恋と化け物と等価交換
ねぇ、ちょっと聞いて下さらない?
......えぇ、勿論、そう長くはかかりませんから。きっと。
こんな綺麗な満月の日は、どうしても思い出してしまうのです。
だって、あの最後の日も――こんな風に、月が綺麗でしたから。
割れたステンドグラスの隙間から月の光が差し込み、床につきそうなほど伸びた髪が銀色に輝く。
それが、白いドレスとも相まって、まるでベールのようにも見えた。
過去を懐かしむかのように、ゆっくりと瞼を閉じる。
糸をつむぐかのように、記憶を辿っていく。
少し、長くなりますから、紅茶でもいかが?要らない?あら、そう。せっかくお気に入りの茶葉を取り寄せましたのに。
残念そうにしてカップを横に置く。カップからは、まだわずかに薔薇の香りが漂っていた。
あの人は、薔薇に囲まれていました。
屋敷裏、えぇ、今はもう燃え尽きてしまったあの森です。
そこで彼は、日の光を一身に受けて、まるで死んでいるかのように眠っていたの。
随分前に亡くなったお母様に困っている人には親切になさいと言われたから、私の部屋まで頑張って運びましたのよ。もちろん一人で。想像していたよりかは、軽かったけれど、とても大変でしたの。それもそうですよね、だって、あの人は今の私よりも、20㎝以上は高かったはずですから。
ベッドまで運んでから、急に不安になりました。
あまりに綺麗な人だったので、もしかしたら本当はお人形なんじゃないかと思ってしまったのです。肌は血管が透けるほどに白く、髪は見たこともないような銀色。
口元に手を近づけ、息をしていることを確認したとき、心底安心しました。
人であることを確認できたから、カーテンを閉めようともしたのですが、少しの間悩んでやめてしまいました。隙間から差し込んだ光が髪に反射して、キラキラと輝いて見えるのがとても素敵だったからです。
しばらくしても目を覚ます様子がなかったから、メイドのところまで行って、今日は体調がよくないからもう寝ると伝えました。そんなことを伝えなくても、勝手に私の部屋に入ることなどないのだけれど、念の為、そう伝えました。
太陽が沈んで、月が出ても、目を覚ますどころか、”ピクリ”とも動きませんでした。でも、暇ではなかったのです。じっと綺麗な顔を見たり、長い髪を梳いたりしていたので、むしろ忙しかったくらいです。
そろそろ日付が変わろうかという時、私も眠くて、うつらうつらとしてきた時、ふと視線を感じました。
顔を上げると、いつの間にかあの人がこちらを見ていました。
いったい、いつの間に目を覚ましたのでしょう。
いいえ、それどころか、私は客人が体を起こしたことにも気が付かなかったのです。
お客様がいるのに、うたた寝をしてしまったことに顔を赤くしていると”バチッ”と目が合いました。光を通して、透き通るかのような赤い瞳でした。ゆらゆらとわずかに揺れていて、宝石のように見えました。
......そんな目で見ないでくださいな。――えぇ、認めましょう。きっと、これが私の初恋だったのでしょう。
ん゛ん゛っ、話を戻させていただきますね。
目覚めたばかりで眩しそうに目を細めたので、慌ててランプの光量を落としました。
実際には10秒にも満たない時間、ですが、私には1時間にも思える時間見つめあっていると、白い手が、私の顔に触れました。
薔薇の咲くこの季節にしては冷たく、私は少しだけ、びっくりとしてしまいました。でも、それがどこか、死の直前の、目の見えなくなったお母様を思い出させたのです。
お母様と似ているところは1つもなかったのに、不思議ですね。
そのまま、形を確かめるかのように遠慮なく動かしていると、何かに気が付いたかのように”コテン”と首を傾げ、口を開きました。
「......君は?」
美しい人は声まで美しいのだ。思わず、呆けてしまいました。間違えようもないほど男性の声をしているのに、思わず性別を疑ってしまうほど美しい人でした。
私はできるだけ丁寧に説明しました。自分は近くの教会に努める者の娘であること。ここは私の家で、森で倒れている貴方を連れてきたこと。
「そっか。ありがとう」
想像していたよりも随分と子供らしく笑いました。
何を話そうか迷っている間に移動したようで、音もなく窓枠に腰かけていました。一階なので落ちる心配はないのですが、月の光に照らされたあの人は、さっきとは打って変わって、大人っぽく見えました。
「じゃあ、僕はもう行くね」
未練もなく落とされたその言葉に、引き留める言葉を幾つもこぼしました。いかないでほしい、もう少し話がしたいと。半ば泣きすがるようにそう伝えると。困ったように笑って「......7日後、夜の12時になったら、ここの窓を開けておいてくれるかな?」その言葉に何度もうなずき、涙を拭こうと目をそらしたその一瞬でもう、そこからいなくなってしまいました。
そこからは、不安と期待に満ち溢れた一週間を過ごしました。
お祈りの時間も上の空でしたのでお父様に名前を呼ばれ注意されてしまいました。
7日後、まだ随分と早い時間でしたが、待ちきれずに窓を開け待っていました。
約束の時間が刻一刻と近づく中、穴が開きそうなほど窓を見つめていました。あんまりにも長いこと目を開けていたから、目が痛くなってしまい、瞬きをしたその一瞬であの人はそこに立っていました。
「......やぁ、また会ったね」
喜びのあまりあの人の名前を呼ぼうとしたその瞬間、私はある失態に気が付いたのです。
......えぇ、そうです。初めて会った日に名前を聞き忘れてしまったのです。
今更名前を聞くのもなんだか気まずくて私はあの人を”吸血鬼さん”と呼ぶことにしました。ちょうど読んでいたロマンス小説の登場人物と同じ長い銀色の髪に白い肌、赤い瞳を持っていたからです。
私が吸血鬼さんと呼ぶと少し”きょとん”とすると「其れってもしかして僕のこと?」とおかしそうに聞きました。
私が頷くと「あははは」と無邪気に笑いました。
「......じゃあ、君のことはアンジェリカって呼ぶよ」
天使?思わずそう聞き返すと、
「......うん、少し前に見た絵画に出てくる天使が君のような淡い金髪に空色の瞳をしていたんだ。だめかな?」
困ったかのように揺れる瞳に見つめられ、気付いた時にはうなづいていました。
「あぁ、忘れてしまうところだった。――これ、こないだのお礼だよ」
吸血鬼さんは薔薇の刻印を刻まれた缶詰を私の手に乗せました。
「君くらいの年の女の子って何を渡せばいいのか分からなかったから、僕の一番好きな紅茶をあげるね」
私は喜んでそれを受け取ると、机の前まで吸血鬼さんを案内しました。手に触れても何も言われなかったので、そのまま手をつなぎながら。
机の上には、何個かのお菓子と2人分の紅茶を用意していました。この為にメイドに頼み込んで用意してもらったものです。
随分前に入れてもらったものなので、紅茶は冷めてしまっていましたが、美味しいことは知っています。
椅子に座り食べるように促すと、何個か用意したもののうち、スコーンを取り、クロテッドクリームだけを付けて食べました。口に合ったようで、顔をほころばせていました。
机のふちからまるで場所を確かめるかのようにゆっくりとカップに触れると、両手でカップを持ち、紅茶にも口を付けました。どうやら、紅茶はストレート派の様ですので、私もそれに倣ってミルクを入れずに飲みました。
やや一方的に話してるうちに、読書家という共通の趣味が見つかったので、最近読んだ本について互いに話会いました。お勧めの本や同じものを読んでいたら、互いの解釈を伝えたり、あっという間に時間は過ぎていきました。
空も白んできたころ、朝早くから起きていたからか、いつの間にか眠ってしまっていたようで、目を覚ますと私はベッドに居ました。
ベッドサイドには昨夜もらた紅茶と、綺麗な文字で『またね、アンジェリカ』と書かれた紙がおかれていました。
次があることに胸を高ぶらせながら、その2つを、見つからないように隠しました。
その日から私たちは週に一度、会うようになりました。
話す内容は大体、本か紅茶のこと。
でも、そのほかのいろいろなことも知ることができました。動作や表情は幼いのに、話し方は随分と大人びいていること。チョコレートは苦手なこと。私よりも2つ年上だということ。月の光でもまぶしく感じること。そして――随分と距離感が近いこと。――物とも私とも。
何度も、初めて会ったときと同じように顔に触れ、私の表情を確かめるかのように触るのです。
6カ月がたったころでしょうか、特に口止めをされていたわけではありませんが、私は彼とのことをだれにも話していませんでした。
なんとなくですが、話したらもう会えなくなってしまう気がしたのです。
ですから、あの日もらった紅茶も未だ飲むことができなかったのです。出所を聞かれたらこたえられる自信がなかったというのもありますし、あの人からもらった物を他人が触るのが耐えられなかったのです。
そこで、新人の年の近いメイドにわがままを言うことにしました。紅茶の入れ方を教えて欲しいと。メイドは、教えるのは構わないが、せめて理由を教えて欲しいと言ってきました。それも、もっともなことです。私は彼女の仕事を奪いたいと言っているのですから。
紅茶を振る舞いたい人がいる。メイドにそう伝え、入れ方を教えてもらいました。
何度かメイドと練習してから、お父様に日ごろの感謝として振る舞ったりもしました。成長したなと、やや大袈裟に泣かれてしまいましたっけね。
吸血鬼さんが来た日、さっそく教えてもらった通りに紅茶を入れました。本当なら茶葉の種類によって入れ方を変える必要があるそうですが、そこはまぁ、目をつぶってもらいましょう。
どうやら薔薇のフレイバーティのようで、カップに注ぐと、”ふわり”と薔薇の香りが立ち上がりました。
「アンジェリカ、まさか君が入れてくれたのかい?とてもおいしいよ」
目の前で入れたのにもかかわらず、そんなことを確認してくる吸血鬼さんに微笑み返しながらも、その言葉に安心しました。お世辞ではないと信じたいものです。
紅茶の一件以来、メイドと親しくなり、いろいろなことを話すようになりました。主には街で流行っていることについてですが。
その日から5カ月が過ぎた頃でしょうか、”1か月後に流星群が見えるそうですよ”メイドのその言葉に、つい、吸血鬼さんと見たい。なんてことを呟いてしまったのです。”吸血鬼?”そう聞き返すメイドに慌てて小説の登場人物だと誤魔化しました。
......えぇ、はい。そうですね、偽った、というのが正しいですね。貴方の言う通り。
吸血鬼さんが来た日、私は真っ先に、流星群について話しました。きっと断られると思ったから早めに聞きたかったのです。流星群の予定日は吸血鬼さんと会う日には被っていませんでした。それに第一、外で会いたいというと決まて、さりげなく断られてしまっていたからです。
だから対して期待せずに返事を待っていました。
「いいよ......その代わり、今日も君の入れた紅茶が飲みたいな」
そんなことでよければと、喜んで頷きました。
待ち合わせ場所はお父様にの働いている教会にしました。
お母様がお父様にプロポーズされた場所だと聞いたことがあったので、そこにしました。時間はいつも通り。
......べ、別にあの人から告白されたいとは思っていませんでしたよ。......本当ですよ。......えぇ勿論。
約束の日、私は窓からこっそりと抜けだしました。
空は雲1つなく絶好の観測日和でした。月の光がややまぶしすぎるような気もしましたが。
教会の扉を開くと吸血鬼さんはもう、すでに着いていたようで講壇の前でステンドグラスで変色した月の光を一身に受けていました。
......えぇ、ちょうど今の私みたいに。
あの人の元まで走り、飛びつきました。
吸血鬼さんはやや驚いたような顔をして私を、抱き留めてくれました。その行動に今度は私が驚かされました。
いままで、私から抱き着くことはあれど、吸血鬼さんの方から抱き着かれたことは一度たりともなかったからです。
吸血鬼さんはそのまま私の体を抱きよせ、優しく微笑むと、”コテン”と首を傾げ、私の髪をそっと、まるで壊れも似にでも触れるかのようにして耳に掛けました。耳元で僅かに”パチン”と音がしたので、髪飾りを付けてくれたのでしょう。少し前に貴方と揃いの物が欲しいとぼやいたのを覚えていてくれたのでしょう。
そして、静かに、耳元で囁くかのように一言。――
「よくも僕を騙してくれたね?」
何のことだか分からず、とっさに否定しようとしたとき。
”バンッ”
その瞬間、勢いよく教会の扉が開きました。冷たい風と埃の匂いが一緒に飛び込んできました。
「ありがとう。どうやら君の言う通り、私の娘は吸血鬼にたぶらかされてしまったようだ。」
振り返らなくても誰だかわかりました。たった一人――お父様の声ですもの。
傍らにいたあのメイドに小袋、おそらく、金貨でも入っているのでしょう。それを渡して、大勢の人と共に”カツリカツリ”ゆっくりと、足音が近づいてきました。
今ならまだ逃げられる――そう思って、あの人の手を引いて、逃げ出そうとしました。ところがどうでしょう、当のあの人に全く逃げる気がないのです。それどころか、まるで待っていたかのように熱い瞳でお父様を待っていました。
いつの間にか後ろにいたお父様に引きはがされ、何人かの人によって私は床に押し付けられてしまったのです。
......逃れようとしたときに強く膝を打ってしまい今でもその傷跡が残っているのですよ。見ます?あら、そう。
お父様は抵抗もしないあの人を講壇に押し上げ、何人もの人でその美しい四肢を拘束しました。
私はここで初めて、気まずい思いをしてでも名前を聞かなかったことを後悔しました。あの人の――吸血鬼さんの名前を、呼びたかったのです。
お父様は懐に入れていた杭を取り出し、あの人の胸に突き刺しました。そしてそのまま何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も!
槌を打ち付けたのです。
私の声にならない叫びは、弁明は、まるで聞こえていないかのように無視されました。――実際聞こえていなかったのかもしれませんね。
杭が2つに裂けた頃、ようやくお父様は槌を投げ捨てました。
動かないあの人を見て、お父様は満足そうにこちらを見て言い放ちました。
「やはりこの男は吸血鬼だったのだ。だから心臓に杭を刺されて死んだのだ。」
......馬鹿みたいだとは思いませんか?人間、いいえ、生きている者であれば、心臓を刺されたら死んでしまうのは当たり前ではないですか。
吸血鬼かどうかなんて、関係ないのに。
それに、太陽に照らされたあの人は紛れもなく人間でした。
......ねぇ、貴方もそうは思いませんか?
「お父様」
薄汚れた協会の中、嘗ての美しさは見る影もなく、割れたステンドグラスの隙間から刺す月の光を一身に受けて女は、いや娘はそう微笑む。
あの吸血鬼の、死んだ後でも消えない微笑みが思い出さされた。
いつの日からか、色を失った長髪。
血を透かしたかのような赤い瞳。
数年前からこの村の行方不明者は後を絶たない。
毎夜のように何かに杭を打ち続けるような音が村に響いた。
されがまさか自身の娘の仕業には思わなかったのだ。今の今まで。一度も。けっして。
「ねぇ、お父様、くださいな、その耳、先がとがっていて、少し、ほんの少しだけどあの人に似ているんです。だから、食べさせて」
あの日は吸血鬼の血をすぐに洗い流したくてすぐに屋敷に戻った。
次の日教会に戻ると吸血鬼の死体が食い散らかされていた。てっきり獣の仕業だと思ったが。
あの時、吸血鬼と共に殺しておけばよかった。
口が拘束されていなくてよかった。心底そう思えた。
「この魔女め!」