エピローグ
物語は、静かに幕を閉じた。
とある存在の記録がここにある。
これは、幾つもの歪んだ物語に触れ、それでもなお、自らの足で物語の外へ辿り着いた者の記録。
この人間は、与えられる毒を拒み、深い海の底から送り出され、獣の雨を越え、朽ちたいばらの城で、生きることを望んだ。
恐れなかったわけではない。
傷つかなかったわけでもない。
何度も足を止め、何度も泣き、何度も戻れない場所を振り返った。
それでも、この人間は進んだ。
導かれるだけではなく。
逃がされるだけでもなく。
最後には自らが望み、閉じられていた者へ手を伸ばした。
この人間は、幾つもの不条理を越え、ついに物語の外へ辿り着く。
そして、疲れ果てていた存在は役割を手放し、ただ一人の存在として生きることを選んだ。
案内人ではなく。
道化でもなく。
物語に縫い止められた役目でもなく。
自ら望み、自ら選び、自ら迎えに行く者として。
記録には、本来、感情を残してはならない。
救われた。
嬉しかった。
安堵した。
そのような言葉は、観測者の記録には不要なものだ。
だが。
この記録を閉じる前に、一つだけ記しておく。
彼女は、最後まで生きようとした。
そして、誰かを救おうとした。
その事実だけは、天のどの記録よりも確かに、ここに残されるべきものだ。
「......無事に、見届けた」
低く落ちた声は、誰に向けられたものでもない。
光とともに、分厚い本は静かにほどけていく。
閉じられていたページが、一枚ずつ光の粒となり、空へと溶けていった。
甘い毒も。
海の底も。
獣の雨も。
いばらの城も。
そして、顔を奪われた道化が、長い時を待ち続けた、不思議の国も。
すべては、消えたわけではない。
物語の中へ還り、あるべき形へと還っていく。
読まれ、思われ、いつかまた別の形を得るために。
観測者は、しばらくその場を離れなかった。
もう、角の重さはない。
背に焼ける痛みもない。
ただ。
かつて失ったはずの場所に、静かな熱だけが戻っていた。
裁きは終わった。
禊も終わった。
残るものは、ひとつだけ。
ほどけていく本のその手前。
ひらりと――
白い羽が、一枚落ちていた。
かつて落とされ、それでも役目を果たし続けた者の羽。
羽はしばらく、光の前で揺れていた。
やがて、黄昏時の空へ溶けるように、静かに消えていく。
観測記録、終了。
この物語は、閉じられた。
―――けれど。
ページの外へ出た二人の物語だけは、もう、ここには記されない。
【エピローグ - 完 -】
【Out-of-Page Märchen - 本編完結 -】
→Out-of-Page Märchen - 幕後 「フールの唄」