第6章 縁から宴編 - 第2話「発送通知遅延」
ふわりと、潮の香りが二人の間を抜けた。
美月が目を開く。
鳳も、美月の額まであとわずかだった距離を止めた。
「......海?」
美月が呟いた、その瞬間。
バァンッ!!
玄関から、とんでもない破砕音が響いた。
「美月ぃ!」
「は!?」
「え!?東ぁ!?」
扉だった板が、綺麗に型抜きのように廊下へ吹き飛んでいる。
その向こうから飛び込んできたのは、先日海で別れたばかりの東だった。
「文!足!できた!褒めろ!」
「情報量が少ないのに多い!」
東は満面の笑みで一直線に美月へ向かい、そのまま両腕を大きく広げた。
「ちょ、待っ――」
そのまま、ぎゅうっと抱きしめられた。
ただし、美月一人ではない。
まだ美月を腕の中へ収めていた鳳ごとである。
「............」
鳳の顔から、表情が消えた。
少し離れたところにいたジャジーが目を見開く。
「いや文より先にお前が届くのかよ!」
「......東ァ......」
鳳の声が低い。
先ほどまで美月の額へ口づけを落とそうとしていた男とは思えないほど、低い。
美月は左右から圧迫されながら叫んだ。
「ちょっと一回団子を解いて!」
「悪ィ!」
東は素直に腕を離した。
「鳳が美月抱いてっから、もうお前ごと抱きしめりゃいいやって!」
「その発想に至るでない!」
鳳の額へ青筋が浮かぶ。
ようやく解放された美月は、改めて東の姿を見上げた。
「でも......ほんとに足できたんだ」
「おう!」
上半身は先日の海と変わらない。
荒い白と濃灰の髪、物騒な歯、顔の赤い紋様。
胸元にあるエラも健在だ。
だが。
美月の視線が下へ落ちる。
「............ん?」
脚はある。
ちゃんと二本。
しかし、問題はそこではない。
腰には、しめ縄のような装飾。
右腰を結び目にした布が、左斜め下へ垂れている。
以上。
他?
ない。
「............」
「ぶっ......!」
ジャジーが吹き出した。
「............」
鳳は無言で目を閉じた。
美月は大きく息を吸う。
そして。
「イ゜ヤ゜ァァァァァァァァア!!」
美月の断末魔が響いた。
「おぉ!美月は元気でいいな!」
東は豪快に笑い、両腰へ手を当てて身体を後ろへ反らす。
「やめろ!無駄に反んな!」
ジャジーが即座に止めた。
「なんでだよ」
「危険物が風と会話してんだよ!」
「お前も全裸だろ」
「俺は羽根が天然の衣だ!」
「じゃあ俺は鱗が天然の衣だな!」
「だからそれが今ねぇだろうが!」
鳳が額を押さえる。
「下衣はどうしたのだ!」
「?」
東は自分の腰を見た。
「布付いてんだろ?」
「布は“つける”もんじゃなくて“着る”んだよ!」
その時。
四人の真ん中を、ふわりと潮の香りが通り抜けた。
淡い妖力が集まり、美月の前で文字になる。
『美月。足できた。今から行く』
「お! 届いたな!」
「遅ぇ!」
「郵送が遅延しているでござる......」
美月は浮かぶ文字と東を交互に見た。
「確かに郵送するより自分で届けた方が早いパターンあるけど、本体が来た!」
「文もちゃんとできただろ。褒めろ!」
「そこは褒める!でもその前に服!」
「つってもなんもねぇし......おっ!」
何かを思いついた東の顔が明るくなる。
次の瞬間。
「ぅわっ!?」
美月の身体が再び抱え込まれた。
ぎゅっ。
全員が停止した。
美月の腰辺りへ、明らかに何かが当たっている。
「これで見えねぇし、美月抱けるし、良いことしかねぇな!」
万事解決を1ミリも疑っていない顔。
「ヘンタァァァァァイ!!」
バチィィンッ!!
美月の平手が、東の頬へ綺麗に炸裂した。
「痛ぇ!!」
巨体がのけ反る。
東は頬を押さえ、本気で驚いた顔になった。
「嘘だろ!?俺ぁでけぇ岩も持てる海の怪異だぞ!?」
真っ赤な手形がついた頬。
「女が撃ち込む平手なんかたかが知れてんのに、めちゃくちゃ痛ぇ!」
「え?私全然痛くないのに?」
美月は自分の掌を見る。
かなりの力を込めて引っ叩いた。
自分の手が痛んでも、赤くなっていてもおかしくない。
なのに、そのどちらもない。
その瞬間。
頭の中にフレイフェルの言葉が蘇った。
『お前が成したいことへ、お前の力がついてくる』
「......もしかして」
美月は青ざめた。
「私が“一発かましたい”って本気で思ったから!?」
美月の声が裏返った。
「......美月怒らせんの、俺やめるわ」
ジャジーが真顔になった。
「あいつでめちゃくちゃ痛ぇなら、俺ら頭蓋ごとお陀仏だぞ」
「うむ。異論はないでござる」
「ただの“一発かましたい”にそんな力乗らないよ!」
自分で言いながらも少し不安だった。
美月の中で、また管理所へ行く用事が出来てしまった。
「ほんとに百之鬼さん達に言った『明日あたりには』が言葉通りになっちゃうよ......」
しかし、まずやることがある。
美月は収納の扉を開けた。
「とにかく東!これ巻いといて!」
美月は収納から余っていた薄いタオルケットを引っ張り出し、東へ投げる。
「こうか?」
「腰!腰に!」
数分後。
東の下衣装備が、ようやく+1された。
「で、次!」
美月が指を差す。
その先には、型抜き菓子のように綺麗に抜けた玄関扉。
「ドア!」
「悪ィ!」
「確かに私が事前に来ていいって許可した人は入れるようにしたけど、壊さないでよ!」
「お前の妖力がすぐそこだったから、勢い余った!」
「あと!」
美月はびしっと指を立てる。
「恋人じゃないんだから、抱きしめる前はちゃんと聞いて!」
東は鳳を見る。
「でも鳳は美月抱いてたじゃねぇか」
「ジャジーと鳳は今日から恋人になったからいいの!」
「............は?」
東が止まった。
本当に、完全に止まった。
「......マジか」
「そういうこった」
ジャジーが得意げに腕を組む。
「今の俺達は、お前と違うんだよ」
鳳まで静かに胸を張る。
「今朝返事をいただき、晴れて恋人同士となったゆえ。お主と美月殿との関係よりも、拙者らの方が美月殿とより深いのでござる」
「......」
東の視線が、美月へ向く。
「なら俺も」
「恋人はついでみたいになるものではありません!」
即座に却下された。
「それに!」
美月は人差し指を立て直す。
「新たに履修しなきゃいけない科目があるみたいなのでまずはそれを最低限学びましょう!」
「陸の“最低限”って何個あんだよ。前回は“愛の言葉”だったぞ」
「“最低限のマナー”の中に、最低限の挨拶、最低限の身だしなみ、最低限の言葉遣い、最低限の礼儀などがあります」
再び東が固まった。
「............それ、一部か?」
「一部です」
「............」
東の顔から、何かが消えた。
「......やる......」
海を治める怪異とは思えないほど小さな声だった。
ジャジーが肩を震わせる。
「今、何かが死んだな」
「陸、怖ぇ......」
「まだ序章だよ!」
こうして。
妖力文と二本脚を身につけて現れた海の主は。
その日のうちに、人間社会より遥かに巨大な敵。
“最低限のマナー”と戦うことになるのだった。
第6章 縁から宴編 - 第2話
「発送通知遅延」
→第6章 縁から宴編 - 第3話
「陸上生活適性試験」へ