第2話 辺境の少女
魔王城を脱出した主人公は、辺境の村にたどり着く――
一日半ほど歩き続けた後、私は沢の近くに腰をおろした。
魔封じの首飾りを外し、コップにくんだ沢の水を、焼却魔法で火を起こし沸かす。
生水は避ける――前世での愛読書『ソロキャンプのすすめ』にそう書いてあった。
魔族の体は人間より頑丈にできているが、内臓の強さはそこまで変わらない。
喉がうるおうと、お腹が鳴った。
カバンから自作の燻製肉を取り出し、ゆっくりと噛む。
燻製肉はある程度の量があるが、先のことを考えると節約すべきだろう。
念のため、食べられそうな物がないかあたりを見まわしたが、めぼしい物は見つからなかった。
土地がやせている魔王領は、農業にも畜産にも向かない。
追手から距離を取るためにも、さっさと別の土地――人間たちの領地のどこかに、腰をすえたいところだ。
(とはいえ......)
人里近いところだと、人間たちと接触する恐れがある。
魔族だとバレたら、敵視されるに違いない。
ここしばらく、人間と魔族の間に大きな争いは起こっていないが、かつての戦いの記憶が薄れるほどの年月が経った訳じゃない。
何より、私は魔王の子なのだ。
(ひと目につかないように生きるしかない)
そう決断し、私は立ち上がった。
一週間と少し経った頃、魔王領では見かけない動植物が目につき始めた。
人間の領地にさしかかったのかもしれない。
私は深呼吸し、警戒心を引き上げた。
(人間と会ったら、旅人の振りをするとして――)
考えながらカバンを覗くと、燻製肉の残りは数えるほどになっていた。
これが尽きる前に、食料を確保しなければならない。
この世界の動植物については、ある程度の知識はある。
麦やロバなど、前世の動植物とごく近い品種もあるそうだ。
きっと私のような転生者が過去に存在し、この世界で品種改良を行ったのだろう。
とはいえ、良く知らない品種の方がずっと多い。
いざという時は、食べられるかどうか、自分の体で試す必要がある。
(詳しい人に話を聞けたら助かるんだが......)
しかし、人と交流するのは危険だ。
思案しながら歩いていると、ギャァ、ギャァという甲高い声が聞こえた。
枝の合間をくぐり、声が聞こえた方向に進むと、開けた場所に出た。
耳ざわりな鳴き声をあげながら、鳥たちが朝の空を飛び交っている。
中指の爪が異様に長く、剣のように尖っており、薄い金属なら貫通できそうだ。
鳥たちの下では、十代後半とおぼしき少女が、農作業用のフォークを構えていた。
少女の背後には果樹園が広がっているが、多くの果実が地面に落ちており、クチバシでついばまれた跡がある。
「これ以上、一粒だってあげないんだから!」
声を張り上げながら、少女はフォークを振りかざした。
(なるほどな......)
少し前に、鳥の群れが果実を狙って来たのだろう。
彼女の他に、領民の姿は見えない。
何らかの用事で、出払っているタイミングだったのかもしれない。
(どうするか......)
人間と関わるのは、リスクだ。
だがこのまま、見過ごすべきなのか。
「グェッ!」
鳥の一羽が奇声をあげながら、彼女めがけて急降下した。
「はぁっ!」
少女が勢いよく振り下ろしたフォークを避け、鳥は彼女の足元をかすめて飛び去った。
「つっ......!」
表情を歪めながら、少女は足をおさえた。
ボタボタ、と血が流れているのが、この距離からでも分かる。
彼女はとっさに手ぬぐいで足をしばったが、血は止まらない。
「ゲッ ゲッ」
鳥たちは少女をあざわらうように、彼女の頭上で旋回している。
どういう訳か、次の攻撃を浴びせるつもりはないようだ。
(まさか......)
あの鳥たちは、彼女が出血により意識を失うのを待っているのかもしれない。
このまま血が止まらなければ、やがてそうなるだろう。
「......なめられたものね」
少女は顔をあげ、フォークを構えなおした。
顔色は青ざめているが、表情にみなぎる気迫は増しているように見える。
(どうして......)
どうして、彼女は逃げないのだろう。
今すぐ手当すれば、彼女は助かるはずだ。
果実はダメになってしまうだろうが、命を落とすよりマシなはずなのに。
「――あなたたちのような、奪うだけの生き物には分からないでしょうね」
空を飛ぶ鳥たちに向かって、彼女は声を張り上げた。
「私が! 私たちが! これだけの実りを得るまで、どんなに心血を注いだか!」
叫ぶ彼女の目から、涙がわずかにこぼれた。
それでも彼女は、鳥たちから目をそらさなかった。
「虫と戦って! 病気に苦しんで! 長雨にも日照りにも痛めつけられて! それでも――実る日を信じて、戦ってきたのよ! あなたたちに、分かるもんですか!」
彼女の顔色は、青から白に近づいている。
足もガクガクと、震え始めていた。
それでも彼女は、フォークの切っ先を下げようとはしない。
(奪うだけの生き物......か)
私は魔封じの首飾りを外し、鳥たちに向かって掌を向けた。
動き回る鳥たちの生命力を感知し、軌道を読む。
(――今だ)
私が放った斬殺魔法は、鳥たちの羽の先端にある風切羽を切り飛ばした。
推力を失った鳥たちは、バタバタと羽ばたきながら落下していく。
室内飼いする時は風切羽を切る――『動物と暮らす』を読んで得た知識だ。
狙いを外す訓練をしていたおかげで、鳥たちの急所を断たずに済んだ。
鳥たちは困惑した様子で、長い爪を引きずりながら茂みの方に逃げていった。
「ふぅ......」
魔封じの首飾りをつけなおしながら、私は小さく息を吐いた。
目立つことはすべきじゃないと理解はしていたが、何もせずにはいられなかった。
魔族に転生したとはいえ、私は元人間だ。
奪うだけの生き物ではなく、別の道を選べる存在なのだと証明したかった。
(急所を狙うのは、話が違うもんな)
鳥たちが突然落下したため、彼女はしばらくぽかんとしていたが、やがて頭を振り、少し離れた家の中に入っていった。
きっと、手当をするのだろう。
安心してその場を去ろうとした時――意外にも、彼女が再び姿を現した。
痛む足を引きずりながら、彼女は大きな桶を運び出し、地面に落ちた果実を拾ってはその桶におさめ始めた。
(何をしているんだ......!?)
せっかく助かった命を、無駄にするつもりか。
いてもたってもいられず、私は彼女に近づいた。