ホーム最弱ダンジョンの数える骨 〜転生骸骨、客商売で成り上がる〜プロローグ いちばん弱い区画
目次

プロローグ いちばん弱い区画

骨は、数を数えない。

襲うか、逃げるか。それだけのものだ。勘定は生きている者の仕事で、骨の仕事ではない――攻略者アデル・ロアの常識は、少なくともその朝までは、そうだった。

灰嶺大迷宮の朝は、行列から始まる。

アルヴェン王国の東の端、灰色の峰をまるごとくり抜いた大迷宮。その入口前の広場には、夜明けとともに攻略者たちが並ぶ。剣を担いだヒューマン、薬草袋を提げたエルフ、値踏みの目つきのドワーフ、列の隙間をすり抜けていく小人族。たき火の煙と、革と、鉄のにおい。

列の先には、石造りの受付所がある。迷宮の出入りは、なにもかもここが取り仕切っている。扉の上には、王国の紋。

「灰狼の隊、三名。本日は新人の付き添いです」

受付の長は、書類から目を上げずに言った。

「潜れるのは第三層まで。登録します。――規定ですので、こちらに署名を」

「毎回言うな、毎回書いてる」

署名しながらアデル・ロアはぼやいた。もとは戦場帰り。腕は中堅、口は悪い。灰狼の隊が浅い層の安仕事ばかり受けることを、ギルドの連中はもう不思議がらなくなって久しい。本人が何も言わないからだ。

「アデルさん! こっちです!」

広場の隅で、今日の依頼主が手を振っていた。ヒューマンの剣士見習いの少年。その隣に、相棒らしい小人族の少女。装備はどれも中古で、革鎧のサイズが合っていない。攻略者の登録を済ませたばかりの、羽も生えそろっていないひよこの隊である。

新人の初潜りには、先輩攻略者の付き添いが義務づけられている。受付の決まりである。おかげで灰狼の隊のような浅い層専門には、安いが切れない仕事が回ってくる。

「初潜りの練習に付き添う。それだけの仕事だ。......おい、剣を逆に差すな」

「すみません!」

「謝る前に直せ」

老ドワーフが盾を担ぎ直し、エルフの薬師は、もう手帳を開いて何かを書きつけている。この薬師は何でも書き留める。薬の配合も、天気も、新人が剣を逆に差したことも。

一行は迷宮に入った。

  ◇

第三層は、明るい。

天井の高い洞窟に、光る苔がびっしり生えていて、初心者向けの層として名高い――というより、それしか取り柄がない。

「いいか、迷宮ってのは下に行くほど強くなる」道すがら、アデルは講釈した。「全部で四十層。十層ごとにでかいのが座ってて、いちばん底には魔王がいるって話だ」

「見たことあるんですか、魔王」

「あるわけないだろ。四十層まで潜って帰ってきた奴の話を、あたしは聞いたことがない。......で、だ」

一行は洞窟の分かれ道を東に折れた。第三層は四つの区画に割られていて、その三番目――攻略者たちが「三ノ三」と呼ぶ区画は、浅い層の中でも特別な場所だった。

いちばん、弱い。

三ノ三は、天井の高い洞窟だった。青白い苔明かりの下、崩れかけた石柱が影を並べ、その間を骨たちが所在なさげに立っている。何をするでもない。攻略者が来るまで、ただ立っている。それがこの区画の、変わらない日常である。

「いいか、ひよこ。ここの骨どもは、追えば逃げる。それだけだ。剣の振り方と、追い足と、深追いしない癖をつけろ。殺されようがない場所で、死なない体の動かし方を覚えるんだ」

「殺されようがない、って言い切っていいんですか」

「言い切れる区画は迷宮広しといえどここだけだ。だから新人はみんなここに来る」

「なんで襲ってこないんですか?」

「知らん。弱いからだろ」

考えたこともない、という顔でアデルは言った。

「アデルさんも、ここで練習したんですか?」

短い沈黙があった。

「......仕事の話をしろ」

岩陰から、骸骨が三体、かたかたと現れた。錆びた短剣を持っているのが一体、何も持っていないのが二体。攻略者を見た瞬間、三体とも回れ右をした。

「逃げた!」

「追え。それが練習だ」

少年が駆け出す。少女が横に回る。骨たちは実に見事に、ばらばらに逃げた。示し合わせるということを知らない。二体が同じ岩陰に逃げ込もうとして正面からぶつかり、かたかたと言い争うようにあごを鳴らし、結局二体とも別の方向へ逃げた。ただの敗走である。それすら下手なのだった。

老ドワーフはあくびをかみ殺し、アデルは岩に腰を下ろした。薬師は手帳に「骨、衝突。二体」と書いた。書くほどのことでもない。

いつもの、いちばん弱い区画の、いつもの風景。

――のはずだった。

その中の一体を、アデルは少し前から目で追っていた。

「ねえ」と、少女が言った。「あの骨、へんだよ」

「見えてる」

一体だけ、逃げ方のおかしい骨がいた。

逃げてはいる。全力で逃げてはいるのだが、走りながら、自分の指を折っているのだ。一本、二本、三本。角を曲がるたびに立ち止まりかけ、指を折り、また走る。

「......何を数えてやがる」

アデルは目を細めた。骨が、数を、数えている。長い攻略者稼業で一度も見たことのないものが、いちばん弱い区画の隅を、全力で逃げていた。

「ひよこ! あれを追え!」

「はいっ!」

練習としては上出来の追跡だった。少年は教えたとおりに逃げ道をふさぎ、少女が横から追い立て、数える骨は行き止まりに追い込まれた。

骨は、壁を背にして、追っ手を見た。

それから――妙な間があった。

観念、というのとも違う。骨には表情がない。ないのだが、それは確かに、数え終えた者の間だった。

少年の剣が骨を打った。習ったとおりの、いい太刀筋だった。

崩れる、その一瞬。

骨は、自分から頭を垂れた――ように見えた。斬られてかたむいたのではない。先に、下げたのだ。

そのまま骸骨は音を立てて部品に戻り、あばらが転がり、腕が転がり、最後に頭蓋骨が、ころり、ころりと転がって――一行のほうへ向き直るような角度で、止まった。

深々と、一礼したままの傾きだった。

「............」

少年は、振り上げかけた歓声の行き場を失って剣を下ろし、それから、なぜか自分も頭蓋骨にぺこりと頭を下げ返した。

「誰に礼をしてる」

「え、いや、向こうが先にしたので......や、やりました! 僕、初討伐です!」

「ああ」と、アデルは頭蓋骨から目を離さずに言った。「初討伐だ。おめでとう」

薬師が手帳に何かを書きつけた。老ドワーフがひげの奥でうなった。少女だけが、転がった頭蓋骨としばらくにらめっこをして、それから小走りに仲間を追った。

  ◇

帰りの受付で、受付の長は今日も書類から目を上げなかった。

「灰狼の隊、三名。付き添いの新人、二名。帰還を確認しました。討伐の記録は――剣士見習い殿。第三層、骸骨一体。初討伐ですね」

書類から目を上げないまま、受付の長は判を押した。

「規定ですので、記録の控えはお持ちください。......おめでとうございます」

少年が、直立して控えを受け取った。

広場に出ると、日が傾いていた。ひよこ二人は、初討伐の興奮でまだ騒いでいる。

「アデルさん! 僕たち、また三ノ三に行っていいですか」

「行くも何も、お前たちの装備と財布じゃ、当分あそこしかないだろ」

「ですよね!」

うれしそうに言うことではない。だが、その通りなのだった。あの区画なら、装備がそろわないうちでも通える。金がなくても、命だけは減らない。ひよこたちにとって、それがどれほどありがたいことか。当のひよこたちは、まだ半分も分かっていない。

「なあ、爺さん」

「なんだ」

「骨が、数を数えると思うか」

老ドワーフは少し考えて、盾を担ぎ直した。

「三百年生きた爺さまから聞いたこともねえな」

「だよな」

アデルは一度だけ、迷宮の入口を振り返った。灰色の峰は、夕日を浴びても灰色のままで、何も答えなかった。

数える骨。数え終えて、先に頭を下げた骨。

「......なんだったんだ、あれは」

その答えを、彼女はまだ知らない。
シェア
最新話です
目次に戻る
最弱ダンジョンの数える骨 〜転生骸骨、客商売で成り上がる〜作者:ざわん
目次を見る
✍️
まだ感想がありません
あなたの一言が、作者の次の一話につながります。
最初の感想を書いてみませんか?
コメント0
ログインしてコメントする
まだコメントがありません
ホーム最弱ダンジョンの数える骨 〜転生骸骨、客商売で成り上がる〜プロローグ いちばん弱い区画
目次

プロローグ いちばん弱い区画

骨は、数を数えない。

襲うか、逃げるか。それだけのものだ。勘定は生きている者の仕事で、骨の仕事ではない――攻略者アデル・ロアの常識は、少なくともその朝までは、そうだった。

灰嶺大迷宮の朝は、行列から始まる。

アルヴェン王国の東の端、灰色の峰をまるごとくり抜いた大迷宮。その入口前の広場には、夜明けとともに攻略者たちが並ぶ。剣を担いだヒューマン、薬草袋を提げたエルフ、値踏みの目つきのドワーフ、列の隙間をすり抜けていく小人族。たき火の煙と、革と、鉄のにおい。

列の先には、石造りの受付所がある。迷宮の出入りは、なにもかもここが取り仕切っている。扉の上には、王国の紋。

「灰狼の隊、三名。本日は新人の付き添いです」

受付の長は、書類から目を上げずに言った。

「潜れるのは第三層まで。登録します。――規定ですので、こちらに署名を」

「毎回言うな、毎回書いてる」

署名しながらアデル・ロアはぼやいた。もとは戦場帰り。腕は中堅、口は悪い。灰狼の隊が浅い層の安仕事ばかり受けることを、ギルドの連中はもう不思議がらなくなって久しい。本人が何も言わないからだ。

「アデルさん! こっちです!」

広場の隅で、今日の依頼主が手を振っていた。ヒューマンの剣士見習いの少年。その隣に、相棒らしい小人族の少女。装備はどれも中古で、革鎧のサイズが合っていない。攻略者の登録を済ませたばかりの、羽も生えそろっていないひよこの隊である。

新人の初潜りには、先輩攻略者の付き添いが義務づけられている。受付の決まりである。おかげで灰狼の隊のような浅い層専門には、安いが切れない仕事が回ってくる。

「初潜りの練習に付き添う。それだけの仕事だ。......おい、剣を逆に差すな」

「すみません!」

「謝る前に直せ」

老ドワーフが盾を担ぎ直し、エルフの薬師は、もう手帳を開いて何かを書きつけている。この薬師は何でも書き留める。薬の配合も、天気も、新人が剣を逆に差したことも。

一行は迷宮に入った。

  ◇

第三層は、明るい。

天井の高い洞窟に、光る苔がびっしり生えていて、初心者向けの層として名高い――というより、それしか取り柄がない。

「いいか、迷宮ってのは下に行くほど強くなる」道すがら、アデルは講釈した。「全部で四十層。十層ごとにでかいのが座ってて、いちばん底には魔王がいるって話だ」

「見たことあるんですか、魔王」

「あるわけないだろ。四十層まで潜って帰ってきた奴の話を、あたしは聞いたことがない。......で、だ」

一行は洞窟の分かれ道を東に折れた。第三層は四つの区画に割られていて、その三番目――攻略者たちが「三ノ三」と呼ぶ区画は、浅い層の中でも特別な場所だった。

いちばん、弱い。

三ノ三は、天井の高い洞窟だった。青白い苔明かりの下、崩れかけた石柱が影を並べ、その間を骨たちが所在なさげに立っている。何をするでもない。攻略者が来るまで、ただ立っている。それがこの区画の、変わらない日常である。

「いいか、ひよこ。ここの骨どもは、追えば逃げる。それだけだ。剣の振り方と、追い足と、深追いしない癖をつけろ。殺されようがない場所で、死なない体の動かし方を覚えるんだ」

「殺されようがない、って言い切っていいんですか」

「言い切れる区画は迷宮広しといえどここだけだ。だから新人はみんなここに来る」

「なんで襲ってこないんですか?」

「知らん。弱いからだろ」

考えたこともない、という顔でアデルは言った。

「アデルさんも、ここで練習したんですか?」

短い沈黙があった。

「......仕事の話をしろ」

岩陰から、骸骨が三体、かたかたと現れた。錆びた短剣を持っているのが一体、何も持っていないのが二体。攻略者を見た瞬間、三体とも回れ右をした。

「逃げた!」

「追え。それが練習だ」

少年が駆け出す。少女が横に回る。骨たちは実に見事に、ばらばらに逃げた。示し合わせるということを知らない。二体が同じ岩陰に逃げ込もうとして正面からぶつかり、かたかたと言い争うようにあごを鳴らし、結局二体とも別の方向へ逃げた。ただの敗走である。それすら下手なのだった。

老ドワーフはあくびをかみ殺し、アデルは岩に腰を下ろした。薬師は手帳に「骨、衝突。二体」と書いた。書くほどのことでもない。

いつもの、いちばん弱い区画の、いつもの風景。

――のはずだった。

その中の一体を、アデルは少し前から目で追っていた。

「ねえ」と、少女が言った。「あの骨、へんだよ」

「見えてる」

一体だけ、逃げ方のおかしい骨がいた。

逃げてはいる。全力で逃げてはいるのだが、走りながら、自分の指を折っているのだ。一本、二本、三本。角を曲がるたびに立ち止まりかけ、指を折り、また走る。

「......何を数えてやがる」

アデルは目を細めた。骨が、数を、数えている。長い攻略者稼業で一度も見たことのないものが、いちばん弱い区画の隅を、全力で逃げていた。

「ひよこ! あれを追え!」

「はいっ!」

練習としては上出来の追跡だった。少年は教えたとおりに逃げ道をふさぎ、少女が横から追い立て、数える骨は行き止まりに追い込まれた。

骨は、壁を背にして、追っ手を見た。

それから――妙な間があった。

観念、というのとも違う。骨には表情がない。ないのだが、それは確かに、数え終えた者の間だった。

少年の剣が骨を打った。習ったとおりの、いい太刀筋だった。

崩れる、その一瞬。

骨は、自分から頭を垂れた――ように見えた。斬られてかたむいたのではない。先に、下げたのだ。

そのまま骸骨は音を立てて部品に戻り、あばらが転がり、腕が転がり、最後に頭蓋骨が、ころり、ころりと転がって――一行のほうへ向き直るような角度で、止まった。

深々と、一礼したままの傾きだった。

「............」

少年は、振り上げかけた歓声の行き場を失って剣を下ろし、それから、なぜか自分も頭蓋骨にぺこりと頭を下げ返した。

「誰に礼をしてる」

「え、いや、向こうが先にしたので......や、やりました! 僕、初討伐です!」

「ああ」と、アデルは頭蓋骨から目を離さずに言った。「初討伐だ。おめでとう」

薬師が手帳に何かを書きつけた。老ドワーフがひげの奥でうなった。少女だけが、転がった頭蓋骨としばらくにらめっこをして、それから小走りに仲間を追った。

  ◇

帰りの受付で、受付の長は今日も書類から目を上げなかった。

「灰狼の隊、三名。付き添いの新人、二名。帰還を確認しました。討伐の記録は――剣士見習い殿。第三層、骸骨一体。初討伐ですね」

書類から目を上げないまま、受付の長は判を押した。

「規定ですので、記録の控えはお持ちください。......おめでとうございます」

少年が、直立して控えを受け取った。

広場に出ると、日が傾いていた。ひよこ二人は、初討伐の興奮でまだ騒いでいる。

「アデルさん! 僕たち、また三ノ三に行っていいですか」

「行くも何も、お前たちの装備と財布じゃ、当分あそこしかないだろ」

「ですよね!」

うれしそうに言うことではない。だが、その通りなのだった。あの区画なら、装備がそろわないうちでも通える。金がなくても、命だけは減らない。ひよこたちにとって、それがどれほどありがたいことか。当のひよこたちは、まだ半分も分かっていない。

「なあ、爺さん」

「なんだ」

「骨が、数を数えると思うか」

老ドワーフは少し考えて、盾を担ぎ直した。

「三百年生きた爺さまから聞いたこともねえな」

「だよな」

アデルは一度だけ、迷宮の入口を振り返った。灰色の峰は、夕日を浴びても灰色のままで、何も答えなかった。

数える骨。数え終えて、先に頭を下げた骨。

「......なんだったんだ、あれは」

その答えを、彼女はまだ知らない。
シェア
最新話です
目次に戻る
最弱ダンジョンの数える骨 〜転生骸骨、客商売で成り上がる〜作者:ざわん
目次
✍️
まだ感想がありません
あなたの一言が、作者の次の一話につながります。
最初の感想を書いてみませんか?
コメント0
ログインしてコメントする
まだコメントがありません