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偽装された死、舞台裏から見る《案山子》の真実

 2036年6月6日 午前6時52分

 《案山子スケアクロウ》が眠りの淵から引き戻されたとき、その部屋の空気は既に他者の存在によって侵食されていた。鍵をかけたはずの自室。そこには、当然のように一人の男が立ち尽くしている。

「よう、今日はお前の番だぜ」
「......何やってんすか? 非常識ですよー、勝手に入ってくるなんて」

 寝ぼけ眼をこすりながら、《案山子スケアクロウ》は防衛本能のままに布団を手繰たぐり寄せ、侵入者を見やる。男は室内だというのにサングラスをかけており、その視線の先を読み取ることはできない。だが、その声には聞き覚えがあった。

「後方支援要員として、実働部隊の管理は俺の仕事だからだ。といっても、もう俺とお前だけになっちまったわけだが」
「おはよーございます。ちなみに、なんでスーツなんすか?」
「今日は別件の仕事が入っていると言っておいただろうが。聞いとけよ」
「そーでしたね。っていうか、別件も何も――」
「――思い出したならいい。とにかく、今日のお前の仕事内容は天乃あまの慎しんの護衛だ。使える手は何でも使え。以上、だ」
「護衛って言っても、直接の接触はなしってことでしょー?」
「そうだ。それで、ちゃんと遺書は書いたんだろうな」

 サングラスの男は事務的に手を差し出し、当然の権利であるかのように遺書の提出を迫る。

「やだなー。わかってるでしょー。僕が遺書を送る相手なんていないって」

 対する《案山子スケアクロウ》は、いつものようにへらへらとした笑いを浮かべて受け流す。

「困るんだよな。そこら辺の手続きは踏んでもらわんと。今日お前は確・実・に・死・ぬ・んだからよ」
「まー、それが僕という《案山子スケアクロウ》の役割ですからねー。人と入れ替わることで人の代わりをするデコイとしての性質。その他の機能はあくまでオマケですからねー」
「いいから、遺書を書いとけよ? んで、この部屋においておけ、あとで回収してやるから。俺はこれから所定の位置につく。云っておくが、俺は今回は戦力にならんからな。注意してくれよ」
「わかってますよー。では、また会いましょー」
「そうだな、俺が死んだら、地獄で会おう」

 死を前提とした不吉な挨拶を残し、男は音もなく部屋を去っていった。残された主は、パジャマ姿で小さく息を吐く。

「まったく、あの人は本当に、デリカシーという言葉がないのでしょーか」

 2036年6月6日 午前7時54分

 別れてからわずか一時間後。静寂を破ったのは、先程の男からの緊急連絡だった。

「どーしたんです?」
『時間がない。用件だけ伝える。アーサー・リードが来ている』
「アーサー・リード!? 何でそんな大物が?」
『知るか! とにかく、立場上、俺はこの情報を知り得ないことになっている。お前だけが頼りだ。周辺に利用できそうな魔術師はいるか?』
「このへんの普通の学生じゃー対抗できないっすよ。少なくとも、準備抜きの《案山子スケアクロウ》を長時間くらうよーなレベルじゃー逆に足手纏あしでまといですねー。っていうか、アーサー・リードに真面まともに正面から対抗できるのって、ここじゃあ《行き止まりデッドエンド》くらいしかいないんじゃないっすか?」
『......心当たりがある。水無月みなづき風華ふうかだ。彼女なら、対抗できるだろう』
「誰っすか? そんな名前聞いたことないっすけど。ん? ちょっと待ってください、『水無月みなづき』? まさかとは思いますけど、『氷獄ひょうごくの麗人れいじん』の関係者じゃないっすよね?」
『そのまさかだ』
「いやっすよ! 今日死ぬとしても、その死因が凍死だなんて!」
『議論している時間はない。正直、俺もこの案には反対だが、逆に妙案かもしれないと思えてきた』
「あーもー、わかりましたよ。水無月みなづき風華ふうかの位置情報は?」
『今送った。ついでに、彼女を誘導する位置も送った。ここまで誘導しろ。では、健闘を祈る』

 2036年6月6日 午前8時05分

「あの子? か?」

 送られた位置情報から現れた姿に、《案山子スケアクロウ》は絶句した。そこにいたのは、どう見ても小学生にしか見えない幼い少女だったからだ。しかし、その身に纏っているのは紛れもなく附属第三高の制服。外見と学年が一致しない、魔術的な「何か」を感じさせる存在。
 ――人を見た目で判断してはいけない。
 そう自らを律し、短時間で可能な限り魔力を練り上げ、渾身こんしんの《案山子スケアクロウ》を少女へと放つ。
 通常、この手の精神や認識に干渉する術式は、対象の「抗魔力」を上回らなければ発動すらしない。アーサー・リードと渡り合えるという言葉を信じ、手加減なしの一撃を叩き込んだ。
 だが、その魔術の構成体は、水無月みなづきに触れる直前で、まるで夏の霧が太陽に焼かれるように、あっさりと雲散霧消うんさんむしょうした。水無月みなづき本人は、自分が攻撃されたことにすら気づいていない様子で歩き続ける。

「なっ」

 戦慄が走る。次の瞬間、逆に自身の術式演算領域に「巨大な何か」が触れてくる気配を感じた。とっさに防御を固めようとしたが、その気配は興味を失ったかのように、あっさりと撤退てったいしていった。

「なんだったんだ? 今のは」

 立ち尽くす《案山子スケアクロウ》の耳元で、実体を持たない不敵な声が響いた。

『よお、どこの誰かは知らんが嬢ちゃんになんか用か?』

 反射的に術式を構えて振り向くが、そこには誰もいない。空虚な空間があるだけだ。

「誰だ」
『ワイのことはええやないか。それより嬢ちゃんに用か? “ 答・え・ろ・”』
「アーサー・リードという傭兵と戦闘させるため、彼女を操ろうとしてましたー......え? なんで、僕、喋っちゃったの?」

 強制的な自白。自身の意志とは無関係に口が動いた事実に、冷や汗が流れる。

『ふむふむ、なるほどのぉ、傭兵か。おもろいな、その催し。最近ちょっと嬢ちゃんもなまっとったからな。ちょうどええ、利用されてやるわ。おい、さっきのもう一発撃ち込んで来いや。今度は弾かんといてやる』

 幻聴であってくれと願いながらも、逆らう選択肢はない。再び練り上げた《案山子スケアクロウ》を水無月みなづきに仕掛ける。今度は抵抗なく術が吸い込まれ、水無月みなづきは学校へ向かう足を止め、操り人形のように歩みの方向を変えた。

「なんだったんだ? 今の? ま、結果オーライってことでー」

 巨大な違和感であっても思考の隅に追いやり、計画の遂行を優先する。それが生存戦略だった。

 2036年6月6日 午前9時45分

 事態は急変した。
 水無月みなづきを誘導し、指定の戦域へと導こうとした道中、《案山子スケアクロウ》は何らかの不可視の壁――強力な結界に阻まれ、前進を拒まれた。誘導されていたはずの水無月みなづきは、一度だけ背後を振り返り、その口元に微かな笑みを浮かべると、結界の影響など露ほども感じさせない様子で直進していった。
 結界内の様子を伺うことすら叶わない。だが、ここで即座に切り替えられるのが《案山子スケアクロウ》の冷徹なまでの合理性である。
 侵入不可能と判断するや否や、天乃あまの慎しんの命運を水無月みなづきという「不確定要素」に丸投げし、自分は次なる目的地――天乃あまのの居室へと向かうことに決めた。
 結果として、天乃あまのは水無月みなづきの助力によりアーサー・リードを退けるのだが、この《案山子スケアクロウ》の独断による移動は、無意味どころか決定的な邂逅をもたらすことになった。天乃あまのを狙う、もう一つの「毒牙」との遭遇である。

 2036年6月6日 午前10時12分

 違和感の正体を見つけたのは、執念深い観察眼だった。
 天乃あまのの住むマンション。そこを不自然に見張る二人組の存在を、三キロほど離れた別棟のマンションの空き室から発見したのだ。
 巧妙に偽装された超小型望遠レンズを用い、天乃あまのの部屋の入り口を凝視する二人組。
 《案山子スケアクロウ》が二人組の存在に気付いたのは、《案山子スケアクロウ》も彼らと同様に天乃あまのの部屋の入口を見張ろうとしていたからに他ならない。
 ちょうどいい条件のところを探していたら、たまたま先客がいたのである。
 学ランを着た若い少年と、くたびれたスーツの中年男。
 魔術師であることは疑いようもなかったが、認識を支配する《案山子スケアクロウ》にとって、先手を取れるこの状況は勝利と同義だった。躊躇なく術式を発動させ、二人の意識を檻に閉じ込める。
 そのまま二人の記憶の深層を漁り、その正体を引き出した。
 ――懐古主義者ノスタルジア。
 彼らはその構成員であり、中年の男、欠月かけづき恭二きょうじは五感を掌握する極めて危険な術式感覚奪取の使い手であり、若い男、折木おれき撥天はってんは身体強化の達人であることが判明した。彼らは三日前から潜伏し、天乃あまのを狙っていたが、姿を捉えられずにいたため、慎重を期して襲撃を控えていたようだった。なお、謎の黒髪に赤い和装の少女の出入りは確認していた模様だ。
 《案山子スケアクロウ》は彼らの記憶を操作し、自分を「上司」として再定義させ、行動を統制下に置く。
 その後、欠月かけづきに無意味な三つの嘘を吐かせ、正常に「嘘」が判定されることを確認した上で、《案山子スケアクロウ》と欠月かけづきの《感覚奪取》を入れ替えさせた。
 そして、監視用の通信機を一つ奪い取ると、彼らをその場に残して昼食へと向かう。
 学生街である浅木は飲食店が多いが、平日のこの時間に学生風の姿でうろつくのは警備隊の目を引きかねない。結局、コンビニ弁当を買い込み、見張りの二人組が潜むあの空き室へと戻って昼食を済ませることにした。

 2036年6月6日 午後12時45分

『天乃あまの慎しんが警備隊庁舎に入ってきたようだ』

 弁当を食べ終え、まどろんでいた意識にサングラスの男から通信が入る。《案山子スケアクロウ》は跳ね起き、二人に継続監視を命じて警備隊本庁へと急行した。
 一時間ほど張り込んだところで、欠月かけづきから再び報告が入る。

『なんか、オーバーオールの若い女が天乃あまのの部屋に入っていきました。どうしましょう』
「若い女? いつもの着物の子供じゃないのか?」
『さすがに見間違いませんよ。画像を送ります』
「だよねー。ふーん。結構可愛いじゃん。まー見張りは継続。部屋の様子が変わったらまた連絡よろしく」
『了解です』

 2036年6月6日 午後2時50分

 天乃あまの慎しんと水無月みなづき風華ふうかが庁舎から姿を現したのは、午後3時前頃であった。
 二人は不審なコートの男と接触した後、そのままマンションへと戻っていく。再び欠月かけづきからの通信が入る。

『天乃あまのが帰宅しました。だが、様子がおかしい。扉を開けたと思ったら、すぐに出てきました。そのまま――なんだ? なにぃ、飛び降りた? 五階から!?』
「どしたー。連絡は正確にしろ? 天乃あまのが飛び降りただとー!?」
『いえ、そうとしか見えなかったのですが、そのまま走り去ったとのことです。追いますか?』
「いや、そっちはこちらに任せて部屋の見張りを優先しろー? さっきの若い女はどーした?」
『今、出てきました。あれは、ナイフです。血まみれだ。どこかの組織の者でしょうか? 我々も出た方が――』
「はい、ここで我々の目的を復唱してみよーか」
『――天乃あまの慎しんの暗殺です』
「だったら、仮にそいつが殺ってもいいわけだ。とりあえず、部屋の様子は逐一報告しろ。以上、通信終了」

 通信を切る手には汗が滲んでいた。実は、マンションから飛び降りてきた天乃あまのと危うく鉢合わせするところだったのだ。だが、錯乱状態にあった天乃あまのは周囲を顧みる余裕もなく、そのまま走り去っていった。
 《案山子スケアクロウ》は、その背中を必死に追う。

「ちょっ、先輩速すぎ。どんだけ全力疾走なのさー」

 身体能力の差は明白だった。全力で追跡したものの、視界から天乃あまのの姿が消える。

「くそー、実働部隊っていっても僕はどちらかというとトリックプレー担当なんだよなー。こーいった純粋な体力勝負はしないんだよー」

 三叉路で足を止め、荒い息をつく。どちらへ向かえばいいのか、直感が揺らぐ。

「どーしよーかなー。総当たりしてる時間はないんだよなー。こーなるなら、あいつらを使った方がよかったか?」
「ねぇ、そこのあなた、天乃あまの君を見なかった?」

 背後からかけられた声に、心臓が跳ねた。
 振り返ると、そこには画像で見たオーバーオールの少女が立っていた。凶器のナイフは巧妙に隠されているが、立ち込める血の匂いと濃密な殺気が、彼女の異常性を物語っていた。

「ねえ、聞こえた? 天乃あまの君を探しているの」
「えーっと、天乃あまの君って誰?」

 平静を装い、無知な通行人を演じる。
 おそらく、天乃あまのという名前はカマかけで、その名に反応すれば、この少女は何のためらいもなくその牙を剥くであろうことは想像に難くなかった。

「あっ、そうだね。天乃あまの君じゃわからないよね。ごめんね。ここをなんか走っていった男の子なんだけど」
「さぁ、僕も今ここに来たところだからね。見てないよ」

 少女――ジェーンは、獲物を見定めるような目でニヤリと笑った。

「そうだよね。君もここまで走ってきたみたいだから。呼吸を整えているけど、私、そういうのわかっちゃうんだ。ねぇ、どうして走っていたのにここで止まってたの? もしかして、誰かを追いかけていたけど見失っちゃったとか?」
「まさか。ちょっと至急の用事でね。急いでたんだけど疲れちゃったんだよ。じゃあ、僕はこっちに行くね」

 これ以上の接触は死に直結すると本能が告げていた。三叉路の右側へと歩を進める。

「そう、気を付けてね。あなた、死相が出てるし」
「え?」
「私じゃない、あなたを殺すのは。じゃあね」

 ジェーンは確信に満ちた足取りで直進していった。目的地を完全に把握しているかのように。

「ふぅー」

 姿が見えなくなった途端、冷や汗が噴き出した。

「あれはヤバいなー。もー、先輩ってばヤバい奴らに命狙われ過ぎじゃね?」

 《案山子スケアクロウ》はジェーンの方角を避け、右の道を急ぐ。やがて左に折れる小道を見つけ、天乃あまのの気配を追った。

 2036年6月6日 午後4時42分

『天乃あまのの部屋から、少女が出てきました。例の着物の少女です。少女から羽が生えて!? 飛んだ!!? 何が起こっているのか、わかりません!!』
「わかった、ご苦労。こっちも今ヤバいから。交信終了」

 現場の状況は限界を超えていた。
 天乃あまのの前には『殺し屋』という名の圧倒的な理不尽が立ちはだかっていた。
 御堂が放つ《流星ミーティア》という暴威。その光景に絶句しながらも、《案山子スケアクロウ》は冷徹に状況を分析し続けていた。
 首から血を噴き出して倒れる天乃あまの。それでもなお、ジェーンを人質に取り足掻こうとする。だが、それは悪手でしかなかった。『殺し屋』は人質など歯牙にもかけず、天乃あまのという標的だけを見据えて突っ込んでくる。
 ――今だ。
 介入の瞬間はここしかなかった。懐古主義者ノスタルジアの男から奪った《感覚奪取》を遠隔起動させ、『殺し屋』の目測をわずかに、だが決定的に狂わせる。
 その隙に、天乃あまのの最強の使い魔――英莉えりが戦場に降臨した。
 『殺し屋』は潮時と悟り、撤退する。
 直後に現れた《行き止まりデッドエンド》の圧倒的な威圧感に、死を覚悟した《案山子スケアクロウ》だったが、彼もまた天乃あまのを放置して立ち去った。
 静寂が戻った戦場には、天乃あまの、英莉えり、そして姿を隠した《案山子スケアクロウ》だけが残された。
 生き延びた安堵と、自分以外の護衛が機能していなかった事実への不安が、複雑に胸中を掻き乱す。

 2036年6月6日 午後5時25分

『天乃あまのと少女が戻りました』
「知ってるよ」
「戻りましたか」

 天乃あまのたちの帰還を追尾しながら、例の空き室へと戻る。懐古主義者ノスタルジアの二人は、操られたままの忠実な部下として報告を続けていた。
 この二人の処分。それが最大の問題だった。

「あの、《案山子スケアクロウ》さん。状況は? 襲撃はいつ仕掛けますか?」
「えーっと、そーだな。まずは――」

 言葉の途中で、欠月かけづきに《感覚奪取》を返還し、本来の《案山子スケアクロウ》を自身の手に取り戻す。

「――ちょっと考える時間をください」

 二人の意識は、催眠状態のように停止する。
 《案山子スケアクロウ》は、マンションの壁に背を預け、自問自答した。

(どーする? 本当に僕の他にはあの使い魔だけだった。あの瞬間に介入しなかったことからすると、他の護衛がいたとしても実力不足だ。ここで、僕が死ねば、先輩は近いうちに死んでしまう。どーする。どーする。《案山子スケアクロウ》は今日ここで死ぬ。それは避けられない。世界の修正力からは逃げられない。それこそがこの魔術の真の機能なのだから、それ自体に否やはない。けど、この状況を放置していーものなのだろーか)

 バイブレーション。ポケットの中の携帯端末が震えた。後方支援のサングラスの男からだ。

『よう、今日はお前の番だぜ。これで目的は達成される。ご苦労だったな』
「なー、先輩は本当に大丈夫なだろーか。もー僕がいなくなっても大丈夫なんだろーか」
『さあな、だが、今日を辛うじて生き残った。いや、まだ時間はあるか。最期に、何かあるか? 遺書がなかったもんでな。伝言という形で聞いとくぞ?』
「まだ、死ぬわけにはいかない」
『《案山子スケアクロウ》。気持ちはわかる。全員そうだ。死にたくないさ』
「そーじゃない! このままじゃ先輩が死ぬ。目的を達成できない。今日実感した。先輩の敵は大きすぎる!」
『......そうだな。認めるよ。俺一人では何もできない。俺はあくまで偽物だからな。だが、当面の危険は一応去ったはずなんだ』
「――用意してもらいたいものがあります」
『なんだ?』
「口の堅い狙撃手を」

 2036年6月6日 午後8時12分

「ただいまー、英莉えりー、ご飯できてるー? あれ? 生きてたの、兄貴?」

 2036年6月6日 午後8時37分

「結論から、いう。オレに“妹”はいない!!」

 2036年6月6日 午後8時51分

「――オマエが操られてるってのはわかった。仮に、オレを殺すようなことがあっても気にするな。もちろん、ただで殺されてやるつもりはない。せいぜい足掻いてやるさ」
「足掻く、じゃと?」
「だから、オマエも足掻け。限界までな」

 2036年6月6日 午後9時21分

「僕のことは、そーですね、《案山子スケアクロウ》とでも呼んでください。あなたの後輩にして後継機にして後方支援を担当していますよー、先輩」

 2036年6月6日 午後9時43分

「誰が僕を殺すのか、です。その答えは、おそらく、この世界です」

 2036年6月6日 午後10時06分

 屋上の冷たい風が吹く。

「えーっとですねー。先輩の部屋がこっちだから、その方向ですね。ちょうどこの真下くらいですかね?」

 刹那。小さな破裂音と共に、《案山子スケアクロウ》と名乗った少年の顔面が粉砕された。即死。その身体は幻覚のフェンスを透過し、暗闇の底へと消えていく。英莉えりは天乃あまのを庇うように立ち塞がり、周囲の警戒を強めた。
 その惨劇を、離れた場所から見守る者たちがいた。

「これで、いいのか? 《案山子スケアクロウ》――いや、今はただの藤咲ふじさき夏南かなちゃんだったかな?」

 サングラスを掛けた男――間森まもり啓吾けいごが、隣に立つ少・女・に声をかける。

「そーですよ。《案山子スケアクロウ》は今死んだ少年です。僕はこの事件にニアミスしたかわいそうな少女こと――藤咲ふじさき夏南かなちゃんですよー。にしても、後方支援担当の間森まもりさんが狙撃銃を扱えるとは思わなかったですー」

 間森まもりは標的から目を逸らし、隣でへらへらと笑う少女――藤咲ふじさきを見やる。

「驚いたのは俺の方だ。まさか、懐古主義者ノスタルジアの連中を《案山子スケアクロウ》に仕立て上げて殺すことで死を免れようとするなんてな。普通は思いつかない」
「彼らには全部かぶってもらいましたからねー」

 《案山子スケアクロウ》こと藤咲ふじさき夏南かなの描いた筋書きは、あまりにも残酷で緻密だった。
 間森まもりに狙撃を依頼した後、懐古主義者ノスタルジアの二人にのうち、学ランの少年、折木おれきの記憶を徹底的に書き換え、自分こそが天乃あまのを護衛する《案山子スケアクロウ》であると思い込ませた。折木おれきには藤咲ふじさきが本日体験した記憶と、午後6時に自分が飛び降りた姿を目撃したという死へと続く偽りの記憶を植え付ける。その後、折木おれきに「嘘」を強制させ、《案山子スケアクロウ》の術式を植え付ける。
 そして、欠月かけづきには《感覚奪取》を用いた襲撃計画を実行させる。
 これにより、欠月かけづきは《感覚奪取》を使う懐古主義者ノスタルジアの暗殺者となり、折木おれきは《案山子スケアクロウ》を使う天乃あまのの護衛者となる。
 あとは、予め描いていたストーリーに沿って二人を動かすだけである。
 そのストーリーとは、懐古主義者ノスタルジアの暗殺者を撃退した天乃あまのの護衛者が、最期の時間を使って天乃あまのに警告を発し、死亡するという筋書きである。
 まずは、天乃あまのの護衛となっている折木おれきに《案山子スケアクロウ》を名乗らせ、欠月かけづきを撃退させる。そして、折木おれきは《案山子スケアクロウ》を用いて欠月かけづきから《感覚奪取》を奪い、藤咲ふじさきの姿かたちをした幻影を天乃あまのの妹として天乃のマンションに登場させる。
 天乃あまのは、その正体を看破し、屋上へと上がる。このとき、折木おれきは《感覚奪取》を用いて姿を隠しつつ、待機する。
 エリザベートが力技で折木おれきの居場所を看破し、藤咲ふじさきに扮した折木おれきを攻撃する。
 その後、折木おれきに操作された欠月かけづきが《案山子スケアクロウ》を用いて予め《案山子スケアクロウ》にかかった状態にある、英莉えりを操り、天乃あまのを攻撃させる。なお、この際、欠月かけづきは《誘導記憶操作》という存在しない術式を使用していると勘違いさせられている。実際に、英莉えりを操った術式は《案山子スケアクロウ》である。
 だが、天乃あまのと英莉えりはその裏をかき、欠月かけづきを倒し、拘束する。
 天乃あまのと英莉えりは再び屋上に戻り、《感覚奪取》を使う折木おれきと戦闘する。
 その後、折木おれきが《案山子スケアクロウ》であること、目的は護衛であることなどを話させたうえで、《感覚奪取》で作成した偽りのフェンスまで誘導する。
 その際、折木おれきは《案山子スケアクロウ》を解除し、欠月かけづきに《感覚奪取》を返還し、その術式を維持させる。
 だから、間森まもりに狙撃された折木おれきが死んでもフェンスの幻覚はしばらく残ったのである。
 最後に、欠月かけづきの口から伝言を吐かせ、自害という形で全ての証拠を消し去る。

「それで、お前はどうする、藤咲ふじさき?」
「え? まー、今回の件で僕は魔術を失いましたからねー。《案山子スケアクロウ》はともかく《感覚奪取》は欲しかったですねー。でも、とっさに考えたアイデアではこの結末が限界でしたー。しばらくは世界の修正力に怯えながら学生生活を楽しもーと思いますよ?」
「そうか。せっかく拾った命だ。むやみに捨てないことだな」
「間森まもりさんは? これからどーなさるのですか?」
「俺はあいつの級友だ。それ以上の関係はないよ。だから、級友にできることをやるだけさ」
「そーですか。では、僕はしばらくは大人しくしとくので、先輩のこと、頼みましたよ」
「だから、ただの級友ができる限度で頑張るって話だよ」
「はいはい。それじゃー僕は帰りますが、あの部屋にはもう帰れませんね。《案山子スケアクロウ》が生きているというわけにはできませんから」
「......ここに俺のセーフハウスのカードキーがある。しばらくはここを使え。あと、通信機は廃棄しといてやるから俺に渡せ」
「へー、なんだかんだで優しーですよね、間森まもりさん」
「後輩の女の子にいい格好をしようとしているだけさ」
「そーいうことを言わなければなー」
「ワンチャン?」
「ないですねー」
「即答かよ!!」

 騒がしいバイブ音が、間森まもりの胸元から響く。発信者を確認し、彼は真剣な表情で電話に出た。

「間森まもりだ」
『あぁー。わっちじゃ。主殿の居所で死人が出た。数は二人。但し、一人は行方不明じゃ。手配を頼む。目撃者はおらんはずじゃ』
「人払いは?」
『ん? そうじゃな、念のために人払いを頼む。わっちらはどうする?』
「そうだな、知らんぷりして家に帰ってな」
『そうか、わかった。じゃあの』

「先輩の使い魔ちゃんからですかー?」
「そうだよ。これから楽しい楽しい残業の時間さ」
「そーですかー。では、僕はこれでー。セーフハウスはありがたく使わせてもらいますねー」
「はいはい。じゃあな」

 闇に紛れ、二人の影は別の方向へと消えていく。
 こうして、天乃あまの慎しんの護衛チームは、一人の後方支援要員と、魔術を失い名を変えた「少女」を残し、表向きは懐古主義者ノスタルジアの暗殺部隊と相打ちという形で壊滅した。

 当日、天乃あまののマンション前で射殺体として発見されたのは、懐古主義者ノスタルジアの折木おれき撥天はってん。英莉えりが死体を発見できなかったのは、潜伏していた欠月かけづき恭二きょうじが《感覚奪取》で認識を阻害していたからだった。
 百目鬼亜澄の協力を得た間森まもりによって、この死体は《案山子スケアクロウ》として処理され、欠月かけづきの自殺と共に闇に葬られた。

 2036年6月6日。天乃あまの慎しんを取り巻く嵐の裏側は、こうして一時の終止符を打ったのである。
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修正力の盲点、血塗られた《案山子》
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脱落者が敷く新ルール
Replica ― Amphitheatrum Ideale ―作者:根岸重玄
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偽装された死、舞台裏から見る《案山子》の真実

 2036年6月6日 午前6時52分

 《案山子スケアクロウ》が眠りの淵から引き戻されたとき、その部屋の空気は既に他者の存在によって侵食されていた。鍵をかけたはずの自室。そこには、当然のように一人の男が立ち尽くしている。

「よう、今日はお前の番だぜ」
「......何やってんすか? 非常識ですよー、勝手に入ってくるなんて」

 寝ぼけ眼をこすりながら、《案山子スケアクロウ》は防衛本能のままに布団を手繰たぐり寄せ、侵入者を見やる。男は室内だというのにサングラスをかけており、その視線の先を読み取ることはできない。だが、その声には聞き覚えがあった。

「後方支援要員として、実働部隊の管理は俺の仕事だからだ。といっても、もう俺とお前だけになっちまったわけだが」
「おはよーございます。ちなみに、なんでスーツなんすか?」
「今日は別件の仕事が入っていると言っておいただろうが。聞いとけよ」
「そーでしたね。っていうか、別件も何も――」
「――思い出したならいい。とにかく、今日のお前の仕事内容は天乃あまの慎しんの護衛だ。使える手は何でも使え。以上、だ」
「護衛って言っても、直接の接触はなしってことでしょー?」
「そうだ。それで、ちゃんと遺書は書いたんだろうな」

 サングラスの男は事務的に手を差し出し、当然の権利であるかのように遺書の提出を迫る。

「やだなー。わかってるでしょー。僕が遺書を送る相手なんていないって」

 対する《案山子スケアクロウ》は、いつものようにへらへらとした笑いを浮かべて受け流す。

「困るんだよな。そこら辺の手続きは踏んでもらわんと。今日お前は確・実・に・死・ぬ・んだからよ」
「まー、それが僕という《案山子スケアクロウ》の役割ですからねー。人と入れ替わることで人の代わりをするデコイとしての性質。その他の機能はあくまでオマケですからねー」
「いいから、遺書を書いとけよ? んで、この部屋においておけ、あとで回収してやるから。俺はこれから所定の位置につく。云っておくが、俺は今回は戦力にならんからな。注意してくれよ」
「わかってますよー。では、また会いましょー」
「そうだな、俺が死んだら、地獄で会おう」

 死を前提とした不吉な挨拶を残し、男は音もなく部屋を去っていった。残された主は、パジャマ姿で小さく息を吐く。

「まったく、あの人は本当に、デリカシーという言葉がないのでしょーか」

 2036年6月6日 午前7時54分

 別れてからわずか一時間後。静寂を破ったのは、先程の男からの緊急連絡だった。

「どーしたんです?」
『時間がない。用件だけ伝える。アーサー・リードが来ている』
「アーサー・リード!? 何でそんな大物が?」
『知るか! とにかく、立場上、俺はこの情報を知り得ないことになっている。お前だけが頼りだ。周辺に利用できそうな魔術師はいるか?』
「このへんの普通の学生じゃー対抗できないっすよ。少なくとも、準備抜きの《案山子スケアクロウ》を長時間くらうよーなレベルじゃー逆に足手纏あしでまといですねー。っていうか、アーサー・リードに真面まともに正面から対抗できるのって、ここじゃあ《行き止まりデッドエンド》くらいしかいないんじゃないっすか?」
『......心当たりがある。水無月みなづき風華ふうかだ。彼女なら、対抗できるだろう』
「誰っすか? そんな名前聞いたことないっすけど。ん? ちょっと待ってください、『水無月みなづき』? まさかとは思いますけど、『氷獄ひょうごくの麗人れいじん』の関係者じゃないっすよね?」
『そのまさかだ』
「いやっすよ! 今日死ぬとしても、その死因が凍死だなんて!」
『議論している時間はない。正直、俺もこの案には反対だが、逆に妙案かもしれないと思えてきた』
「あーもー、わかりましたよ。水無月みなづき風華ふうかの位置情報は?」
『今送った。ついでに、彼女を誘導する位置も送った。ここまで誘導しろ。では、健闘を祈る』

 2036年6月6日 午前8時05分

「あの子? か?」

 送られた位置情報から現れた姿に、《案山子スケアクロウ》は絶句した。そこにいたのは、どう見ても小学生にしか見えない幼い少女だったからだ。しかし、その身に纏っているのは紛れもなく附属第三高の制服。外見と学年が一致しない、魔術的な「何か」を感じさせる存在。
 ――人を見た目で判断してはいけない。
 そう自らを律し、短時間で可能な限り魔力を練り上げ、渾身こんしんの《案山子スケアクロウ》を少女へと放つ。
 通常、この手の精神や認識に干渉する術式は、対象の「抗魔力」を上回らなければ発動すらしない。アーサー・リードと渡り合えるという言葉を信じ、手加減なしの一撃を叩き込んだ。
 だが、その魔術の構成体は、水無月みなづきに触れる直前で、まるで夏の霧が太陽に焼かれるように、あっさりと雲散霧消うんさんむしょうした。水無月みなづき本人は、自分が攻撃されたことにすら気づいていない様子で歩き続ける。

「なっ」

 戦慄が走る。次の瞬間、逆に自身の術式演算領域に「巨大な何か」が触れてくる気配を感じた。とっさに防御を固めようとしたが、その気配は興味を失ったかのように、あっさりと撤退てったいしていった。

「なんだったんだ? 今のは」

 立ち尽くす《案山子スケアクロウ》の耳元で、実体を持たない不敵な声が響いた。

『よお、どこの誰かは知らんが嬢ちゃんになんか用か?』

 反射的に術式を構えて振り向くが、そこには誰もいない。空虚な空間があるだけだ。

「誰だ」
『ワイのことはええやないか。それより嬢ちゃんに用か? “ 答・え・ろ・”』
「アーサー・リードという傭兵と戦闘させるため、彼女を操ろうとしてましたー......え? なんで、僕、喋っちゃったの?」

 強制的な自白。自身の意志とは無関係に口が動いた事実に、冷や汗が流れる。

『ふむふむ、なるほどのぉ、傭兵か。おもろいな、その催し。最近ちょっと嬢ちゃんもなまっとったからな。ちょうどええ、利用されてやるわ。おい、さっきのもう一発撃ち込んで来いや。今度は弾かんといてやる』

 幻聴であってくれと願いながらも、逆らう選択肢はない。再び練り上げた《案山子スケアクロウ》を水無月みなづきに仕掛ける。今度は抵抗なく術が吸い込まれ、水無月みなづきは学校へ向かう足を止め、操り人形のように歩みの方向を変えた。

「なんだったんだ? 今の? ま、結果オーライってことでー」

 巨大な違和感であっても思考の隅に追いやり、計画の遂行を優先する。それが生存戦略だった。

 2036年6月6日 午前9時45分

 事態は急変した。
 水無月みなづきを誘導し、指定の戦域へと導こうとした道中、《案山子スケアクロウ》は何らかの不可視の壁――強力な結界に阻まれ、前進を拒まれた。誘導されていたはずの水無月みなづきは、一度だけ背後を振り返り、その口元に微かな笑みを浮かべると、結界の影響など露ほども感じさせない様子で直進していった。
 結界内の様子を伺うことすら叶わない。だが、ここで即座に切り替えられるのが《案山子スケアクロウ》の冷徹なまでの合理性である。
 侵入不可能と判断するや否や、天乃あまの慎しんの命運を水無月みなづきという「不確定要素」に丸投げし、自分は次なる目的地――天乃あまのの居室へと向かうことに決めた。
 結果として、天乃あまのは水無月みなづきの助力によりアーサー・リードを退けるのだが、この《案山子スケアクロウ》の独断による移動は、無意味どころか決定的な邂逅をもたらすことになった。天乃あまのを狙う、もう一つの「毒牙」との遭遇である。

 2036年6月6日 午前10時12分

 違和感の正体を見つけたのは、執念深い観察眼だった。
 天乃あまのの住むマンション。そこを不自然に見張る二人組の存在を、三キロほど離れた別棟のマンションの空き室から発見したのだ。
 巧妙に偽装された超小型望遠レンズを用い、天乃あまのの部屋の入り口を凝視する二人組。
 《案山子スケアクロウ》が二人組の存在に気付いたのは、《案山子スケアクロウ》も彼らと同様に天乃あまのの部屋の入口を見張ろうとしていたからに他ならない。
 ちょうどいい条件のところを探していたら、たまたま先客がいたのである。
 学ランを着た若い少年と、くたびれたスーツの中年男。
 魔術師であることは疑いようもなかったが、認識を支配する《案山子スケアクロウ》にとって、先手を取れるこの状況は勝利と同義だった。躊躇なく術式を発動させ、二人の意識を檻に閉じ込める。
 そのまま二人の記憶の深層を漁り、その正体を引き出した。
 ――懐古主義者ノスタルジア。
 彼らはその構成員であり、中年の男、欠月かけづき恭二きょうじは五感を掌握する極めて危険な術式感覚奪取の使い手であり、若い男、折木おれき撥天はってんは身体強化の達人であることが判明した。彼らは三日前から潜伏し、天乃あまのを狙っていたが、姿を捉えられずにいたため、慎重を期して襲撃を控えていたようだった。なお、謎の黒髪に赤い和装の少女の出入りは確認していた模様だ。
 《案山子スケアクロウ》は彼らの記憶を操作し、自分を「上司」として再定義させ、行動を統制下に置く。
 その後、欠月かけづきに無意味な三つの嘘を吐かせ、正常に「嘘」が判定されることを確認した上で、《案山子スケアクロウ》と欠月かけづきの《感覚奪取》を入れ替えさせた。
 そして、監視用の通信機を一つ奪い取ると、彼らをその場に残して昼食へと向かう。
 学生街である浅木は飲食店が多いが、平日のこの時間に学生風の姿でうろつくのは警備隊の目を引きかねない。結局、コンビニ弁当を買い込み、見張りの二人組が潜むあの空き室へと戻って昼食を済ませることにした。

 2036年6月6日 午後12時45分

『天乃あまの慎しんが警備隊庁舎に入ってきたようだ』

 弁当を食べ終え、まどろんでいた意識にサングラスの男から通信が入る。《案山子スケアクロウ》は跳ね起き、二人に継続監視を命じて警備隊本庁へと急行した。
 一時間ほど張り込んだところで、欠月かけづきから再び報告が入る。

『なんか、オーバーオールの若い女が天乃あまのの部屋に入っていきました。どうしましょう』
「若い女? いつもの着物の子供じゃないのか?」
『さすがに見間違いませんよ。画像を送ります』
「だよねー。ふーん。結構可愛いじゃん。まー見張りは継続。部屋の様子が変わったらまた連絡よろしく」
『了解です』

 2036年6月6日 午後2時50分

 天乃あまの慎しんと水無月みなづき風華ふうかが庁舎から姿を現したのは、午後3時前頃であった。
 二人は不審なコートの男と接触した後、そのままマンションへと戻っていく。再び欠月かけづきからの通信が入る。

『天乃あまのが帰宅しました。だが、様子がおかしい。扉を開けたと思ったら、すぐに出てきました。そのまま――なんだ? なにぃ、飛び降りた? 五階から!?』
「どしたー。連絡は正確にしろ? 天乃あまのが飛び降りただとー!?」
『いえ、そうとしか見えなかったのですが、そのまま走り去ったとのことです。追いますか?』
「いや、そっちはこちらに任せて部屋の見張りを優先しろー? さっきの若い女はどーした?」
『今、出てきました。あれは、ナイフです。血まみれだ。どこかの組織の者でしょうか? 我々も出た方が――』
「はい、ここで我々の目的を復唱してみよーか」
『――天乃あまの慎しんの暗殺です』
「だったら、仮にそいつが殺ってもいいわけだ。とりあえず、部屋の様子は逐一報告しろ。以上、通信終了」

 通信を切る手には汗が滲んでいた。実は、マンションから飛び降りてきた天乃あまのと危うく鉢合わせするところだったのだ。だが、錯乱状態にあった天乃あまのは周囲を顧みる余裕もなく、そのまま走り去っていった。
 《案山子スケアクロウ》は、その背中を必死に追う。

「ちょっ、先輩速すぎ。どんだけ全力疾走なのさー」

 身体能力の差は明白だった。全力で追跡したものの、視界から天乃あまのの姿が消える。

「くそー、実働部隊っていっても僕はどちらかというとトリックプレー担当なんだよなー。こーいった純粋な体力勝負はしないんだよー」

 三叉路で足を止め、荒い息をつく。どちらへ向かえばいいのか、直感が揺らぐ。

「どーしよーかなー。総当たりしてる時間はないんだよなー。こーなるなら、あいつらを使った方がよかったか?」
「ねぇ、そこのあなた、天乃あまの君を見なかった?」

 背後からかけられた声に、心臓が跳ねた。
 振り返ると、そこには画像で見たオーバーオールの少女が立っていた。凶器のナイフは巧妙に隠されているが、立ち込める血の匂いと濃密な殺気が、彼女の異常性を物語っていた。

「ねえ、聞こえた? 天乃あまの君を探しているの」
「えーっと、天乃あまの君って誰?」

 平静を装い、無知な通行人を演じる。
 おそらく、天乃あまのという名前はカマかけで、その名に反応すれば、この少女は何のためらいもなくその牙を剥くであろうことは想像に難くなかった。

「あっ、そうだね。天乃あまの君じゃわからないよね。ごめんね。ここをなんか走っていった男の子なんだけど」
「さぁ、僕も今ここに来たところだからね。見てないよ」

 少女――ジェーンは、獲物を見定めるような目でニヤリと笑った。

「そうだよね。君もここまで走ってきたみたいだから。呼吸を整えているけど、私、そういうのわかっちゃうんだ。ねぇ、どうして走っていたのにここで止まってたの? もしかして、誰かを追いかけていたけど見失っちゃったとか?」
「まさか。ちょっと至急の用事でね。急いでたんだけど疲れちゃったんだよ。じゃあ、僕はこっちに行くね」

 これ以上の接触は死に直結すると本能が告げていた。三叉路の右側へと歩を進める。

「そう、気を付けてね。あなた、死相が出てるし」
「え?」
「私じゃない、あなたを殺すのは。じゃあね」

 ジェーンは確信に満ちた足取りで直進していった。目的地を完全に把握しているかのように。

「ふぅー」

 姿が見えなくなった途端、冷や汗が噴き出した。

「あれはヤバいなー。もー、先輩ってばヤバい奴らに命狙われ過ぎじゃね?」

 《案山子スケアクロウ》はジェーンの方角を避け、右の道を急ぐ。やがて左に折れる小道を見つけ、天乃あまのの気配を追った。

 2036年6月6日 午後4時42分

『天乃あまのの部屋から、少女が出てきました。例の着物の少女です。少女から羽が生えて!? 飛んだ!!? 何が起こっているのか、わかりません!!』
「わかった、ご苦労。こっちも今ヤバいから。交信終了」

 現場の状況は限界を超えていた。
 天乃あまのの前には『殺し屋』という名の圧倒的な理不尽が立ちはだかっていた。
 御堂が放つ《流星ミーティア》という暴威。その光景に絶句しながらも、《案山子スケアクロウ》は冷徹に状況を分析し続けていた。
 首から血を噴き出して倒れる天乃あまの。それでもなお、ジェーンを人質に取り足掻こうとする。だが、それは悪手でしかなかった。『殺し屋』は人質など歯牙にもかけず、天乃あまのという標的だけを見据えて突っ込んでくる。
 ――今だ。
 介入の瞬間はここしかなかった。懐古主義者ノスタルジアの男から奪った《感覚奪取》を遠隔起動させ、『殺し屋』の目測をわずかに、だが決定的に狂わせる。
 その隙に、天乃あまのの最強の使い魔――英莉えりが戦場に降臨した。
 『殺し屋』は潮時と悟り、撤退する。
 直後に現れた《行き止まりデッドエンド》の圧倒的な威圧感に、死を覚悟した《案山子スケアクロウ》だったが、彼もまた天乃あまのを放置して立ち去った。
 静寂が戻った戦場には、天乃あまの、英莉えり、そして姿を隠した《案山子スケアクロウ》だけが残された。
 生き延びた安堵と、自分以外の護衛が機能していなかった事実への不安が、複雑に胸中を掻き乱す。

 2036年6月6日 午後5時25分

『天乃あまのと少女が戻りました』
「知ってるよ」
「戻りましたか」

 天乃あまのたちの帰還を追尾しながら、例の空き室へと戻る。懐古主義者ノスタルジアの二人は、操られたままの忠実な部下として報告を続けていた。
 この二人の処分。それが最大の問題だった。

「あの、《案山子スケアクロウ》さん。状況は? 襲撃はいつ仕掛けますか?」
「えーっと、そーだな。まずは――」

 言葉の途中で、欠月かけづきに《感覚奪取》を返還し、本来の《案山子スケアクロウ》を自身の手に取り戻す。

「――ちょっと考える時間をください」

 二人の意識は、催眠状態のように停止する。
 《案山子スケアクロウ》は、マンションの壁に背を預け、自問自答した。

(どーする? 本当に僕の他にはあの使い魔だけだった。あの瞬間に介入しなかったことからすると、他の護衛がいたとしても実力不足だ。ここで、僕が死ねば、先輩は近いうちに死んでしまう。どーする。どーする。《案山子スケアクロウ》は今日ここで死ぬ。それは避けられない。世界の修正力からは逃げられない。それこそがこの魔術の真の機能なのだから、それ自体に否やはない。けど、この状況を放置していーものなのだろーか)

 バイブレーション。ポケットの中の携帯端末が震えた。後方支援のサングラスの男からだ。

『よう、今日はお前の番だぜ。これで目的は達成される。ご苦労だったな』
「なー、先輩は本当に大丈夫なだろーか。もー僕がいなくなっても大丈夫なんだろーか」
『さあな、だが、今日を辛うじて生き残った。いや、まだ時間はあるか。最期に、何かあるか? 遺書がなかったもんでな。伝言という形で聞いとくぞ?』
「まだ、死ぬわけにはいかない」
『《案山子スケアクロウ》。気持ちはわかる。全員そうだ。死にたくないさ』
「そーじゃない! このままじゃ先輩が死ぬ。目的を達成できない。今日実感した。先輩の敵は大きすぎる!」
『......そうだな。認めるよ。俺一人では何もできない。俺はあくまで偽物だからな。だが、当面の危険は一応去ったはずなんだ』
「――用意してもらいたいものがあります」
『なんだ?』
「口の堅い狙撃手を」

 2036年6月6日 午後8時12分

「ただいまー、英莉えりー、ご飯できてるー? あれ? 生きてたの、兄貴?」

 2036年6月6日 午後8時37分

「結論から、いう。オレに“妹”はいない!!」

 2036年6月6日 午後8時51分

「――オマエが操られてるってのはわかった。仮に、オレを殺すようなことがあっても気にするな。もちろん、ただで殺されてやるつもりはない。せいぜい足掻いてやるさ」
「足掻く、じゃと?」
「だから、オマエも足掻け。限界までな」

 2036年6月6日 午後9時21分

「僕のことは、そーですね、《案山子スケアクロウ》とでも呼んでください。あなたの後輩にして後継機にして後方支援を担当していますよー、先輩」

 2036年6月6日 午後9時43分

「誰が僕を殺すのか、です。その答えは、おそらく、この世界です」

 2036年6月6日 午後10時06分

 屋上の冷たい風が吹く。

「えーっとですねー。先輩の部屋がこっちだから、その方向ですね。ちょうどこの真下くらいですかね?」

 刹那。小さな破裂音と共に、《案山子スケアクロウ》と名乗った少年の顔面が粉砕された。即死。その身体は幻覚のフェンスを透過し、暗闇の底へと消えていく。英莉えりは天乃あまのを庇うように立ち塞がり、周囲の警戒を強めた。
 その惨劇を、離れた場所から見守る者たちがいた。

「これで、いいのか? 《案山子スケアクロウ》――いや、今はただの藤咲ふじさき夏南かなちゃんだったかな?」

 サングラスを掛けた男――間森まもり啓吾けいごが、隣に立つ少・女・に声をかける。

「そーですよ。《案山子スケアクロウ》は今死んだ少年です。僕はこの事件にニアミスしたかわいそうな少女こと――藤咲ふじさき夏南かなちゃんですよー。にしても、後方支援担当の間森まもりさんが狙撃銃を扱えるとは思わなかったですー」

 間森まもりは標的から目を逸らし、隣でへらへらと笑う少女――藤咲ふじさきを見やる。

「驚いたのは俺の方だ。まさか、懐古主義者ノスタルジアの連中を《案山子スケアクロウ》に仕立て上げて殺すことで死を免れようとするなんてな。普通は思いつかない」
「彼らには全部かぶってもらいましたからねー」

 《案山子スケアクロウ》こと藤咲ふじさき夏南かなの描いた筋書きは、あまりにも残酷で緻密だった。
 間森まもりに狙撃を依頼した後、懐古主義者ノスタルジアの二人にのうち、学ランの少年、折木おれきの記憶を徹底的に書き換え、自分こそが天乃あまのを護衛する《案山子スケアクロウ》であると思い込ませた。折木おれきには藤咲ふじさきが本日体験した記憶と、午後6時に自分が飛び降りた姿を目撃したという死へと続く偽りの記憶を植え付ける。その後、折木おれきに「嘘」を強制させ、《案山子スケアクロウ》の術式を植え付ける。
 そして、欠月かけづきには《感覚奪取》を用いた襲撃計画を実行させる。
 これにより、欠月かけづきは《感覚奪取》を使う懐古主義者ノスタルジアの暗殺者となり、折木おれきは《案山子スケアクロウ》を使う天乃あまのの護衛者となる。
 あとは、予め描いていたストーリーに沿って二人を動かすだけである。
 そのストーリーとは、懐古主義者ノスタルジアの暗殺者を撃退した天乃あまのの護衛者が、最期の時間を使って天乃あまのに警告を発し、死亡するという筋書きである。
 まずは、天乃あまのの護衛となっている折木おれきに《案山子スケアクロウ》を名乗らせ、欠月かけづきを撃退させる。そして、折木おれきは《案山子スケアクロウ》を用いて欠月かけづきから《感覚奪取》を奪い、藤咲ふじさきの姿かたちをした幻影を天乃あまのの妹として天乃のマンションに登場させる。
 天乃あまのは、その正体を看破し、屋上へと上がる。このとき、折木おれきは《感覚奪取》を用いて姿を隠しつつ、待機する。
 エリザベートが力技で折木おれきの居場所を看破し、藤咲ふじさきに扮した折木おれきを攻撃する。
 その後、折木おれきに操作された欠月かけづきが《案山子スケアクロウ》を用いて予め《案山子スケアクロウ》にかかった状態にある、英莉えりを操り、天乃あまのを攻撃させる。なお、この際、欠月かけづきは《誘導記憶操作》という存在しない術式を使用していると勘違いさせられている。実際に、英莉えりを操った術式は《案山子スケアクロウ》である。
 だが、天乃あまのと英莉えりはその裏をかき、欠月かけづきを倒し、拘束する。
 天乃あまのと英莉えりは再び屋上に戻り、《感覚奪取》を使う折木おれきと戦闘する。
 その後、折木おれきが《案山子スケアクロウ》であること、目的は護衛であることなどを話させたうえで、《感覚奪取》で作成した偽りのフェンスまで誘導する。
 その際、折木おれきは《案山子スケアクロウ》を解除し、欠月かけづきに《感覚奪取》を返還し、その術式を維持させる。
 だから、間森まもりに狙撃された折木おれきが死んでもフェンスの幻覚はしばらく残ったのである。
 最後に、欠月かけづきの口から伝言を吐かせ、自害という形で全ての証拠を消し去る。

「それで、お前はどうする、藤咲ふじさき?」
「え? まー、今回の件で僕は魔術を失いましたからねー。《案山子スケアクロウ》はともかく《感覚奪取》は欲しかったですねー。でも、とっさに考えたアイデアではこの結末が限界でしたー。しばらくは世界の修正力に怯えながら学生生活を楽しもーと思いますよ?」
「そうか。せっかく拾った命だ。むやみに捨てないことだな」
「間森まもりさんは? これからどーなさるのですか?」
「俺はあいつの級友だ。それ以上の関係はないよ。だから、級友にできることをやるだけさ」
「そーですか。では、僕はしばらくは大人しくしとくので、先輩のこと、頼みましたよ」
「だから、ただの級友ができる限度で頑張るって話だよ」
「はいはい。それじゃー僕は帰りますが、あの部屋にはもう帰れませんね。《案山子スケアクロウ》が生きているというわけにはできませんから」
「......ここに俺のセーフハウスのカードキーがある。しばらくはここを使え。あと、通信機は廃棄しといてやるから俺に渡せ」
「へー、なんだかんだで優しーですよね、間森まもりさん」
「後輩の女の子にいい格好をしようとしているだけさ」
「そーいうことを言わなければなー」
「ワンチャン?」
「ないですねー」
「即答かよ!!」

 騒がしいバイブ音が、間森まもりの胸元から響く。発信者を確認し、彼は真剣な表情で電話に出た。

「間森まもりだ」
『あぁー。わっちじゃ。主殿の居所で死人が出た。数は二人。但し、一人は行方不明じゃ。手配を頼む。目撃者はおらんはずじゃ』
「人払いは?」
『ん? そうじゃな、念のために人払いを頼む。わっちらはどうする?』
「そうだな、知らんぷりして家に帰ってな」
『そうか、わかった。じゃあの』

「先輩の使い魔ちゃんからですかー?」
「そうだよ。これから楽しい楽しい残業の時間さ」
「そーですかー。では、僕はこれでー。セーフハウスはありがたく使わせてもらいますねー」
「はいはい。じゃあな」

 闇に紛れ、二人の影は別の方向へと消えていく。
 こうして、天乃あまの慎しんの護衛チームは、一人の後方支援要員と、魔術を失い名を変えた「少女」を残し、表向きは懐古主義者ノスタルジアの暗殺部隊と相打ちという形で壊滅した。

 当日、天乃あまののマンション前で射殺体として発見されたのは、懐古主義者ノスタルジアの折木おれき撥天はってん。英莉えりが死体を発見できなかったのは、潜伏していた欠月かけづき恭二きょうじが《感覚奪取》で認識を阻害していたからだった。
 百目鬼亜澄の協力を得た間森まもりによって、この死体は《案山子スケアクロウ》として処理され、欠月かけづきの自殺と共に闇に葬られた。

 2036年6月6日。天乃あまの慎しんを取り巻く嵐の裏側は、こうして一時の終止符を打ったのである。
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