ホーム町の小さなお守り魔女と、言葉を紡ぐ金の犬〜不老幼女の大魔女、人間の言葉を喋る魔犬たちと暮らしていたら、魔法都市ができていました~第二十六話 乾杯の盃と、「魔犬の酒」
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第二十六話 乾杯の盃と、「魔犬の酒」

 霊峰ヴァルグヴェルドの深い山に佇む、大魔女モルガナの館。そこには人の言葉を解し、魔法を操る誇り高き『魔犬(クーシー)』たちが数百年の年月を共に暮らしていた。

 ある日、麓のベイスの町に住む、少年ノランと金の魔犬ブランが出会い、やがて故郷の町を守るため大魔女と契約を交わした少年レオンは、白銀の魔犬クゥとともに「町へ降りる魔犬たちの世話役」としての歩みを始める。

 宮廷で孤独を抱えていた第三王女エレアノーリエは、ノランやモルガナとの出会いを経て成長し、やがてノランと絆を結んでベイスの町の領主となり、人と魔犬が共に笑い合う「魔法都市」の礎を築いていく――。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 霊峰ヴァルグヴェルドの深い山々に抱かれた、大魔女モルガナの石造りの館。 パチパチと暖炉の薪が心地よい音を立てる静寂の中、窓辺の黒檀の机で古びた魔導書をめくっていたモルガナは、トントントンと扉を叩く音に顔を上げた。


「モルガナ様、南の地からお荷物と手紙が届きましたよ」


 入ってきたのは、モルガナの弟子にして、領主の夫ノランだった。その腕には、厳重に紐で縛られた小さな木箱と、一通の手紙が抱えられている。


「南...シアラグナね。あの子も毎月律儀なものだわ」


 モルガナが微笑みながら呟いた通り、送り主は、南方辺境伯王弟ラインハルトその相棒となった青みがかった黒毛の魔犬・シアラグナだった。

 ノランが封を切り、騎士の一人が代筆したシアラグナの手紙を読み上げる。


『魔女さま、山の皆へ。

 今日もオイラは南の海で、騎士のみんなと一緒に特訓を頑張っているよ。

 今月も、オイラが獲った美味しかったお魚の干物を送ります。

あと、楽しくなる草もいれておきました。みんなで嗅いでみてね!

 追伸:オイラ、楽しくなりすぎて屋敷の花瓶を割っちゃったぞ! シアラグナより』


 読み終わったノランとモルガナは、「楽しくなる草」という言葉に首をかしげたが、その疑問は下に重なっていたもう一枚の手紙で解決した。


『モルガナ殿、ならびに館の者たちへ!

南の港町にて、隣国から輸入された珍しい香草を手に入れた。「アニス」という名だそうだ。ためしにシアに嗅がせてみたところ、なんとも愉快なことになったため、山の館の皆にも一袋贈る!

人間で言えば「極上の酒」、猫で言えば「マタタビ」のような代物らしい。犬が嗅ぐと、とても楽しく酔っ払うか、うとうとと心地よくまどろむ効果があるとのこと。皆で楽しんでくれ! ラインハルト=レムリアス』


モルガナは手元のお茶に口をつけた。


「酒のようなもの、ねぇ...ただの香草で、魔犬(クーシー)たちが酔っぱらいになるのかしら...」

「開けてみましょう!とても気になりますね!」


 ノランが興味津々に木箱の蓋を開けた瞬間だった。 ふわりと、甘くスパイシーな、どこかエキゾチックな香りが部屋いっぱいに広がった。


「うわ、なんだか甘くていい匂い...」


 ノランが呟いた直後、モルガナの足元で丸くなっていた一匹の幼い子魔犬が、ピンと耳を立てた。 子犬は吸い寄せられるようにトコトコと木箱へ歩み寄ると、鼻先を近づけて深々と息を吸い込んだ。


「...キャン?」


 次の瞬間、子犬の瞳がとろんと揺れた。 短い足をふにゃりと折ると、そのままフローリングの上にコロンと横転し、お腹を丸出しにして「くぅ~ん、くぅ〜ん」と幸せそうにゴロゴロ転がり始めたのだ。まるで、暖かな日差しを全身に浴びて極上の夢を見ているかのような、とろけきった表情である。


「あらっ...」


 モルガナは思わず解析魔法を使い、子犬の体に異常がみられないか確認した。しかし、特に害はみられずまさに「人間の酒」、「猫のまたたび」のような効果をもたらすようだと確信した。


「モルガナ様...これ、本当にすごい効果みたいですね...」


ノランがふにゃふにゃになった子犬に半ば呆れ、半ば感心したように呟いた。

――――――――――――――――――――――――――――――

 「噂」というものは、風よりも速く山を駆け巡る。特に、鼻の利く魔犬たちのネットワークにおいては一瞬のことだった。


「おい! 南からシアが『魔犬の酒』を送ってきたらしいぞ!」

「あれだろ! 嗅ぐだけで夢心地になれるって本当か!?」

「やったぁーー!ニンゲンがお酒を飲んでるの、気になってたんだよね!」


 ベイスの町に下りていた魔犬も、山奥の森で静かに暮らしていた魔犬も、その噂を聞きつけるや否や山の館を目指した。

 ほんの数時間後。山の館の前庭は、かつてないほどの熱気に包まれていた。 黄金の美しい毛並みを持つブランも、白銀の気高きクゥも、目を輝かせて順番待ちの列に並んでいる。


「みんな、押し合うな! 順番に嗅いでくれ!」


 クゥを追って駆けつけたレオンが慌てて交通整理をする中、アニスの入った袋が館の庭の中心にセットされた。

 最初に順番が巡ってきた群れ長の大きな肢体の魔犬が、そっと鼻を近づける。フシューッと深く吸い込むと、その巨体がグラリと揺れた。


「お...おおお...? なんだこれは...体が、雲の上に乗っているみたいだぞ...」


 ドスン、と芝生の上にひっくり返った大型犬は、前脚をパタパタと力なく空中で動かし、見たこともないような恍惚の笑みを浮かべた。

 「次は僕の番!」とばかりに鼻を突っ込んだブランも、一嗅ぎした途端に「ふにゃ〜...」と力の抜けた情けない声を漏らし、そのままノランの足元に力尽きたように丸まってスースーと寝息を立て始めた。

 一方で、白銀のクゥは「陽気な酔っ払い」の症状が出たらしい。目がらんらんと輝き出すと、空を仰いで「ワオーン! ワオワオーン!」とまるで大酒飲みの歌のように陽気に遠吠えを上げ始めた。それに呼応するように、周りの魔犬たちも「ウフフフ」「キャンキャン!」と楽しげに声を上げ、互いの身体をすり寄せ合っている。

 幸せそうにゴロゴロと芝生を転がる者。 うとうとと心地よいまどろみの中に落ちていく者。 仲間と前脚を重ね合い、、歌うように吠え交わす者。

 山の館の広場は、思い思いの過ごし方で「酔い」を満喫する魔犬たちのパラダイス――酔っぱらいの大集会所と化していたのである。

――――――――――――――――――――――――――――――

 その頃、麓のベイスの町にある領主館では――。


「なんですって...!? 山の館で、魔犬たちが楽しそうな宴を開いているのですか!?」


 バシャーン!と音を立てて書類の山を押しのけ、立ち上がったのはベイスの領主・エレアノーリエだった。鮮やかな赤髪を揺らし、その瞳は肉食獣のように爛々と輝いている。

 館の手伝いから戻ってきたレオンと職務を終えたミルカから「山の館が犬たちの宴会場になっている」という報告を聞くや否や、彼女の中に眠る「酒豪の血」が激しく騒ぎ出したのだ。


「そんな楽しそうな宴、このわたくしが見逃すはずがありませんわ!ルクスたちがこそこそと館へ行ったのはこれだったのですね...ひどいっ!あまりに酷い仕打ちです!」

「え、エレア様? ちょっと待ってください、相手は魔犬たちですし、また飲む気では...」

「何を言っているのですか、ノラン様!」


 エレアノーリエは夫であるノランの胸ぐらを掴みんばかりの勢いで迫った。


「人間と魔犬の絆を深める絶好の機会ではありませんか! さあレオン、ミルカ! 領主館の地下蔵から、とっておきの極上酒樽を運べるだけ運び出しなさいな! 今夜は朝まで宴ですわー!」

「おーっ! 楽しそうですね、領主様!」

「お任せください!私、こう見えて腕力には自信があります!」

「ちょっとレオン、ミルカさんまで!乗り気にならないでよ...! 私、お酒ダメなんだからね!?」


 筋金入りの下戸であるノランの悲しい叫びは、エレアノーリエの雅な高笑いにかき消された。

 かくして、特製の大酒樽を何個も荷車に積み込んだ領主一行は、夜の山道を大急ぎで駆け上っていったのである。


「モルガナ様ーーっ! 参りましたわーーっ!」


 ドガーン!と豪快に館の扉を開け放ったエレアノーリエ。 部屋の奥で魔犬たちの騒ぎに呆れながら静かに読書を決め込もうとしていた大魔女モルガナの元へ、彼女は迷うことなく突進した。


「モルガナ様もご一緒に参りましょう! さあさあ!」

「ちょっとやめなさい! 私はいいわよ...っ!ーーっ!まったく!」


 見た目は十歳ほどの少女であるモルガナは、エレアノーリエの圧倒的なパワーによって軽々と抱き上げられ、そのまま騒がしい庭へと連れ出されてしまった。


「まぁーーっ!なんて可愛らしい光景かしら!ふにゃふにゃの魔犬さんたちが庭一面に広がってますわーーっ!やだっ!あそこに転がっているのは群れ長さんじゃありませんことっ?!」


 庭の惨状に大興奮のエレアノーリエ、しかし、モルガナが静かに睨み付けると、気まずそうにしながら、そっとその体を降ろして宣言した。


「こほんっ、さあみなさん! これより『第一回・人間と魔犬 合同大酒盛り大会』を開催いたしますわー!」


 エレアノーリエの宣言とともに、木樽の栓がレオンとミルカのハンマーで叩き抜かれた。

 そこからは、まさに混沌という言葉以外に表現できない大乱宴が始まった。


「ふふっ、まだまだ杯が空いていてよ! さあ、もう一杯!ほら、ルクスたちもこっちにいらっしゃい!」

「ワッファォーーンッ!」「キュゥーンキューン...」
『エレア!エレア!僕らのかわいいエレア!』
『んへっ、へへ...もう限界らぁ~』


 底なしの酒量を誇るエレアノーリエは、木製の盃に自ら並々と酒を注ぎ、大杯を「ぐびり、ぐびり」と豪快に煽った。 レオンとミルカも「これは美味い!」と酒杯を掲げ、陽気に歌うクゥたちと輪になって踊り始めた。


「うぅ...目が回る...誰か助けて...」


 一方で、一滴も酒を飲んでいないはずのノランは、立ち上るアルコールの匂いと、アニスで完全にデロデロに酔っ払った大型魔犬たちに「すりすり」と甘えられ、モフモフの山に埋もれて圧死寸前となっていた。


「ありがと...ブラン...でも重い...重いよ...」

「くぅ〜ん...!」
『ノラン、だいしゅきだぁ~...!」


 モルガナは最初こそ眉をひそめて立ち尽くしていたが、エレアノーリエに強引に手渡された小さなグラスの果実酒を一口煽ると、一つため息をつき、なんだかんだで転移で呼び出した椅子に深々と腰掛け、宴につきあう破目になっていたのだった。

――――――――――――――――――――――――――――――

 夜が深く更けても、宴の熱気が冷めることはなかった。

 月明かりが優しく照らす庭で、アニスの甘い香りに包まれて気持ちよさそうに遠吠えのアンサンブルを奏でる魔犬たち。それに合わせて手を叩き、歌い、酒杯を交わす人間たち。 そこには領主も、従者も、人も、犬も関係なかった。ただただ「楽しい」という感情だけが、夜空の下で心地よく溶け合っていた。


「ノラン様! ほら、もう一杯いかがですの?」

「エレア様...私はもう...水すら受け付けません...」


 ノランは素面を守り通したにも関わらず、白目を剥きかけながら、クッション代わりになってくれたブランの温かい背中に沈んでいった。

 やがて――東の空が少しずつ白み始め、深い群青色の夜空が優しい朝焼けの朱色へと染まっていく。

 宴の終わりは、静かに、そして唐突に訪れた。

 朝の清々しい光が山の館の庭を照らし出す。 そこには、前代未聞の惨状――いや、微笑ましい光景が広がっていた。

 庭の芝生の上には、アニスの余韻に浸ったまま、幸せそうな寝顔で重なり合って眠る無数の魔犬たち。その足元や体の隙間には、完全に飲み潰れたレオンやミルカ、そして大満足の笑みを浮かべたまま大の字で眠るエレアノーリエが転がっていた。


「うぅ...頭が痛いわけじゃないのに、全身がバキバキだ...」


 宴の数少ない生存者であるノランが、疲れ果てた体を引きずるようにして起き上がる。

 その膝の上には、いまだにふにゃふにゃになったブランが重そうに乗っかっていた。
館のテラスの縁に腰掛け、冷たいハーブティーを口に運んでいたモルガナが、心底呆れ果てたような大きなため息をつく。


「ハァ...館での宴会は禁止しようかしら」


 文句を言いながらも、その幼い顔立ちに浮かぶ瞳はどこか柔らかく、朝日を浴びて気持ちよさそうに寝息を立てる者たちを愛おしそうに見つめていた。


「ノラン様...ん...まだ飲めますわ...」


 夢の中でも杯を掲げているエレアノーリエの頭上に、温かく眩しい朝の光が降り注ぐ。

 南の地から届いた一包みの香草が巻き起こした、一夜の大騒動。 呆れ顔の大魔女と、疲れ果てた元家庭教師、そして大満足の領主様。

 人間と魔犬が垣根を越えて笑い合い、共に酔いしれた賑やかな夜が明け、ベイスの町と山の館に、また新しく温かな一日が始まろうとしていた。


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町の小さなお守り魔女と、言葉を紡ぐ金の犬〜不老幼女の大魔女、人間の言葉を喋る魔犬たちと暮らしていたら、魔法都市ができていました~作者:あづみ
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第二十六話 乾杯の盃と、「魔犬の酒」

 霊峰ヴァルグヴェルドの深い山に佇む、大魔女モルガナの館。そこには人の言葉を解し、魔法を操る誇り高き『魔犬(クーシー)』たちが数百年の年月を共に暮らしていた。

 ある日、麓のベイスの町に住む、少年ノランと金の魔犬ブランが出会い、やがて故郷の町を守るため大魔女と契約を交わした少年レオンは、白銀の魔犬クゥとともに「町へ降りる魔犬たちの世話役」としての歩みを始める。

 宮廷で孤独を抱えていた第三王女エレアノーリエは、ノランやモルガナとの出会いを経て成長し、やがてノランと絆を結んでベイスの町の領主となり、人と魔犬が共に笑い合う「魔法都市」の礎を築いていく――。

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 霊峰ヴァルグヴェルドの深い山々に抱かれた、大魔女モルガナの石造りの館。 パチパチと暖炉の薪が心地よい音を立てる静寂の中、窓辺の黒檀の机で古びた魔導書をめくっていたモルガナは、トントントンと扉を叩く音に顔を上げた。


「モルガナ様、南の地からお荷物と手紙が届きましたよ」


 入ってきたのは、モルガナの弟子にして、領主の夫ノランだった。その腕には、厳重に紐で縛られた小さな木箱と、一通の手紙が抱えられている。


「南...シアラグナね。あの子も毎月律儀なものだわ」


 モルガナが微笑みながら呟いた通り、送り主は、南方辺境伯王弟ラインハルトその相棒となった青みがかった黒毛の魔犬・シアラグナだった。

 ノランが封を切り、騎士の一人が代筆したシアラグナの手紙を読み上げる。


『魔女さま、山の皆へ。

 今日もオイラは南の海で、騎士のみんなと一緒に特訓を頑張っているよ。

 今月も、オイラが獲った美味しかったお魚の干物を送ります。

あと、楽しくなる草もいれておきました。みんなで嗅いでみてね!

 追伸:オイラ、楽しくなりすぎて屋敷の花瓶を割っちゃったぞ! シアラグナより』


 読み終わったノランとモルガナは、「楽しくなる草」という言葉に首をかしげたが、その疑問は下に重なっていたもう一枚の手紙で解決した。


『モルガナ殿、ならびに館の者たちへ!

南の港町にて、隣国から輸入された珍しい香草を手に入れた。「アニス」という名だそうだ。ためしにシアに嗅がせてみたところ、なんとも愉快なことになったため、山の館の皆にも一袋贈る!

人間で言えば「極上の酒」、猫で言えば「マタタビ」のような代物らしい。犬が嗅ぐと、とても楽しく酔っ払うか、うとうとと心地よくまどろむ効果があるとのこと。皆で楽しんでくれ! ラインハルト=レムリアス』


モルガナは手元のお茶に口をつけた。


「酒のようなもの、ねぇ...ただの香草で、魔犬(クーシー)たちが酔っぱらいになるのかしら...」

「開けてみましょう!とても気になりますね!」


 ノランが興味津々に木箱の蓋を開けた瞬間だった。 ふわりと、甘くスパイシーな、どこかエキゾチックな香りが部屋いっぱいに広がった。


「うわ、なんだか甘くていい匂い...」


 ノランが呟いた直後、モルガナの足元で丸くなっていた一匹の幼い子魔犬が、ピンと耳を立てた。 子犬は吸い寄せられるようにトコトコと木箱へ歩み寄ると、鼻先を近づけて深々と息を吸い込んだ。


「...キャン?」


 次の瞬間、子犬の瞳がとろんと揺れた。 短い足をふにゃりと折ると、そのままフローリングの上にコロンと横転し、お腹を丸出しにして「くぅ~ん、くぅ〜ん」と幸せそうにゴロゴロ転がり始めたのだ。まるで、暖かな日差しを全身に浴びて極上の夢を見ているかのような、とろけきった表情である。


「あらっ...」


 モルガナは思わず解析魔法を使い、子犬の体に異常がみられないか確認した。しかし、特に害はみられずまさに「人間の酒」、「猫のまたたび」のような効果をもたらすようだと確信した。


「モルガナ様...これ、本当にすごい効果みたいですね...」


ノランがふにゃふにゃになった子犬に半ば呆れ、半ば感心したように呟いた。

――――――――――――――――――――――――――――――

 「噂」というものは、風よりも速く山を駆け巡る。特に、鼻の利く魔犬たちのネットワークにおいては一瞬のことだった。


「おい! 南からシアが『魔犬の酒』を送ってきたらしいぞ!」

「あれだろ! 嗅ぐだけで夢心地になれるって本当か!?」

「やったぁーー!ニンゲンがお酒を飲んでるの、気になってたんだよね!」


 ベイスの町に下りていた魔犬も、山奥の森で静かに暮らしていた魔犬も、その噂を聞きつけるや否や山の館を目指した。

 ほんの数時間後。山の館の前庭は、かつてないほどの熱気に包まれていた。 黄金の美しい毛並みを持つブランも、白銀の気高きクゥも、目を輝かせて順番待ちの列に並んでいる。


「みんな、押し合うな! 順番に嗅いでくれ!」


 クゥを追って駆けつけたレオンが慌てて交通整理をする中、アニスの入った袋が館の庭の中心にセットされた。

 最初に順番が巡ってきた群れ長の大きな肢体の魔犬が、そっと鼻を近づける。フシューッと深く吸い込むと、その巨体がグラリと揺れた。


「お...おおお...? なんだこれは...体が、雲の上に乗っているみたいだぞ...」


 ドスン、と芝生の上にひっくり返った大型犬は、前脚をパタパタと力なく空中で動かし、見たこともないような恍惚の笑みを浮かべた。

 「次は僕の番!」とばかりに鼻を突っ込んだブランも、一嗅ぎした途端に「ふにゃ〜...」と力の抜けた情けない声を漏らし、そのままノランの足元に力尽きたように丸まってスースーと寝息を立て始めた。

 一方で、白銀のクゥは「陽気な酔っ払い」の症状が出たらしい。目がらんらんと輝き出すと、空を仰いで「ワオーン! ワオワオーン!」とまるで大酒飲みの歌のように陽気に遠吠えを上げ始めた。それに呼応するように、周りの魔犬たちも「ウフフフ」「キャンキャン!」と楽しげに声を上げ、互いの身体をすり寄せ合っている。

 幸せそうにゴロゴロと芝生を転がる者。 うとうとと心地よいまどろみの中に落ちていく者。 仲間と前脚を重ね合い、、歌うように吠え交わす者。

 山の館の広場は、思い思いの過ごし方で「酔い」を満喫する魔犬たちのパラダイス――酔っぱらいの大集会所と化していたのである。

――――――――――――――――――――――――――――――

 その頃、麓のベイスの町にある領主館では――。


「なんですって...!? 山の館で、魔犬たちが楽しそうな宴を開いているのですか!?」


 バシャーン!と音を立てて書類の山を押しのけ、立ち上がったのはベイスの領主・エレアノーリエだった。鮮やかな赤髪を揺らし、その瞳は肉食獣のように爛々と輝いている。

 館の手伝いから戻ってきたレオンと職務を終えたミルカから「山の館が犬たちの宴会場になっている」という報告を聞くや否や、彼女の中に眠る「酒豪の血」が激しく騒ぎ出したのだ。


「そんな楽しそうな宴、このわたくしが見逃すはずがありませんわ!ルクスたちがこそこそと館へ行ったのはこれだったのですね...ひどいっ!あまりに酷い仕打ちです!」

「え、エレア様? ちょっと待ってください、相手は魔犬たちですし、また飲む気では...」

「何を言っているのですか、ノラン様!」


 エレアノーリエは夫であるノランの胸ぐらを掴みんばかりの勢いで迫った。


「人間と魔犬の絆を深める絶好の機会ではありませんか! さあレオン、ミルカ! 領主館の地下蔵から、とっておきの極上酒樽を運べるだけ運び出しなさいな! 今夜は朝まで宴ですわー!」

「おーっ! 楽しそうですね、領主様!」

「お任せください!私、こう見えて腕力には自信があります!」

「ちょっとレオン、ミルカさんまで!乗り気にならないでよ...! 私、お酒ダメなんだからね!?」


 筋金入りの下戸であるノランの悲しい叫びは、エレアノーリエの雅な高笑いにかき消された。

 かくして、特製の大酒樽を何個も荷車に積み込んだ領主一行は、夜の山道を大急ぎで駆け上っていったのである。


「モルガナ様ーーっ! 参りましたわーーっ!」


 ドガーン!と豪快に館の扉を開け放ったエレアノーリエ。 部屋の奥で魔犬たちの騒ぎに呆れながら静かに読書を決め込もうとしていた大魔女モルガナの元へ、彼女は迷うことなく突進した。


「モルガナ様もご一緒に参りましょう! さあさあ!」

「ちょっとやめなさい! 私はいいわよ...っ!ーーっ!まったく!」


 見た目は十歳ほどの少女であるモルガナは、エレアノーリエの圧倒的なパワーによって軽々と抱き上げられ、そのまま騒がしい庭へと連れ出されてしまった。


「まぁーーっ!なんて可愛らしい光景かしら!ふにゃふにゃの魔犬さんたちが庭一面に広がってますわーーっ!やだっ!あそこに転がっているのは群れ長さんじゃありませんことっ?!」


 庭の惨状に大興奮のエレアノーリエ、しかし、モルガナが静かに睨み付けると、気まずそうにしながら、そっとその体を降ろして宣言した。


「こほんっ、さあみなさん! これより『第一回・人間と魔犬 合同大酒盛り大会』を開催いたしますわー!」


 エレアノーリエの宣言とともに、木樽の栓がレオンとミルカのハンマーで叩き抜かれた。

 そこからは、まさに混沌という言葉以外に表現できない大乱宴が始まった。


「ふふっ、まだまだ杯が空いていてよ! さあ、もう一杯!ほら、ルクスたちもこっちにいらっしゃい!」

「ワッファォーーンッ!」「キュゥーンキューン...」
『エレア!エレア!僕らのかわいいエレア!』
『んへっ、へへ...もう限界らぁ~』


 底なしの酒量を誇るエレアノーリエは、木製の盃に自ら並々と酒を注ぎ、大杯を「ぐびり、ぐびり」と豪快に煽った。 レオンとミルカも「これは美味い!」と酒杯を掲げ、陽気に歌うクゥたちと輪になって踊り始めた。


「うぅ...目が回る...誰か助けて...」


 一方で、一滴も酒を飲んでいないはずのノランは、立ち上るアルコールの匂いと、アニスで完全にデロデロに酔っ払った大型魔犬たちに「すりすり」と甘えられ、モフモフの山に埋もれて圧死寸前となっていた。


「ありがと...ブラン...でも重い...重いよ...」

「くぅ〜ん...!」
『ノラン、だいしゅきだぁ~...!」


 モルガナは最初こそ眉をひそめて立ち尽くしていたが、エレアノーリエに強引に手渡された小さなグラスの果実酒を一口煽ると、一つため息をつき、なんだかんだで転移で呼び出した椅子に深々と腰掛け、宴につきあう破目になっていたのだった。

――――――――――――――――――――――――――――――

 夜が深く更けても、宴の熱気が冷めることはなかった。

 月明かりが優しく照らす庭で、アニスの甘い香りに包まれて気持ちよさそうに遠吠えのアンサンブルを奏でる魔犬たち。それに合わせて手を叩き、歌い、酒杯を交わす人間たち。 そこには領主も、従者も、人も、犬も関係なかった。ただただ「楽しい」という感情だけが、夜空の下で心地よく溶け合っていた。


「ノラン様! ほら、もう一杯いかがですの?」

「エレア様...私はもう...水すら受け付けません...」


 ノランは素面を守り通したにも関わらず、白目を剥きかけながら、クッション代わりになってくれたブランの温かい背中に沈んでいった。

 やがて――東の空が少しずつ白み始め、深い群青色の夜空が優しい朝焼けの朱色へと染まっていく。

 宴の終わりは、静かに、そして唐突に訪れた。

 朝の清々しい光が山の館の庭を照らし出す。 そこには、前代未聞の惨状――いや、微笑ましい光景が広がっていた。

 庭の芝生の上には、アニスの余韻に浸ったまま、幸せそうな寝顔で重なり合って眠る無数の魔犬たち。その足元や体の隙間には、完全に飲み潰れたレオンやミルカ、そして大満足の笑みを浮かべたまま大の字で眠るエレアノーリエが転がっていた。


「うぅ...頭が痛いわけじゃないのに、全身がバキバキだ...」


 宴の数少ない生存者であるノランが、疲れ果てた体を引きずるようにして起き上がる。

 その膝の上には、いまだにふにゃふにゃになったブランが重そうに乗っかっていた。
館のテラスの縁に腰掛け、冷たいハーブティーを口に運んでいたモルガナが、心底呆れ果てたような大きなため息をつく。


「ハァ...館での宴会は禁止しようかしら」


 文句を言いながらも、その幼い顔立ちに浮かぶ瞳はどこか柔らかく、朝日を浴びて気持ちよさそうに寝息を立てる者たちを愛おしそうに見つめていた。


「ノラン様...ん...まだ飲めますわ...」


 夢の中でも杯を掲げているエレアノーリエの頭上に、温かく眩しい朝の光が降り注ぐ。

 南の地から届いた一包みの香草が巻き起こした、一夜の大騒動。 呆れ顔の大魔女と、疲れ果てた元家庭教師、そして大満足の領主様。

 人間と魔犬が垣根を越えて笑い合い、共に酔いしれた賑やかな夜が明け、ベイスの町と山の館に、また新しく温かな一日が始まろうとしていた。


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