第九話 味のわからない回鍋肉
美咲は結局悩んだ末に油淋鶏定食を注文した。俺はというと
「俺は回鍋肉にしようかな。定食で、ご飯は大盛りね」
「はーい。油淋鶏定食と回鍋肉定食ね油淋鶏定食の方はご飯大盛りにはしなくていいのかしら?」
「あっ、大丈夫です」
「そう、おかわりも無料ですから、足りないなと思ったら遠慮なくご注文下さいね」
「はい、ありがとうございます」
回鍋肉は割と好きで、家でもたまに自分で作る。もちろん素を使ってだけど。それでも充分おいしく作れる。
素人が作っても美味しいんだ、腕の良い料理人が回鍋肉を作るとどんなのが出てくるのか、俺はそれが知りたかった。
「あやのー。ハイボールちょうだいよ。あと、単品でタコワサも」
「はいはい、あまり飲み過ぎないようにね。まだ昼間なんだからここで酔って寝られたら困るよ」
「うーい♡ 心配ご無用。まだまだ大丈夫よぉ」
「ならいいけど」
────
「はい、油淋鶏定食! お待たせしました」
油淋鶏定食はあやのさんの手によってテーブルに丁寧にそっと置かれた。けっこう重いだろうにあやのさんはその重さを感じさせることなく丁寧に安定させて運ぶ。その所作だけ見てもあやさんのが一流の給仕であることが見てとれた。
「わあ~。美味しそ〜! いただきます!」
「どうぞ、召し上がれ」
バリッ! ジュワ
「おいっひ! ハフハフ、何これ、おいっひーーーー! え、わたひの想像してたのの5倍は美味しいのでふが!」
「分かったから、ひとまず食ってから感想言え」
「......ふう。おいしーーー! お姉さん、凄くおいしーです!」
口に含んでいた油淋鶏を飲み込むとあらためて美咲はその感動を口にした。わかる、わかるぞ妹よ。
「ウフフ、お口に合ったようで嬉しいわ。っと、ヨシ! 回鍋肉も完成!」
あやのさんはそう言うと回鍋肉定食を俺の前にそっと置いた。まるで無重力かのように無音でスッと置くので(見た目より軽いのかな?)と思って、ためしに少し持ち上げてみた。
(! 重い。これをスッと置くのはかなりの力が必要そうだが、あの細腕のどこにそんな筋肉があるのだろう)
仕事ぶりは一流の給仕であり一流のシェフでもある。
言葉遣いも丁寧で、顔立ちも美しく、スタイルは抜群。
その上、性格もいい。この人こそ完璧な女性だな。と俺は思った。しかし、
「ねえお母さーん。今日おひるごはん何食べたらいいのー」
「いま用意するからね。いのりはあっちで待っててね」
「はーい」
「今の子は?」
「ああ、いのりの事? 私の娘よ、かわいいでしょ?」
「あっ、ああ。とてもかわいいと思います」
いや、俺がショック受けるのはどういうことだろう。
そもそもあやのさん程の完璧な女性なら結婚くらいしてて当たり前だった。仮にあやのさんと結婚できるRPGがあるとして、全ての男性が『する』を選んでしまうだろう。
あやのさんが結婚している。なんでその結論が自分の中で出てなかったのか不思議なくらいだ。
「いただきます...」
「はい。召し上がれ」
その日食べた回鍋肉は美味しかったはずなのだが、あやのさんの娘を見たショックでそれどころではなく、味が全然わからなかった。