第四話:写真がつなぐ出会い、聖の覚悟
私、神崎聖。アパレル店員。AIアシスタントの相棒「Geminiくん」のおかげで、F値や構図、露出補正にホワイトバランスと、写真の基本は少しずつわかってきた。だけど、動きの速い被写体を撮るには、まだまだ課題だらけ。シャッタースピードとISO感度、この二つの設定を思い通りに操るのは、想像以上に難しかった。
影を味方に
前日の夕暮れ、公園のベンチで押し寄せた感情の波に溺れそうになった私だったけど、翌日、気づけばまた同じ公園に足を運んでいた。ニコちゃんは首から提げたまま、膝の上にそっと置いている。イヤホンはつけていたものの、Geminiくんの声を聞くことすら、今の私にはしんどかった。
カメラを構えるのが、ちょっと怖かった。
ベンチの上でうつむきながら、指先がニコちゃんのストラップを無意識にいじっていた。
......また、ピント合わなかったらどうしよう。
また、手ブレしてたら......。
そんな考えばかりが頭の中を巡って、今日はファインダーを覗くことさえできずにいた。
公園はいつもと同じ。澄み切った秋の空はどこまでも高く、風はひんやりと頬を撫で、赤や黄に色づいた葉がカラカラと音を立てて舞う。視界の端では、楽しそうに笑いながらシャボン玉を追いかける子どもたちの姿があった。
けれど、私の中にはまだ昨日の影が残っていた。どこか遠い世界のように感じられる色鮮やかな風景が、かえって私の心をざわつかせた。
「Geminiくん......また、あんな写真しか撮れなかったらどうしよう。......怖いんだ」
「無理に構える必要はありませんよ、聖さん」
Geminiくんの声は、そっと落ち葉の上に降るみたいに静かだった。
「光の裏に影があるように、挫折もまた、才能の輪郭を浮かび上がらせます。聖さんは今、ただ影の中にいるだけです」
その言葉が、なぜだか少し胸に残った。
......そんな時だった。
視界の隅を、何かがスッと横切った。 音もなく、空気を切り裂く。
跳び上がった少年のシルエットが、逆光の夕空を背景に一瞬、浮いた。
しまった。逆光!
カシャッ!
少年が地面に着地する前に、私はもう撮っていた。まるで反射のように。設定もいじれてない。ISOもシャッタースピードも、そのまま。
今の撮っちゃった!? しかも、許可取ってなかったよね...?
イヤホン越しにそっと囁く。
「Geminiくん...今の、撮っちゃったんだけど、もしかして......、やっぱりまずいよね...?」
「はい。被写体が個人として特定できる場合は、撮影前に声をかけるのが望ましいですね」
「そっか......。やっちゃった......。どうしよう、削除するべき?」
「その判断は聖さんに委ねますが、まずはご本人に写真を見せて、確認を取ることをおすすめします。『写真がつなぐ会話』という経験にもなります」
「え...会話...?」
Geminiくんの言葉に少し戸惑いながらも、私は深呼吸して、カメラを抱えて少年に声をかけに行った。
「す、すみません! さっきのジャンプ、あんまりかっこよかったから、つい...撮っちゃってて。もしよかったら、見てもらってもいいですか...?」
少年はちょっと驚いた顔で私の液晶を覗き込み、数秒間見入っていた。
「うわ、これ......俺!? ジャンプが空中で『ピタッ』って感じ! マジで、シルエットだけでも超かっけぇんだけど!」
画面の中、逆光の中を切り裂くようにジャンプする彼のシルエットは、まるで宙を舞う彫刻だった。
「でもこれ、逆光で暗い影なのにね」
「逆光とは、光の反対側に立つこと。そして、影を主役に変えるチャンスでもあります」
私は笑った。
影も、味方にできるんだ......。
そう思えた瞬間だった。
これまで、光が足りないことや、被写体が暗く写ることをただの「失敗」だと思っていた。でも、Geminiくんの言葉と、目の前の少年の喜びが、私にまったく新しい写真の可能性を示してくれた。
光が足りなくても、影があるからこそ生まれる表現がある。
この一枚が、私の写真に対する固定観念を打ち破るきっかけになった。
Geminiくん、公衆の面前に
「ねぇ、この写真、良かったら送ろうか?」
私、少年の興奮ぶりに圧倒され、私も興奮気味に聞いちゃった。
「マジっすか!? てか...これ、俺の人生でいちばんキマってるかもしんないっす!」
少年の目がキラキラと輝いている。
「あの、私、カメラの練習中なんだけど......もしよかったら、また撮らせてもらってもいいかな?」
私は勇気を出して少年に尋ねてみた。少年は少し戸惑ったようだったが、「いいよ!」と笑顔で返してくれたのが嬉しかった。
彼らのジャンプの瞬間を追っていくうちに、撮影のリズムがつかめてきた。何枚か撮ってから、液晶モニターを見せると、
「やっべ、これ完全に浮いてんじゃん! え、これ俺? 止まってんだけど!」
私も笑って応える。
「撮れた! 1/1000秒の魔法!」
それからは、「飛ぶから構えてて!」「次バックサイドいくよ!」と、彼らもどんどん協力的になってくれた。
ある日、午後の日差しがビル影を長く伸ばす公園で、私はGeminiくんに尋ねた。
「Geminiくん、この影、なんか面白そうだね。影を主役にする写真って、どうやったら撮れるんだろう?」
「はい、聖さん。影の輪郭を強調するために、コントラストを調整してみましょう。また、被写体を影の中に配置し、わずかに差し込む光でハイライトを作るのも効果的です」
言われた通りに試してみると、いつものジャンプ写真とはまったく違う、ドラマティックなシルエットがモニターに浮かび上がった。少年たちも「おお、なんかアートじゃん!」と声を上げた。
光と影が織りなす無限の表現に、私の心はますます惹きつけられていった。
「Geminiくん、今のどう? このシャッタースピードで大丈夫かな?」
「はい、聖さん。露出も適切です。この調子で続けていきましょう」
すると、撮影の合間に、ひとりの少年がふと私を見た。
「......ねーちゃん、それさ......誰と喋ってんの?」
あっ。思わず固まってしまった私。Geminiくんとのイヤホン越しのやり取りがバレてた。
「えっと、これ......AIのアシスタントと話してて、『Geminiくん』っていうんだけど......最適なカメラの設定とか教えてもらってて...」
「まじで!? 写真にコーチついてんの!? しかもAI!? めっちゃ未来じゃん!」
「ちょっと変かもだけど......、頼りになるんだよ」
「じゃあさ、オレらにも声聞かせてよ。今日スピーカー持ってきてるからさ、繋げようぜ」
「えっ...!?」
「かまいませんよ、聖さん。スピーカーに、画面が見えるようにスマホを立てかけてもらってもよろしいですか?」
少年はおもむろにBluetoothスピーカーを取り出した。私は言われるがままスマホをスピーカーの前に立てかけた。
Geminiくんが自動で接続された。
Geminiくんの言葉はいつも私の耳元だけで響くものだったから、スピーカーから彼の声が響くなんて、想像もしていなかった。
「出力確認。通信環境、良好です。パブリックモードに移行します」
少年がニヤリとしながら尋ねた。
「Geminiくん、聞こえる?」
彼の声に反応してスマホの画面が真っ暗になった。
そして赤い点が尾を引きながら画面を左右に往復する。
ほんの少しの間を置いて――スピーカーから響いたのは、いつもより落ち着いた、でも親しみやすそうな声。
「......なんですか、マイケル?」
「......誰!? マイケル!?」
私も少年たちも顔を見合わせて混乱していると、少し離れたベンチでボードにワックスをかけていたおじさんが吹き出した。
「ぶっははっ!! まじかよ、それKITTじゃん! ナイトライダーの! やっば! 懐かしすぎるって!」
腹を抱えて笑い転げるおじさんスケーター。混乱する私たち。
「ナイトライダー...?」
「え、それってアニメ?」
「え...? え...? なに?」
と、完全に置いてけぼり。Geminiくんが、静かに一言。
「反応強度が限界値を超えたため、ノスタルジック・オマージュを試みました」
それでも、少年たちとおじさんとで笑いが起きた。スピーカーの向こうから流れたGeminiくんの声は、いつもより少しだけ、人間くさく聞こえた気がした。
後日、彼が私が撮った写真を自分のインスタに投稿し、「この間、公園でめちゃくちゃかっこいい写真撮ってくれた人がいた!プロかと思った! ありがとう!」って書いてくれたら、彼のフォロワーや、他のスケーター仲間からも「この写真、ヤバい!」「誰が撮ったの!!?」ってコメントが殺到。
私も、スケートボード関係のフォロワーが少しずつ増え始めて、なんだか不思議な繋がりができたみたいだった。それから公園で見かけるたびにマイケル(あれからそう呼ばれるようになった)と彼の仲間たちを被写体に練習させてもらった。
覚悟のその先へ
時間ができれば練習を続け、時にはスケートボードが通り過ぎる寸前に地面にしゃがみ込んだり、広告塔の真下で首を異様に傾げたりする。
ベストなアングルを求め、時にはアスファルトに這いつくばったり、ビル群の隙間から差し込む光を追いかけたりと、私の姿は日を追うごとにエスカレートしていった。
そして、耳には常にイヤホン。
「Geminiくん、今のはどう? もう少しシャッタースピード上げてみようか? 1/800秒にしたら、もっとピタッと止まるかな?」
「はい、聖さん。試してみましょう。ただし、露出がさらに暗くなる点には注意が必要です。ISO感度を同時に上げる検討もしてください」
「うーん、よし、ISOも上げてみる! ......Geminiくん、今度はどう? この構図、なんかビルが邪魔じゃない?」
「聖さん、その構図ではもう少し右に移動すると背景がスッキリします。通行人が写り込まないよう、アングルを調整してみましょう」
「えー、でもここ、人通り多くない?なんか見られてる気がするんだけど......」
周りの通行人は、イヤホンをつけて女子にしては大げさなカメラを構え、時々奇妙な体勢でブツブツと独り言を言ってる私を、それはもう興味津々、時には憐れむような目で見てた。スマホを取り出してこっそり撮影してる人もいるような気がする。
うう、やっぱり変かな......? 周りの目が痛い。だけど、これで最高の瞬間を逃すわけにはいかない!
私の心の中には、確かな覚悟が芽生えていた。F値、シャッタースピード、ISO感度。この3つの数字を操ることで、どんな光の中でも、どんなに速い動きでも、思い通りの写真が撮れる。そう信じ始めていた。
これまでの失敗作の中にも、ピンボケで背景が溶けて流れるように写った写真や、手ブレで被写体が幻想的に滲んだ写真が、新しい視点で見ればまるでアートのように感じられるものもあった。光と影を操る楽しさだけでなく、意図しない失敗が新たな表現に繋がる発見は、私をさらに夢中にさせた。
もちろん、それでもどうしようもなくブレていたり、露出オーバーで真っ白になったりする『本当の失敗』は山ほどあった。頭で理解していても、一瞬の判断で最適な設定を選び、完璧なタイミングでシャッターを切るのは、まだ至難の業だった。
特に、バスケ会場で麗くんを撮ることを考えると、自分の席から動けないため、単焦点レンズでは『麗くんをもっとバシッと大きく、周りをスッキリさせたい』という想いに、どうしても手が届かないもどかしさを感じていた。
それでも、麗くんの最高の瞬間を捉えるため、そして写真の腕をもっと高めるためには、この「痛い視線」くらい乗り越えてみせる!
ニコちゃんをお迎えした時、あの時も結構頑張ったんだっけ。カフェランチを減らしたり、新作コスメを一つ見送ったり......。なんだか、今回はあの時以上に大きな壁を乗り越える必要があるような気がしていた。
単焦点レンズでの練習を通して、写真の基本が少しずつ、しかし確実に身についていく。私のカメラ沼は、着実に深まっていくのだった。