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規格外とメイドの舞踏会

2036年6月7日午前11時28分

 すべての競技の測定を終えた水無月みなづきたちは、訓練場に場所を移し、魔術実習の本格的な準備を始める。
 なお、他の生徒たちは未だに競技の測定中である。というより、目標点に届くまで反復して練習を重ねるのが通常なのであって、彼女たちのように一回だけ記録を測って早々に退散する方が、この学校においては極めて異例なのだ。

 訓練場の中央で緋澄ひずみと天空てんくうが向かい合い、水無月みなづきと狗飼いぬかいがそれを俯瞰できる観客席に陣取る。

「――ねえ、毎回思うんだけど、この三対一の変則組手って私の負担半端なくない?」

 三人を同時に相手取らなければならない側である緋澄ひずみが、溜まった愚痴をこぼす。

「いえ、正直な話、この三対一の変則組手でようやく対等という時点で、この天空てんくうは戦慄を覚えます」
「そうねぇ、まこちゃんは、戦力面を買われて戦略級になったわけじゃないのに、対人戦が強すぎるんだもの」
「そうよ、か弱いアタシたちが割って入ったら瞬殺されるわ」

 水無月みなづきと狗飼いぬかいが、観客席から緋澄ひずみに非難がましい視線を向ける。
 現在彼女たちが採用している構造は、緋澄ひずみと天空てんくうが直接魔術を用いながら実戦形式の組手を行い、横から水無月みなづきと狗飼いぬかいが天空てんくうを支援するというものだ。

「わかってるわよ。でも、さすがにそろそろそっちのコンビネーションが私の挙動を上回りつつあんのよねぇ。どうしたもんかしら」

 実際、入学直後は三対一でも緋澄ひずみが圧勝していたのだが、ここ最近は天空てんくうの挙動の最適化と水無月みなづきの魔術との連携が上達した結果、緋澄ひずみは押され気味なのである。

「そうなれば、順次、狗飼いぬかいと水無月みなづきを参加させることになるだろう」

 ぼやく緋澄ひずみの声に反応したのは、監督のためにやってきた担任の伏見ふしみである。
 今は、先ほどのスーツ姿ではなく、動きやすいジャージ姿に着替えていた。

「確かに、そうなると、この天空てんくうはお嬢様方の護衛に意識を割く必要ができますので、今までのようにはいかないでしょうね」
「えぇぇぇ、ふぅちゃん。手を抜きましょう。そうしよぉ」

 冷静に戦況分析を始める天空てんくうと、相変わらず物ぐさな狗飼いぬかいの声。それに対し、水無月みなづきと伏見ふしみはどこか意地の悪い笑みを浮かべた。

「やぁよ。アタシはともかく、少なくとも、あんたは参加した方がいいわ」
「水無月みなづきの云う通りだな。狗飼いぬかい、今日はお前も参加しろ」

 そして、伏見ふしみの一言で狗飼いぬかいの実戦参加が決定する。

「鬼ぃぃ。あ、あの、まこちゃんは――」
「――もちろん、狗飼いぬかいを集中砲火するわ」

 緋澄ひずみは狗飼いぬかいに向けて、ぐっと力強く親指を立てて見せた。

「やめてよぉおぉ。もぉ、なんで、みんなしてイジメるのぉぉぉぉ」
「お嬢様」
「天空てんくうはっ!! 天空てんくうは味方だよね?」
「その、ドンマイです」
「おざなり!! 反応がおざなりだよぉぉ」

 緋澄ひずみと向き合う天空てんくうの背後に、おずおずと移動した狗飼いぬかいが立たされる。
 水無月みなづき、狗飼いぬかい、天空てんくうの三人は開始前に手短に打ち合わせを行った。

「あのぉ、わたくしはどうすればぁ?」
「そうですね、この天空てんくうは――しばらく緋澄ひずみ様と踊るとしましょう。あとは、いつもの要領でお願いしますね、お嬢様方」
「はぁい、仕方ないかぁ。痛いのヤだもんねぇ。じゃあ、ふぅちゃんは支援お願いねぇ」
「了解」

 嫌だ嫌だと首を振り、不承不承ながらも、なんだかんだで真面目に取り組もうとする狗飼いぬかいに背を向け、天空てんくうは緋澄ひずみと正対する。

「というわけで、この天空てんくうと一曲踊っていただけますか? 緋澄ひずみ様」
「私としては、後ろのお嬢様と踊りたいなー、なんて」
「それでは、この天空てんくうをどうぞ躱して行ってください」
「そんな気はこれっぽっちもないくせに」

 向かい合う緋澄ひずみと天空てんくうは互いに構えをとる。
 それを俯瞰する観客席には水無月みなづきと伏見ふしみがおり、二人の様子を確認した伏見ふしみが鋭く口を開いた。

「準備は良さそうだな。――では、始め」

 伏見ふしみの合図と共に、先に仕掛けたのは緋澄ひずみであった。
 およそ人間とは思えない速度で地を蹴り、一息で天空てんくうとの距離を詰める。

 緋澄ひずみの速度の理由は、魔力を身に纏う技術――『装甲』と、魔力を一定の指向性をもたせて噴出する技術――『遠投』の組み合わせによるものだ。
 これにより、魔力による防護を固めつつ、噴出させた魔力の勢いを推進力として利用して接敵しているのである。
 『装甲』や『遠投』は魔力を用いる技術だが、分類としては「魔力操作」であり、厳密には魔術ではない。魔術の定義である「事象の改変」に該当しないからだ。あくまで身体動作の補助を行っているに過ぎない。
 なお、身体能力そのものを向上させる魔術は、これとは別に存在する。

 一気に肉薄された天空てんくうだったが、その表情には一切の変化がない。
 冷静に半歩身体をずらして緋澄ひずみの突撃の衝撃を逸らし、カウンターを叩き込もうとする。
 緋澄ひずみは天空てんくうの動きを予期していたかのように、天空てんくうが体をずらした反対側へと無理やり体をねじ込み、彼女を躱した。

「え?」

 困惑の声を上げたのは、仕掛けたはずの緋澄ひずみの方だった。
 緋澄ひずみは宣言通り、天空てんくうを抜き去って狗飼いぬかいを狙うつもりであった。
 しかし、天空てんくうの後ろに控えていたはずの狗飼いぬかいは、緋澄ひずみの目の前――正確には視界の下方に身を潜めていた。天空てんくうを障害物として利用し、接近する狗飼いぬかいの姿を完全に隠していたのだ。
 狗飼いぬかいが自ら攻撃に参加するとは思っていなかった緋澄ひずみは、とっさに体を捻り、伸びてくる狗飼いぬかいの手を回避しようとする。

「”我、汝に停止を命ずうごくな”」

 狗飼いぬかいが低い体勢から伸ばした手が緋澄ひずみの腕に触れる直前。逃れようとした緋澄ひずみに対し、水無月みなづきが完璧なタイミングで干渉を行う。
 これにより、緋澄ひずみの回避行動が一瞬だけ阻害された。
 次の瞬間、緋澄ひずみの身体は狗飼いぬかいの身体を軸に宙を回転し、凄まじい勢いで仰向けに地面へと叩きつけられた。
 緋澄ひずみクラスの『装甲』がなければ重傷を負いかねない危険な投げ技に、監督役の伏見ふしみが思わず頭を抱える。

「どうだ、まいったかぁ。わたくしもやればできるんだよぉ」
「お嬢様方、さすがにこれは......やりすぎでは。この天空てんくうもドン引きです」

 作戦が嵌まり勝ち誇る狗飼いぬかいに対し、天空てんくうが苦言を呈する。

「――《荊の女王》」
「――”我、汝に回避を命ずかわしなさい”!!」

 直後、仰向けに倒れていたはずの緋澄ひずみが、その体勢のまま不自然な挙動で跳ね起き、狗飼いぬかいに急接近した。

「えぇ?」

 水無月みなづきの『王宮勅令』を受け、本人の意思とは無関係に体が動いた狗飼いぬかい。それでも反射的に距離をとろうとするが、腕に巻き付いた「何か」によって動きを止められる。

「お返し」

 不敵な笑みを浮かべる緋澄ひずみに引き寄せられた狗飼いぬかいは、そのまま文字通り宙へと投げ飛ばされた。

「うっそぉぉぉ」
「お嬢様!」

 天空てんくうは、宙を舞う狗飼いぬかいの落下地点へと即座に回り込み、その体を受け止める。

「そうすると思ったわ。だから――《荊の女王》は、今、発現する」

 緋澄ひずみが呟いた瞬間、狗飼いぬかいの腕に巻き付いていた蔦が急速に生長した。そして、まるで意思を持つ生き物のように、狗飼いぬかいと天空てんくうを二人まとめて雁字搦めにした。

「これはっ、《荊の女王》!? なるほど、最初のお嬢様の投げ技に対してもこれを使って、地面との間に即席のクッションを作ってダメージを軽減したわけですか」
「えぇ!? ずるぅい」

 天空てんくうは冷静に戦況を分析し、狗飼いぬかいは天空てんくうと絡まり合った状態から脱しようとジタバタともがいている。

「ずるくないわよ。それより、狗飼いぬかいってば、随分とえげつない投げ技使うわね? えぇ?」
「あははぁ、だってぇ。わたくし、痛いの嫌なんだもん」
「それに、水無月みなづき。あんたも知ってたわね? 狗飼いぬかいの腕前。あれは何かを齧ってなきゃできないわ」
「そりゃあ、朱音あかねとは眞琴まことより付き合いも長いからね。でも、ただの護身術だってゆう話よ?」
「護身術というには過剰じゃない?」
「それよりそんな余裕かましてていいの? 伏見ふしみは、まだ終わりだとはゆってないわよ?」
「え?」

 後ろを指差す水無月みなづきに、緋澄ひずみが呆けた顔を向ける。
 次の瞬間、緋澄ひずみの側頭部を目掛けて、鋭い蹴りが炸裂した。

「うわあッ」

 緋澄ひずみはとっさに体を屈めて、その一撃を間一髪で回避する。

「天空てんくう!? なんで!?」

 蹴りを放ったのは、拘束されていたはずの天空てんくうだった。
 なお、狗飼いぬかいは相変わらず蔦に絡まれて四苦八苦している。

「――《天空召喚》。忘れておられるかもしれませんが、この天空てんくうは人間ではないのですよ、緋澄ひずみ様?」
「へっへぇんだ。天空てんくうを再度召喚し直したんだよぉ。召喚場所はある程度、わたくしが選べるからね。もぉ、この蔦邪魔ぁあぁ」
「なるほど、擬似空間転移ってワケ?  天空てんくうに対して拘束は無意味ということね」
「そういうことです。それよりお嬢様、いつまで遊んでおられるのですか?」
「遊んでないしぃ。わたくし、結構真剣に困ってるのぉ」
「......鉄扇を使われてはいかがでしょう?」
「持ってきてないぃぃぃ」
「はあ」

 天空てんくうはため息をつくと、メイド服の中から一本の扇を取り出し、地面で悶絶している狗飼いぬかいに手渡した。
 その扇は鉄でできた、いわゆる『鉄扇』。複数の札状の鉄板が合わさっており、その一面には複雑な模様――見る者が視れば魔方陣の軌跡だとわかる意匠が描かれている。
 狗飼いぬかいは鉄扇を受け取ると、それを用いて蔦を切り裂き、拘束を脱した。

「さすが天空てんくうね。わたくしの鉄扇を持ってるなんて」
「それは予備ですよ、お嬢様。せっかくですので、このまま鉄扇を使われてはいかがですか?」
「えぇぇぇ、疲れるもぉん」
「ですが、やはり、緋澄ひずみ様に対抗するには使える選択肢を増やしませんと。このままでは打つ手がありません」
「まぁ、そうなるかぁ。さっきの奇襲はうまくいかなかったもんねぇ」

 狗飼いぬかいは鉄扇を閉じたり開いたりしながら、不承不承といった様子で天空てんくうに従う。

「武器の使用はどうなのよ? 伏見ふしみ先生」

 緋澄ひずみが伏見ふしみにレギュレーションを確認する。

「まぁ、さすがに禁止だ」
「待ちなさい、伏見ふしみ。朱音あかねのあれは武器ではないわ。よく見ればわかるけど、あれはどちらかというと『魔装具』の部類よ。あれがないと、朱音あかねは真価を発揮できないの。武器として使用しないのなら問題ないでしょ」

 武器は禁止とする伏見ふしみに対し、水無月みなづきが異議を申し立てる。
 『魔装具』とは、魔術発動の補助や威力の増幅、追加効果の付与などを行う道具の総称だ。一般的な杖や箒などがこれにあたる。
 実習は魔術使用の訓練であるため、魔装具の使用は認められているのだ。

「そういうことなら、あり、か」
「聞いたわね、朱音あかね。その鉄扇を武器として使用するのは禁止よ」
「わかってるよぉ。さすがに、これで切りつけるのが魔術実習でないことくらいはわたくしにもわかるよぉ」
「魔装具? あの鉄扇が?」

 緋澄ひずみは狗飼いぬかいが魔装具を用いるところを見たことがない。
 そもそも魔装具は「未熟な魔術師が発動を補助するもの」という認識が根強いため、最上A級魔術師である狗飼いぬかいがそれを用いるのは不自然に映るのである。

「じゃあ、いっくよぉ」
「そうですね。緋澄ひずみ様、今度こそ、この天空てんくうと踊っていただきます」

 先ほどとは異なり、先に仕掛けたのは天空てんくうであった。
 緋澄ひずみとの距離を詰め、一気に肉薄する。
 緋澄ひずみは釈然としないものを感じながらもそれに応戦する。
 天空てんくうの拳が下から抉るように放たれる。
 緋澄ひずみはそれを横に払うために天空てんくうの腕に触れた。

「痛ッッ」

 天空てんくうの腕に触れた瞬間、緋澄ひずみの手のひらに鈍い痛みが走る。

(何? 今の。『装甲』越しにこれだけのダメージって......)

 原因不明の衝撃に困惑する緋澄ひずみに対し、天空てんくうは腕を払われながらもさらに接近戦を挑む。
 拳、脚、腕、膝。次々と繰り出される嵐のような乱打。それはまさしく、本人が口にした通り「舞踊」のようであった。

(普段より、天空てんくうの動きが若干速い。それにこの謎のダメージ。天空てんくうに触れたところが、さっきから痺れるッ。これは、多分、電撃!! だったら――)

「《荊の女王》!!」

 緋澄ひずみの拳に蔦が巻き付き、何重にも覆い、ボクシンググローブのように拳を保護する。そのまま、天空てんくうの攻撃を後ずさりながら蔦の拳で弾き飛ばす。

「なるほど、蔦で防ごうというわけですか。それでは、こちらも出力を上げていきます。――《雷天》」

 天空てんくうが告げると、彼女の身体は紫電を纏い、淡く発光し始めた。
 周囲の中空に複数の火花が散り、バチパチと不穏な音が響く。

「......冗談キツイって。なんで今日に限って新技が次々出てくんのよ」

 召喚体が魔術を使用するという異常事態を前に、緋澄ひずみが現実逃避気味に狗飼いぬかいの方を一瞥すると、彼女は鉄扇を顔の前で持ち上げ、開閉を繰り返していた。

(なにあれ、すっごく怪しいわね)
「余所見ですか、緋澄ひずみ様?」

 雷を帯びた天空てんくうは、先ほどとは比べ物にならない威力の掌底を突き出す。

「うわっ」

 緋澄ひずみはとっさに上体を逸らして避けるが、拳から走った紫電によって感電――全身に衝撃が走る。

「いっったい、わねぇ!! でも、じゃあ、これはどう対応する、天空てんくう? ――《荊の女王》!」

 バックステップで距離をとった緋澄ひずみの身体から、劇的な速度で成長した蔦が天空てんくうに迫る。

「ふっ!!」

 天空てんくうは周囲に放電し、迫る蔦を焼き払おうとする。しかし、蔦の物量が放電を上回る。
 視界を埋め尽くさんとする蔦の壁に対し、天空てんくうは一歩下がり、『遠投』の要領で一点に集中させた雷を放った。
 落雷のような轟音と共に一瞬の空隙が生じたが、すぐに他の蔦がその穴を埋め尽くす。そのまま、蔦の洪水が天空てんくうを飲み込み、その姿が見えなくなった。蔦は勢いを止めず、背後の狗飼いぬかいへと殺到する。

「――《天空召喚》」

 狗飼いぬかいが呟くと、蔦に飲まれたはずの天空てんくうが、瞬時に彼女の目前へと現れた。

「これは、いかがいたしますか、お嬢様?」
「うーん。焼くしかないかなぁ。ここら一帯」
「よろしいのですか?」
「よくないかもだけどぉ、わたくし達的にはそれくらいしか手段はないでしょう? 《炎天》、使うよ、天空てんくう」

 迫る蔦の壁を前に、狗飼いぬかいが鉄扇を振り上げ、大きく開く。
 その唇の動きを読んでいた水無月みなづきが、叫ぶように伏見ふしみへ声をかけた。

「まずっ、伏見ふしみ! 朱音あかねを止めなさい。この建物ごと火の海にする気よ!」
「なに!? おい、狗飼いぬかい――」
「――《炎天》」

 伏見ふしみが声を上げた瞬間、天空てんくうの足元から巨大な火柱が吹き上がった。迫っていた蔦は火柱に触れた途端、一気に炎上していく。

「伏見ふしみ、アンタは天空てんくうを止めなさい!」

 水無月みなづきは観客席から飛び降りると、地面に接触する寸前でふわりと浮き上がった。

 魔力操作技の極致――『飛翔』である。
 純粋な魔力操作のみで身体を浮かせるこの技術は、有り余る魔力の暴力とも言うべきものだ。
 自分の魔力を『装甲』で纏い、『送球』で緻密に操作し、『遠投』で噴出させ、『妨害』で暴走を抑え、『対戦』で配分を行う。これに加え、膨大な魔力保有量があって初めて成立する、選ばれた者のみの技術。

 水無月みなづきは空中を『飛翔』して蔦の壁を迂回し、緋澄ひずみの隣に着地した。

「水無月みなづき?」
「問答は後! 死にたくなかったら蔦を魔力で覆いなさい、全力で!」

 水無月みなづきは、緋澄ひずみの身体から伸びている蔦の束を強引に掴む。

「いい? アンタの方がこの蔦に魔力を通すのは簡単だと思う。アタシがやるのを見て、『装甲』の要領で蔦を魔力で覆うのよ! わかった!?」
「わかったけどさ」
「なら、やる!」
「は、はい」

 水無月みなづきの掌から魔力が伝い、蔦を覆っていく。

「......器用なもんね。要は、この蔦を身体の延長と定義して、魔力で覆うのよね?」
「無駄口叩いてないでやりなさい。伏見ふしみが天空てんくうを制圧するまで、この蔦にこれ以上引火しないようにしないと――」

 迫る炎。水無月みなづきの魔力が蔦をコーティングし、防護を固める。
 しかし、魔力で守られているはずの蔦に、炎はあっさりと引火した。

「なっ、覆っていた魔力が燃えた!?」
「――ねぇ、水無月みなづき」

 その様子を見ていた緋澄ひずみが、静かに声をかける。

「つまり、蔦に引火しなけりゃいいんでしょ?」
「そうだけど」
「なら、こうしましょう。――《荊の女王》」

 緋澄ひずみが命じると、彼女から伸びる蔦が急速に生気を失い、枯れ果てていった。

「《荊の女王》は、植物に対する絶対的な生殺与奪権を得る魔術。――引火が怖いなら、こうして枯らしてしまえばいい」

 壁を形成していた大量の蔦は、みるみるうちに朽ちていく。

「ちょっと待って。枯れた植物って水分がないからよく燃えるんじゃ......」
「かもね。だけど、それでいいのよ。こっちはもっともっと朽ちさせるんだから。原・形・を・留・め・な・い・レ・ベ・ル・ま・で・」

 枯れた蔦は瞬く間に原形を失い、崩れ落ちて炎の熱風に乗り、宙を舞う粉塵へと変わった。視界を覆っていた蔦の壁は、数秒で完全に消滅した。

「やっぱ、スケールが違うわね」
「そうでもないわよ」

 視界が晴れると、そこには炎を纏う天空てんくうと、それを強引に押さえ付ける伏見ふしみの姿があった。

「あの、伏見ふしみ先生。熱くはないのですか? こう見えてこの天空てんくうが纏うこの炎――《炎天》は物理現象ではなく、魔術的な特殊な炎でして。先生への引火は辛うじて防止していますが、熱までは防げないですよ?」
「そうだな。皮膚が燃やされているかのような感覚だ。相当に熱いな」
「――それに、炎が引火したらどうなさる御積もりだったので? 控えめに言って死ぬと思うのですが」
「ああ、それは問題ない。たかが学生の魔術に殺されるほど、腑抜けてはいないつもりだ。対策もなく炎に突っ込むほど愚かではない」
「だとよいですが......お嬢様、《炎天》を解除します」
「そうだね」

 狗飼いぬかいの言葉と同時に、天空てんくうの炎が消失した。伏見ふしみは静かに彼女の上から退く。

「......なるほど、引火する対象を選べるというのはどうやら本当のようだな。炎の熱さは本物だったが、この服には焦げ跡一つない。施設の方も同様か。一応、お前らなりの考えはあったということか。こちらの考えで止めたが、早計だったようだな」
「そうでもないわよ、伏見ふしみ」

 水無月みなづきが声を上げる。

「アンタが『装甲』も使わずに天空てんくうを抑えたのは、実は正解。もしそんなことしてたら今ごろアンタは火達磨になってたわよ。さっきの火は魔力に反応してそれを燃やす設定になってたの。つまり、魔力の塊である眞琴まことの蔦の広がり次第では大惨事になることもあり得たわ。それに、熱は本物ってことは触れれば火傷くらいはするし、物が変形したりはするんじゃないの? ま、伏見ふしみは大丈夫なんでしょうけど」

 水無月みなづきの言葉を裏付けるように、狗飼いぬかいが気まずそうに目を逸らした。

「どうやら自覚はあったみたいね」
「えぇぇぇ、だって。ねぇ、天空てんくう」
「お嬢様。この天空てんくうもやり過ぎだと思っていました」

 水無月みなづきの追及に、狗飼いぬかいは天空てんくうに同意を求めるが、メイドはあっさりと主人を裏切る。

「あっ、ずるい天空てんくう! わたくしに責任を押し付けて逃げる気ね!?」
「押し付けるも何も。人間社会において、この天空てんくうが責任を負うことなどできないでしょうに。所詮、この天空てんくうの身は召喚体にすぎないのですから」
「そぉなんだろぉけどさぁ。もっとわたくしを庇ってくれてもいいじゃなぁあぁぁい。ちゃんと甘やかしてよぉぉぉ」
「相変わらず、面倒な性格をしていますね、お嬢様」

 涙目で憤慨する狗飼いぬかいに、天空てんくうはにべもない返答をした。

「それより、狗飼いぬかいっていうか、天空てんくうの方だけどさぁ。さすがに、性能の隠蔽が過ぎるんじゃない? 天空てんくうの魔力操作技能はもともと水無月みなづきに匹敵するレベルじゃない。そこに、あれだけの魔術が使えるなら、レベル4相当って、明らかに過小評価だと思うんだけど」

 緋澄ひずみが指摘する通り、天空てんくうの公式ランクは「上B級魔術師」相当だ。そもそも魔術を扱う召喚体自体が極めて稀有なため、評価が付与されていること自体が異例なのだが、緋澄ひずみの体感では、天空てんくうの実力は間違いなく一つ上の「最上A級魔術師」に匹敵していた。

「違うわ、眞琴まこと。もしそう見えたのなら、それは朱音あかねの方の実力よ。天空てんくうの公式レベルは決して偽りではないはずよ。まぁ、他人の術式の詳細を本人の同意なく開示するのはマナー違反だから、アタシはこれ以上言わないけど」
「えぇっとね、わたくしは別に隠すほどのことでもないと思うんだけど。これに関しては実家がうるさいの。ごめんねぇ」
「あぁ、なるほど、実家ね。それはそうでしょ。まぁ、私は気にしないわ」

 緋澄ひずみは、なぜ水無月みなづきが詳細を知っているのかが気になったが、狗飼いぬかいの言葉に納得した。
 狗飼いぬかいの実家は、数少ない『原型術師』の家系である。特定の特性に特化する代わりに他を一切持たない一族であり、彼女らが特化しているのは「従属」。
 アーサー・リードの『十三騎士』のように、自らに従属するものを操作する特性だ。狗飼いぬかい家が召喚した召喚体を従属させる魔術のみを用いる以上、その術式の秘匿は当然の理であった。

「ただ、天空てんくうがあのレベルで動けて、あれだけ多彩な魔術を使えるとなると、水無月みなづきがそっちにつくのはちょっと遠慮してもらいたいわね」
「ちょっと待ってよ、まこちゃん。無理だって、無理無理。天空てんくうを毎回あのレベルで動かすのは無理ぃぃぃ。わたくしのキャパ的にあの状態は長く持たないの。天空てんくう、何か言って! 説得力のある言葉を!」

 焦る狗飼いぬかいの言葉を受け、一瞬黙考した天空てんくうが口を開く。

「お嬢様は、物ぐさな方ですので」
「「「なるほど」」」

 天空てんくうの無情な一言に、伏見ふしみを含めた全員が深く納得した。

「それで納得しないでぇ!? 違う、違うの! これは本気のダメなやつなんだからぁぁ。もぉぉぉ天空てんくうぅぅぅぅ!!」
「皆さん、説得力に納得されましたが?」
「天空てんくうのばかぁぁぁ!」
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魔力競技、規格外すら凌駕する異質
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両手に飛び散る小さな火花
Replica ― Amphitheatrum Ideale ―作者:根岸重玄
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2036年6月7日午前11時28分

 すべての競技の測定を終えた水無月みなづきたちは、訓練場に場所を移し、魔術実習の本格的な準備を始める。
 なお、他の生徒たちは未だに競技の測定中である。というより、目標点に届くまで反復して練習を重ねるのが通常なのであって、彼女たちのように一回だけ記録を測って早々に退散する方が、この学校においては極めて異例なのだ。

 訓練場の中央で緋澄ひずみと天空てんくうが向かい合い、水無月みなづきと狗飼いぬかいがそれを俯瞰できる観客席に陣取る。

「――ねえ、毎回思うんだけど、この三対一の変則組手って私の負担半端なくない?」

 三人を同時に相手取らなければならない側である緋澄ひずみが、溜まった愚痴をこぼす。

「いえ、正直な話、この三対一の変則組手でようやく対等という時点で、この天空てんくうは戦慄を覚えます」
「そうねぇ、まこちゃんは、戦力面を買われて戦略級になったわけじゃないのに、対人戦が強すぎるんだもの」
「そうよ、か弱いアタシたちが割って入ったら瞬殺されるわ」

 水無月みなづきと狗飼いぬかいが、観客席から緋澄ひずみに非難がましい視線を向ける。
 現在彼女たちが採用している構造は、緋澄ひずみと天空てんくうが直接魔術を用いながら実戦形式の組手を行い、横から水無月みなづきと狗飼いぬかいが天空てんくうを支援するというものだ。

「わかってるわよ。でも、さすがにそろそろそっちのコンビネーションが私の挙動を上回りつつあんのよねぇ。どうしたもんかしら」

 実際、入学直後は三対一でも緋澄ひずみが圧勝していたのだが、ここ最近は天空てんくうの挙動の最適化と水無月みなづきの魔術との連携が上達した結果、緋澄ひずみは押され気味なのである。

「そうなれば、順次、狗飼いぬかいと水無月みなづきを参加させることになるだろう」

 ぼやく緋澄ひずみの声に反応したのは、監督のためにやってきた担任の伏見ふしみである。
 今は、先ほどのスーツ姿ではなく、動きやすいジャージ姿に着替えていた。

「確かに、そうなると、この天空てんくうはお嬢様方の護衛に意識を割く必要ができますので、今までのようにはいかないでしょうね」
「えぇぇぇ、ふぅちゃん。手を抜きましょう。そうしよぉ」

 冷静に戦況分析を始める天空てんくうと、相変わらず物ぐさな狗飼いぬかいの声。それに対し、水無月みなづきと伏見ふしみはどこか意地の悪い笑みを浮かべた。

「やぁよ。アタシはともかく、少なくとも、あんたは参加した方がいいわ」
「水無月みなづきの云う通りだな。狗飼いぬかい、今日はお前も参加しろ」

 そして、伏見ふしみの一言で狗飼いぬかいの実戦参加が決定する。

「鬼ぃぃ。あ、あの、まこちゃんは――」
「――もちろん、狗飼いぬかいを集中砲火するわ」

 緋澄ひずみは狗飼いぬかいに向けて、ぐっと力強く親指を立てて見せた。

「やめてよぉおぉ。もぉ、なんで、みんなしてイジメるのぉぉぉぉ」
「お嬢様」
「天空てんくうはっ!! 天空てんくうは味方だよね?」
「その、ドンマイです」
「おざなり!! 反応がおざなりだよぉぉ」

 緋澄ひずみと向き合う天空てんくうの背後に、おずおずと移動した狗飼いぬかいが立たされる。
 水無月みなづき、狗飼いぬかい、天空てんくうの三人は開始前に手短に打ち合わせを行った。

「あのぉ、わたくしはどうすればぁ?」
「そうですね、この天空てんくうは――しばらく緋澄ひずみ様と踊るとしましょう。あとは、いつもの要領でお願いしますね、お嬢様方」
「はぁい、仕方ないかぁ。痛いのヤだもんねぇ。じゃあ、ふぅちゃんは支援お願いねぇ」
「了解」

 嫌だ嫌だと首を振り、不承不承ながらも、なんだかんだで真面目に取り組もうとする狗飼いぬかいに背を向け、天空てんくうは緋澄ひずみと正対する。

「というわけで、この天空てんくうと一曲踊っていただけますか? 緋澄ひずみ様」
「私としては、後ろのお嬢様と踊りたいなー、なんて」
「それでは、この天空てんくうをどうぞ躱して行ってください」
「そんな気はこれっぽっちもないくせに」

 向かい合う緋澄ひずみと天空てんくうは互いに構えをとる。
 それを俯瞰する観客席には水無月みなづきと伏見ふしみがおり、二人の様子を確認した伏見ふしみが鋭く口を開いた。

「準備は良さそうだな。――では、始め」

 伏見ふしみの合図と共に、先に仕掛けたのは緋澄ひずみであった。
 およそ人間とは思えない速度で地を蹴り、一息で天空てんくうとの距離を詰める。

 緋澄ひずみの速度の理由は、魔力を身に纏う技術――『装甲』と、魔力を一定の指向性をもたせて噴出する技術――『遠投』の組み合わせによるものだ。
 これにより、魔力による防護を固めつつ、噴出させた魔力の勢いを推進力として利用して接敵しているのである。
 『装甲』や『遠投』は魔力を用いる技術だが、分類としては「魔力操作」であり、厳密には魔術ではない。魔術の定義である「事象の改変」に該当しないからだ。あくまで身体動作の補助を行っているに過ぎない。
 なお、身体能力そのものを向上させる魔術は、これとは別に存在する。

 一気に肉薄された天空てんくうだったが、その表情には一切の変化がない。
 冷静に半歩身体をずらして緋澄ひずみの突撃の衝撃を逸らし、カウンターを叩き込もうとする。
 緋澄ひずみは天空てんくうの動きを予期していたかのように、天空てんくうが体をずらした反対側へと無理やり体をねじ込み、彼女を躱した。

「え?」

 困惑の声を上げたのは、仕掛けたはずの緋澄ひずみの方だった。
 緋澄ひずみは宣言通り、天空てんくうを抜き去って狗飼いぬかいを狙うつもりであった。
 しかし、天空てんくうの後ろに控えていたはずの狗飼いぬかいは、緋澄ひずみの目の前――正確には視界の下方に身を潜めていた。天空てんくうを障害物として利用し、接近する狗飼いぬかいの姿を完全に隠していたのだ。
 狗飼いぬかいが自ら攻撃に参加するとは思っていなかった緋澄ひずみは、とっさに体を捻り、伸びてくる狗飼いぬかいの手を回避しようとする。

「”我、汝に停止を命ずうごくな”」

 狗飼いぬかいが低い体勢から伸ばした手が緋澄ひずみの腕に触れる直前。逃れようとした緋澄ひずみに対し、水無月みなづきが完璧なタイミングで干渉を行う。
 これにより、緋澄ひずみの回避行動が一瞬だけ阻害された。
 次の瞬間、緋澄ひずみの身体は狗飼いぬかいの身体を軸に宙を回転し、凄まじい勢いで仰向けに地面へと叩きつけられた。
 緋澄ひずみクラスの『装甲』がなければ重傷を負いかねない危険な投げ技に、監督役の伏見ふしみが思わず頭を抱える。

「どうだ、まいったかぁ。わたくしもやればできるんだよぉ」
「お嬢様方、さすがにこれは......やりすぎでは。この天空てんくうもドン引きです」

 作戦が嵌まり勝ち誇る狗飼いぬかいに対し、天空てんくうが苦言を呈する。

「――《荊の女王》」
「――”我、汝に回避を命ずかわしなさい”!!」

 直後、仰向けに倒れていたはずの緋澄ひずみが、その体勢のまま不自然な挙動で跳ね起き、狗飼いぬかいに急接近した。

「えぇ?」

 水無月みなづきの『王宮勅令』を受け、本人の意思とは無関係に体が動いた狗飼いぬかい。それでも反射的に距離をとろうとするが、腕に巻き付いた「何か」によって動きを止められる。

「お返し」

 不敵な笑みを浮かべる緋澄ひずみに引き寄せられた狗飼いぬかいは、そのまま文字通り宙へと投げ飛ばされた。

「うっそぉぉぉ」
「お嬢様!」

 天空てんくうは、宙を舞う狗飼いぬかいの落下地点へと即座に回り込み、その体を受け止める。

「そうすると思ったわ。だから――《荊の女王》は、今、発現する」

 緋澄ひずみが呟いた瞬間、狗飼いぬかいの腕に巻き付いていた蔦が急速に生長した。そして、まるで意思を持つ生き物のように、狗飼いぬかいと天空てんくうを二人まとめて雁字搦めにした。

「これはっ、《荊の女王》!? なるほど、最初のお嬢様の投げ技に対してもこれを使って、地面との間に即席のクッションを作ってダメージを軽減したわけですか」
「えぇ!? ずるぅい」

 天空てんくうは冷静に戦況を分析し、狗飼いぬかいは天空てんくうと絡まり合った状態から脱しようとジタバタともがいている。

「ずるくないわよ。それより、狗飼いぬかいってば、随分とえげつない投げ技使うわね? えぇ?」
「あははぁ、だってぇ。わたくし、痛いの嫌なんだもん」
「それに、水無月みなづき。あんたも知ってたわね? 狗飼いぬかいの腕前。あれは何かを齧ってなきゃできないわ」
「そりゃあ、朱音あかねとは眞琴まことより付き合いも長いからね。でも、ただの護身術だってゆう話よ?」
「護身術というには過剰じゃない?」
「それよりそんな余裕かましてていいの? 伏見ふしみは、まだ終わりだとはゆってないわよ?」
「え?」

 後ろを指差す水無月みなづきに、緋澄ひずみが呆けた顔を向ける。
 次の瞬間、緋澄ひずみの側頭部を目掛けて、鋭い蹴りが炸裂した。

「うわあッ」

 緋澄ひずみはとっさに体を屈めて、その一撃を間一髪で回避する。

「天空てんくう!? なんで!?」

 蹴りを放ったのは、拘束されていたはずの天空てんくうだった。
 なお、狗飼いぬかいは相変わらず蔦に絡まれて四苦八苦している。

「――《天空召喚》。忘れておられるかもしれませんが、この天空てんくうは人間ではないのですよ、緋澄ひずみ様?」
「へっへぇんだ。天空てんくうを再度召喚し直したんだよぉ。召喚場所はある程度、わたくしが選べるからね。もぉ、この蔦邪魔ぁあぁ」
「なるほど、擬似空間転移ってワケ?  天空てんくうに対して拘束は無意味ということね」
「そういうことです。それよりお嬢様、いつまで遊んでおられるのですか?」
「遊んでないしぃ。わたくし、結構真剣に困ってるのぉ」
「......鉄扇を使われてはいかがでしょう?」
「持ってきてないぃぃぃ」
「はあ」

 天空てんくうはため息をつくと、メイド服の中から一本の扇を取り出し、地面で悶絶している狗飼いぬかいに手渡した。
 その扇は鉄でできた、いわゆる『鉄扇』。複数の札状の鉄板が合わさっており、その一面には複雑な模様――見る者が視れば魔方陣の軌跡だとわかる意匠が描かれている。
 狗飼いぬかいは鉄扇を受け取ると、それを用いて蔦を切り裂き、拘束を脱した。

「さすが天空てんくうね。わたくしの鉄扇を持ってるなんて」
「それは予備ですよ、お嬢様。せっかくですので、このまま鉄扇を使われてはいかがですか?」
「えぇぇぇ、疲れるもぉん」
「ですが、やはり、緋澄ひずみ様に対抗するには使える選択肢を増やしませんと。このままでは打つ手がありません」
「まぁ、そうなるかぁ。さっきの奇襲はうまくいかなかったもんねぇ」

 狗飼いぬかいは鉄扇を閉じたり開いたりしながら、不承不承といった様子で天空てんくうに従う。

「武器の使用はどうなのよ? 伏見ふしみ先生」

 緋澄ひずみが伏見ふしみにレギュレーションを確認する。

「まぁ、さすがに禁止だ」
「待ちなさい、伏見ふしみ。朱音あかねのあれは武器ではないわ。よく見ればわかるけど、あれはどちらかというと『魔装具』の部類よ。あれがないと、朱音あかねは真価を発揮できないの。武器として使用しないのなら問題ないでしょ」

 武器は禁止とする伏見ふしみに対し、水無月みなづきが異議を申し立てる。
 『魔装具』とは、魔術発動の補助や威力の増幅、追加効果の付与などを行う道具の総称だ。一般的な杖や箒などがこれにあたる。
 実習は魔術使用の訓練であるため、魔装具の使用は認められているのだ。

「そういうことなら、あり、か」
「聞いたわね、朱音あかね。その鉄扇を武器として使用するのは禁止よ」
「わかってるよぉ。さすがに、これで切りつけるのが魔術実習でないことくらいはわたくしにもわかるよぉ」
「魔装具? あの鉄扇が?」

 緋澄ひずみは狗飼いぬかいが魔装具を用いるところを見たことがない。
 そもそも魔装具は「未熟な魔術師が発動を補助するもの」という認識が根強いため、最上A級魔術師である狗飼いぬかいがそれを用いるのは不自然に映るのである。

「じゃあ、いっくよぉ」
「そうですね。緋澄ひずみ様、今度こそ、この天空てんくうと踊っていただきます」

 先ほどとは異なり、先に仕掛けたのは天空てんくうであった。
 緋澄ひずみとの距離を詰め、一気に肉薄する。
 緋澄ひずみは釈然としないものを感じながらもそれに応戦する。
 天空てんくうの拳が下から抉るように放たれる。
 緋澄ひずみはそれを横に払うために天空てんくうの腕に触れた。

「痛ッッ」

 天空てんくうの腕に触れた瞬間、緋澄ひずみの手のひらに鈍い痛みが走る。

(何? 今の。『装甲』越しにこれだけのダメージって......)

 原因不明の衝撃に困惑する緋澄ひずみに対し、天空てんくうは腕を払われながらもさらに接近戦を挑む。
 拳、脚、腕、膝。次々と繰り出される嵐のような乱打。それはまさしく、本人が口にした通り「舞踊」のようであった。

(普段より、天空てんくうの動きが若干速い。それにこの謎のダメージ。天空てんくうに触れたところが、さっきから痺れるッ。これは、多分、電撃!! だったら――)

「《荊の女王》!!」

 緋澄ひずみの拳に蔦が巻き付き、何重にも覆い、ボクシンググローブのように拳を保護する。そのまま、天空てんくうの攻撃を後ずさりながら蔦の拳で弾き飛ばす。

「なるほど、蔦で防ごうというわけですか。それでは、こちらも出力を上げていきます。――《雷天》」

 天空てんくうが告げると、彼女の身体は紫電を纏い、淡く発光し始めた。
 周囲の中空に複数の火花が散り、バチパチと不穏な音が響く。

「......冗談キツイって。なんで今日に限って新技が次々出てくんのよ」

 召喚体が魔術を使用するという異常事態を前に、緋澄ひずみが現実逃避気味に狗飼いぬかいの方を一瞥すると、彼女は鉄扇を顔の前で持ち上げ、開閉を繰り返していた。

(なにあれ、すっごく怪しいわね)
「余所見ですか、緋澄ひずみ様?」

 雷を帯びた天空てんくうは、先ほどとは比べ物にならない威力の掌底を突き出す。

「うわっ」

 緋澄ひずみはとっさに上体を逸らして避けるが、拳から走った紫電によって感電――全身に衝撃が走る。

「いっったい、わねぇ!! でも、じゃあ、これはどう対応する、天空てんくう? ――《荊の女王》!」

 バックステップで距離をとった緋澄ひずみの身体から、劇的な速度で成長した蔦が天空てんくうに迫る。

「ふっ!!」

 天空てんくうは周囲に放電し、迫る蔦を焼き払おうとする。しかし、蔦の物量が放電を上回る。
 視界を埋め尽くさんとする蔦の壁に対し、天空てんくうは一歩下がり、『遠投』の要領で一点に集中させた雷を放った。
 落雷のような轟音と共に一瞬の空隙が生じたが、すぐに他の蔦がその穴を埋め尽くす。そのまま、蔦の洪水が天空てんくうを飲み込み、その姿が見えなくなった。蔦は勢いを止めず、背後の狗飼いぬかいへと殺到する。

「――《天空召喚》」

 狗飼いぬかいが呟くと、蔦に飲まれたはずの天空てんくうが、瞬時に彼女の目前へと現れた。

「これは、いかがいたしますか、お嬢様?」
「うーん。焼くしかないかなぁ。ここら一帯」
「よろしいのですか?」
「よくないかもだけどぉ、わたくし達的にはそれくらいしか手段はないでしょう? 《炎天》、使うよ、天空てんくう」

 迫る蔦の壁を前に、狗飼いぬかいが鉄扇を振り上げ、大きく開く。
 その唇の動きを読んでいた水無月みなづきが、叫ぶように伏見ふしみへ声をかけた。

「まずっ、伏見ふしみ! 朱音あかねを止めなさい。この建物ごと火の海にする気よ!」
「なに!? おい、狗飼いぬかい――」
「――《炎天》」

 伏見ふしみが声を上げた瞬間、天空てんくうの足元から巨大な火柱が吹き上がった。迫っていた蔦は火柱に触れた途端、一気に炎上していく。

「伏見ふしみ、アンタは天空てんくうを止めなさい!」

 水無月みなづきは観客席から飛び降りると、地面に接触する寸前でふわりと浮き上がった。

 魔力操作技の極致――『飛翔』である。
 純粋な魔力操作のみで身体を浮かせるこの技術は、有り余る魔力の暴力とも言うべきものだ。
 自分の魔力を『装甲』で纏い、『送球』で緻密に操作し、『遠投』で噴出させ、『妨害』で暴走を抑え、『対戦』で配分を行う。これに加え、膨大な魔力保有量があって初めて成立する、選ばれた者のみの技術。

 水無月みなづきは空中を『飛翔』して蔦の壁を迂回し、緋澄ひずみの隣に着地した。

「水無月みなづき?」
「問答は後! 死にたくなかったら蔦を魔力で覆いなさい、全力で!」

 水無月みなづきは、緋澄ひずみの身体から伸びている蔦の束を強引に掴む。

「いい? アンタの方がこの蔦に魔力を通すのは簡単だと思う。アタシがやるのを見て、『装甲』の要領で蔦を魔力で覆うのよ! わかった!?」
「わかったけどさ」
「なら、やる!」
「は、はい」

 水無月みなづきの掌から魔力が伝い、蔦を覆っていく。

「......器用なもんね。要は、この蔦を身体の延長と定義して、魔力で覆うのよね?」
「無駄口叩いてないでやりなさい。伏見ふしみが天空てんくうを制圧するまで、この蔦にこれ以上引火しないようにしないと――」

 迫る炎。水無月みなづきの魔力が蔦をコーティングし、防護を固める。
 しかし、魔力で守られているはずの蔦に、炎はあっさりと引火した。

「なっ、覆っていた魔力が燃えた!?」
「――ねぇ、水無月みなづき」

 その様子を見ていた緋澄ひずみが、静かに声をかける。

「つまり、蔦に引火しなけりゃいいんでしょ?」
「そうだけど」
「なら、こうしましょう。――《荊の女王》」

 緋澄ひずみが命じると、彼女から伸びる蔦が急速に生気を失い、枯れ果てていった。

「《荊の女王》は、植物に対する絶対的な生殺与奪権を得る魔術。――引火が怖いなら、こうして枯らしてしまえばいい」

 壁を形成していた大量の蔦は、みるみるうちに朽ちていく。

「ちょっと待って。枯れた植物って水分がないからよく燃えるんじゃ......」
「かもね。だけど、それでいいのよ。こっちはもっともっと朽ちさせるんだから。原・形・を・留・め・な・い・レ・ベ・ル・ま・で・」

 枯れた蔦は瞬く間に原形を失い、崩れ落ちて炎の熱風に乗り、宙を舞う粉塵へと変わった。視界を覆っていた蔦の壁は、数秒で完全に消滅した。

「やっぱ、スケールが違うわね」
「そうでもないわよ」

 視界が晴れると、そこには炎を纏う天空てんくうと、それを強引に押さえ付ける伏見ふしみの姿があった。

「あの、伏見ふしみ先生。熱くはないのですか? こう見えてこの天空てんくうが纏うこの炎――《炎天》は物理現象ではなく、魔術的な特殊な炎でして。先生への引火は辛うじて防止していますが、熱までは防げないですよ?」
「そうだな。皮膚が燃やされているかのような感覚だ。相当に熱いな」
「――それに、炎が引火したらどうなさる御積もりだったので? 控えめに言って死ぬと思うのですが」
「ああ、それは問題ない。たかが学生の魔術に殺されるほど、腑抜けてはいないつもりだ。対策もなく炎に突っ込むほど愚かではない」
「だとよいですが......お嬢様、《炎天》を解除します」
「そうだね」

 狗飼いぬかいの言葉と同時に、天空てんくうの炎が消失した。伏見ふしみは静かに彼女の上から退く。

「......なるほど、引火する対象を選べるというのはどうやら本当のようだな。炎の熱さは本物だったが、この服には焦げ跡一つない。施設の方も同様か。一応、お前らなりの考えはあったということか。こちらの考えで止めたが、早計だったようだな」
「そうでもないわよ、伏見ふしみ」

 水無月みなづきが声を上げる。

「アンタが『装甲』も使わずに天空てんくうを抑えたのは、実は正解。もしそんなことしてたら今ごろアンタは火達磨になってたわよ。さっきの火は魔力に反応してそれを燃やす設定になってたの。つまり、魔力の塊である眞琴まことの蔦の広がり次第では大惨事になることもあり得たわ。それに、熱は本物ってことは触れれば火傷くらいはするし、物が変形したりはするんじゃないの? ま、伏見ふしみは大丈夫なんでしょうけど」

 水無月みなづきの言葉を裏付けるように、狗飼いぬかいが気まずそうに目を逸らした。

「どうやら自覚はあったみたいね」
「えぇぇぇ、だって。ねぇ、天空てんくう」
「お嬢様。この天空てんくうもやり過ぎだと思っていました」

 水無月みなづきの追及に、狗飼いぬかいは天空てんくうに同意を求めるが、メイドはあっさりと主人を裏切る。

「あっ、ずるい天空てんくう! わたくしに責任を押し付けて逃げる気ね!?」
「押し付けるも何も。人間社会において、この天空てんくうが責任を負うことなどできないでしょうに。所詮、この天空てんくうの身は召喚体にすぎないのですから」
「そぉなんだろぉけどさぁ。もっとわたくしを庇ってくれてもいいじゃなぁあぁぁい。ちゃんと甘やかしてよぉぉぉ」
「相変わらず、面倒な性格をしていますね、お嬢様」

 涙目で憤慨する狗飼いぬかいに、天空てんくうはにべもない返答をした。

「それより、狗飼いぬかいっていうか、天空てんくうの方だけどさぁ。さすがに、性能の隠蔽が過ぎるんじゃない? 天空てんくうの魔力操作技能はもともと水無月みなづきに匹敵するレベルじゃない。そこに、あれだけの魔術が使えるなら、レベル4相当って、明らかに過小評価だと思うんだけど」

 緋澄ひずみが指摘する通り、天空てんくうの公式ランクは「上B級魔術師」相当だ。そもそも魔術を扱う召喚体自体が極めて稀有なため、評価が付与されていること自体が異例なのだが、緋澄ひずみの体感では、天空てんくうの実力は間違いなく一つ上の「最上A級魔術師」に匹敵していた。

「違うわ、眞琴まこと。もしそう見えたのなら、それは朱音あかねの方の実力よ。天空てんくうの公式レベルは決して偽りではないはずよ。まぁ、他人の術式の詳細を本人の同意なく開示するのはマナー違反だから、アタシはこれ以上言わないけど」
「えぇっとね、わたくしは別に隠すほどのことでもないと思うんだけど。これに関しては実家がうるさいの。ごめんねぇ」
「あぁ、なるほど、実家ね。それはそうでしょ。まぁ、私は気にしないわ」

 緋澄ひずみは、なぜ水無月みなづきが詳細を知っているのかが気になったが、狗飼いぬかいの言葉に納得した。
 狗飼いぬかいの実家は、数少ない『原型術師』の家系である。特定の特性に特化する代わりに他を一切持たない一族であり、彼女らが特化しているのは「従属」。
 アーサー・リードの『十三騎士』のように、自らに従属するものを操作する特性だ。狗飼いぬかい家が召喚した召喚体を従属させる魔術のみを用いる以上、その術式の秘匿は当然の理であった。

「ただ、天空てんくうがあのレベルで動けて、あれだけ多彩な魔術を使えるとなると、水無月みなづきがそっちにつくのはちょっと遠慮してもらいたいわね」
「ちょっと待ってよ、まこちゃん。無理だって、無理無理。天空てんくうを毎回あのレベルで動かすのは無理ぃぃぃ。わたくしのキャパ的にあの状態は長く持たないの。天空てんくう、何か言って! 説得力のある言葉を!」

 焦る狗飼いぬかいの言葉を受け、一瞬黙考した天空てんくうが口を開く。

「お嬢様は、物ぐさな方ですので」
「「「なるほど」」」

 天空てんくうの無情な一言に、伏見ふしみを含めた全員が深く納得した。

「それで納得しないでぇ!? 違う、違うの! これは本気のダメなやつなんだからぁぁ。もぉぉぉ天空てんくうぅぅぅぅ!!」
「皆さん、説得力に納得されましたが?」
「天空てんくうのばかぁぁぁ!」
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