第1話 呪われた力
魔王の子に転生した社畜の主人公は強大な力を得るが、それは呪われた力だった――
もしも異世界に転生できたら、のんびり暮らしたい。
時差と円安と有事に振り回される輸入代理店で終電を逃し続け、ついに倒れた私は、意識を失う前に願った。
目が覚めた時、私はベビーベッドの上にいた。
「おはようございます、殿下」
微笑を浮かべるメイドたちがベビーベッドを囲んでおり、私に向かって会釈する。
(これは――)
小さくなった体をよたよたと動かし、私はまわりを観察した。
室内には豪華な装飾つきの家具が並んでおり、随所に記された文字は、いずれも見覚えのないものだ。
(殿下、と呼ばれたということは――)
過労で死んだ私は、異世界の王家に転生したのかもしれない。
仕事に追われず暮らせるようになるなら、神様仏様に感謝したいところだ。
(......だけど......)
安心するのはまだ早い――直感が、そう告げていた。
良く見ると、家具の装飾に使われているのは、手の骨、足の骨、つるりと丸い頭の骨――人間の骨だ。
戸口に立つ衛兵には、ヤギのような角とコウモリのような羽が生えている。
(悪魔......だよな?)
「お目覚め早々恐縮ですが、訓練を始めましょうね、殿下」
メイドの一人が目を光らせながら、まだ歩けない私に容赦なく告げた。
「魔王様の子である殿下は、魔王を継ぐため、のんびりしていられないのです」
数年後。
人間でいえば十代前半ほどの体格に育った私は、魔王城の裏手に菜園を作った。
山に囲まれ、日陰だらけの魔王城において、この一角だけは日に数時間光が差す。
(元気に育てよ)
心の中でささやきながら、水をまく。
前世で隙間時間に菜園の作り方やDIYの技術などを勉強していた私は、かつて叶えられなかった夢を、この世界で叶えたかった。
魔法が存在するなど、自然の法則が一部異なるこの世界でも、動植物の基本的性質は同じはず......なのだが。
「今回もダメか......」
しおれた植物を見つめながら、私はため息をついた。
転生後、動植物の世話に失敗したのは初めてではない。
今より小さかった頃、訓練の標的として用意されたマルチーズのような獣を私は殺せず、こっそり飼うことにした。
使われていない納屋に木箱を置き、食料を工面し世話をしたが、数週間と経たず彼は死んでしまった。
死因は今なお分からない。
「また、訓練を休まれたのですか、殿下」
振り返ると、メイドのリリルがけわしい表情で立っていた。
「その上、植物の世話とは......そのような恥ずかしいことは、もうおやめください」
(恥ずかしいこと、か)
魔族の見た目は人間と変わらないが、価値観はまるで違う。
破壊と殺害を美徳と信じる魔族は、生産全般を毛嫌いし、下等な使い魔がやることと見なしている。
窓を割る者を褒め、窓を作る者を見下す種族――昔の不良よりずっと性質が悪い。
「いくら訓練したって、最近は弟に負けてばかりだからな。ここで過ごす方が良い」
「ご自身の可能性をあきらめないでください! エーヴィル様は確かに優秀ですが、魔王様の長子であられる殿下には、素晴らしい素質が――」
「用件はそれだけか?」
長くなりそうな話をさえぎると、リリルは我に返った様子で姿勢をただした。
「いえ......陛下がお呼びです」
暗い魔王城の中で、最も暗い部分。
魔王城の最奥にある巨大な扉を押し開け、私は父の居室に足を踏み入れた。
「失礼いたします、父上」
「来たか、マルシス」
ベール越しでも伝わる威圧感に、体がこわばる。
先に来ていた弟・エーヴィルの隣に、私はひざまずいた。
「お体の具合はいかがですか?」
「......相変わらずといったところだ」
魔族が人間と争っていた頃、父は人間の英雄と決戦を行い、両者深手を負った。
聖なる武器でつけられた父の傷はいまだ治らず、杖がなくては歩けない。
「魔王と恐れられた者ながら、責任を果たせないことをふがいなく思うばかりだ」
父は深くため息をついた。
『責任を果たせない』という言葉の意味は、破壊と殺害を行えずすまない、だ。
何がすまないのか、元人間の私には分からない。
「そこでだ。余は引退し、お前たちのどちらかに地位を引き継ごうと思う」
(来たか)
こういうこともあるだろうと、少し前から予想していた。
魔王を継ぎ、人間と争う始末になったら、父と同じように深手を負わされるか、転生した命を失うことになるだろう。
かといって、破壊と殺害を美徳と信じる魔族を抑え込むことも、不可能に近い。
内乱が起こったら、私一人の首では済むまい。
(絶対に、魔王なんかになってたまるか)
私は頭を下げ、父に進言した。
「魔王には、弟のエーヴィルこそがふさわしいと存じます」
「兄上......よろしいのですか?」
「訓練の成績を見れば、誰がふさわしいのかは明らかです」
私も弟も、歩けるようになる前から魔法の訓練を受けてきた。
魔族にとって、魔法は肉体に備わった機能の一つであり、慣れてくれば息をするように扱えるようになる。
斬殺、圧壊、毒殺、窒息......生物を殺す魔法と、無生物を壊す魔法を、私たちは毎日鍛錬してきた。
だがこの頃、私の成績は常に、弟を下回っている。
「訓練の成績のみを見るなら、お前の言う通りかもしれない。だがな」
父は一呼吸置いて言った。
「余の地位を継ぐべきは、お前だ。マルシス」
父の言葉にショックを受けたのは、私だけではなかったらしい。
弟のエーヴィルも、呆然とした表情を浮かべている。
「......なぜ、そのようにご判断されたのですか?」
「素晴らしい才能が、お前には備わっているからだ。いずれ、お前にも分かる」
父の居室を辞した後、私は暗い廊下を呆然と歩いた。
(どうしてこうなるんだ......!)
私は、命を奪う側に回りたくなんかない。
命を育てながら暮らしたいだけなのに。
いつしか私は、裏手の菜園にたどりついていた。
気分転換に植物の世話をしようと、水桶を手に一歩近づいた途端、何枚もの葉がぐにゃりと曲がり、ポトリと土に落ちた。
(何だ......?)
何が起こったのか確かめようと、私はもう一歩、植物に近づいた。
すると、花の茎がおじぎをするようにくねり、一つだけついていたつぼみが、たちまち黒く変色した。
(どうなっている......!?)
目の前で何が起きているのか分からない。
しかし、直感が告げている――この異常は、私自身と関係がある。
足音が聞こえ、振り返ると、リリルがはらはらと涙を流していた。
「やはり殿下は素晴らしい才能の持ち主だったのですね。ずっと信じておりました」
「......何の話だ?」
「無意識のうちに植物を殺すほどのお力を、ついに獲得されたなんて」
「どういうことだ。毒殺魔法も窒息魔法も、私は使っていないぞ」
混乱した様子の私を見て、リリルは不思議そうに首をかしげた。
「殿下。魔族にとって魔法は『息をするのと同じ生理現象』なのですよ?」
「だから、何だというのだ」
「殿下のように規格外の魔力をお持ちの方は、魔力がお体の外にあふれ、意識せずとも『周囲の万物を害する』のです。耐性を持つ者でなければ耐えられないでしょうね」
無邪気な笑みを浮かべながら、リリルは言った。
(意識せずとも『周囲の万物を害する』だと......?)
まるで、有害物質じゃないか。
「いつかこうなると予感しておりました。殿下には昔から素質がございましたから」
「素質......?」
「殿下は以前、私たちの目を盗み、獣を飼われたことがございましたね?」
今より小さかった頃のこととはいえ、私の行いはバレていたらしい。
「当時、陛下に相談したところ『放っておけ』と陛下はおっしゃったのです」
「父上が?」
「『遠からず獣は死ぬ』――陛下のお言葉通り、獣は長くは生きられませんでした」
ドクンと心臓が脈打ち、指先が一気に冷たくなった。
「まさか......」
「今ほど強くはなかったとはいえ、殿下の魔力は周囲に放たれていたのです。結果が見えていたからこそ、陛下は何もされなかったのでしょう」
菜園の端に作った彼の墓を見つめながら、ムカムカした思いがこみあげた。
(彼を殺したのは――私なのか)
申し訳なさとやりきれなさで、私は下唇を強く噛んだ。
リリルは楽しそうに話を続けた。
「殿下の魔力は、以前とは比べ物にならないほど成長されました。少し前までは植物をしおれさせるだけでしたのに、今や、近づくだけで枯れさせてしまうなんて」
菜園に目を向けると、落ちた葉がじゅくじゅくと泡立ちながら、ちりぢりになっていくのが見えた。
(腐敗している......)
落ちた後も、あの葉は私によって破壊され続けたのだろう。
細胞単位で破壊された葉は、微生物のエサとなり、またたく間に腐敗したのだ。
「殿下。素晴らしい素質をお持ちの貴方こそ、次期魔王にふさわしいお方です。どうかそのお力で、人間を滅ぼしてくださ――」
「断る」
リリルの脇をすり抜け、私は急ぎ魔王城の地下に向かった。
厳重に封印された地下倉庫の扉を圧壊魔法でひねり潰し、中に入り込む。
人間たちから奪った道具が並べられている中、私はその一つを手に取った。
強力な魔力を持つ魔族に対抗するための道具――『魔封じの首飾り』だ。
その名の通り、装備している間、その者は魔力を封じられる。
首にかけた途端、心臓を鷲掴みにされるような感覚が走った。
(耐えろ......!)
しばらくすると苦痛はおさまり、体からフッと力が抜けた。
首飾りの宝石が、にぶい光を放っている。
試しに魔法を放とうとしてみたが、何も起こらない。
これで、闇雲に周囲を害することは避けられるはずだ。
自室に引き返し、これまで蓄えてきた物資をカバンに詰め、私は裏門に向かった。
「お戻りください。兄上」
リリルから報告を受けたのか、裏門の前に衛兵たちとエーヴィルが待機していた。
「なぜ止める? 私がいなくなれば、お前は魔王になれるはずだ」
「父上が選んだ兄上を越えなければ、誰もが認める魔王にはなれませんから」
バチバチ、と火花を散らしながら、エーヴィルは魔力を掌に集中した。
「お互いの力を見せ合い、次期魔王の座を決定しましょう!」
(力、力、力......)
まだ歩けない頃から、そればかりをずっと求められてきた。
結果ばかりを求められた前世と、何も変わらないじゃないか。
「......もういいか、我慢しなくても。そんなに力が見たいなら、見せてやるよ」
魔封じの首飾りを外し、私は地面に向かって粉砕魔法を放った。
ビキビキ、と亀裂が走り、岩石が隆起する。
エーヴィルはしばし身構えていたが、やがて拍子抜けしたような笑みを浮かべた。
「それが兄上の限界ですか? 訓練をもっと真剣にやるべきで――」
エーヴィルが言い終える前に、ズーン、と腹に響く音が聞こえ、間もなくあたりがガタガタと揺れ始めた。
「......!? な、何が――」
魔王城を囲む岩山の一つが、長年の休眠を破り、轟音と共に火花を噴き上げた。
砕け散った頂上から溶岩が流れ出し、頭上に大小の岩が降り注ぐ。
「兄上......!? あ、あなたは一体、何を......」
「岩盤を破壊し、地下水を溶岩に流れ込ませた。水蒸気噴火というやつだ」
「岩盤を破壊......? 私より成績が劣る兄上が......?」
父の狙いに気づいた頃から、私は訓練の成績を下げるための努力をしていた。
魔法の出力を弱め、狙いを外すなどの工夫を重ねたが、結果的には無意味だった。
あわてふためく衛兵たちを後目に、私は裏門から外に出ようとした。
「素晴らしいお力です! 殿下!」
衛兵の一人が岩石を受け止めながら、私にそう言った。
魔族は、破壊と殺害の才能を持つ者に、敬意を抱く。
たとえそれが、敵対者であっても。
(つくづく、分からない)
衛兵たちの歓声を背に受けながら、私は魔王領を脱出すべく歩調を早めた。
× × ×
半壊した魔王城を見つめながら、魔王は笑った。
「見込んだ通りだ。その力がある以上、何をしようとお前の運命は変わらぬ。破壊と殺害以外にできることはないと、いずれ気づくだろう――」