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名ばかりの英雄1

 スカーフで鼻と口を覆い、銀の髪も纏めて準備は万端だ。窓も開け放ち、カビや埃の臭いに顔をしかめる。床に転がっている箒と塵取を手に取ると、僅かに埃が舞った。ひと掃きすれば埃が煙のように立ち上る。

「......くしゅん!」

“大丈夫かな......”

 くしゃみをすると、ルーナスの心の声が聞こえた。振り向いてみると、テーブルの方から緑の瞳がこちらを覗いている。

「ありがとうございます」

 私が小さく頭を下げると、ルーナスは軽く首を横に振った。
 そういえば、ルーナスはどんな英雄なのだろう。戦ったのか、人を守ったのか――。
 考え込んでいると、オーレの声が響いた。

“積み木で遊ぼー!”

「ルーナス! あれ取ってー!」

「ん? ちょっと待ってな」

 ルーナスは椅子から立ち上がり、視界から消えてしまった。
 床の掃除も終わり、次は家具の埃落としだ。水を使った指先はかじかんでいる。手を擦って温め、叩きを握った。
 昼間に掃除を始めたはずなのに、叩きを下ろした頃には腹部が雷のような音を立てていた。カラスの鳴き声も聞こえる。
 布団を物干し竿から下ろし、台所へと向かった。レシピ本をテーブルに立て掛け、ミートソースの作り方に目を凝らす。

「んー......」

 「今日は練習だから。失敗しても大丈夫ですよ」――そうルーナスは言ってくれたけれど、期待には応えたいのだ。
 苦戦しながらも、何故か心の緊張は解ける。むしろ温かくなるのだ。
 部屋にトマトの香りが充満していく。オーレを見てみると、ワクワクが抑えきれない表情を向けられてしまった。
 出来上がったミートソーススパゲッティは、お世辞にも上手だとは言えないものになってしまった。挽き肉は焦げているし、コンソメも濃い。それを見ても、ルーナスもオーレも文句一つ言わなかった。

「いただきます」

 三人で手を合わせて食卓を囲む。

“しょっぱーい”

 オーレは顔に出すまいと必死なのだろうけれど、私にはダダ漏れだ。

「オーレ、リンゴジュースも飲むか?」

「うん、欲しいー」

 オーレはにこっと笑うと、足を前後に揺らす。

「あの......オーレ」

「どうしたのー?」

 英雄のことを聞き出すのは今しかない。ルーナスの前では言い出せず、オーレにこそっと囁いてみる。

「ルーナスはどうして英雄なんですか?」

 尋ねると、オーレは首を傾げた。

「分かんなーい。ルーナスのお友達が『へっぽこ英雄』って言ってるのを聞いただけなのー」

「へっぽこ......?」

 『へっぽこ』と『英雄』のイメージの落差が激しくて、私の中で上手く噛み合わない。
 水で喉を潤していると、ルーナスが私の席にもリンゴジュースを置いてくれた。

「ありがとうございます」

「いえいえ」

 ルーナスはにこっと微笑み、自分の席へと戻る。この人が『へっぽこ』――きょとんとルーナスを眺めていると、オーレは興味津々な顔で私を見た。

「そうだ、ソレイユー。どうしてあんな所にいたの?」

「それは......」

 言い淀んでしまった。幼い子のすることだ。私のことを『聖女』と言いふらすかもしれない。もしその時が来たら、この家を去ろう。半ば諦めて拳を握る。

「オーレは『聖女』って知ってますか?」

「うん、知ってるー」

「隣の国で、私は聖女だったんです」

 答えると、オーレの空色の瞳には瞬く間に光が宿っていく。

「ソレイユ凄ーい! ルーナスと同じくらい凄ーい!」

「俺は凄くないぞ?」

「ううん! 凄いよ! ね?」

 私に同意を求められても困る。しかし、子供をがっかりさせるわけにもいかないので、「うん」と頷いた。

「でも、聖女じゃなくなっちゃって。行き場所を失くしてました」

「どうしてー?」

 言ったところで、子供には理解できないだろう。

「どうしてでしょうね」

 曖昧に答え、その場を濁してしまった。

“ごめんなさい。気を遣わせましたね”

 今度はルーナスが心の中で詫びを入れる。私は気を遣ったわけではない。伝わらないのは分かっているけれど、心の中で『とんでもありません』と返した。

「オーレ、聖女のことは他の人には秘密にしてください」

「なんでー?」

 オーレに嘆願の眼差しを向けると、彼は首を傾げる。

「バレたら私は消えてしまうから」

 私がそっと視線を落とすと、オーレの息を呑む音が聞こえた。

「やだー! ぼく、絶対に言わない!」

“せっかく仲良くなれそうなのにー!”

 少し言いすぎてしまっただろうか。オーレは目尻に涙を溜めてしまった。

 しょっぱいスパゲッティをジュースで中和させながら、何とか完食することができた。ルーナスとオーレも挽き肉の一粒も残してはいない。

「ごちそうさまでした」

 三人揃って手を合わせる。優しいこの人たちのためにも、明日の朝食こそは美味しく食べられるものを作ろう。心に決め、指先に少しだけ力を入れた。
 オーレは遊ぶことに夢中だ。腹ごなしもせずに、今度は木製の玩具の馬車で遊び始めた。

「ぱっかぱっか」

 蹄の真似だろうか。可愛らしい声と笑い声が家の中に響く。

「ソレイユ。あの」

 振り向いてみると、ルーナスは儚い笑みを浮かべていた。

「オーレが眠ったら、二人で話しませんか?」

「はい......」

 何か聞かれるのだろうか。あまり気乗りはしないものの、曖昧に頷いてみせる。

「よかった」

 ルーナスは満足そうに目を細めると、席を立つ。そのままオーレの隣に座り込み、一緒に遊び始める。
 オーレは疲れて眠くなるまで遊んでいた。オーレの瞼がとろんとしたところで、ルーナスは彼を抱き抱える。

“貴女の事情を少し伺ってもいいですか? 貴女の保護者として”

 優しい緑の瞳がこちらを向いたので、唇を噛みながら小さく頷いた。
 オーレの部屋に入り、ルーナスはそっとベッドに寝かせる。すうすうと寝息を立てるオーレは天使のようだ。

「貴女のお話を聞く前に......俺の話をした方がいいですよね。質問とか、ありますか?」

 ルーナスは穏やかさを崩さずに私を見る。どうしても『英雄』よりも『へっぽこ』の由来の方が気になってしまう。

「貴方は......どうして『へっぽこ英雄』なんですか?」

「オーレに聞いたんですね。俺も恥ずかしいんですが」

 ルーナスは表情を変えず、遠くを見詰める。

「俺は英雄の隣に立ってた『だけ』なんです。厄災が怖くて、裏方ばっかりしてましたから」

 ルーナスはほんのりと頬を赤く染め、苦笑いをした。厄災が怖かった――私が人の心の声を聞くのを怖がっているのと似ている気がする。
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名ばかりの英雄2
想刻師のいる辺境で作者:七宮叶歌
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名ばかりの英雄1

 スカーフで鼻と口を覆い、銀の髪も纏めて準備は万端だ。窓も開け放ち、カビや埃の臭いに顔をしかめる。床に転がっている箒と塵取を手に取ると、僅かに埃が舞った。ひと掃きすれば埃が煙のように立ち上る。

「......くしゅん!」

“大丈夫かな......”

 くしゃみをすると、ルーナスの心の声が聞こえた。振り向いてみると、テーブルの方から緑の瞳がこちらを覗いている。

「ありがとうございます」

 私が小さく頭を下げると、ルーナスは軽く首を横に振った。
 そういえば、ルーナスはどんな英雄なのだろう。戦ったのか、人を守ったのか――。
 考え込んでいると、オーレの声が響いた。

“積み木で遊ぼー!”

「ルーナス! あれ取ってー!」

「ん? ちょっと待ってな」

 ルーナスは椅子から立ち上がり、視界から消えてしまった。
 床の掃除も終わり、次は家具の埃落としだ。水を使った指先はかじかんでいる。手を擦って温め、叩きを握った。
 昼間に掃除を始めたはずなのに、叩きを下ろした頃には腹部が雷のような音を立てていた。カラスの鳴き声も聞こえる。
 布団を物干し竿から下ろし、台所へと向かった。レシピ本をテーブルに立て掛け、ミートソースの作り方に目を凝らす。

「んー......」

 「今日は練習だから。失敗しても大丈夫ですよ」――そうルーナスは言ってくれたけれど、期待には応えたいのだ。
 苦戦しながらも、何故か心の緊張は解ける。むしろ温かくなるのだ。
 部屋にトマトの香りが充満していく。オーレを見てみると、ワクワクが抑えきれない表情を向けられてしまった。
 出来上がったミートソーススパゲッティは、お世辞にも上手だとは言えないものになってしまった。挽き肉は焦げているし、コンソメも濃い。それを見ても、ルーナスもオーレも文句一つ言わなかった。

「いただきます」

 三人で手を合わせて食卓を囲む。

“しょっぱーい”

 オーレは顔に出すまいと必死なのだろうけれど、私にはダダ漏れだ。

「オーレ、リンゴジュースも飲むか?」

「うん、欲しいー」

 オーレはにこっと笑うと、足を前後に揺らす。

「あの......オーレ」

「どうしたのー?」

 英雄のことを聞き出すのは今しかない。ルーナスの前では言い出せず、オーレにこそっと囁いてみる。

「ルーナスはどうして英雄なんですか?」

 尋ねると、オーレは首を傾げた。

「分かんなーい。ルーナスのお友達が『へっぽこ英雄』って言ってるのを聞いただけなのー」

「へっぽこ......?」

 『へっぽこ』と『英雄』のイメージの落差が激しくて、私の中で上手く噛み合わない。
 水で喉を潤していると、ルーナスが私の席にもリンゴジュースを置いてくれた。

「ありがとうございます」

「いえいえ」

 ルーナスはにこっと微笑み、自分の席へと戻る。この人が『へっぽこ』――きょとんとルーナスを眺めていると、オーレは興味津々な顔で私を見た。

「そうだ、ソレイユー。どうしてあんな所にいたの?」

「それは......」

 言い淀んでしまった。幼い子のすることだ。私のことを『聖女』と言いふらすかもしれない。もしその時が来たら、この家を去ろう。半ば諦めて拳を握る。

「オーレは『聖女』って知ってますか?」

「うん、知ってるー」

「隣の国で、私は聖女だったんです」

 答えると、オーレの空色の瞳には瞬く間に光が宿っていく。

「ソレイユ凄ーい! ルーナスと同じくらい凄ーい!」

「俺は凄くないぞ?」

「ううん! 凄いよ! ね?」

 私に同意を求められても困る。しかし、子供をがっかりさせるわけにもいかないので、「うん」と頷いた。

「でも、聖女じゃなくなっちゃって。行き場所を失くしてました」

「どうしてー?」

 言ったところで、子供には理解できないだろう。

「どうしてでしょうね」

 曖昧に答え、その場を濁してしまった。

“ごめんなさい。気を遣わせましたね”

 今度はルーナスが心の中で詫びを入れる。私は気を遣ったわけではない。伝わらないのは分かっているけれど、心の中で『とんでもありません』と返した。

「オーレ、聖女のことは他の人には秘密にしてください」

「なんでー?」

 オーレに嘆願の眼差しを向けると、彼は首を傾げる。

「バレたら私は消えてしまうから」

 私がそっと視線を落とすと、オーレの息を呑む音が聞こえた。

「やだー! ぼく、絶対に言わない!」

“せっかく仲良くなれそうなのにー!”

 少し言いすぎてしまっただろうか。オーレは目尻に涙を溜めてしまった。

 しょっぱいスパゲッティをジュースで中和させながら、何とか完食することができた。ルーナスとオーレも挽き肉の一粒も残してはいない。

「ごちそうさまでした」

 三人揃って手を合わせる。優しいこの人たちのためにも、明日の朝食こそは美味しく食べられるものを作ろう。心に決め、指先に少しだけ力を入れた。
 オーレは遊ぶことに夢中だ。腹ごなしもせずに、今度は木製の玩具の馬車で遊び始めた。

「ぱっかぱっか」

 蹄の真似だろうか。可愛らしい声と笑い声が家の中に響く。

「ソレイユ。あの」

 振り向いてみると、ルーナスは儚い笑みを浮かべていた。

「オーレが眠ったら、二人で話しませんか?」

「はい......」

 何か聞かれるのだろうか。あまり気乗りはしないものの、曖昧に頷いてみせる。

「よかった」

 ルーナスは満足そうに目を細めると、席を立つ。そのままオーレの隣に座り込み、一緒に遊び始める。
 オーレは疲れて眠くなるまで遊んでいた。オーレの瞼がとろんとしたところで、ルーナスは彼を抱き抱える。

“貴女の事情を少し伺ってもいいですか? 貴女の保護者として”

 優しい緑の瞳がこちらを向いたので、唇を噛みながら小さく頷いた。
 オーレの部屋に入り、ルーナスはそっとベッドに寝かせる。すうすうと寝息を立てるオーレは天使のようだ。

「貴女のお話を聞く前に......俺の話をした方がいいですよね。質問とか、ありますか?」

 ルーナスは穏やかさを崩さずに私を見る。どうしても『英雄』よりも『へっぽこ』の由来の方が気になってしまう。

「貴方は......どうして『へっぽこ英雄』なんですか?」

「オーレに聞いたんですね。俺も恥ずかしいんですが」

 ルーナスは表情を変えず、遠くを見詰める。

「俺は英雄の隣に立ってた『だけ』なんです。厄災が怖くて、裏方ばっかりしてましたから」

 ルーナスはほんのりと頬を赤く染め、苦笑いをした。厄災が怖かった――私が人の心の声を聞くのを怖がっているのと似ている気がする。
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次の話名ばかりの英雄2
想刻師のいる辺境で作者:七宮叶歌
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