

半鐘のある町|旅の記録 02
駅前の喫茶店で軽く朝食を済ませると、店員に営業時間を確かめてから店を出た。
駅前の喫茶店で軽く朝食を済ませると、店員に営業時間を確かめてから店を出た。
素朴だけれど、コーヒーだけでなく料理もおいしかったから、お昼もここでと思ったのだ。
背中でドアが閉まる音を聞いて、私は振り返る。
さっきまで過ごしていた喫茶店をぼんやりと眺め、私は違和感を覚えた。
――明かりがついていない。
私が出た後で明かりを消したのかとも思ったけれど、それなら暖かさの余韻があるはずだ。でも、窓から漂ってくるのは、静けさと寂しさをたたえた、春を待つ冬のような濃い灰色の闇。明らかに、開店前の店の顔をしていた。
紅茶がお腹に染み渡った感覚を覚えている。
昔ながらのオムライスの、ケチャップと卵の香りが鼻を刺激している。
間違いない。私はここで、朝のひとときを過ごしたんだ。
......過ごしたはずなんだ。
混乱する頭のまま、私はゆらゆらと歩き出した。
しばらく歩いていると、波の音が聞こえ、潮の香りが漂ってきた。
波の音を頼りに海を目指していると、遠くに何かが建っているのが見え、私はそれに近づいた。「これは、半鐘?」
古びた木製のやぐらに、小さな鐘がぶら下がっている。火事などの非常時に鳴らし、危険が迫っていることを知らせるためにあるものだ。
やぐらは海に面した場所にあり、北の町を一望できた。
「おや、お客さんとはめずらしいねぇ。」
振り向くと、少し驚いたように微笑むおばあさんが立っていた。
小さくおじぎをして軽く自己紹介をすると、おばあさんは、千代と名乗った。
「千代さんは、この町の方なんですか?」
「生まれも育ちも、この町さ。」
千代さんは、ゆっくりとやぐらに近づき、柱をそっとなでて半鐘を見上げた。
「戦争が終わってから、何十年も時が過ぎた。あたしはもう、長くはない。」
半鐘を見上げたまま、千代さんは言葉を続けた。
「......玉音放送が流れた次の日も、あたしはこのやぐらの上で、空を見上げていたのさ。」
その言葉から始まった千代さんの物語は、切なくて、胸が張り裂けそうで、終戦という歴史的事実だけでは片づけられない思いであふれていた。
話を終えた千代さんは、ありがとう、と小さくつぶやくと、やぐらに背を向けて歩き出した。
「ああ、そういえば、」
千代さんはそういって足を止め、振り向いて私を見た。
「あんた、作家だと言っていたねえ。」
「はい。いろいろあって、この町まで来ました。」
「おお、そうかい。」
そしてやわらかな笑みを浮かべると、
「大丈夫、きっと、見つかるさ。」
と言って、去っていった。
千代さんを見送りながら、私は、生前に曾祖母が話してくれた戦争の話を思い出していた。
母が生まれ育った町は、青森県にある今別町という港町で、曾祖母もそこで暮らしていた。ここから見える景色が、どことなく似ている。
私は、カバンからスケッチのセットを取り出し、半鐘を描いた。それからメモ帳サイズの原稿用紙を取り出して短い物語を書きあげると、今自分が置かれている状況を綴ったメモと猫型の穴が開いた列車の切符とともに、封筒に入れた。
きっと、あの人なら受け取ってくれるだろう。
そう思いながらしっかり封をし、宛先を書いた。
猫叉出版社御中
空の色のような灰色の封筒に切手を貼ってポストに投函すると、晩秋の涼し気な朝の太陽を見上げた。