2話 微睡むー2
爆音が住宅街を揺らした。真っ赤な炎と黒煙が、悠真の家を飲み込んでいく。
神代真琴は着弾を確認すると、肩に担いでいた大型ランチャーを光の粒子へと戻した。
「......直撃。」
炎の照り返しを受けながら冷静に呟く。
隣では、一ノ瀬栞が煙の向こうを静かに見つめていた。
「終わったと思う?」
真琴が尋ねる。栞は首を横に振る。
「まだ。」
「理由は?」
「わからない。しいて言うなら勘。」
短く答えながらも、その視線は煙の一点から動かない。
十年以上。数え切れないほどの夢を渡り歩いてきた。夢の持ち主が恐怖で暴れる姿も、絶望に呑まれる姿も、何度も見てきた。
けれど。
「あの人は違う。」
「何が?」
「怖がっている。」
「そう?いつもの事じゃない?」
「......違う。」
小さく息を吐く。うまく言葉が見つからない。
「自分のためじゃない。」
その言葉の意味を考えるより早く、真琴の腕時計型端末が振動し警告音を発した。淡い青色の画面が浮かび上がる。
《警告 局所改変反応 増大》
「......え?」
真琴は思わず眉をひそめた。
「そんな馬鹿な。」
周囲の空気が変わる。煙が風もないのに左右へ流れ始める。炎が踊り、巻き上がった。崩れた柱が浮き、本棚だった木片が独りでに積み上がる。瓦礫が道を作るように左右へ割れた。まるでステージでも作るかのように。
「世界が......。」
「動いてる。」
あっけにとられる真琴をよそに栞は静かに言った。
「この世界が、あの人を守ろうとしてる。......くるわ。」
煙の奥で赤い閃光が走ったかと思うと轟音とともに煙が真っ二つに裂けた。ゆっくりと、一人の人影が姿を現す。
深紅の装甲。黒いスーツ。腰にはダイヤルのついた金色のバックル。右手には長剣。左腰には大型拳銃。
どこか昔の特撮番組を思わせる姿。だが、どこにも玩具らしさはない。磨き上げられた鋼のような質感のスーツは存在感を放っている。
「変身......した?ヒーローに?」
真琴が呟く。
「こんなの、データにない。」
赤い戦士は何も言わない。ただ一歩だけ前へ出る。
その後ろから、紺色の髪の少女がそっと顔を出した。
「お兄ちゃん......。」
「大丈夫。」
落ち着いた、大好きな兄の声が聞こえる。
「俺が守る。」
その一言だけで十分だった。
栞は静かに目を細める。
「守るための力......。」
願いが形になっている。現実の改変というより、覚悟や生き様を表したかのようなその姿は後ろの少女を守る騎士のように見えた。
「真琴。」
「うん。」
真琴は右手を掲げる。
「生成。」
淡い光が掌へ集まる。一本の警棒。さらにライフル。腰にはワイヤーガンに小型拳銃。背中には折り畳み式シールド。
どれも現実で実在する構造を忠実に再現した装備だった。
「じゃあ。」
真琴の口角が上がる。一つも見逃すまいと目が開かれる。
「研究開始。」
瓦礫の中、銃声が響いた。乾いた音とともに弾丸が一直線に悠真へ向かう。
悠真は剣を振る。金属音がして火花が飛び散ると弾丸が二つに裂けて地面へ落ちた。
「ふむふむ。」
真琴の口元がどんどん緩む。
「反応速度は高いっと。」
再び発砲。今度は角度を変えながら連発していく。
悠真は澪の前に立ち塞がったまま斬る。受け流す。後ろには一発も通さない。
「やるねー。」
攻撃は仕掛けてこない。しかし狙いは目は自分たちから外さない。ワイヤーを使って移動する真琴を見ながら栞からも意識は外していない。
決して澪を巻き込ませないよう立ち回っている。
「だったら!」
真琴は残っている天城家の柱にワイヤーを撃ち込む。自ら身体を引き寄せ、一気に距離を詰めた。
「近づくとどうするのかな!」
警棒が唸る。悠真は素手で受け止める。
甲高い金属音。力は互角。
「えっ?」
真琴は目を見開く。警棒は現実でも対人制圧用として十分な強度を持たせている。それを真正面から受け止める。
「硬さも技も人間技じゃないね〜。」
悠真は答えない。左手が腰の拳銃に伸びるのを見て、真琴は咄嗟に盾を構えた。
ドォォン。
轟音が聞こえ、盾へ衝撃が走る。身体ごと数メートル押し飛ばされた。
「重たっ!」
着地した真琴が苦笑する。
「銃まで威力高いの?」
栞は戦闘へ加わらない。ただ悠真を見ていた。違和感が増していく。この人は、自分たちを倒そうとしていない。逃がそうとしている。妹を守ろうとしている。
そのために自分からは戦わずにこの戦いを終わらせようとしている。
「......。」
栞は一本だけ糸を伸ばした。細く、透明な糸。音もなく伸びていき悠真の足元へ向かう。だが、糸が届く寸前に住宅の塀がひとりでに動き、糸を遮った。
「......え?」
栞が目を見開く。見せようとした場合を除き、糸を見られたことがない。なのに。
「違う。」
糸を防いだのは悠真ではない。この世界だった。
真琴も同じ異変に気付く。端末には数値が次々と更新されていた。
《警告 局所改変 増加》
《周辺構造 自己修復、改変予兆あり》
《主人意思との同期率 不一致》
「えっ?同期率......不一致?」
真琴は端末を二度見した。
「主人の意思じゃないって事?」
そんなことがあり得るのか。世界を書き換えるのは夢の主だけ。それがNESTの常識だった。
では今、誰がこの世界を動かしている?
真琴の視線が自然と、悠真の後ろへ向く。紺色の髪の少女。兄の背中を心配そうに見つめる小さな存在。
「まさか......。」
栞も同じ結論へ辿り着いていた。
「あの子。」
「ええ。」
「あの子が動かしてる。」
だが、そんなことはありえない。夢の中で創られた存在に、自我は生まれない。まして世界を書き換えるなど。真琴は思わず笑ってしまった。
「......面白い。ありえない事が起きてる。」
研究者としての好奇心が、恐怖を追い越す。自然と表情が笑顔になる。
「もっと、教えて。」
その笑顔を見た悠真は、剣を構え直した。
警戒は解かない。目の前の二人は危険だ。
けれど、本当に敵なのかという迷いが、ほんの少しだけ芽生え始めていた。そして、その迷いを見逃すほど、栞は鈍くなかった。静かに糸を指へ巻き取り、小さく息をつく。
「真琴。」
「ん?」
「今日はここまで。」
「え?」
「この人は、戦う相手じゃない。」
悠真は眉をひそめる。
「何を言って......。」
栞は初めて、敵意のない声で悠真へ話しかけた。
「私たちは、あなたを傷つけに来たんじゃない。」
その言葉に、悠真の剣先がわずかに下がった。
少女の声は、不思議と納得できる響きでどこか懐かしい感じがした。
しかし、悠真は剣を構えたまま動かない。
「......ここまで争っておいて信用できると思うか?」
「思わない。だから今はそれでいい。話をしたいの。」
栞は即答した。隣で真琴が肩をすくめる。
「しょうがない。私も逆の立場なら襲う。」
「あなたは本当に研究者なの......?」
「失礼だなぁ。」
口では軽く返すものの、真琴の視線は悠真から離れない。警戒している。手も片手は腰の銃にすぐ届くだろう。
その様子を見ながら、悠真はマスクを解除した。
♢ ♢ ♢
「強いな...」
それだけではない。あれほどの力を持っているのにどこか危うい。まるで、自分でも知らない力を振るっているような戦い方だった。
「ねぇ、一つだけ聞かせて。」
真琴が端末をしまいながら言う。
「その子。君が作ったの?」
澪を見る。その瞬間、悠真の空気が変わる。剣先がもどり、警戒は強まった。少し怒りも感じる。
「......関係ない。」「関係ある。」
「ない。」「ある。」
真琴も引かない。
「夢で創られた存在が、自分の意思で世界を書き換えた。」
悠真の眉が動く。
「そんなことはありえない。」
真琴は笑った。さっきの笑顔だ。獲物を見つけたと言わんばかりの笑顔で続ける。
「だから知りたい。」
「研究者だから?」
「もちろんそれもある。でも1番は私が知りたいから。」
「それに...」
急に真面目な顔になる。
「放っておけない。君の、君たちの力は危ういよ。だから調べてなんとかしたい。」
悠真は何も答えない。警戒も緩めていない。
その様子を見ていた栞が、一歩だけ前へ出て尋ねる。
「あなたは、この世界から出たい?」
「......。」
「出たくない?」
悠真は澪を見る。澪は小さく笑っているだけで何も言わない。答えを急かさない。
「......帰る場所はある。」
悠真がぽつりと呟く。
「現実は嫌いじゃない。」
その言葉に栞は目を見開いた。
「やっぱり...」
夢に囚われた人間ではない。
悠真は続ける。
「でも、ここには澪がいるんだ。」
その一言だけで返事は十分だった。失いたくない相手がいる事、その相手と深く繋がっている事。それがひしひしと伝わり、栞は胸が少し痛んだ。
「...わたしもわかるわ。」
真琴が小さくため息を吐く。
「やっぱり、今日は無理。」
栞も頷いた。
「ええ。戦っても意味がないもの。」
真琴は悠真へ向き直る。
「一つだけお願い。」
「断る。」
「まだ何も言ってない。」
「聞く前に断る。」
「頑固だなー君は。はいはい。じゃあ質問!」
「またここで会える?」
真面目な顔だ。右手を差し出して聞いてきた。
「聞いてもいいんじゃない?」
「澪。」
「この人たちは悪い人じゃない気がする。」
「......じゃあ、話くらいなら。」
小さく笑って握り返す。
「良かった。私は神代 真琴。あっちの愛想の悪い方は一ノ瀬 栞。よろしくね。青年。」
「天城悠真。こっちは妹の澪」
「天城 澪です。さっきはお兄ちゃんが思いっきりやってすみませんでした。」
「大丈夫大丈夫。悪いのはいきなり襲いかかったこっちだしね。怖い思いをさせてごめんなさい。」
談笑し始めた2人のそばで、悠真はしばらく黙ると剣を消し、赤い装甲が光になってほどけ、普段の姿へ戻った。光が集まり、変身ベルトに戻る。
「さっきの話だが、約束はしない。」
「うん。」
「でも...きっと来る。」
その返事だけで十分だった。真琴は満足そうに笑う。
「わかった。それでいいよ。」
その瞬間だった。真琴の身体が淡い光に包まれる。
「あ。」
本人も気付く。
「時間切れか。」
「時間切れ?」
「今日はここまで。」真琴は苦笑した。
「現実で起こされるんだよ。」
「......現実?」
「詳しくは明日!夢ばかりみてないでちゃんと寝るんだぞ!」
最後まで騒がしい。
「栞、後はよろしく。」
「ええ。」
真琴の身体が光になり、空気へ溶けるように消えた。
「......消えた。」「消えたねぇ。」
呆然と見守る。
「さっきはごめんなさい。」
栞が小さく頭を下げた。
「驚かせて。ほら、えーとあの......」
何か言おうとしている感じで少し考えた後、
「また明日。待ってるから。」
最後に少しだけ微笑んだ。その言葉を残し、栞もゆっくりと背を向ける。
糸が風に溶けるように伸びる。一歩、二歩。跳ねるように移動して見えなくなった。
「......変な人たちだったな。」
悠真が呟く。
「うん。」
澪は笑う。
「でも、悪い人達じゃないよ。大丈夫。」
「?」
「きっと、お兄ちゃんを助けに来てくれたんだよ。」
「俺を?」
「うん。」
悠真は苦笑する。
「助けなんて要らない。」
そう言った。だって、妹といるこの時間がこの世界が幸せなのだから。けれど胸の奥には、小さな違和感が残っていた。
――本当に、そうなのだろうか。
♢ ♢ ♢
アパートのカーテンの隙間から朝日が差し込む。それが目にかかりそこそこ痛い。
またいつもと同じ朝の風景だ。悠真はゆっくりと体を起こす。
「......夢。」
いつもなら曖昧になるはずの記憶。なのに昨夜の出来事は、驚くほど鮮明だった。
白衣の女性。糸を操る少女。赤いヒーロー。
そして。
「また明日。待ってるから」
あの一言が、あのわずかな笑顔が頭に残って離れなかった。