ホームとぶハトリ氏、跡をにごして雲のなか4.猫
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4.猫

 翌朝、空はどんより雲っています。雨の気配はないけれど、お日様の光は淡く、北風が吹き荒れてとても寒い日になりました。
 運命の女神の言ったことは、本当でした。
 次から次へと、客はやってくるのです。老若男女を問わず、ハトリ氏の砥ぎ工房のドアを叩きます。どの人もどこかうす暗い表情で、けれどお天気のせいだけではないようでした。
 要件は「刃物を研いでほしい」というものでしたが、はたして真意はどこにあるのでしょう?
「うちの園芸バサミの切れが悪くなって」「刃こぼれがひどくて紙すら切れない」「綿糸も切れないの」と、わざとらしいほどに、刃物の状態の悪さを口にするのです。
 持参したハサミは、あくまで、ただのハサミだといわんばかりでした。実際、どれも「ただのハサミ」のようでした。
 受け付けを任されている赤毛の女の子もさすがにこれはおかしいと感じていました。けれどハサミを研いでほしいという「建前」を持ち出されては、断りようがなかったのです。だから一応はハトリ氏に相談するようお客様を促していました。
 けれど、五、六人ほどお客様と対話したところで、ハトリ氏の堪忍袋の緒がついにぶちっと音を立てて切れてしまったようです。
「今日はもう店じまいだ。皆に帰ってもらうように!」
「ちょっ、師匠?」
「全員、お引き取り願いなさい。その人たちのハサミは、私には砥げないからね!」
 憤然とそう言って、ハトリ氏は工房の内側に逃げ込み、無情にドアを閉めました。
 困惑した弟子の女の子がいくら工房のドアを叩いても返答はありません。こうなったらもう、ハトリ氏が工房から出てくるのは難しいでしょう。岩戸に隠れたお日様より頑ななハトリ氏ですから。
 赤毛の女の子はやむを得ずハトリ氏の言葉に従いました。来客は不平不満をぶつけてきましたが、赤毛の女の子が背負っている大きなハサミに手をかけようとすると、さすがに怯んで、仕方ないといったように退散しました。
 ともあれ、客は全員帰っていきました。
 それぞれの手に、それぞれのハサミを持って。


 ハサミトギ氏の機嫌は、直りそうにありませんでした。工房に閉じこもったまま、昼を過ぎても、一向に出てこないのです。何度声をかけてもなしのつぶて。工房の中にいるのはなんとなくわかるのですが、それにしても気配が薄すぎて心配なほどです。

 なんとかして師匠の機嫌を直したい。それに何があったのかも聞きたい。
 女の子は頭を捻り、数秒後、「食べ物でつろう」という短絡的な方法を思いつきました。
 ハトリ氏の好物は何か......じつのところ分からないのですが、以前ポトフとミートパイを作った時は美味いと褒めてくれたのを憶えています。
 美味しい料理でお腹が満たされれば、きっと機嫌もなおるはず。
 思い立ったら即行動! 女の子は長い赤毛を尻尾のように揺らして町の食材市場へと繰り出しました。

 ちょうど夕食前の繁忙時だというにも拘わらず、店番のご婦人方が赤毛の女の子に話しかけてきます。町に流布している噂の大半が、この御婦人方が発信源といっていいでしょう。情報通でお喋りで、噂の真偽を確かめたいより噂そのものを楽しみたいといった風です。
「あらあら、ハトリ氏さんのお弟子さん。聞いたわよ。投獄されちゃったって?」
「災難だったわねぇ、師匠さん。冤罪なんでしょう?」
「それとも、まんざら冤罪でもなかったりするのかしら?」
「共犯かもってだけで捕縛されちゃうなんてこの町の警官はほんといい加減なんだから」
「保釈金支払って出てきたって? ほんとお金次第ねぇ」
「なにやらよからぬ噂もながれてるみたいだけど?」
 お喋りスズメよりももっとお喋りなご婦人方は、おおむね、ハトリ氏に同情的でした。無実で拘置されたことは、みんな、とうに知っているようでした。
「それで、お師匠さんはどうしてるの?」
「落ち込んで、口もきいてくれません」
 女の子が答えると、ご婦人方はそろって「まぁ」と声をあげました。お気の毒に、という言葉は、この場合はもしかして赤毛の女の子にかかっているのかもしれません。
 働き者の弟子の女の子は、ご婦人方に好感を持たれているのです。人懐っこい性格なのもあって、ハトリ氏の顔はよく知らなくても、弟子の女の子のことはよく知っている、というご婦人方もいるくらいです。町の情報通であるご婦人方を味方につけておく、これは女の子ならではの処世術かもしれません。
「すっかりひきこもっちゃって、食欲もあんまりなさそうなんですよー。だからせめて美味しいもの用意して励まそうかなって」
 ちょっとだけしおらしい口調で赤毛の女の子が言うと、ご婦人方はみんな一様に同情してくれました。
「無理もないわね。可哀相に。そうそう、これを持っておいきなさいな。新作のチーズよ。元気出すように伝えてちょうだいね。きっといいこともあるわ、ね?」
 チーズ屋のおかみさんは、気前よく作りたてのチーズを女の子に持たせてくれました。
 チーズ屋のおかみさんに続いて、酒屋のおねえさんもワインの小瓶を女の子に持たせました。
「こいつを飲んで憂さ晴らしをすれば、気も楽になるわ」
 漬物屋さんは秘蔵の杏漬けを、パン屋さんは焼きたてのロールパンを、果物屋さんは手作りのブルーベリーのジャムを、それぞれ「ハトリ氏さんのお見舞いに」と言って、おすそ分けしてくれたのです。
 ハトリ氏と赤毛の女の子が、元気を取り戻しますように、と。
「ありがとうございます!」
 赤毛の女の子は深々と頭を下げました。
 同情を買うような態度をとったことはちょっぴり胸がいたんだけれど、おすそ分けはありがたくいただくことにしたのです。
 早く帰って、師匠にこのことを教えてあげよう! みんな師匠のことを心配してましたよって。
みんなの優しい心遣いを、師匠に聞かせてやろう。そうしたらきっと、元気が出るのに違いない。
 心から、女の子はそう思いました。
 温かな人の心が、きっと、悲しみの海に沈んだ師匠を、浮上させてくれるだろう。
 女の子は町の皆に別れを告げ、駆け出しました。
 雲間からこぼれたわずかな日差しが、女の子の背中に背負われたままのハサミに反射し、鋭い光を放ちました。



 ハトリ氏の家は、こんもりとした小高い森の中にありました。
 緑色の屋根と茶色の壁は木々の間に上手く隠され、かの有名なハトリ氏の家がそこにあるのだということは、通いなれた常連客や町人のごく一部の人しか知りません。
 だのに、今日に限ってたくさんの来客があったのはどういう訳だろう。
 速足で森を歩きながら、ふと、女の子は思いました。
 しかもどの客も見知らぬ顔ばかりでした。町の人の顔を全員知っているわけではないけれど、それにしたって不気味な......異様な雰囲気だったと女の子も感じていました。さきほどのご婦人らとは全然雰囲気が違いました。

「ちょいと、お嬢ちゃん」
 森へ続く細い坂道を駆けているその途中でした。女の子は声をかけられ、足を止めました。
「やあやあ、お嬢ちゃん。ちょいと、いいかね?」
「............なんですか?」
 声をかけてきたのは、山猫でした。まだら模様でこげ茶色の毛並みの山猫は、真っ赤なベストを着ていました。二本足で立ってあるく、山猫です。たまに、こういった人のような、人ではないモノと会うことがあります。ハトリ氏の弟子になってからは、特に。
 ですから、山猫が二本足で歩こうが、言葉をしゃべろうが、別段不思議なことはありません。
 けれど、見ず知らずの山猫に話しかけられることに、赤毛の女の子は警戒心を抱きました。
「お嬢ちゃんはあの高名なハトリ氏のお弟子さんと聞いたものでね」
「そうですけど」
 いぶかしんで、女の子は無愛想に答えました。
「やあやあ、こんな愛らしいお嬢ちゃんだとは、驚きだなぁ」
「お世辞ならもっと盛り込んでいった方がいいですよ? ただ事実を言うだけじゃ、お世辞になりません」
「ははぁ、こりゃぁ、まいった。お世辞で言ったつもりはないんだけどねぇ」
 山猫の緑黄色の瞳が、射すように光りました。作り笑顔が山猫の大きな口に浮かびます。
 赤毛の女の子は警戒を怠りません。そして何より、いやな予感が全身を駆け抜けて、一刻も早くここから離れたくて仕方がありませんでした。
 早く、師匠のところに戻らなければ......――
「ところでね、お嬢ちゃん、良い話があるのだけどね?」
「............」
「ぜひともハトリ氏にお会いして、詳しく話をしたいのだが、引き合わせてくれないかね?」
「話って、なんですか?」
「もちろん、商売のことさ。ハサミ砥ぎのね」
「砥いでほしいハサミがあるんですか? それとも、その鋭い爪をですか?」
「ハサミさ、むろん。だが、アタシんじゃない」
「ふぅん?」
「今よりももっと儲かるって話さ。ハトリ氏に、ただハサミを砥いでもらえば」
 良い話だよ、と猫なで声で(実際、猫なのですけど)山猫は言うと、女の子ににじり寄りました。
 女の子は険しい顔のままです。背中のハサミに意識を向けました。
「うちの師匠は儲け話には乗らないと思いますよ。だからお断りします。じゃ、わたし、急いでるから!」
 女の子は断ち切るようにそう言うと、素早く身を翻しました。
 山猫は慌てて女の子を引き止めました。
「せっかくのトクベツな技術をそのまま腐らせてしまうなんて、もったいない! 損になる話じゃないんだ」
「今でも別に損はしてません。とにかく、興味ありませんから!」
 女の子は鬱陶しげに、腕に触れた山猫の前足を払い除けました。
「アタシゃぁ、諦めませんよ」
 走り出した女の子に、山猫は言いました。
 暗く響く、それはとてもいやらしい声でした。
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とぶハトリ氏、跡をにごして雲のなか作者:あるく
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4.猫

 翌朝、空はどんより雲っています。雨の気配はないけれど、お日様の光は淡く、北風が吹き荒れてとても寒い日になりました。
 運命の女神の言ったことは、本当でした。
 次から次へと、客はやってくるのです。老若男女を問わず、ハトリ氏の砥ぎ工房のドアを叩きます。どの人もどこかうす暗い表情で、けれどお天気のせいだけではないようでした。
 要件は「刃物を研いでほしい」というものでしたが、はたして真意はどこにあるのでしょう?
「うちの園芸バサミの切れが悪くなって」「刃こぼれがひどくて紙すら切れない」「綿糸も切れないの」と、わざとらしいほどに、刃物の状態の悪さを口にするのです。
 持参したハサミは、あくまで、ただのハサミだといわんばかりでした。実際、どれも「ただのハサミ」のようでした。
 受け付けを任されている赤毛の女の子もさすがにこれはおかしいと感じていました。けれどハサミを研いでほしいという「建前」を持ち出されては、断りようがなかったのです。だから一応はハトリ氏に相談するようお客様を促していました。
 けれど、五、六人ほどお客様と対話したところで、ハトリ氏の堪忍袋の緒がついにぶちっと音を立てて切れてしまったようです。
「今日はもう店じまいだ。皆に帰ってもらうように!」
「ちょっ、師匠?」
「全員、お引き取り願いなさい。その人たちのハサミは、私には砥げないからね!」
 憤然とそう言って、ハトリ氏は工房の内側に逃げ込み、無情にドアを閉めました。
 困惑した弟子の女の子がいくら工房のドアを叩いても返答はありません。こうなったらもう、ハトリ氏が工房から出てくるのは難しいでしょう。岩戸に隠れたお日様より頑ななハトリ氏ですから。
 赤毛の女の子はやむを得ずハトリ氏の言葉に従いました。来客は不平不満をぶつけてきましたが、赤毛の女の子が背負っている大きなハサミに手をかけようとすると、さすがに怯んで、仕方ないといったように退散しました。
 ともあれ、客は全員帰っていきました。
 それぞれの手に、それぞれのハサミを持って。


 ハサミトギ氏の機嫌は、直りそうにありませんでした。工房に閉じこもったまま、昼を過ぎても、一向に出てこないのです。何度声をかけてもなしのつぶて。工房の中にいるのはなんとなくわかるのですが、それにしても気配が薄すぎて心配なほどです。

 なんとかして師匠の機嫌を直したい。それに何があったのかも聞きたい。
 女の子は頭を捻り、数秒後、「食べ物でつろう」という短絡的な方法を思いつきました。
 ハトリ氏の好物は何か......じつのところ分からないのですが、以前ポトフとミートパイを作った時は美味いと褒めてくれたのを憶えています。
 美味しい料理でお腹が満たされれば、きっと機嫌もなおるはず。
 思い立ったら即行動! 女の子は長い赤毛を尻尾のように揺らして町の食材市場へと繰り出しました。

 ちょうど夕食前の繁忙時だというにも拘わらず、店番のご婦人方が赤毛の女の子に話しかけてきます。町に流布している噂の大半が、この御婦人方が発信源といっていいでしょう。情報通でお喋りで、噂の真偽を確かめたいより噂そのものを楽しみたいといった風です。
「あらあら、ハトリ氏さんのお弟子さん。聞いたわよ。投獄されちゃったって?」
「災難だったわねぇ、師匠さん。冤罪なんでしょう?」
「それとも、まんざら冤罪でもなかったりするのかしら?」
「共犯かもってだけで捕縛されちゃうなんてこの町の警官はほんといい加減なんだから」
「保釈金支払って出てきたって? ほんとお金次第ねぇ」
「なにやらよからぬ噂もながれてるみたいだけど?」
 お喋りスズメよりももっとお喋りなご婦人方は、おおむね、ハトリ氏に同情的でした。無実で拘置されたことは、みんな、とうに知っているようでした。
「それで、お師匠さんはどうしてるの?」
「落ち込んで、口もきいてくれません」
 女の子が答えると、ご婦人方はそろって「まぁ」と声をあげました。お気の毒に、という言葉は、この場合はもしかして赤毛の女の子にかかっているのかもしれません。
 働き者の弟子の女の子は、ご婦人方に好感を持たれているのです。人懐っこい性格なのもあって、ハトリ氏の顔はよく知らなくても、弟子の女の子のことはよく知っている、というご婦人方もいるくらいです。町の情報通であるご婦人方を味方につけておく、これは女の子ならではの処世術かもしれません。
「すっかりひきこもっちゃって、食欲もあんまりなさそうなんですよー。だからせめて美味しいもの用意して励まそうかなって」
 ちょっとだけしおらしい口調で赤毛の女の子が言うと、ご婦人方はみんな一様に同情してくれました。
「無理もないわね。可哀相に。そうそう、これを持っておいきなさいな。新作のチーズよ。元気出すように伝えてちょうだいね。きっといいこともあるわ、ね?」
 チーズ屋のおかみさんは、気前よく作りたてのチーズを女の子に持たせてくれました。
 チーズ屋のおかみさんに続いて、酒屋のおねえさんもワインの小瓶を女の子に持たせました。
「こいつを飲んで憂さ晴らしをすれば、気も楽になるわ」
 漬物屋さんは秘蔵の杏漬けを、パン屋さんは焼きたてのロールパンを、果物屋さんは手作りのブルーベリーのジャムを、それぞれ「ハトリ氏さんのお見舞いに」と言って、おすそ分けしてくれたのです。
 ハトリ氏と赤毛の女の子が、元気を取り戻しますように、と。
「ありがとうございます!」
 赤毛の女の子は深々と頭を下げました。
 同情を買うような態度をとったことはちょっぴり胸がいたんだけれど、おすそ分けはありがたくいただくことにしたのです。
 早く帰って、師匠にこのことを教えてあげよう! みんな師匠のことを心配してましたよって。
みんなの優しい心遣いを、師匠に聞かせてやろう。そうしたらきっと、元気が出るのに違いない。
 心から、女の子はそう思いました。
 温かな人の心が、きっと、悲しみの海に沈んだ師匠を、浮上させてくれるだろう。
 女の子は町の皆に別れを告げ、駆け出しました。
 雲間からこぼれたわずかな日差しが、女の子の背中に背負われたままのハサミに反射し、鋭い光を放ちました。



 ハトリ氏の家は、こんもりとした小高い森の中にありました。
 緑色の屋根と茶色の壁は木々の間に上手く隠され、かの有名なハトリ氏の家がそこにあるのだということは、通いなれた常連客や町人のごく一部の人しか知りません。
 だのに、今日に限ってたくさんの来客があったのはどういう訳だろう。
 速足で森を歩きながら、ふと、女の子は思いました。
 しかもどの客も見知らぬ顔ばかりでした。町の人の顔を全員知っているわけではないけれど、それにしたって不気味な......異様な雰囲気だったと女の子も感じていました。さきほどのご婦人らとは全然雰囲気が違いました。

「ちょいと、お嬢ちゃん」
 森へ続く細い坂道を駆けているその途中でした。女の子は声をかけられ、足を止めました。
「やあやあ、お嬢ちゃん。ちょいと、いいかね?」
「............なんですか?」
 声をかけてきたのは、山猫でした。まだら模様でこげ茶色の毛並みの山猫は、真っ赤なベストを着ていました。二本足で立ってあるく、山猫です。たまに、こういった人のような、人ではないモノと会うことがあります。ハトリ氏の弟子になってからは、特に。
 ですから、山猫が二本足で歩こうが、言葉をしゃべろうが、別段不思議なことはありません。
 けれど、見ず知らずの山猫に話しかけられることに、赤毛の女の子は警戒心を抱きました。
「お嬢ちゃんはあの高名なハトリ氏のお弟子さんと聞いたものでね」
「そうですけど」
 いぶかしんで、女の子は無愛想に答えました。
「やあやあ、こんな愛らしいお嬢ちゃんだとは、驚きだなぁ」
「お世辞ならもっと盛り込んでいった方がいいですよ? ただ事実を言うだけじゃ、お世辞になりません」
「ははぁ、こりゃぁ、まいった。お世辞で言ったつもりはないんだけどねぇ」
 山猫の緑黄色の瞳が、射すように光りました。作り笑顔が山猫の大きな口に浮かびます。
 赤毛の女の子は警戒を怠りません。そして何より、いやな予感が全身を駆け抜けて、一刻も早くここから離れたくて仕方がありませんでした。
 早く、師匠のところに戻らなければ......――
「ところでね、お嬢ちゃん、良い話があるのだけどね?」
「............」
「ぜひともハトリ氏にお会いして、詳しく話をしたいのだが、引き合わせてくれないかね?」
「話って、なんですか?」
「もちろん、商売のことさ。ハサミ砥ぎのね」
「砥いでほしいハサミがあるんですか? それとも、その鋭い爪をですか?」
「ハサミさ、むろん。だが、アタシんじゃない」
「ふぅん?」
「今よりももっと儲かるって話さ。ハトリ氏に、ただハサミを砥いでもらえば」
 良い話だよ、と猫なで声で(実際、猫なのですけど)山猫は言うと、女の子ににじり寄りました。
 女の子は険しい顔のままです。背中のハサミに意識を向けました。
「うちの師匠は儲け話には乗らないと思いますよ。だからお断りします。じゃ、わたし、急いでるから!」
 女の子は断ち切るようにそう言うと、素早く身を翻しました。
 山猫は慌てて女の子を引き止めました。
「せっかくのトクベツな技術をそのまま腐らせてしまうなんて、もったいない! 損になる話じゃないんだ」
「今でも別に損はしてません。とにかく、興味ありませんから!」
 女の子は鬱陶しげに、腕に触れた山猫の前足を払い除けました。
「アタシゃぁ、諦めませんよ」
 走り出した女の子に、山猫は言いました。
 暗く響く、それはとてもいやらしい声でした。
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