ったな」
低い声。
ジャジーは膝立ちになると、空いた腕を美月の背中へ回した。
そして、互いの額が触れる。
「ふふっ、ジャジー、髪の毛くすぐったい」
「うるせぇ。今は黙ってろ」
「はぁい」
美月は素直に目を細め、その身体へ身を預ける。
しばらく、言葉はなかった。
ただ、互いの体温だけがゆっくりと馴染んでいく。
「......お前が離さねぇっつったんだ」
ジャジーが小さく呟く。
「なら、俺はぜってぇ逃さねぇぞ」
「......わかってるよ」
美月は柔らかく笑った。
また少し、静かな時間が流れる。
やがて。
「......森......嫌いな場所になっちゃった?」
美月が尋ねた。
それだけのことがあった。
嫌いになっていたとしても、何もおかしくない。
だが。
「そんなこたぁねぇ」
ジャジーは即答した。
ゆっくりと額を離す。
「森は広ぇ。それに、あいつらと会ったところで、向こうが避けるしな」
「ジャジーが攻撃されたりとかしない?」
「戦えば災異治安対応課が動くし、夜には飛行種の職員が警備してる。手を出せば種族の品位も傷つく。何もできねぇよ」
「種族の、品位」
「そこ反応すんな」
美月は、にへっと笑った。
「じゃあ、森は好きなんだね」
「嫌いになる理由がねぇ。それに、淫魔とかハーピー以外にも住んでる奴らはいるから暇しねぇしな」
「どんな妖怪達がいるの?」
途端に、美月の目が少し輝く。
いつもの調子へ戻りつつある姿に、ジャジーは呆れたような息を吐いた。
「以津真天とか、一本だたら、小玉鼠......言い出したらきりねぇよ」
「うわぁ見てみたい」
「やめろ」
即答。
美月の目が丸くなる。
「俺はもともと森にいた。だから俺が森に行ったところで、あいつらは何も反応しねぇ」
「うん」
「けど、お前が森に入った瞬間、小玉鼠あたりが爆発起こすぞ」
「一匹くらいならなんとか耐えるよ」
「さっきの話で大量発生したの、小玉鼠だぞ」
「ダイナマイト級になっちゃう!」
美月が腹を抱えて笑うと、ジャジーも、つられるように口元を緩める。
けれど。
美月はふと、思い出したように表情を落ち着かせた。
「......仲間、って今は呼んでいいのかわからないけど」
不安そうに、ジャジーを見る。
「嫌いになった?」
「まぁ、最初は頭にきてた」
ジャジーは正直に答えた。
「でも今は、なんとも思ってねぇ」
「なんで?」
「......お前だったら、どうだ?」
「私......?」
突然返された問いに、美月は少し考える。
「......確かに、悲しくなったりはする......」
膝を抱え直しながら、ゆっくり言葉を探す。
「でも、その人にはその人の価値観がある。私もそう」
ジャジーは何も言わず、美月を見る。
「だから、嫌いになるって言うより......合わないなら、合わないなりに過ごすだけ、かなぁ......」
その言葉に。
ジャジーは、ふっと笑った。
「だからだよ」
「え?」
「お前と出会って、恋人んなって」
金色の瞳が、美月をまっすぐ見る。
「俺の価値観もちったぁ変わったみてぇだ」
美月の目が、少しだけ見開かれた。
ジャジーは口角を上げる。
「だから、責任とれよ」
美月は数秒だけ黙り。
やがて。
にへっと、柔らかく笑った。
「......がってん」
いつもの、美月らしい返事。
けれど。
その声音には、茶化すような響きはなかった。
その頃。
薄い壁を一枚挟んだ向こう側。
布団の中で横になっていた鳳は。
二人の声を聞きながら、静かに目を細めていた。
そして。
穏やかに、笑うのだった。
第7章 拡大編 - 第4話
「ジャジーの過去」
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