僕が望んだ世界 ―妖精に導かれて―
旅立ちの日から数日。
僕は故郷から離れた霧の高原に来ていた。
ここは旅の行き先に迷った人が祈願するために訪れるという場所。
この場所にはこれからの自分が進むべき道を示してくれるという逸話がある。
僕はここで旅の目的を探すんだ。
***
冒険に憧れていた僕は、15歳の成人を迎えた日の翌日、両親に書置きを残して家を飛び出した。
僕が昔から冒険に憧れていたことは両親も知っている。だからきっと今ごろ呆れていることだろう。いや怒っているかもしれない。
でも構うもんか。
今日は僕のもう一つの誕生日、僕が冒険者として新たに生まれ変わった日だ。
この日、初めて街から外に出た。
初めての魔物との戦闘。
初めての野営。
初めての冒険。
体験することすべてが新鮮だ。
しかし本当にこれで良かったのかな?
冒険に憧れて街を飛び出したものの、僕はそんなことを考えていた。
世界を救う伝説の勇者。
千の呪文と万の知識を持つ大賢者。
鋼の肉体と精神を持つ剣豪。
その存在に誰でも一度は憧れる。
しかしそのどれも僕じゃない。
冒険に憧れて家を出た。
でも憧れだけで終わらせたくない。
だから僕は自分の進むべき道を見つけに霧の高原に行くことにしたんだ。
***
霧の高原に足を踏み入れると、そこは文字どおり周囲が霧に包まれていた。
足元からは朝露をまとった草の香りがふんわり漂ってくる。故郷の近くにもこんな草原はあったから、その香りになんとなく気持ちが安らぐ。
でもここで何をどうすれば進むべき道が分かるのだろう?
霧の高原のことは多く語られている。
しかしここに何があるのかは何も伝えられていない。
僕はしばらく歩いたところで立ち止まり、周囲を見渡すけど、道を示すようなものは特に何もない。
大きなため息を1つ吐くと、再び足を動かす。
そうして30分ほど歩いた時にふと気づく。
――魔物がいない?
この世界で人の気配がない場所、それはすなわち魔物の生息地だ。
出てくる魔物は場所により異なるけども、ここみたいな人の気配がない場所ならば魔物に遭遇してもおかしくないはずだ。
僕は再び立ち止まり周囲に目を凝らす。
すると、霧の中にぼんやり光る小さな存在が視界に映る。
魔物か?
いや違う、あれは――妖精だ。
その妖精は手のひらで光の粒を揺らしながら、楽しげに笑っている。踊るように飛び回りながら、その妖精は僕の近くにやってくる。
そして、妖精は優しくささやきかけてくる。
「君はなにが見たい?」
その声はまるで穏やかな風のように優しく響く。
まるで母親の側にいるような安心感に包まれる。
妖精の言葉に一瞬戸惑うが、心の奥に小さな冒険心が芽生えていることに気づく。
「じゃあ......」
僕は考える。
この高原には自分の進むべき道を見つけに来たんだ。それなら見たいものは決まっている。
「僕の......僕の望むものを見せてほしい」
その言葉に妖精は楽しそうに笑うと、僕の周囲をくるくると飛び回る。それと共に周囲に光があふれだし、僕は思わず目を細める。
光が収まると周囲の霧もすっかりと晴れている。
妖精が僕のすぐ横にただよい、ある方向を指差す。
そっちの方向に目を向けると、そこには奇妙な道が現れていた。
その道には花々が色鮮やかに咲き誇り、花々の間に小さな光の小径が続いている。
妖精がその道の入り口までふわっと飛んでいくと、僕をその道へと誘う。
僕は誘われるがままにその道へ踏み入れると、驚きと期待で胸を高鳴らせながら歩き始める。
足元の草は柔らかく、踏むたびに露のしずくがきらりと光る。色とりどりの花々は僕が来るのを待っていたかのように、どれも満開の笑みを浮かべている。
道の先には、ひっそりとした小さな湖があった。
水面は鏡のように空を映し、朝日がきらめいている。湖の中央には、浮かぶ光の玉がゆらゆら揺れていた。
先を飛んでいた妖精が小さな羽をぱたぱたさせながら、僕に近づいてくると湖を指差す。
湖の水はとても澄んでいる。
ここまで綺麗な湖は見たことがない。
僕はほとりに立ちその水を手にすくうと、それを口にする。
すると......光の玉が突然浮かび上がり、そのまま飛び出してきて僕の手にすっと収まってきた。
驚きと同時に、僕の心の奥底に小さな安心感が広がった。その玉は暖かくて、柔らかくて、まるで生きているかのように微かに脈打っている。
「これがこの高原の秘密だよ」
妖精が耳元でささやく。
突然のささやきに驚いていると、妖精は悪戯っぽく笑いながら言葉を続ける。
「この光の玉はね、見たいもの、知りたいものをほんの少しだけ見せてくれるんだ」
僕は手の中にある玉を見つめる。
――僕の知りたいこと......。
目を閉じて、手の中の光の玉をそっと握る。
玉は光を放ち、その光があたりを包み、視界に色とりどりの光景が広がった。
静かな川の流れの音、夜に輝く星の丘、風に揺れる草原で過ごす穏やかな時間――。
それは子どもの頃から見てきた故郷の風景に似ていたけど、僕が知っているものよりも生き生きとしていた。
「......」
思わず息を呑む。
現実では高原にいるはずなのに、目の前に広がるのはいつも見ているような別世界。当たり前だった世界が当たり前じゃなくなる不思議さ。
僕は胸の中で心の高鳴りを感じた。
しばらくそのまま不思議な景色を眺めていたけど、それはやがて音もなくすぅーっと消えていく。
気づけば目の前は元の景色戻っていた。
妖精は僕の前でゆっくりと円を描くように飛びながら寂しそうに語りかける。
「この玉は一生のうちで一度しか使えない」
その声に悲しみを帯びているような気がした。
「今、君が見た景色。それが君の望んだ世界だ」
「僕の望んだ世界?」
「そう。料理を作りたい。鍛冶職人になりたい。歌を歌いたい。そんな自分の望みが景色になって現れるんだ」
望んだ世界が景色になる......。
「そしてその景色はこの高原を出たら忘れてしまう」
「えっ?それじゃ......」
「でもそれは心に刻まれて消えることはないんだ」
それがこの高原の秘密。
だから高原のことは語れることがなかったんだ。
「君は......何を見たんだい?」
僕は冒険に憧れて街を飛び出した。
そしてわずか数日だけど冒険した。
楽しかった。
楽しかったけど――。
「良く分からない」
「本当に?」
「うん、良く分からないけど......でも楽しそうな世界だった」
「うん」
「それはきっと......今からやろうとしていることでは得られない景色だと思う」
冒険に憧れていた。
しかし僕が本当に望むものは、きっとこれじゃない。
「僕は街に戻るよ、そしてあの景色を今度は自分で見に行くよ」
「うん。君の助けになれてよかったよ」
手の中の玉が光を失い、周囲が再び霧に包まれていく。
「君の見た世界が、君のいる世界になりますように......」
妖精はそう最後に言葉を残し、霧の中に消えていった。
僕は光を失った玉をそっと胸に押し当てる。
妖精が見せてくれた僕が望む世界......その世界へ想いを馳せる。
ここを出たらそれは記憶から消えてしまうという。
でも僕はきっと忘れない。
いつも見ていた景色だ、忘れようがない。
この高原で過ごした時間、それは今まで生きてきた時間、これから過ごす時間に比べたらごくわずかなものだろう。
でも僕の心には確かな輝きが残った。
しばらくそのままでいたが、やがて僕は光を失った玉を優しく地面に置く。
そして湖に背中を向けると、決意を込めた表情で歩き出していった。