第15話 接ぎ木の迷宮
通りのざわめきの中で、話題はいつの間にか、さっきの“系譜照合”に変わっていた。
なかば強引に幕引きをしたことについて、ナナリエの意見を確認したかったようだ。
私はふたりの話を聞きながら、なんとなく引っかかっていた疑問をそのまま口に出した。
「でも......系譜って、一度ちゃんと確認したら、あとは継ぎ足していくだけじゃないの?」
一瞬の沈黙があった。
「移動できるんだ。個人の意思でな」
口を開いたのは、ハルジオン殿下だった。
「......移動?」
「職業選択の自由よ」
私が聞き返すと、今度はナナリエが引き取った。
さっきまで食べていた琥珀糖の瓶を閉じて、胸元で握りしめた。
「カレンダエでは、十二の家門それぞれに“役割”があるでしょう?」
神殿、学術、武門......。
えーと、全部は知らないけど、とりあえず十二宮があると言っていた。
この国の構造を支える枠組み。
「生まれた家門の役割を継ぐ人は多いわ。でも、それは義務ではないの。別の役割を選べば、所属する宮も変えられる」
「所属を、変える?」
「ええ。正式にその職能に就くとき、その家門に受け入れてもらうの」
「じゃあ......名字も?」
「変わるわ」
「名字まで変わるの?」
思わず聞き返すと、今度はナナリエの方が不思議そうな顔をした。
「所属が変わるのだから、当然でしょう?」
「いや、だって......家族と名字が違うことになるよね?」
「家族だから?」
「......え?」
「家族かどうかは、本人たちでわかるでしょう?」
えーと、そりゃそうだろうけど。
相続とか、どうするんだろう。
......いや、その前に、この人たちの財産がどう管理されているのかも知らない。
この質問はいったん置いておこう。
どうやら私の知っている“名字”とは、少し意味が違うらしい。
「生まれた家門にそのまま残る人も多いけれど、成人して正式に職に就くときに変わる人も多いわね。学んだ先や、弟子入りした先の家門にそのまま受け入れられたり」
親と子で名字が違う。兄弟でも違う。
同じ名字だから家族で、違う名字なら他人――という感覚ではないらしい。
そこで、ようやく最初の疑問に戻った。
「......じゃあ、系譜は?」
「ぐちゃぐちゃよ」
ナナリエが言った。なんとも身も蓋もない。
「血筋は変わらない。でも、所属は変わる。生まれた家門の系譜と、今いる家門の系譜が一致するとは限らないの」
頭の中に、家系図が浮かぶ。
あの――枝分かれしていく、木みたいな図。
祖父母がいて、親がいて、そこから子どもに分かれていく、あれ。
でもこの国では、育った枝から離れて、別の木へ移る人がいる。
そこで子どもが生まれて、その子もまた別の木へ移る。
「しかも移動は一度とは限らない」
ハルジオン殿下が淡々と補足する。
「......え」
「一度選んだ職が一生自分に合うとは限らないだろう。別の宮へ移り、そこで正式に籍を置けば、また所属が変わる」
頭の中で、“木の枝”構造の図が崩れていく。一本の系図じゃない。
途中で枝が切り離されて、別の木に接ぎ木される。そこからまた枝が伸びる。
「照合、大変じゃないですか」
思わずため息を漏らしてしまった。
「大変ね」
ナナリエは他人事のように頷いた。
「でも、普通の人なら現在の所属がわかれば、日常生活ではそれほど困らないわ」
「......普通の人なら?」
「王族は別だ」
ハルジオン殿下が言った。
「王族?」
「別の宮へ移ったからといって、王族としての責務まで消えるわけではない」
その言葉に、さっきの光景が浮かんだ。
系譜管理局に集まっていた人たち。
もうすぐ行われる、春のお祭りの......。
「じゃあ......名字が変わっていても、さっき役所で言っていた......」
「結環の儀か。ああ、対象になる」
ハルジオン殿下はナナリエが握りしめていた菓子の瓶を受け取り、手提げ袋に入れてナナリエの腕に掛け直した。
一仕事終えた顔で私に視線を戻し、話を続ける。
「王族は他宮で学んだ程度では籍を動かさないことも多い。だが、正式にその宮へ移る者もいる」
「......王族の名字じゃないのに、王族の仕事をしなきゃいけない人がいるんだ」
「そういうことよ」
ナナリエが頷いた。
「今どこに所属しているかだけでは、王族かどうか判断できないの。だから過去の系譜まで確認する必要があるわ」
なるほど。だから、あんなに混んでいたのか。
現在の名簿を見て終わり、ではない。一本ずつ、枝を遡らなければならない。
「......まったく、面倒な制度だ」
ハルジオン殿下が感情の乗った声で言った。
ほんのわずかに眉を寄せている。
「百二十年前の改革で作られた制度だ。当時の議会に私がいたら、もう少し実務を詰めてから通せと言っただろうな」
吐き捨てる、というほど強くはない。
けれど明確な、不満だった。
百二十年前に、体制の変革があったのかな......?
そこも気になったけど、質問を挟むまもなく、ナナリエが応じる。
「当時は必要でした。家門の固定化を崩すために」
「わかっている」
殿下は不満をしまって、代わりに愉快そうに空を見上げた。
「王族に生まれたのに、医者になると言って飛び出していったジャジャ馬もいるしな」
「......お転婆でしょ」
ナナリエが即座に言い直す。
「実の姉上をそんなふうに言うべきではありません」
「事実だろう」
お姉さん、お医者さんなんだ。
王族に生まれても、本当に違う道を選べるんだな。
「ともかく」
ハルジオン殿下は空に向けていた視線を、ナナリエに戻した。
「制度は変えられない。少なくとも、今すぐにはな。ならば運用で歪みを抑えるしかない」
「だからお兄様は、今こうして現場に無茶を言ってるわけですね」
「調整していると言ってほしいな」
わずかに口元が緩む。
冗談めいているのに、否定にはなっていない。
通りのざわめきが、妙に遠く感じる。
――ふと。
ハルジオン殿下の視線が、こちらに滑った。
「ところで」
何気ない調子で言う。
「カレンダエの国民なら、当然知っている知識だが?」
わずかに、目が細くなる。
試すような、確かめるような視線。
頬の筋肉が少し引き攣るのを感じた。
まずい。
名字の意味からして、何ひとつ知らなかった。
私は一瞬だけ言葉を探して――
「ええと......」
曖昧に笑ってごまかすしかなかった。
ナナリエが、軽くため息をつく。
「みんながお兄様みたいに法典を暗記してると思わないでください」
「私が? まさか。暗記しているのは君だろう、ナナリエ」
「......それが仕事なので」
ハルジオン殿下はそれ以上追及しなかった。
ただ一度だけこちらを見て、何かを測るように視線を止める。
それから、すっと外した。
「まあいい」
興味を失ったように言う。
でも、たぶん違う。
完全に“保留”された。
そんな感覚が残る。
通りのざわめきが、また現実に戻ってくる。
この王子......、
蜂蜜色の笑顔に、全てを隠せてしまう人なのかもしれない。