ホーム長門前司女 葬送時 帰本拠事『宇治拾遺物語』四十七〈長門前司の女 葬送の時 本拠に帰るの事〉より
目次

『宇治拾遺物語』四十七〈長門前司の女 葬送の時 本拠に帰るの事〉より



 14インチのブラウン管の中。
 画面外から落ちてきた金ダライがコメディアンの頭を直撃し客席から笑い声が巻き起こる。
 それと同時に茶の間でも巻き起こる笑い声。
 10代後半とおぼしき女性2人とランニングにステテコ姿の中年男性。
 卓袱台を囲む食後の団欒。


 ─── ジリリーーン...... ジリリーーン...... ジリリーーン...... ───


 和箪笥の横に据えられた電話台の黒電話が けたたましい音を立てる。
 台所から駆け寄ってきた割烹着の中年女性が 膝を着き重い受話器を取り上げ耳に当てる。

 
「ハイ もしもし 佐藤さとうで御座います」
 
 
 土曜日の夜 8時過ぎ。
 学校や町内からの電話である筈のない時刻。
 

「......妙子たえこ音下げて」


 姉に促され 年若い方の女性がブラウン管横のツマミに手を伸ばし テレビの音量を絞る。


「......ハイ。いえ... あの こちらにも帰っては居りませんけれど......。あの 少しお待ち下さいませ 主人と代わりますので......」


 昭和53年7月29日 20時17分。
 それが佐藤家の長男 佐藤 浩輔こうすけ 失踪の第一報がもたらされた時刻だった。

 
 .........。
 ......。
 ...。

 今は昔、長門前司といひける人の、むすめ二人ありけるが、姉は人の妻にてありける。妹はいと若くて、宮仕えぞしけるが、後には家に居たりけり、わざとありつきたる男もなくて、ただ時々通ふ人などぞありける。高辻室町わたりにぞ家はありける。父母もなくなりて、奥の方には姉ぞゐたりける。南の面の西の方なる妻戸口にぞ、常に人に会ひ、物など言ふ所なりける。

 .........。
 ......。
 ...。


 夫が手元のリモコンを操作し チャイルドロックの掛かった黒いワンボックスカーのスライドドアーを開けてやる。
 7月の昼下がりの熱風とアブラゼミの大合唱が 冷房の効いていた車内に流れ込んでくる。


「ありがと パパ! 降りてもいいよね ママ?」


 長時間の車中旅で疲れてるだろうに......と思うけど 肯いてやると勢いよく飛び降り 築60年を超える日本家屋へと駆け出していく8歳児。
 駆け出した勢いのままに 硝子サッシの引戸を開き 雄叫びのような大声で到着を報告する。


「おばあちゃーーーんっ! こんにちわーーーっ! 今 着いたよーーーっ!」
 

 私は泊まりの用意と手土産の紙袋を抱え ゆっくりと玄関へと向かう。
 エプロン姿の母が台所から かまちへと出てきてくれる。
 

「あらあら いらっしゃい 浩樹ひろきくん。また 大きくなったねぇ」

「もう2年生やもんっ! クラスで2番目に大きいねんで?」

 
 また 少し痩せただろうか?
 びんの白髪も また少し増えたように感じる。
 幼い頃 一緒に暮らした祖母と重なるような57歳になった母親の立ち姿。


「お母さん ただいま」

「お帰り 綏香やすか京都からの運転 お疲れ様」

「ママは ちょっとしか運転してへんねんで? だいたい全部パパが運転しててん。最後もパパ。今 裏に車停めにいってるから もうすぐ来るし。パパ来たら お土産のお饅頭 食べような」

「ハイハイ。御仏壇に上げてからね」
 

 息子に引き摺られるようにして おばあちゃんの顔になった母が茶の間へと入っていく。


「綏香 妙子ちゃんにも1つ上げといてね」


 その声を残し 母の背中が茶の間へと消える。
 夏の日射しの外とは裏腹に 少し薄暗い玄関は私が大学に行くために京都へと18歳で旅立ったあの日から時が止まったかのように変わっていない。

 縁起物だという五円玉を編んで作られた打ち出の小槌。
 母が若い頃に取ったという額装された華道の免状。
 家族旅行の記念品らしい観光地のペナント。
 幼い頃の母達兄妹を撮ったスナップ写真。

 ......いや 違うな。
 私が京都に旅立った日じゃないな。
 ここは昭和53年7月のまま。

 今日は平成27年7月29日。
 でも この場所は37年間 時が止まり続けている。

 .........。
 ......。
 ...。

 二十七、八ばかりなりける年、いみじくわづらひて、失せにけり。奥はところせしとて、その妻戸口にて、やがて臥したりける。さてあるべき事ならねば、姉などしたてて、鳥辺野へ率て往ぬ。

 .........。
 ......。
 ...。


 私の伯父 佐藤 浩輔は優秀な人物だった。
 中学生時代は水泳の選手として活躍したらしいけど 何より無類の歴史好き。
 地元で一番の高校に進学したあと 3年間掛けて我が佐藤家の来歴を丹念に調べた。
 家に残る系図や過去帳を読み込み 地元史家の先生の所に通ったりして何十ページもあるガリ版刷りの小冊子に。

 私も読んだことあるけれど 江戸時代の庄屋としての日々や 室町・戦国期の地侍としての活動 果ては下級貴族として京都から流れてきて この地域に根付いた平安末期・鎌倉時代の話まで 几帳面そうな文字で丁寧に調べられていた。

 さらに歴史探求を深めるべく 京都の一流大学に進学。充実した研究生活を送っていた。金銭や友人 あるいは女性関係のトラブルもなく 特に悩んでいた様子もなし。
 
 それが昭和53年7月26日 朝10時半頃 五条付近で市バスに乗っているところを目撃されたのを最後に行方知れずに。
 下宿屋のおばさんの話によると たまに友人宅で飲み明かして帰らない日もあったらしいけれど 大抵は「友人宅に泊まる」と言い残していったそう。3日も帰らないのは初めてのことで「もしかして 実家に帰ったのか?」との電話が失踪発覚の発端だった。

 警察に捜索願を出し 友人・知人に丹念に聞き込みをしたけれど ようとして行方は知れず。事前の行動にも特に不審な点は見られなかった。
 残されたのは『平安期説話文学に見られる下級貴族官人の生活様式』と題された書きかけの卒業論文の草稿だけ。もしかしたら 高校時代の続きで佐藤家のご先祖様の当時の暮らしを追っていたのかもしれない。
 
 佐藤浩輔失踪事件の謎は37年経った今も残されたまま。


 .........。
 ......。
 ...。
 
 さて、例の作法にとかくせんとて、車より取りおろすに、ひつぎかろがろとして、蓋いささか開きたり。あやしくて、開けて見るに、いかにもいかにも露物なかりけり。道などにておとすなどすべき事もあらぬに、いかなる事にかと心得ず、あさまし。すべき方もなくて、さりとてあらんやはとて、人々走り帰りて、道におのづからやとも見れども、あるべきならねば、家へかえりぬ。

 .........。
 ......。
 ...。


「スイカ切ったわよ。いっぱい食べてね」

「ありがとう おばあちゃん!」


 妹夫婦も訪ねてきた夕飯後。
 私は3歳半の姪っ子にスイカを食べさせつつ リビングに置かれた28インチの液晶テレビを横目で見ながら 下の姪っ子に授乳中の妹と話す。


「リビングとキッチン リフォームして めっちゃ綺麗になって使いやすくなってるやん」

「『やん』ってお姉ちゃん......」

「あれ? まぁ 私も京都暮らし15年超えて だいぶ関西弁 感染うつってるかも」


 そう言って お互い目を見合わせて小さく笑う。
 

「せっかくだから 玄関も年取っても使いやすいように バリアフリーにしたらって言ったんだけどね」


 介護施設で働く妹の助言を母は断ったらしい。


「まぁ 玄関は 妙子おばさんと浩輔伯父さんのことがあるからね......」


 浩輔伯父さんの行方がわからなくなってから 家族の生活は一変した。
 私が この家で生まれた時には 既にその生活が始まっていたから 私達にとっては〈普通〉だった訳だけれど。

 高校を卒業して仕事を始めてた母はそこまで変わらなかったらしい。
 それでも お嫁に行く筈だった母は当時の恋人(父だ)を説得して 佐藤家の婿に来てもらうことに......そのせいで結婚が2年は遅れたって笑ってた。

 だけど お兄ちゃん子だった妙子おばさんの生活は激変した。
 帰って来る筈の浩輔伯父さんを待ち続ける日々。
 私の幼い頃の記憶に残る妙子おばさんは 玄関のかまちに腰掛け ただ座っている人だった。
 遊んでもらった記憶がない訳じゃないけど 私達にとって妙子おばさんは 玄関に腰掛けてる人。

 中学時代 陸上部のエースでクラスの誰よりも明るかったっていう妙子おばさんのイメージは 私には無い。
 長い髪を垂らした 仄かに微笑む痩せこけた青白い頬。
 骨張った細い腕。
 
 それが私にとっての妙子おばさん。


 .........。
 ......。
 ...。

「もしや」と見れば、この妻戸口に、もとのやうにしてうち臥したり。いとあさましくも、恐ろしくて、親しき人々集まりて、「いかがすべき」と言いあはせ騒ぐ程に、夜もいたく更けぬれば、「いかがせん」とて、夜明て、またひつぎに入て、この度はよくまことにしたためて、夜さりいかにもなど思てある程に、夕つかた見る程に、このひつぎの蓋細めに開きたりけり。

 .........。
 ......。
 ...。
 

 私が幼稚園の頃 妙子おばさんは拒食症が原因で入院した。
 それでも 病院を抜け出して来ては玄関で浩輔伯父さんを待ち続ける日々。
 そんな暮らしを数年続ける内 私が小学校低学年の時 28歳で妙子おばさんは亡くなった。
 最期の時まで「お兄ちゃんを待たなきゃ......」って譫言うわごとのように呟いてたらしい......。

 帰って来ない浩輔伯父さんを待ち続ける日々。

 伯父さんが帰って来たら どうするつもりだったんだろう?
 待つこと自体が目的みたいになった妙子おばさんの半生。
 ......いや それはいまだに終わっていないのかも。

「妙子ちゃんの遺言だから」

 妙子おばさんの遺骨は 母の意思でお墓に納められることなく今も玄関に安置されていて 浩輔伯父さんの帰りを待ち続けている。
 玄関横の靴箱の上。最近の浩樹に似た雰囲気の浩輔伯父さん。子どもの頃の私と同じ顔をした母。幼い頃の妹にそっくりの妙子おばさん。3人が仲良く写ったスナップの横。緋色の錦袋に納められた骨壺が玄関で来客を迎え入れる。

 はじめは不気味がっていた夫も 十年間毎年この家に帰る内に慣れてきたらしい。
 骨になった妙子おばさんは 十年も百年も もしかしたら千年でも この場所で浩輔伯父さんの帰りを待ち続けるのだろう......きっと。


 .........。
 ......。
 ...。

 いみじく恐ろしく、ずちなけれど、親しき人々、「近くてよく見ん」とて、寄りて見れば、ひつぎより出でて、また妻戸口に臥したり。「いとどあさましきわざかな」とて、またかき入れんとて、よろづにすれど、さらにさらに揺がず。土より生ひたる大木などを、引き揺がさんやうなれば、すべき方なくて、ただここにあらんとてかとおもいて、おとなしき人寄りて言ふ、「ただここにあらんとおぼすか。さらばやがてここにも置き奉らん。かくては、いと見苦しかりなん」とて、妻戸口の板をこぼちて、そこに下さんとしければ、いとかろらかに下されたれば、すべなくて、その妻戸口一間を板敷などとりのけ、こぼちて、そこにみて、高々と塚にてあり。
 
 .........。
 ......。
 ...。 

 
 令和8年度 定期試験解答用紙と印刷されたB4の紙にシャープペンシルを走らせる。
 試験終了まで 残り20分。時間内に仕上がるペース。大丈夫だ。


「よぉ 浩樹。手応えどうやった?」

「まぁ なんとかかな。A 取れたかはともかく D は回避したはずやで」


 話しかけてきた友人と試験の手応えについて確かめ合う。

 
「オレも まぁそんな感じ。浩樹は これで試験終わり?」

「うん。明日からは夏休みや」

「京都 帰るん?」

「オマエは 奈良 帰るん?」

「オレ バイトあるしなぁ......。浩樹は?」


 俺は まだバイトはして無い。時間はある訳だけど 逆に金が無い。東京から京都までの新幹線代なんて出せそうにもない。
 そんなことを考える内に ふと いいアイデアを思い付く。
 

「俺 おばあちゃん家 行くわ」

「おばあちゃん家?」

「北関東に おばあちゃん家があんねん。中学入ってから 部活や受験や言って 全然行けてへんかったし 顔見せに行くわ。上手くいったら もらえてへんかった お年玉もらえるかもしれんし」


 そう言って笑うと友人も軽く笑う。
 

「じゃあ な。お年玉もらえると ええな」


 互いに軽く手を上げて 友人と別れる。
 下宿へのコースを歩きながら スマホで おばあちゃん家への最安ルートをAIに尋ねてみる。


 .........。
 ......。
 ...。 
 

 可愛いワンちゃんの愛くるしい動画をスマホで眺める。
 夕食の片付けを夫に任せた休息タイム。
 一人息子を東京の大学に送り出した私にとっては 唯一の癒しの時間。
 まぁ 息子がいたらいたでイライラすることも多かった訳だけど。

 1つ動画を見終えて アプリを一旦終了する。
 待ち受け画面に表示された時刻は2026/7/29 20:17。

 そのタイミングでスマホに着信。
 発信者は 実家の母。


「......もしもし 綏香? あのね 今日 浩樹くんが 家に来るって連絡あったんだけど......。まだ 姿が見えないの。と言うか 玄関の引戸が開く音が聞こえたんだけど その後 誰も入って来なくて......」


 .........。
 ......。
 ...。

 家の人々も、さてあひゐてあらん、物むつかしく覚えて、みなほかへ渡りにけり。
 さて年月にければ、寝殿も皆こぼれ失せにけり、いかなる事にか、この塚のかたはら近くは、下種などもえゐつかず、むつかしき事ありと見伝えて、大方人もえゐつかねば、そこはただその塚ひとつぞある。高辻よりは北、室町よりは西、高辻おもてに六、七間ばかりがほどは小家もなくて、その塚ひとつぞ高々としてありける。いかにしたる事にか、塚の上に神の社をぞひとついはひ据ゑてあなる。このごろも今にありとなん。
 

 


 
 
 
シェア
最新話です
目次に戻る
長門前司女 葬送時 帰本拠事作者:金星タヌキ
目次を見る
✍️
まだ感想がありません
あなたの一言が、作者の次の一話につながります。
最初の感想を書いてみませんか?
コメント0
ログインしてコメントする
まだコメントがありません
ホーム長門前司女 葬送時 帰本拠事『宇治拾遺物語』四十七〈長門前司の女 葬送の時 本拠に帰るの事〉より
目次

『宇治拾遺物語』四十七〈長門前司の女 葬送の時 本拠に帰るの事〉より



 14インチのブラウン管の中。
 画面外から落ちてきた金ダライがコメディアンの頭を直撃し客席から笑い声が巻き起こる。
 それと同時に茶の間でも巻き起こる笑い声。
 10代後半とおぼしき女性2人とランニングにステテコ姿の中年男性。
 卓袱台を囲む食後の団欒。


 ─── ジリリーーン...... ジリリーーン...... ジリリーーン...... ───


 和箪笥の横に据えられた電話台の黒電話が けたたましい音を立てる。
 台所から駆け寄ってきた割烹着の中年女性が 膝を着き重い受話器を取り上げ耳に当てる。

 
「ハイ もしもし 佐藤さとうで御座います」
 
 
 土曜日の夜 8時過ぎ。
 学校や町内からの電話である筈のない時刻。
 

「......妙子たえこ音下げて」


 姉に促され 年若い方の女性がブラウン管横のツマミに手を伸ばし テレビの音量を絞る。


「......ハイ。いえ... あの こちらにも帰っては居りませんけれど......。あの 少しお待ち下さいませ 主人と代わりますので......」


 昭和53年7月29日 20時17分。
 それが佐藤家の長男 佐藤 浩輔こうすけ 失踪の第一報がもたらされた時刻だった。

 
 .........。
 ......。
 ...。

 今は昔、長門前司といひける人の、むすめ二人ありけるが、姉は人の妻にてありける。妹はいと若くて、宮仕えぞしけるが、後には家に居たりけり、わざとありつきたる男もなくて、ただ時々通ふ人などぞありける。高辻室町わたりにぞ家はありける。父母もなくなりて、奥の方には姉ぞゐたりける。南の面の西の方なる妻戸口にぞ、常に人に会ひ、物など言ふ所なりける。

 .........。
 ......。
 ...。


 夫が手元のリモコンを操作し チャイルドロックの掛かった黒いワンボックスカーのスライドドアーを開けてやる。
 7月の昼下がりの熱風とアブラゼミの大合唱が 冷房の効いていた車内に流れ込んでくる。


「ありがと パパ! 降りてもいいよね ママ?」


 長時間の車中旅で疲れてるだろうに......と思うけど 肯いてやると勢いよく飛び降り 築60年を超える日本家屋へと駆け出していく8歳児。
 駆け出した勢いのままに 硝子サッシの引戸を開き 雄叫びのような大声で到着を報告する。


「おばあちゃーーーんっ! こんにちわーーーっ! 今 着いたよーーーっ!」
 

 私は泊まりの用意と手土産の紙袋を抱え ゆっくりと玄関へと向かう。
 エプロン姿の母が台所から かまちへと出てきてくれる。
 

「あらあら いらっしゃい 浩樹ひろきくん。また 大きくなったねぇ」

「もう2年生やもんっ! クラスで2番目に大きいねんで?」

 
 また 少し痩せただろうか?
 びんの白髪も また少し増えたように感じる。
 幼い頃 一緒に暮らした祖母と重なるような57歳になった母親の立ち姿。


「お母さん ただいま」

「お帰り 綏香やすか京都からの運転 お疲れ様」

「ママは ちょっとしか運転してへんねんで? だいたい全部パパが運転しててん。最後もパパ。今 裏に車停めにいってるから もうすぐ来るし。パパ来たら お土産のお饅頭 食べような」

「ハイハイ。御仏壇に上げてからね」
 

 息子に引き摺られるようにして おばあちゃんの顔になった母が茶の間へと入っていく。


「綏香 妙子ちゃんにも1つ上げといてね」


 その声を残し 母の背中が茶の間へと消える。
 夏の日射しの外とは裏腹に 少し薄暗い玄関は私が大学に行くために京都へと18歳で旅立ったあの日から時が止まったかのように変わっていない。

 縁起物だという五円玉を編んで作られた打ち出の小槌。
 母が若い頃に取ったという額装された華道の免状。
 家族旅行の記念品らしい観光地のペナント。
 幼い頃の母達兄妹を撮ったスナップ写真。

 ......いや 違うな。
 私が京都に旅立った日じゃないな。
 ここは昭和53年7月のまま。

 今日は平成27年7月29日。
 でも この場所は37年間 時が止まり続けている。

 .........。
 ......。
 ...。

 二十七、八ばかりなりける年、いみじくわづらひて、失せにけり。奥はところせしとて、その妻戸口にて、やがて臥したりける。さてあるべき事ならねば、姉などしたてて、鳥辺野へ率て往ぬ。

 .........。
 ......。
 ...。


 私の伯父 佐藤 浩輔は優秀な人物だった。
 中学生時代は水泳の選手として活躍したらしいけど 何より無類の歴史好き。
 地元で一番の高校に進学したあと 3年間掛けて我が佐藤家の来歴を丹念に調べた。
 家に残る系図や過去帳を読み込み 地元史家の先生の所に通ったりして何十ページもあるガリ版刷りの小冊子に。

 私も読んだことあるけれど 江戸時代の庄屋としての日々や 室町・戦国期の地侍としての活動 果ては下級貴族として京都から流れてきて この地域に根付いた平安末期・鎌倉時代の話まで 几帳面そうな文字で丁寧に調べられていた。

 さらに歴史探求を深めるべく 京都の一流大学に進学。充実した研究生活を送っていた。金銭や友人 あるいは女性関係のトラブルもなく 特に悩んでいた様子もなし。
 
 それが昭和53年7月26日 朝10時半頃 五条付近で市バスに乗っているところを目撃されたのを最後に行方知れずに。
 下宿屋のおばさんの話によると たまに友人宅で飲み明かして帰らない日もあったらしいけれど 大抵は「友人宅に泊まる」と言い残していったそう。3日も帰らないのは初めてのことで「もしかして 実家に帰ったのか?」との電話が失踪発覚の発端だった。

 警察に捜索願を出し 友人・知人に丹念に聞き込みをしたけれど ようとして行方は知れず。事前の行動にも特に不審な点は見られなかった。
 残されたのは『平安期説話文学に見られる下級貴族官人の生活様式』と題された書きかけの卒業論文の草稿だけ。もしかしたら 高校時代の続きで佐藤家のご先祖様の当時の暮らしを追っていたのかもしれない。
 
 佐藤浩輔失踪事件の謎は37年経った今も残されたまま。


 .........。
 ......。
 ...。
 
 さて、例の作法にとかくせんとて、車より取りおろすに、ひつぎかろがろとして、蓋いささか開きたり。あやしくて、開けて見るに、いかにもいかにも露物なかりけり。道などにておとすなどすべき事もあらぬに、いかなる事にかと心得ず、あさまし。すべき方もなくて、さりとてあらんやはとて、人々走り帰りて、道におのづからやとも見れども、あるべきならねば、家へかえりぬ。

 .........。
 ......。
 ...。


「スイカ切ったわよ。いっぱい食べてね」

「ありがとう おばあちゃん!」


 妹夫婦も訪ねてきた夕飯後。
 私は3歳半の姪っ子にスイカを食べさせつつ リビングに置かれた28インチの液晶テレビを横目で見ながら 下の姪っ子に授乳中の妹と話す。


「リビングとキッチン リフォームして めっちゃ綺麗になって使いやすくなってるやん」

「『やん』ってお姉ちゃん......」

「あれ? まぁ 私も京都暮らし15年超えて だいぶ関西弁 感染うつってるかも」


 そう言って お互い目を見合わせて小さく笑う。
 

「せっかくだから 玄関も年取っても使いやすいように バリアフリーにしたらって言ったんだけどね」


 介護施設で働く妹の助言を母は断ったらしい。


「まぁ 玄関は 妙子おばさんと浩輔伯父さんのことがあるからね......」


 浩輔伯父さんの行方がわからなくなってから 家族の生活は一変した。
 私が この家で生まれた時には 既にその生活が始まっていたから 私達にとっては〈普通〉だった訳だけれど。

 高校を卒業して仕事を始めてた母はそこまで変わらなかったらしい。
 それでも お嫁に行く筈だった母は当時の恋人(父だ)を説得して 佐藤家の婿に来てもらうことに......そのせいで結婚が2年は遅れたって笑ってた。

 だけど お兄ちゃん子だった妙子おばさんの生活は激変した。
 帰って来る筈の浩輔伯父さんを待ち続ける日々。
 私の幼い頃の記憶に残る妙子おばさんは 玄関のかまちに腰掛け ただ座っている人だった。
 遊んでもらった記憶がない訳じゃないけど 私達にとって妙子おばさんは 玄関に腰掛けてる人。

 中学時代 陸上部のエースでクラスの誰よりも明るかったっていう妙子おばさんのイメージは 私には無い。
 長い髪を垂らした 仄かに微笑む痩せこけた青白い頬。
 骨張った細い腕。
 
 それが私にとっての妙子おばさん。


 .........。
 ......。
 ...。

「もしや」と見れば、この妻戸口に、もとのやうにしてうち臥したり。いとあさましくも、恐ろしくて、親しき人々集まりて、「いかがすべき」と言いあはせ騒ぐ程に、夜もいたく更けぬれば、「いかがせん」とて、夜明て、またひつぎに入て、この度はよくまことにしたためて、夜さりいかにもなど思てある程に、夕つかた見る程に、このひつぎの蓋細めに開きたりけり。

 .........。
 ......。
 ...。
 

 私が幼稚園の頃 妙子おばさんは拒食症が原因で入院した。
 それでも 病院を抜け出して来ては玄関で浩輔伯父さんを待ち続ける日々。
 そんな暮らしを数年続ける内 私が小学校低学年の時 28歳で妙子おばさんは亡くなった。
 最期の時まで「お兄ちゃんを待たなきゃ......」って譫言うわごとのように呟いてたらしい......。

 帰って来ない浩輔伯父さんを待ち続ける日々。

 伯父さんが帰って来たら どうするつもりだったんだろう?
 待つこと自体が目的みたいになった妙子おばさんの半生。
 ......いや それはいまだに終わっていないのかも。

「妙子ちゃんの遺言だから」

 妙子おばさんの遺骨は 母の意思でお墓に納められることなく今も玄関に安置されていて 浩輔伯父さんの帰りを待ち続けている。
 玄関横の靴箱の上。最近の浩樹に似た雰囲気の浩輔伯父さん。子どもの頃の私と同じ顔をした母。幼い頃の妹にそっくりの妙子おばさん。3人が仲良く写ったスナップの横。緋色の錦袋に納められた骨壺が玄関で来客を迎え入れる。

 はじめは不気味がっていた夫も 十年間毎年この家に帰る内に慣れてきたらしい。
 骨になった妙子おばさんは 十年も百年も もしかしたら千年でも この場所で浩輔伯父さんの帰りを待ち続けるのだろう......きっと。


 .........。
 ......。
 ...。

 いみじく恐ろしく、ずちなけれど、親しき人々、「近くてよく見ん」とて、寄りて見れば、ひつぎより出でて、また妻戸口に臥したり。「いとどあさましきわざかな」とて、またかき入れんとて、よろづにすれど、さらにさらに揺がず。土より生ひたる大木などを、引き揺がさんやうなれば、すべき方なくて、ただここにあらんとてかとおもいて、おとなしき人寄りて言ふ、「ただここにあらんとおぼすか。さらばやがてここにも置き奉らん。かくては、いと見苦しかりなん」とて、妻戸口の板をこぼちて、そこに下さんとしければ、いとかろらかに下されたれば、すべなくて、その妻戸口一間を板敷などとりのけ、こぼちて、そこにみて、高々と塚にてあり。
 
 .........。
 ......。
 ...。 

 
 令和8年度 定期試験解答用紙と印刷されたB4の紙にシャープペンシルを走らせる。
 試験終了まで 残り20分。時間内に仕上がるペース。大丈夫だ。


「よぉ 浩樹。手応えどうやった?」

「まぁ なんとかかな。A 取れたかはともかく D は回避したはずやで」


 話しかけてきた友人と試験の手応えについて確かめ合う。

 
「オレも まぁそんな感じ。浩樹は これで試験終わり?」

「うん。明日からは夏休みや」

「京都 帰るん?」

「オマエは 奈良 帰るん?」

「オレ バイトあるしなぁ......。浩樹は?」


 俺は まだバイトはして無い。時間はある訳だけど 逆に金が無い。東京から京都までの新幹線代なんて出せそうにもない。
 そんなことを考える内に ふと いいアイデアを思い付く。
 

「俺 おばあちゃん家 行くわ」

「おばあちゃん家?」

「北関東に おばあちゃん家があんねん。中学入ってから 部活や受験や言って 全然行けてへんかったし 顔見せに行くわ。上手くいったら もらえてへんかった お年玉もらえるかもしれんし」


 そう言って笑うと友人も軽く笑う。
 

「じゃあ な。お年玉もらえると ええな」


 互いに軽く手を上げて 友人と別れる。
 下宿へのコースを歩きながら スマホで おばあちゃん家への最安ルートをAIに尋ねてみる。


 .........。
 ......。
 ...。 
 

 可愛いワンちゃんの愛くるしい動画をスマホで眺める。
 夕食の片付けを夫に任せた休息タイム。
 一人息子を東京の大学に送り出した私にとっては 唯一の癒しの時間。
 まぁ 息子がいたらいたでイライラすることも多かった訳だけど。

 1つ動画を見終えて アプリを一旦終了する。
 待ち受け画面に表示された時刻は2026/7/29 20:17。

 そのタイミングでスマホに着信。
 発信者は 実家の母。


「......もしもし 綏香? あのね 今日 浩樹くんが 家に来るって連絡あったんだけど......。まだ 姿が見えないの。と言うか 玄関の引戸が開く音が聞こえたんだけど その後 誰も入って来なくて......」


 .........。
 ......。
 ...。

 家の人々も、さてあひゐてあらん、物むつかしく覚えて、みなほかへ渡りにけり。
 さて年月にければ、寝殿も皆こぼれ失せにけり、いかなる事にか、この塚のかたはら近くは、下種などもえゐつかず、むつかしき事ありと見伝えて、大方人もえゐつかねば、そこはただその塚ひとつぞある。高辻よりは北、室町よりは西、高辻おもてに六、七間ばかりがほどは小家もなくて、その塚ひとつぞ高々としてありける。いかにしたる事にか、塚の上に神の社をぞひとついはひ据ゑてあなる。このごろも今にありとなん。
 

 


 
 
 
シェア
最新話です
目次に戻る
長門前司女 葬送時 帰本拠事作者:金星タヌキ
目次
✍️
まだ感想がありません
あなたの一言が、作者の次の一話につながります。
最初の感想を書いてみませんか?
コメント0
ログインしてコメントする
まだコメントがありません