3・バケモノは身勝手・前編
正午きっかりに始まった宴は、曲目を途切れさせることなくいまだにぎわいを見せていた。
招待客は、財政界や芸能、文学、食、化・科学・国賓として招かれる他国の大臣など、その分野での、あるいはそれ以外でも著名な顔ぶればかり。
まさに、ダリル家。
王家リザと並び立ち、皇家、ただ一つの皇家として国を陰で支えるとまで言われる、建国神の血を継ぐという者達が主催をつとめる、春の宴、その名にふさわしい午後の立食パーティーは、終わるともしれず連綿と続いている。
そんな優雅にして高貴な集まりの中、飲み物も持たずにあちらをきょろきょろ、こちらをきょろきょろとしながら、動き回る者がいた。
正装よりは幾分ラフな紺色のタキシードを着た、この国では珍しい褐色の肌の男は、白髪の目立ち始めた灰色の短髪を全て後ろへ掻き上げ撫でつけ、普段は手入れも疎かな口ひげも剃り落としこざっぱりとした様子。
国立図書館の最高責任者、少し前までは確かに、落ちこぼれ、として有名だったケルッツア・ド・ディス・ファーンその人だった。
彼は、広さにして、大きな屋敷でも優に三つは入るだろうという縦長の大広間、豪奢なシャンデリアが高い天井から三列に吊り下げられた会場内を、うろうろ。
老年から若年と呼ばれる紳士、同じく、紳士の装いより遥かに麗しく着飾った淑女達の合間をすり抜け、はたまた真っ白なテーブルクロスを掛けられた丸い机が幾つと並ぶ、ありとあらゆる高級料理の数々の合間を縫って、落ちつきなく人を捜している。
すでに足早に大広間を――――真ん中辺りまでは鮮やかな緋色の絨毯で隠されてしまっているものの、よく磨かれた大理石の床を眺望できる二階回廊にも昇り、手すりから大広間の内壁に沿ってぐるりと一周してきた。
見下ろす光景にも、興の乗った者が、男女一組互いに誘い合わせて絨毯の敷かれていない大広間の半分に進み出、曲目に沿って踊りを楽しんでいるのを尻目に見やる風景にも、お目当てはいない。
ならば上から見えない箇所にいるのかと、もう一度広間の一階に降り、大広間中に響き渡るべく雇われたオーケストラの面々の台座の傍など、せっせと会場の二階回廊の真下付近を重点的に捜しているところだった。
今年で四十九を迎えるその顔は、髭がないせいだろうか、わずか若返って見える。
しかし、表情は春の日差しとは真逆。
「...あああ。随分話し込んじゃったなぁ......」
二階へ上る前まで、まさに緋色の絨毯に付いていたお尻の痛さを後悔しつつ、ついでに思い出した蹴られた背中の痛みに肩をすくめ、ケルッツアはまた、きょろりと辺りを見回した。
さらに落胆、本日何度目か、後ろに撫でつけた灰色の髪に手をやると、これまた何度目かわからないため息を一つ。
彼が、お気に入りの銀の懐中時計を懐から取り出し確認すれば、ただ今十四時三十分と少し。
涼しげな三白眼の目元も困り気味、わずか怒りにも悲しみにも揺れつつ、ケルッツアは、二時間以上前になる記憶を思い返した。
春の宴の、主催者によるパーティー始まりの挨拶が終わった直後から、彼は彼の助手を、また、捜し始めていた。
というのも、宴の始まる三十分前まで、彼らは確かに一緒にいたのだから。
彼の助手こと、ソフィレーナ・ド・ダリルは、彼が春の宴に招待されたことを彼女に告げた日の約束に違わず、彼女の実家であるダリル皇家へ一足先に帰り、当日、薄青のセミロングドレスを纏って彼を出迎えた。
因みに、ケルッツアはこのときに覚えた言い得ぬ感動にも似た感慨、あるいは落胆と願望を、いまだ、いまだにうまく処理しきれずにいる。
いつも男装に近い恰好でいる助手の目の覚めるような女性の姿は、当然ながら美しく奇麗だった。
なのに。
なんで蒼じゃないの?
ぽ、と。そう思ってしまった。
何故そう思ったか。彼自身は十二分に察していて、同時にその恐れ多さもわかっている。
はずだった。だから確かに喜ぶ裏に、がっかりした心が動いたのだが、そのがっかりが驚くほど深かったので思わず言葉が出なかった。
ケルッツアが言葉をなくした一瞬。
『ドクター! お待ちしてました!!!
......。私...髭のないドクターの顔って、初めて見ますけど、とっても......!
あの...見違えますね...!!!』
仕立てたタキシードもとても似合ってますと。
心なし頬を染め、まるで自分のことのように喜ぶソフィレーナが会話の中心になり、ケルッツアはといえば、妙な落胆をどう処理していいものやらあぐねつつ、どことなく緊張もしつつ、ソフィレーナに連れられ屋敷内やら宴の会場やらの案内を受けていた。
そこで、彼女の母にして、宴の主催者の一人でもあるマリアーナ・ド・ダリルにばったりと出くわし、主にソフィレーナの幼少期のことやら、図書館での仕事ぶりの話に華が咲きに咲き、彼女の母親と別れ、はたと気づいたときには傍にいたはずの助手がいない。
首を傾げつつ、記憶を探ればどうやら傍を離れる挨拶らしきものをしているソフィレーナの姿が思い浮かぶので、なら先に会場に入ったものかと、受付を済ませ捜し始めたところで宴の挨拶が始まり。
まさかその間に捜す訳にも行かないと主催者の挨拶だけは聞いて渡されたグラスで乾杯をしてから一気にそれを片付け、ケルッツアはソフィレーナを捜した。
人、人、人、人、人の波。それでも誰に尋ねることもなく、助手を、その薄青のドレスを捜し出す自信があった総館長は。
二メートルとわずかという身長の高さから辺りをきょろり、と見渡し。
小声での中傷と、あからさまな哄笑を聞く。
落ちこぼれの崩れた黒猿が、こんなところへ何の用だ。
ダリルの尊き女神たちも血迷うことがあるのね。
蛮族の癖に大きな顔をしやがって。
プロフェッサー・ディム・ゲールの名も落ちたものだ。今回は格別易しかったのかねぇ。
ああそうに違いない。でなければあんな者が。
潜められた陰鬱な声は対象者に届くよう計算されて空気を伝ってくる。
ケルッツアは。
ソフィーレンス君がいなくて良かった!
心の底からそう思った。
確かに彼は彼女を捜しているが、彼女は彼が気にしない中傷などにもいたく心を痛め、不機嫌になってしまう。彼としては、取るに足らない空耳で彼女の顔が曇るのはいただけない事態。
あんなにも奇麗にしているのに色々台無しではないか。
早く助手君みつけて、あの一団から遠いところでご飯食べよう。
食自体には興味なく、そんなことを思い捜索を続行しようと。
やけにしゃがれて懐かしい、咳払いの音を聞いた。
『ほお?
我らが女神のおはすダリル皇家を馬鹿にするとは、おまえ達、随分偉くなったものだな!』
そちらを振り向くと、記憶している姿より随分と年老いた、彼の大学時代の先輩の姿があった。黒髪はだいぶ薄れたか、人を食ったような老人は、意地悪そうに、ケルッツアへ中傷を囁いていた一団らしき固まりの中でふんぞり返っている。
その老人にまつわる記憶と、現在の地位を思い出し、彼は声をかけようと。
一拍早く。反対方向から急に両手を鷲掴みにされた。
『ドクター・ディス・ファーン!
ああ、お会いしたかった!
貴殿の論文を一年前の物から全て読みあさりました!!
すばらしい!!! 学会長のお話は誇張だと思っていましたが、いや、あなたのような方もいらっしゃるのですね!!!』
不自由な手の方向をみれば、彼より頭一つ半下から論文雑誌でしか見たことのない顔が、満面の笑みで彼の褐色の手を握り、ぶんぶんと振り回していた。
ケルッツアは、その人間が彼の友人に近い職場にいることを思い出した。
『...確か、メルザの助手の』
『リワンサイス・ド・イヒレインと申します。うれしいなぁ! 私のことをご存じだなんて!!!』
イヒレインと名乗った中背細面の青年は、その茶けた目を愛想よく細め、急に後ろに頭を反らし、目を丸くした。
ケルッツアが彼の後ろをのぞきみると。
『メルザ! ひさしぶり』
彼の友人であるメトーラルシザ・ド・ゲライアが、リワンサイスの背丈にわずか届かない位置で、彼らを睨みつけている。
普段の白衣姿でなく、亜麻色の長髪も結い上げ艶やかな深紅のドレスを纏った彼女は、尻尾よろしく握っていた黄土色の束ねた長髪をさらに引いた。
と、リワンサイスは、わずか苦痛に苦笑を浮かべ、ああ、と天井を向いていた顔をメトーラルシザへと向ける。
『すみませんドクター・ゲライア。あまりにうれしくて、貴女のこと忘れてました』
にこにこと、無邪気にそんなことを告げるリワンサイスに、メトーラルシザは大げさにひとつため息をつくと、握っていた髪を放してやる。年齢にしてケルッツアと変わらない彼女は、年よりは五、六歳程若く見える顔に険を帯びたまま、低く。
『リワンサイス......。
あんたの恐ろしいことは、そのよく回る舌に全く悪気がないってことよ。
あんたもあんたよケルズ! よくもまあおめおめとかおをだせたものねぇ!?』
ついで、特徴的な掠れた声でケルッツアに食ってかかった。
友人のこの反応を友人なりの挨拶と知っているケルッツアは、言いたいことを告げる。
『メルザ、テュフィレ賞内定おめでとう』
メトーラルシザの眉間に、深い皺が一つ、増えた。
それを見たケルッツアが続けるより早く。
『あんたが二十年前に立てた仮説の証明で賞貰ったって嬉しくも何ともないわよ!
あんたねぇ、天文界にどんだけの置きみやげ残して崩れてんのよ! 復活遅いのよ! その仮説の証明までにあたしらがどんだけ』
深紅のアンシンメトリーな裾から艶やかよりも暴力的に膝をのぞかせ、首と耳と手首につけたプラチナとダイアモンドのアクセサリーも、上品な深紅の髪留めも、艶やかに着飾った何もかもを台無しにするような勢いで、メトーラルシザは大股に一歩ケルッツアに詰め寄り、彼の胸倉をひっつかむ。
今にも殴るか、そんな気迫のメトーラルシザに。
『ゲライア、おまえ年長者にそろそろ譲ろうとはおもわんのか?』
あきれかえったような、しゃがれた老人の声がかかった。
と、相当悔しげに、胸倉を掴んでいた手が外れる。ケルッツアは、睨みつけるメトーラルシザから、当初の目的である人物へ振り向いた。
『お久しぶりです。エリグァノ先輩。あ、シティテ学会長就任おめでとうございます』
彼がそう伝えると、リワンサイスより頭半分小さなエリグァノと呼ばれた老人は、笑い、おもむろに、どこから出したか論文雑誌と思われる紙束を、ごっそり、緋色の絨毯に広げて見せた。
『ありがとうところでディス・ファーン、これとこれとこれとこれの内容を今すぐ説明しろ。
まずはこれだ。このβ波は』
しゃがみ込み、緋色の絨毯の上に計十冊あまり取り出された論文雑誌、切り抜きなどに手を突いて、老人は紙と鉛筆片手に彼を睨みあげている。
『β波......って、ああ、不可視光線の』
つられ、あ、バカ! というメトーラルシザの声も遠く、ケルッツアも絨毯に座り込むと、乞われるままに解釈を始めた。
灰色の三白眼が、見る間に漆黒に染まりやる。
その場に討論が生まれた。
『――――よって、イスラル波は計測器に使えないのです。
その点、β波は不可視arの発生率がほぼゼ、で!』
頭を回転させながら老人の様々な問いに答えていたケルッツアは、肩甲骨への大きな衝撃に、あぐらをかいた状態から前につんのめった。倒れることは何とか耐え、衝撃のあった方を斜め上に振り向けば、尊大な声が降ってくる。
『そんなところにいるからだ黒猿。邪魔で敵わん』
彼の視界には、銀髪の、この国の者よりさらに北方の民に近い白い肌をした男がいた。
秀麗な、針のような印象を与える顔立ちに縁なしのメガネをかけた壮年近い彼、シルヴァルド・ド・メイスンは、黒いスーツの片足を持ち上げた状態でケルッツアを見下している。
全体的に、鋭利なアイスピックを思わせる風貌の中、目と同色の銀色の長髪が可愛く三つ編みにされ、おまけに薄いピンクのリボン付きで前身へと垂れていることだけが異様に浮いていた。
その、ここ五年程見かけなかった顔に、ケルッツアは。
『シルド! なにも蹴ることないだろ!?』
『はっ! いい気味だ。蛮族の分際で席を勝ち取りやがって。今までどこで崩れてた?』
ケルッツアの抗議には嘲笑と親しみが混じって返る。
そのアンバランスさに、ケルッツアはムッとしていた顔を思わずあきれと懐かしさに崩した。
『おまえはまったく変わらんな。結婚おめでとう』
友人の、二年ほど前の出来事を素直に祝うと、頭上から、存外素直な感謝と一枚の紙屑が放り落とされる。
『ありがとう。ホレ』
ぐしゃぐしゃになった紙屑を開くと、郵送の送り状だった。但し書きと宛先に、ケルッツアは、オピニシア地方のワイン! と喜色も満面、シルヴァルドを仰ぎみる。
『送ってくれたのか!』
シルヴァルドは、ケルッツアの顔を心底、唾棄しないのが不思議なほど憎々しげに睨みつけると、わずか体勢を屈め、スーツのポケットに両手を突っ込んだまま。
『おめでとうケルズ。せいぜい助手と飲んだくれてろ。じゃあな』
態度に反して声は柔らかい。
シルヴァルドは嘲笑とも親しみともつかない笑みを投げ、くるりときびすを返し人ごみに消えていく。
ケルッツアは、やれやれ、と、彼と、後を追ったメトーラルシザに手を振り、横手からの酷い咳払いにそちらを振り向いた。
『で? 不可視arが? なんだと?』
半眼のエリグァノに、ぱちくりと瞬き一つ、敷かれた論文がそれぞれ別のことを論じていることを思い出し、少々焦る。
『エリグァノ先輩。僕は人を捜』
『知らん。終わったら好きなだけ捜すがいい。ホレ! 続きを論じんか!!』
ばさ、と突きつけられた論文に、傍で見ていたリワンサイスが、何ですか? 面白そう! などと首を突っ込んでくる。いつの間に集まったか、ケルッツアとエリグァノは、他の、喜色好奇心知識欲やっかみ、それぞれに感情を満面に押し出した学者と思われる招待客に円状に取り囲まれていた。
己の置かれた状態に気づいたとき、ケルッツアはすでに、容易と抜け出せる位置にいなかった。それに久しぶりの議論も面白いだろうな。そんな彼自身の甘言にそそのかされ、彼がその場から離れられたのは、それから約一時間後のこと。
『ふん。......今日のところはこれで終いだ。
あー、雑多な話はついているから。
来月二日! 遅れずに来るように!!』
とりあえず満足したらしいエリグァノの言葉と、メモ帳を破った紙切れ一枚。
ケルッツアは解放された。
彼に何かを話しかけてきた他の学者達は、エリグァノとリワンサイスに話を持っていかれ、現在、別の議論に華を咲かせている。
紙切れに書かれている住所は、シティテ学会の会議場としてよく使われる王立図書館を指している。
雑多な話に、面倒な所属学会からの脱退と、新たな学会入会の手続きの臭いを感じながら、こうしてケルッツアは、エリグァノとリワンサイスのわかりづらい計らいに甘え、ソフィレーナの捜索に戻った。
見知った顔や、知らない者との楽しい議論の時間と、助手捜索へのロスを天秤にかけ、歩きだったものを早足に切り替えて会場内を捜す。捜す。
横にも広く縦にも広い邸宅三軒分の空間を上へも下へも行ったり来たり。きょろきょろきょろきょろ。
薄青のドレス、薄青のドレス......その色のドレスの女性自体いない? そんな馬鹿な。
ぐるぐると鳴るおなかに耐えられず、料理をつまみがてらまたきょろきょろと彼女を捜す。華やかな宴。摘んだ料理の味も良い。甘い果物がたくさん。
ああ、コレ助手君好きだろうな。......食べたかな。
もう一度、ダンスを嗜む一団に目をくれても、それらしき姿はなかった。
現在十四時五十分近くにして、ケルッツアは、豪奢な大広間の端の端、受付から一番近い扉の向かい、裾を引いて美しく渦を巻く、緩い傾斜の白亜の階段に何度目か、足をかけた。
華やかな音楽が彼の耳を素通りし、会場内をにぎわせている。
談笑の声。穏やかな雰囲気。
そんなものから距離を取るように、ケルッツアは階段の先、大広間を見渡せる二階回廊の一角へ上った。
まばらにいる着飾った紳士淑女の面々を避けるよう、美しく繊細な彫刻の施された手すりを辿り、大広間を見渡してゆく。
立ち止まり、手すりから先の、華やかなパーティー会場へと、冷ややかよりは柔らかな、無感動の目を向けた。
別世界だ。
ひとりごち、疲れた体を手すりに預け、ぼんやりと、当初は、宴に参加しないつもりだったことを思い返す。