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桜前線は微笑む1

 足取りは軽くない。でも、どこかで大丈夫だと思っている自分がいる。
 この先に進めば、きっと人間はいる。人の気配のない町の大通りを歩きながら、前方に意識を集中した。

「ジャド。人間ってどんな感じなのでしょう」

 不意にスリジエの声が耳に届く。

「どんな感じって?」

「姿とか、声とかです」

 スリジエの瞳が、僕の中で揺れる。ただの好奇心なのだろうか。それとも警戒心なのだろうか。どちらとも判断がつかない。

「ジャド?」

「......スリジエと同じだよ。顔があって、身体があって......違うのは飛べないこと、かなぁ。あとは、僕たちが見えない」

「見えない、ですか」

 スリジエは「ふうん」とでも言いたそうに小さく首を傾げる。

「うん。だから、人間は風の匂いで、景色の移ろいで季節を感じる。その分、僕たちよりも季節に敏感なのかもしれないね」

「そう、なのですか」

 相変わらず、スリジエの瞳は何も捉えていないかのように生気がない。スリジエの考えが全く分からず、余計に僕の心をざわつかせる。
 大通りは終着へ近付いているようだ。町は途切れ、家々の向こうには満開の桜並木が続いている。そうしているうちに、微かに人の声らしきものが聞こえてきたのだ。大勢の笑い声だと分かるのに、そう時間はかからなかった。
 やはり、人間はいたのだ。諦めなくてよかった。自然と歩調は速くなる。スリジエも僕に合わせて駆け足になった。

「桜は綺麗だなぁ! お前もそう思うだろ?」

「酔っ払いすぎですよ。ウイスキーはそれくらいにして――」

「こんなに陽気な日に、酒を取り上げるもんじゃないぞー」

 青年が締まりのない表情で言うと、周りの人たちがわっと笑う。
 老若男女、何十人もの人々が枝垂れ桜の下でレジャーシートを敷き、宴会をしている。これは、町総出でのお花見――なのだろうか。
 町に降り立った時、勝手に悲しみに沈んでしまった。人間を誤解してしまった。申し訳なさと同時に、喜びも沸き上がる。
 人々は、こうして春の到来を喜んでいるではないか。スリジエの存在は、ただの背景ではない。それを証明してくれているようだ。

「この人たちは何をしているのです?」

 スリジエは不思議そうに首を傾げ、町の人々を目を丸くしてじっくりと見ている。

「桜の開花を喜んでるんだよ」

「そうなのですか」

 人間は僕たちのことが見えないから、観察し放題だ。スリジエが白髪混じりの男性の豪快な呑みっぷりに頷いても、僕がグラスの中に桜の花びらを入れても、誰も気づかない。

「おっ、花見酒だなぁ。今年はいいことがあるぞ」

 それどころか、喜ぶ青年までいた。桜の花びらが浮かぶ茶色の液体を、ぐいっと呑み干してみせる。

「皆さん、美味しそうに呑んでますが、これは......どんな味なんでしょう」

 スリジエは片隅に置かれたグラスに指をつけ、ウイスキーの雫を僅かに口に含んだ。表情は変えないまま、瞳は僕の方へと向く。

「口の中が熱くなりました」

「熱いの?」

「はい。なんとなくですが」

 僕には冷たそうな飲み物にしか見えない。その証拠に、グラスは汗を搔いている。
 スリジエの言葉があまり信じられず、同じグラスを口につけた。一口だけ喉に流すと、身体中がほかほかと熱くなってくる。

「なんだ、これ」

 それだけではない。顔が沸騰したように感じるし、目も回る。頭もぼんやりとする。

「ジャド、大丈夫ですか?」

 大丈夫なんかではない。スリジエに答えようと思った時には、視界は桜と空に染まっていた。

 人々の笑い声が頭にガンガンと響き、瞼を開ける。その視界はスリジエの顔で覆われていた。あまりの衝撃に、呼吸さえ忘れてしまう。

「ジャド、大丈夫ですか?」

 スリジエの口が開き、先ほどと同じ言葉を発する。

「だ、大丈夫......」

 まだふらつく頭を片手で抱えながら、上半身を持ち上げた。スリジエは後退するものの、未だに視線を離してくれない。無意識のうちに頬の熱が上昇する。
 これは恋なんかではない。ただの照れだと自分に言い聞かせる。
 そんな時、僕たちの間を幼い男の子が駆けていった。

「鬼ごっこしよー!」

「いいよー!」

 それまではドーナツを頬張っていた子供たちも、言い出した男の子に寄っていく。齧り掛けのドーナツはレジャーシートの上に放り投げられた。

「こらー! 食べ物は粗末にしないの!」

「はーい!」

 子供たちは母親らしい人に笑顔を向け、キャッキャと遊び始める。

「人間の子供って、可愛らしいですね」

 スリジエが囁いたかと思うと、その口角が上がったのだ。最初は見間違いかと思った。ところが、目元も柔らかくなっていることに気が付く。
 スリジエが微笑んだ。その事実に胸が熱くなり、喉に言葉が詰まってしまう。ただただ彼女に見惚れていると、桜色の瞳がこちらを向いた。

「どうかしましたか?」

 問われても、何も答えられない。スリジエの瞳がこんなにも光を帯びるとは思ってもいなかった。激しく高鳴る僕の心はどうしてしまったのだろう。
 それがただの動揺だとは、僕には思えなかった。
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桜前線は微笑む1

 足取りは軽くない。でも、どこかで大丈夫だと思っている自分がいる。
 この先に進めば、きっと人間はいる。人の気配のない町の大通りを歩きながら、前方に意識を集中した。

「ジャド。人間ってどんな感じなのでしょう」

 不意にスリジエの声が耳に届く。

「どんな感じって?」

「姿とか、声とかです」

 スリジエの瞳が、僕の中で揺れる。ただの好奇心なのだろうか。それとも警戒心なのだろうか。どちらとも判断がつかない。

「ジャド?」

「......スリジエと同じだよ。顔があって、身体があって......違うのは飛べないこと、かなぁ。あとは、僕たちが見えない」

「見えない、ですか」

 スリジエは「ふうん」とでも言いたそうに小さく首を傾げる。

「うん。だから、人間は風の匂いで、景色の移ろいで季節を感じる。その分、僕たちよりも季節に敏感なのかもしれないね」

「そう、なのですか」

 相変わらず、スリジエの瞳は何も捉えていないかのように生気がない。スリジエの考えが全く分からず、余計に僕の心をざわつかせる。
 大通りは終着へ近付いているようだ。町は途切れ、家々の向こうには満開の桜並木が続いている。そうしているうちに、微かに人の声らしきものが聞こえてきたのだ。大勢の笑い声だと分かるのに、そう時間はかからなかった。
 やはり、人間はいたのだ。諦めなくてよかった。自然と歩調は速くなる。スリジエも僕に合わせて駆け足になった。

「桜は綺麗だなぁ! お前もそう思うだろ?」

「酔っ払いすぎですよ。ウイスキーはそれくらいにして――」

「こんなに陽気な日に、酒を取り上げるもんじゃないぞー」

 青年が締まりのない表情で言うと、周りの人たちがわっと笑う。
 老若男女、何十人もの人々が枝垂れ桜の下でレジャーシートを敷き、宴会をしている。これは、町総出でのお花見――なのだろうか。
 町に降り立った時、勝手に悲しみに沈んでしまった。人間を誤解してしまった。申し訳なさと同時に、喜びも沸き上がる。
 人々は、こうして春の到来を喜んでいるではないか。スリジエの存在は、ただの背景ではない。それを証明してくれているようだ。

「この人たちは何をしているのです?」

 スリジエは不思議そうに首を傾げ、町の人々を目を丸くしてじっくりと見ている。

「桜の開花を喜んでるんだよ」

「そうなのですか」

 人間は僕たちのことが見えないから、観察し放題だ。スリジエが白髪混じりの男性の豪快な呑みっぷりに頷いても、僕がグラスの中に桜の花びらを入れても、誰も気づかない。

「おっ、花見酒だなぁ。今年はいいことがあるぞ」

 それどころか、喜ぶ青年までいた。桜の花びらが浮かぶ茶色の液体を、ぐいっと呑み干してみせる。

「皆さん、美味しそうに呑んでますが、これは......どんな味なんでしょう」

 スリジエは片隅に置かれたグラスに指をつけ、ウイスキーの雫を僅かに口に含んだ。表情は変えないまま、瞳は僕の方へと向く。

「口の中が熱くなりました」

「熱いの?」

「はい。なんとなくですが」

 僕には冷たそうな飲み物にしか見えない。その証拠に、グラスは汗を搔いている。
 スリジエの言葉があまり信じられず、同じグラスを口につけた。一口だけ喉に流すと、身体中がほかほかと熱くなってくる。

「なんだ、これ」

 それだけではない。顔が沸騰したように感じるし、目も回る。頭もぼんやりとする。

「ジャド、大丈夫ですか?」

 大丈夫なんかではない。スリジエに答えようと思った時には、視界は桜と空に染まっていた。

 人々の笑い声が頭にガンガンと響き、瞼を開ける。その視界はスリジエの顔で覆われていた。あまりの衝撃に、呼吸さえ忘れてしまう。

「ジャド、大丈夫ですか?」

 スリジエの口が開き、先ほどと同じ言葉を発する。

「だ、大丈夫......」

 まだふらつく頭を片手で抱えながら、上半身を持ち上げた。スリジエは後退するものの、未だに視線を離してくれない。無意識のうちに頬の熱が上昇する。
 これは恋なんかではない。ただの照れだと自分に言い聞かせる。
 そんな時、僕たちの間を幼い男の子が駆けていった。

「鬼ごっこしよー!」

「いいよー!」

 それまではドーナツを頬張っていた子供たちも、言い出した男の子に寄っていく。齧り掛けのドーナツはレジャーシートの上に放り投げられた。

「こらー! 食べ物は粗末にしないの!」

「はーい!」

 子供たちは母親らしい人に笑顔を向け、キャッキャと遊び始める。

「人間の子供って、可愛らしいですね」

 スリジエが囁いたかと思うと、その口角が上がったのだ。最初は見間違いかと思った。ところが、目元も柔らかくなっていることに気が付く。
 スリジエが微笑んだ。その事実に胸が熱くなり、喉に言葉が詰まってしまう。ただただ彼女に見惚れていると、桜色の瞳がこちらを向いた。

「どうかしましたか?」

 問われても、何も答えられない。スリジエの瞳がこんなにも光を帯びるとは思ってもいなかった。激しく高鳴る僕の心はどうしてしまったのだろう。
 それがただの動揺だとは、僕には思えなかった。
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