C区の怖い民話「鬼になった小雪」
むかーしむかし、「犬将軍」こと徳川綱吉公が将軍だったときのことです。
江戸の元郷という街に、「春田屋」という一軒の履き物商店がありました。そこで作られる下駄や草履は質が良く、長持ちすることで有名で取引先も多く、繁盛していました。
ある年、一人の娘が女中として奉公にやってきました。小雪という名の、小柄な娘でした。
小雪は主人の宗兵衛たちがいたく感心するぐらいの働き者で、どんな仕事でも一生懸命にこなしました。手先も器用で、春田屋の主人である宗兵衛や奥方の着物が破れたり、足袋に穴が空いたりするたびに上手に繕っているため、すぐに可愛がられるようになりました。
しかし、それを良く思わない者たちがいました。春田屋で働き始めて十年以上の古株である女中頭のおせんとその取り巻きの女中たちです。
「なによ、ちょっとばかし手先が器用だからって。あんなにちやほやされちゃってさ」
調子に乗る前に、痛い目にあわせてやろう。
人間の妬みという感情は恐ろしいものです。小雪にとって地獄のような毎日が始まりました。
おせんを筆頭に無数の細かい雑用を押し付けられたり、「先輩女中への口の利き方がなっていない」とこっぴどく叱られ、叩かれたりするようになりました。このいびりが酷くなるころには、食事の時間までおせんたちの押し付けた仕事が終わらなければ「終えられなかったあんたが悪い」と食事をさせてもらえなかったりということも平気で行われるようになりました。
これには主人の宗兵衛たちも「あんまりに酷すぎるんじゃないか」と咎めましたが、おせんは「新人を鍛えるためですので」とつっぱねるばかりでした。
女中たちにいびられる中でも、小雪はめげずに働きました。しかし、健気な小雪の心をぽきりと折る出来事が起きてしまいました。
それは真冬のある日、手がぶるぶるとかじかんでしまうぐらいうんと寒い日のことでした。
一日のお勤めを終え、小雪がようやく布団の中に入ろうとしていたときのことです。
廊下からどたばたとせわしない足音が近づいてきて、小雪の部屋の障子が乱暴に開けられました。
そこには顔を真っ赤にさせて怒るおせんがいて、その手には女中たちが共に使う裁縫針の刺さった針刺しがありました。
「小雪、長い針が一本ないよ。最後に使ったのはあんたじゃないか。どこにやったんだい!?」
おせんの言う通り、共同で使う裁縫箱をその日最後に使ったのは小雪でした。自分が使っていた手ぬぐいのほつれを繕うためです。
小雪には何のことか身に覚えがありませんでした。
「変です。わたしはちゃんとすべての針を針刺しにしまいました」
「なんだい、新人のくせに口応えをするつもりかい? 最後に使ったのはあんたなんだ、責任は撮ってもらうよ」
おせんはそう言って一度小雪の頬を張ってから、針が見つかるまで屋敷の中を探すこと、ちゃんと見つかるまでは寝かせないと冷たく言い放ち、小雪が逃げたりしないように彼女の部屋の中を陣取ってしまいました。
かわいそうな小雪は、雪がしんしんと降る真夜中、一本の小さな針を見つけるためだけに、屋敷中をはいずり回らなければなりませんでした。
全てはおせんが仕組んだことでした。小雪が使ったあとの針刺しにはちゃんとすべての針がしまってありました。しかし、「こざかしい小雪を痛めつけてやろう」とたくらんだおせんが針を庭の中に捨ててしまったのです。
どれほど時間が経ったのでしょうか。かわいそうな小雪が庭に積もった雪の中で針を見つけたのは、屋敷内のほとんどの者が寝静まった牛の刻のことでした。ようやく針を見つけ、おせんの元に戻ってきた小雪の両の手は紫色になっていました。
「今度同じことをしでかしたら、こんなことでは済まさないよ」
おせんはきつく言いつけてから、部屋を出て行きました。
翌朝のことでした。
主人たちよりも早く起きて朝餉などの支度をしなければならない女中たちでしたが、小雪だけがなかなか起きてきません。
寝坊でもしているんじゃないか。いつまでも起きてこない小雪の部屋へ、怒髪天を衝く勢いのおせんが向かっていきました。
「小雪、一体あんたはいつまで寝ているんだい!」
障子を開けた先、布団の中に小雪の姿はありませんでした。その後、おせんの甲高い悲鳴が屋敷中に響き渡りました。
おせんが腰を抜かした部屋の奥、天井の梁からだらりとぶら下がった帯で首をくくった小雪の姿がありました。
かわいそうな小雪の弔いが終わってからのことです。
おせんの様子が段々とおかしくなっていきました。
何もいない背後を見つめるあまり料理を焦がしたり、些細な失敗が目立つようになり、主人や奥方からも叱られるようになりました。
始終落ち着かない様子のおせんを見て、「一体どうしたのか」と問うた女中がおりました。
「小雪が戻ってきたんだ。鬼みたいな顔であたしをずうっと睨むんだよ」
しかし当然のことながら、おせん以外に屋敷で小雪を見た者などおりません。
それでもおせんは自分にしか見えていない「小雪」の姿を見ているようなのです。
「やめて、やめておくれ」
「そんな怖い顔であたしを睨むのは止しておくれよ」
「あたしが、あたしが悪かったから」
「もう、許しておくれよお!」
しまいには何もいない空間に向かって怯えた目を向けながらそんなことをわめくようになり、全く仕事にならなくなりました。
そして、ある夜のことでした。
眠っていた一人の女中が、厠へと立ちました。用を足し、冷たい手をこすりながら部屋へ戻っ郎と廊下を歩いていると、前の方からやってくる人影がありました。
それはおせんでした。すれ違う女中に目も暮れず、ぶつぶつと何かを呟きながら廊下をうろついているのです。
薄暗い気分になりながら、おせんとすれ違うときのことでした。
「あっ」
女中はたまらず声をあげてしまいました。
おせんの丸まった背中、ぴったりと小雪がくっついていました。真っ赤になった顔は、般若のお面のように恐ろしく歪んでいました。
次の朝、屋敷の廊下の真ん中で死んでいるおせんの姿が見つかりました。その死に顔は、何か恐ろしいものを見たかのように目をかっと見開いていました。誰もがおせんの死を「小雪の祟りだ」と恐れました。
しかし、その後も小さな異変を見聞きするような者が現れ始めました。
寒い夜、庭の方で小さな黒い影がうろついているのを見た。
裁縫箱の一番長い針を使おうとすると、すすり泣くような声を聞いた。
夜中、廊下に出ると鬼のような顔の小雪と出くわす。
あまりにもこのようなことが続くので、奉公をやめてしまう使用人も出始めました。
「恨みを持つあまり、小雪の魂は鬼になってしまった。そして、この屋敷内を彷徨っているんだ」
丁寧に供養した方が良い。
そう判断した春田屋は、屋敷内に小雪のための小さな供養塔を作り、毎日食べ物や飲み物などを供えるようになりました。途端、屋敷内で起こっていた妙な話はとんとなくなりました。
今日では春田屋の店と屋敷はありませんが、C区の〇〇通りには小雪を悼むための供養碑だけが残されています。
そして可哀そうな女中の魂のために、その供養碑の元にお菓子や飲み物などお供え物をする人たちの姿は今でも絶えません。