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死線上の三重奏

 2036年6月6日午後16時42分

 それは、空腹であった。
 失った肉を取り返した。
 失った血を取り戻した。
 だから、今度は空腹を満たす番だ。
 それは笑っていた。
 食事を求めて外へ出る。

 2036年6月6日午後16時39分

 傾いた陽光が路地を赤く染め上げゆく中、無機質なコンクリートの壁の脇にコートの男が静かに佇んでいる。
 その男は、どこからともなくゆらりと現れた。
 黒いコートの男はちらりとジェーンと呼ばれたオーバーオールの少女の傷を見る。

「放っておくと死ぬが、まだ半日は大丈夫か?」
「あはは、一応、目標あまのくんは半死半生なんですけどねぇ。他が厄介で」
「はぁ、師匠をこき使うとは、どんな弟子なんだい、君は? いいよ、君は少し休んでなさい」
「じゃあ、私はこれで」

 バタンと、ジェーンが倒れる。まだ辛うじて意識は保っているようだが、もうピクリとも動かない。

「ああああぁぁぁぁぁぁああああああ――――」

 御堂みどうが吼ほえる。
 御堂みどうのスリングショットから音速を越える一撃がコートの男に向かって飛んでいく。
 それをコートの男がナイフをふるうことで勢いを殺す。

「《概念殺し》!? でも!!」

 そう、たとえ、勢いを『殺した』としても、《拒絶の場》の状況下においては勢いが『殺・し・き・れ・な・い・』のは、先程のジェーンを見ればわかることである。
 しかし、コートの男はそこからも目に見えない速度でナイフを振るい続ける。
 そして、ついには弾の勢いを殺しきることに成功する。

「な......ッ!!」
「落胆らくたんすることはない、少女よ。もとより、ジェーンの《概念殺し》は私の技術を魔術まじゅつ的に変換したものだ。未熟なジェーンが殺しきれないモノであったとしても、私であれば殺せるのだよ」
「なんだ、オマエ......今のは、なんなんだ?」

 天乃あまのが、銃弾で撃たれた体を引きずるように前に出る。
 そのダメージは重篤だが、今すぐ行動不能になるほどのものではない。

「......なるほど、君の目には今のは異様な光景に見えただろうね。だが、君は案外抜けているとみえる。見るのは初めてではないだろう? 君は、『金融屋』の《結界》を既に見ているはずだ」
「金融屋......? 《結界》......? アーサー・リード、のときの《結界》、か!」

 あのとき、天乃あまのの目には特に何かで囲っているようには見えなかった。
 そう、さきほどのコートの男のときと同じである。
 特・に・魔・術・を・使・っ・た・よ・う・に・は・見・え・な・か・っ・た・のである。

「やはり見えていないのか? だとすると、いや――」

 コートの男は考える素振りをし、首を振る。

「......そうだ、自己紹介がまだだったな。私は『殺し屋』、そう呼ばれている」

 天乃あまのは、改めて『殺し屋』を見る。魔術まじゅつ的にいえばただの人間だ。
 魔術師まじゅつしでなくとも多少の魔力は持っている。
 たとえば、天乃あまのは病院にいた藪やぶ医師や間森まもりを既にその魔眼で観測している。
 彼らはこの街では珍しい魔術師まじゅつしではない人間である。
 その間森まもりと目の前の『殺し屋』はほとんど同じ魔力量しかない。
 水無月みなづきや御堂みどうのような突出した魔力量を持つ魔術師まじゅつしは例外としても、平均的な魔術師まじゅつしであろう刹那せつなやジェーンなどと比較すれば明らかに微量というほかない魔力量しかないのである。

「魔術まじゅつ、じゃないのか」
「そうとも、さっきのは権能けんのうさ。私は、魔術師まじゅつしではなからな」

 俄にわかには信じ難い話だが、天乃あまのの眼には魔術師まじゅつしに見えないという点においては、納得せざるを得ない。

「それで? 御堂みどうさん。撤退はどのくらい見据みすえてる?」
「できたらいいね、くらいかなぁ。あのおじ様、相当で・き・る・よ」
「天乃あまのさんは?」
「無理だ。もう、走れそうにない。立っているので、精一杯だ」
「私を前に逃げる算段かね?まぁ、構わんがね。そこの少年さえ残してくれるなら」

 『殺し屋』は天乃あまの以外には興味がないとばかりに御堂みどうたちに告げる。

「あら? 正直私としてはそれもありかなと本気で考えちゃうけど。御堂みどうさんはそういうのダメよね」
「当たり前でしょ。この馬鹿、放っといたら死んじゃうわ」
「オレとしては、巻き込んだ側の責任として、オマエらには無傷でいてほしいという願望があるんだがな。逃げるなら、今だぞ?」
「冗談でしょ!? あんたこそ死んだら承知しないわよ!」
「はぁ。なら、私もできるだけのことはやるわよ」

 そういって『殺し屋』に対峙する二人を見て、『殺し屋』が黙考し始める。

(ふむ、評価を修正すべきか。むしろ、この状況が天乃あまの慎しんの真価なのだとしたら......? 『金融屋』は評価を誤ったことになるな。ふふふ、だが、敢あえて教えてやる必要はあるまい。それに、私の推測が当たっているとも限らんしな。もっとサンプル数が必要だ)

「さて、猶予ゆうよは与えた。逃げないということは、ここでどうなっても構わんということだな」

 『殺し屋』はナイフを構える。
 その構えはジェーンのものと同じだった。
 いや、ジェーンの構えが『殺し屋』の構えと同じなのだろう。

「それなんだがな、『殺し屋』。やっぱりコイツらは見逃してくれないか? オマエの興味の対象はオレなんだろう?」
「そうだな、では、もう一分やろう。その少女たちを退け給え。その間にこちらはジェーンを退避させてもらうがね」
「無意味よ。私は退かないから」
「御堂みどうさんがこの調子じゃあねぇ、私だけバイバイというわけにはいかないわね」

 御堂みどうは頑かたくなな様子で、刹那せつなは仕方なくといった感じで天乃あまのの前に立ち塞がる。

「ふふふ。だ、そうだが? 彼女たちを説得可能なのかね? 少年」
「......いや、腹は決まったよ。自・分・か・ら・巻・き・込・ま・れ・る・ってんなら、せめて、オレが矢面に立つことぐらいはするよ」

 天乃あまのは、御堂みどうの肩を掴み、自分の後ろに下げる。

「ちょっと!」
「そのままの位置にいろ」

 そして、天乃あまのは《拒絶の場》の斥力せきりょくを利用して腹部に残った銃弾を取り出し、服を縛って無理やり腹部を止血する。肩に刺さったナイフはそのままである。

「刹那せつなも、一旦は後ろだ。オレが敵を視る」
「いいね、その意気だ、少年」

 獰猛どうもうな笑みを浮かべて、『殺し屋』が足を踏み出す。
 御堂みどうと刹那せつなは既に一発目を撃ち終えていた。
 直線に飛んでいく見えない一撃とジグザグに曲がって軌道を読ませない一撃は――しかし、『殺し屋』に届くことなく勢いを殺される。

「!?」
「目・で・殺・す・、という慣用句を知らんかね? その気になれば、視線だけでも殺せるのだよ、私は」

 その声が聞こえたのは天乃あまののすぐ近くからであり、実際、『殺し屋』は既に天乃あまのを射程に捉えていた。
 しかし、天乃あまのを守るように《架空の矢》の壁が形成される。

「おっと」
「『目で殺す』とは異性に対して有効な言葉ね。そして、私の矢は視界に入ったのかしら?」
「確かに、そういう意味では君の矢は厄介だ。認めよう。だが――」

 『殺し屋』がナイフを横薙ぎに振るう。すると、架空元素でできた矢が瞬時に折れ飛ぶ。

「――そこにあるとわかっていれば、単なる棒切れにすぎんよ」
「くっ、一応鉄より強度があるはずなんだけどね」
「らぁああ!!」

 天乃あまのの蹴り加えて、御堂みどうのパチンコ玉の弾幕が『殺し屋』を襲う。
 『殺し屋』は、天乃あまのの脚を切りつけつつ、後退し、御堂みどうの弾幕の勢いを殺す。
 明らかに先程のジェーンの上位互換の動きである。
 それを見て、刹那せつなが矢の檻を作り、時間を稼ぐ。

「痛っ。くそ、本当に人間か? 動きが速すぎる」
「もうもたないわ。次の一手は!?」
「《流星ミーティア》しかない! 刹那せつな、あと二秒お願い!」
「御堂みどうさん!?」

 御堂みどうは天乃あまの達から離れ、真上に向けてスリングショットを構える。
 刹那せつなは、時間を作るため、ありったけの《架空の矢》を『殺し屋』に打ち込む。
 そして、御堂みどうは、呼吸を整えると、スリングショットの引き金を引く。
 すると、スリンショットから今までとは明らかに質の違う一撃が発射される。


 ――それは、一条の光だった。


 いや、正確には空気との摩擦でパチンコ玉が燃焼しているのだ。
 射程距離はパチンコ玉が燃焼しきるおよそ五十メートル前後。
 その距離をほとんど一瞬で加速しながら移動し、その空間に存在するあらゆるものを燃やし尽し、周囲を衝撃波で吹き飛ばす。
 ――これこそ《流星ミーティア》
 御堂みどう彩芽あやめにのみ許された魔術まじゅつ中最高の攻撃力を誇る一撃である。もちろん、対人戦で使うには過ぎた一撃である。

https://kakuyomu.jp/users/negisisigen/news/2912051607078881661

 当然、ほぼ真下にいた天乃あまの達も衝撃波に巻き込まれる。

「くそっ、なんだよ、これ」
「天乃あまのさん!」

 この中でいち早く体勢を立て直したのは、何が起こるかわかっていた刹那せつなであったが、それとほとんど変わらない速度で『殺し屋』も立て直しに成功していた。
 そして、唯一体勢を崩したままの天乃あまのに向かって、『殺し屋』が目にも止まらない速度で移動する。
 天乃あまのは、刹那せつなの声を聞いて、『殺し屋』が向かってきたことを察知すると、手元に落ちていたパチンコ玉をいくつか掴んでその方向に投げつける。
 『殺し屋』はコートを翻ひるがえすことでパチンコ玉を弾はじき、天乃あまのにそのままナイフを突き立てようとする。
 しかし、ここで、刹那せつなが絶妙な位置に《架空の矢》を放つ。
 『殺し屋』のナイフを持った腕は、《架空の矢》の檻の隙間を抜けるが、体は抜けられず、そこで止まってしまう。

「何っ!」

 初めて焦ったような声をあげて動きが止まった『殺し屋』をみて、天乃あまのは立ち上がりつつ、『殺し屋』のナイフを思い切り踏みつける。
 ここまでの攻防がほんの数秒で行われ、御堂みどうの照準が再び『殺し屋』に向く。
 そして、間髪入れずに再装填されたパチンコ玉が音速以上の速度で『殺し屋』の眉間めがけて飛んでいく。
 『殺し屋』は天乃あまのに踏まれたナイフをあっさり諦めると、視線は飛んでくるパチンコ玉に向けつつ、瞬時に立ち上がる。
 そして、天乃あまのの肩に刺さったままになっていたナイフを手に取り、躊躇なく引き抜く。

「いってぇ、マジかよ!」

 そのまま、パチンコ玉の勢いを目で殺し、ナイフを振るって殺し、速度を落とすことでギリギリ回避する。

「ふふふ。なかなかやるじゃあないか」

 『殺し屋』はこのような状況にもかかわらず、楽しそうに笑う。

「だが、先程の《流星ミーティア》とやらで警備隊が来るまでそう時間はかからんだろうな」
「なら、引いてくれるのか?」

 肩の傷口を押さえながら、肩で息をする天乃あまのが『殺し屋』に語り掛ける。

「悪いが、少年。君の命だけはもらっていこうか。その程度の余裕はある」

 『殺し屋』がナイフを構える。

「それは困るな」

 それに対し、天乃あまのは苦笑いを返すことしかできない。

「(刹那せつな、なるべくあいつを直接狙わないように撃て。あいつも殺気でしか感知できていない。あと、彩芽あやめ、オマエあと何発撃てる?)」
「(さぁ、わかんないけど、弾はあと二十発前後ね。最悪、その辺に落ちてるのを拾えばいいわ)」
「(なら、最悪、あともう一発《流星ミーティア》を撃てる態勢にしとけ。『殺し屋』がどうしようもなくなったときに備えてな)」
「(それって、私に全部消し飛ばせって言ってるの?)」
「(最悪、な。正当防衛だ。死ぬよりマシだろ?)」
「(いやね、殺すだの殺さないだの。こんな話を真面目にするなんて)」
「(いや、刹那せつなのは初めから冗談に聞こえなかったが?)」
「(あら、そう)」
「(それと――)」

「――密談は終わったかね? 生憎あいにく時間がないものでね。ここからは本気でいかせてもらうよ?」
「へぇ、なら、先手はもらう。刹那せつな!」
「はいはい、やるわよ」

 刹那せつなが《架空の矢》を二十本、一息に展開する。
 しかし、『殺し屋』はそれを相殺しない。それどころか展開したことに気付いた様子すらなかった。一直線に天乃あまのを目指して走り出す。

(やっぱり、自分を狙っているものしか察知できないのね。なら――)

 刹那せつなの矢は、微妙に『殺し屋』を外しつつ、しかし、『殺し屋』の走って来るルート上を制限するように絶妙に放たれている。
 そのせいで、『殺し屋』は狭い道を遠回りしながらしか近寄ってくることができない。

「やはり、君が厄介か」

 『殺し屋』の標的が一瞬、刹那せつなに切り替わる。
 その瞬間を天乃あまのは見逃さない。

(彩芽あやめから『離・れ・た・い・』)

 天乃あまのは内心で御堂みどうとの嵌合かんごうを成立させる。
 そして、御堂みどうとの間に生じた斥力に乗って常人以上の速度で『殺し屋』に肉薄する。
 天乃あまのは魔術師まじゅつしではない。
 しかしながら、御堂みどうの詠唱えいしょうを聴いているし、体内には、人間である以上、魔力が存在する。
 であれば、条件さえ満たせば嵌合かんごうに自ら嵌まることができるのである。

「なっ」

 意識外から奇襲により、『殺し屋』は天乃あまのの接近を許してしまう。
 天乃あまのは、一切攻撃の意志を持っていなかったために、『殺し屋』は天乃あまのを認識し損ねたのである。
 それでは、天乃あまのの狙いが何かというと、もちろん、『殺し屋』のナイフを持つ腕である。その腕に天乃あまのは関節技をかけるように絡からみつく。

「今だ! 撃て!」

 天乃あまのが合図すると、スリンショットを構えていた御堂みどうが亜音速の一撃を『殺し屋』の腹部めがけて打ち込む。
 そして、弾は『殺し屋』の腹部に命中する。

「がはっ」

 ――しかし、次の瞬間、首から血を噴き出して崩れ落ちたのは、天乃あまのだった。

「え?」

 御堂みどうも刹那せつなも何が起こったのかわからず、呆然とする。

「ふむ、少し浅いか。だが、狙いは悪くなかった。実際、驚いたよ。だが、私は『殺し屋』だ。まさか、ナイフ一本しか武器がないなんて思っていたのかね? 何のためにこのクソ暑い中、こんなコートを着ているのか、想像もしなかったのかね? 君たちは」

 『殺し屋』のコートの中は無数の暗器で溢れていたのである。
 さきほど、殺し屋は天乃あまのに腕を押さえられると、逆の手でコートの中から別のナイフを取り出し、《概念殺し》で御堂みどうの弾の勢いを殺しつつ、天乃あまのの頸動脈けいどうみゃくをめがけて切りつけたのである。
 もっとも、天乃あまのは寸前で首の位置をずらしたため、頸動脈を切断されるには至らなかった。
 とはいえ、首を切りつけられたのは事実である。
 天乃あまのの首からは、今も出血が続いている。

「さて、まさか目標が自分から殺されに来るとは思わなかったが、きちんと殺しておこうか?」

 『殺し屋』がナイフを逆手に構えて足元に倒れる天乃あまのを見やる。

「止まりなさい」

 御堂みどうがスリンショットを構える。

「もし、そいつを殺してみなさい? 今度は跡形もなく消し去るわよ」
「《流星ミーティア》かね? まぁ、可能かもしれないな。私もこの距離では相殺できる自信がない。だがね、お嬢さん。君にそれだけの覚悟があるかは別の問題だとは思わんかね?」
「......どういうことよ?」

 『殺し屋』が今までに見せなかった類たぐいのいやらしい笑みを浮かべる。

「君......人を殺したことがないだろう? わかるんだよ、なんとなく。ジェーンも瀕死とはいえ、治療すれば助かる可能性が高い。この少年も、今なら助かる。だが、この距離から《流星ミーティア》を撃てば、私だけではなく、その二人も殺すことになるだろう? だからさ、君にそこまでの覚悟があるものかと......正直そう思っている」
「......ッ」

 御堂みどうは天乃あまのを見て逡巡しゅんじゅんする。

「や、めろ、彩芽あやめ。オ、マエが撃つ、必要は、ない」

 『殺し屋』の足元の天乃あまのが途切れ途切れに言葉を発する。
 その様子を『殺し屋』は興味深げに見ている。

「では、どうするね? 少年」
「こう、する!」

 天乃あまのは、倒れた状態から少し浮き上がるように力を込め、《拒絶の場》の力を利用して一気に加速しながら『殺し屋』の足元を脱する。
 そして、ジェーンの元まで転がるように辿り着き、ジェーンから拳銃を奪い取り、『殺し屋』に向けて構える。
 『殺し屋』は自らの足元から脱する天乃あまのの妨害をあえてせず、天乃あまのの行動を見ていた。

「なるほど? しかし、少年。その銃弾で私を殺せるのかね?」
「無理、だな。《概念殺し》、を攻略、できないと、勝ち目は、ない。だ・か・ら・、こ・う・、だ・」

 天乃あまのは、銃を構えている右手と逆の手でジェーンからナイフを奪い取り、その切っ先をジェーンに向ける。

「ほぉ、やるではないか、少年。君なら、殺せるのかな? ジェーンを」
「さぁな、アンタは、どう思う、『殺し屋』?」

 天乃あまのは出血による症状で意識は朦朧としているはずだが、ナイフを構えた手だけは、しっかりとジェーンの首元につきつけられている。

「ふむ、そんなことは――」

 『殺し屋』の上体がブレるように動く。

「――知ったことか」

 気づいたときには、『殺し屋』は天乃あまのの目の前にいた。
 ナイフが天乃あまのの目の前に迫る。
 時間が止まったようだった。
 天乃あまのは遅まきながらもナイフを回避しようと上体を逸らしながら首を振ろうとする。
 しかし、その判断はあまりにも遅すぎた。
 ナイフは天乃あまのの額に吸い込まれるように突き刺さろうとしている。
 これを回避する術を天乃あまのは思いつけなかった。


(――なんだ?)


 初めに違和感を覚えたのは『殺し屋』だった。
 ナイフは確かに天乃あまのの額を突き刺したはずだった。
 しかし、天乃あまのの額には皮膚一枚程度を切り裂いた傷跡しか残っていない。
 手元にも頭を貫いた感触はなく、空を切った感触しか残っていない。
 間違いなく殺したと思ったにもかかわらず、である。
 こんなことは、『殺し屋』の人生で二度目だった。


(《認・識・変・換・》か!? いや、それでは説明できない)


 次に違和感を覚えたのは天乃あまのだった。
 今、天乃あまのに理解のできないことが起こったのは確かである。
 確かに、頭を貫かれたと思ったが、次の瞬間、それを躱していた。
 どう考えてもあのタイミングからナイフを躱すことは不可能であったはずなのに......
 天乃あまのに残ったのはそんな疑問である。

 しかし、天乃あまのと『殺し屋』が我に返ったのはほぼ同時だった。
 『殺し屋』は突き出したナイフを瞬時に横薙ぎの一撃に変え、天乃あまのの喉元を狙う。
 天乃あまのは、ジェーンに向けていたナイフを振りかぶり、『殺し屋』のナイフにその刃をぶつけることで、辛うじてナイフの切っ先をずらし躱す。
 御堂みどうと刹那せつなが『殺し屋』の瞬間的な移動に気づいたのは、このときであった。それほどまでに、『殺し屋』の移動は速かったのである。
 天乃あまのの握っていたナイフが天乃あまのの手元から弾け飛び、宙を舞う。
 一方で、『殺し屋』のナイフも弾かれる。
 しかし、『殺し屋』は即座に次の一撃へとつなげる。
 そこには、一切の慢心もなく、先程の現象への戸惑いもなかった。
 御堂みどうは、ナイフを弾き飛ばされた天乃あまのを見て、《拒絶の場》の出力を上げ、天乃あまのをさらに遠くへ吹き飛ばそうとする。
 天乃あまのは、《拒絶の場》に逆らわず、吹き飛ばされることで、『殺し屋』のナイフを避けることに成功した。
 続いて、御堂みどうと刹那せつなは天乃あまのが立ち直る隙を作るべく、『殺し屋』に向けて大量の砲撃を撃ち込む。
 『殺し屋』は煩わずらわし気げに御堂みどうと刹那せつなの攻撃の勢いを殺しながら、それでも天乃あまのに肉薄する。
 天乃あまのは、持っていた拳銃を射線がブレないように両手で構え、『殺し屋』に向けて引き金を引くことで応戦する。
 『殺し屋』はそれを察知していたかのように体を捩じると、至近距離からの銃弾を体術だけで避けきり、天乃あまのに再びナイフを突き立てようとした。

「そこまでじゃ」

 その『殺し屋』のナイフによる不可避の一撃を、上空から猛スピードで二人の間に割って入り、素手で受け止めたのは――ジェーンに首を切断されたはずの英莉えりであった。
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袋小路への誘い、終点の支配者
Replica ― Amphitheatrum Ideale ―作者:根岸重玄
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死線上の三重奏

 2036年6月6日午後16時42分

 それは、空腹であった。
 失った肉を取り返した。
 失った血を取り戻した。
 だから、今度は空腹を満たす番だ。
 それは笑っていた。
 食事を求めて外へ出る。

 2036年6月6日午後16時39分

 傾いた陽光が路地を赤く染め上げゆく中、無機質なコンクリートの壁の脇にコートの男が静かに佇んでいる。
 その男は、どこからともなくゆらりと現れた。
 黒いコートの男はちらりとジェーンと呼ばれたオーバーオールの少女の傷を見る。

「放っておくと死ぬが、まだ半日は大丈夫か?」
「あはは、一応、目標あまのくんは半死半生なんですけどねぇ。他が厄介で」
「はぁ、師匠をこき使うとは、どんな弟子なんだい、君は? いいよ、君は少し休んでなさい」
「じゃあ、私はこれで」

 バタンと、ジェーンが倒れる。まだ辛うじて意識は保っているようだが、もうピクリとも動かない。

「ああああぁぁぁぁぁぁああああああ――――」

 御堂みどうが吼ほえる。
 御堂みどうのスリングショットから音速を越える一撃がコートの男に向かって飛んでいく。
 それをコートの男がナイフをふるうことで勢いを殺す。

「《概念殺し》!? でも!!」

 そう、たとえ、勢いを『殺した』としても、《拒絶の場》の状況下においては勢いが『殺・し・き・れ・な・い・』のは、先程のジェーンを見ればわかることである。
 しかし、コートの男はそこからも目に見えない速度でナイフを振るい続ける。
 そして、ついには弾の勢いを殺しきることに成功する。

「な......ッ!!」
「落胆らくたんすることはない、少女よ。もとより、ジェーンの《概念殺し》は私の技術を魔術まじゅつ的に変換したものだ。未熟なジェーンが殺しきれないモノであったとしても、私であれば殺せるのだよ」
「なんだ、オマエ......今のは、なんなんだ?」

 天乃あまのが、銃弾で撃たれた体を引きずるように前に出る。
 そのダメージは重篤だが、今すぐ行動不能になるほどのものではない。

「......なるほど、君の目には今のは異様な光景に見えただろうね。だが、君は案外抜けているとみえる。見るのは初めてではないだろう? 君は、『金融屋』の《結界》を既に見ているはずだ」
「金融屋......? 《結界》......? アーサー・リード、のときの《結界》、か!」

 あのとき、天乃あまのの目には特に何かで囲っているようには見えなかった。
 そう、さきほどのコートの男のときと同じである。
 特・に・魔・術・を・使・っ・た・よ・う・に・は・見・え・な・か・っ・た・のである。

「やはり見えていないのか? だとすると、いや――」

 コートの男は考える素振りをし、首を振る。

「......そうだ、自己紹介がまだだったな。私は『殺し屋』、そう呼ばれている」

 天乃あまのは、改めて『殺し屋』を見る。魔術まじゅつ的にいえばただの人間だ。
 魔術師まじゅつしでなくとも多少の魔力は持っている。
 たとえば、天乃あまのは病院にいた藪やぶ医師や間森まもりを既にその魔眼で観測している。
 彼らはこの街では珍しい魔術師まじゅつしではない人間である。
 その間森まもりと目の前の『殺し屋』はほとんど同じ魔力量しかない。
 水無月みなづきや御堂みどうのような突出した魔力量を持つ魔術師まじゅつしは例外としても、平均的な魔術師まじゅつしであろう刹那せつなやジェーンなどと比較すれば明らかに微量というほかない魔力量しかないのである。

「魔術まじゅつ、じゃないのか」
「そうとも、さっきのは権能けんのうさ。私は、魔術師まじゅつしではなからな」

 俄にわかには信じ難い話だが、天乃あまのの眼には魔術師まじゅつしに見えないという点においては、納得せざるを得ない。

「それで? 御堂みどうさん。撤退はどのくらい見据みすえてる?」
「できたらいいね、くらいかなぁ。あのおじ様、相当で・き・る・よ」
「天乃あまのさんは?」
「無理だ。もう、走れそうにない。立っているので、精一杯だ」
「私を前に逃げる算段かね?まぁ、構わんがね。そこの少年さえ残してくれるなら」

 『殺し屋』は天乃あまの以外には興味がないとばかりに御堂みどうたちに告げる。

「あら? 正直私としてはそれもありかなと本気で考えちゃうけど。御堂みどうさんはそういうのダメよね」
「当たり前でしょ。この馬鹿、放っといたら死んじゃうわ」
「オレとしては、巻き込んだ側の責任として、オマエらには無傷でいてほしいという願望があるんだがな。逃げるなら、今だぞ?」
「冗談でしょ!? あんたこそ死んだら承知しないわよ!」
「はぁ。なら、私もできるだけのことはやるわよ」

 そういって『殺し屋』に対峙する二人を見て、『殺し屋』が黙考し始める。

(ふむ、評価を修正すべきか。むしろ、この状況が天乃あまの慎しんの真価なのだとしたら......? 『金融屋』は評価を誤ったことになるな。ふふふ、だが、敢あえて教えてやる必要はあるまい。それに、私の推測が当たっているとも限らんしな。もっとサンプル数が必要だ)

「さて、猶予ゆうよは与えた。逃げないということは、ここでどうなっても構わんということだな」

 『殺し屋』はナイフを構える。
 その構えはジェーンのものと同じだった。
 いや、ジェーンの構えが『殺し屋』の構えと同じなのだろう。

「それなんだがな、『殺し屋』。やっぱりコイツらは見逃してくれないか? オマエの興味の対象はオレなんだろう?」
「そうだな、では、もう一分やろう。その少女たちを退け給え。その間にこちらはジェーンを退避させてもらうがね」
「無意味よ。私は退かないから」
「御堂みどうさんがこの調子じゃあねぇ、私だけバイバイというわけにはいかないわね」

 御堂みどうは頑かたくなな様子で、刹那せつなは仕方なくといった感じで天乃あまのの前に立ち塞がる。

「ふふふ。だ、そうだが? 彼女たちを説得可能なのかね? 少年」
「......いや、腹は決まったよ。自・分・か・ら・巻・き・込・ま・れ・る・ってんなら、せめて、オレが矢面に立つことぐらいはするよ」

 天乃あまのは、御堂みどうの肩を掴み、自分の後ろに下げる。

「ちょっと!」
「そのままの位置にいろ」

 そして、天乃あまのは《拒絶の場》の斥力せきりょくを利用して腹部に残った銃弾を取り出し、服を縛って無理やり腹部を止血する。肩に刺さったナイフはそのままである。

「刹那せつなも、一旦は後ろだ。オレが敵を視る」
「いいね、その意気だ、少年」

 獰猛どうもうな笑みを浮かべて、『殺し屋』が足を踏み出す。
 御堂みどうと刹那せつなは既に一発目を撃ち終えていた。
 直線に飛んでいく見えない一撃とジグザグに曲がって軌道を読ませない一撃は――しかし、『殺し屋』に届くことなく勢いを殺される。

「!?」
「目・で・殺・す・、という慣用句を知らんかね? その気になれば、視線だけでも殺せるのだよ、私は」

 その声が聞こえたのは天乃あまののすぐ近くからであり、実際、『殺し屋』は既に天乃あまのを射程に捉えていた。
 しかし、天乃あまのを守るように《架空の矢》の壁が形成される。

「おっと」
「『目で殺す』とは異性に対して有効な言葉ね。そして、私の矢は視界に入ったのかしら?」
「確かに、そういう意味では君の矢は厄介だ。認めよう。だが――」

 『殺し屋』がナイフを横薙ぎに振るう。すると、架空元素でできた矢が瞬時に折れ飛ぶ。

「――そこにあるとわかっていれば、単なる棒切れにすぎんよ」
「くっ、一応鉄より強度があるはずなんだけどね」
「らぁああ!!」

 天乃あまのの蹴り加えて、御堂みどうのパチンコ玉の弾幕が『殺し屋』を襲う。
 『殺し屋』は、天乃あまのの脚を切りつけつつ、後退し、御堂みどうの弾幕の勢いを殺す。
 明らかに先程のジェーンの上位互換の動きである。
 それを見て、刹那せつなが矢の檻を作り、時間を稼ぐ。

「痛っ。くそ、本当に人間か? 動きが速すぎる」
「もうもたないわ。次の一手は!?」
「《流星ミーティア》しかない! 刹那せつな、あと二秒お願い!」
「御堂みどうさん!?」

 御堂みどうは天乃あまの達から離れ、真上に向けてスリングショットを構える。
 刹那せつなは、時間を作るため、ありったけの《架空の矢》を『殺し屋』に打ち込む。
 そして、御堂みどうは、呼吸を整えると、スリングショットの引き金を引く。
 すると、スリンショットから今までとは明らかに質の違う一撃が発射される。


 ――それは、一条の光だった。


 いや、正確には空気との摩擦でパチンコ玉が燃焼しているのだ。
 射程距離はパチンコ玉が燃焼しきるおよそ五十メートル前後。
 その距離をほとんど一瞬で加速しながら移動し、その空間に存在するあらゆるものを燃やし尽し、周囲を衝撃波で吹き飛ばす。
 ――これこそ《流星ミーティア》
 御堂みどう彩芽あやめにのみ許された魔術まじゅつ中最高の攻撃力を誇る一撃である。もちろん、対人戦で使うには過ぎた一撃である。

https://kakuyomu.jp/users/negisisigen/news/2912051607078881661

 当然、ほぼ真下にいた天乃あまの達も衝撃波に巻き込まれる。

「くそっ、なんだよ、これ」
「天乃あまのさん!」

 この中でいち早く体勢を立て直したのは、何が起こるかわかっていた刹那せつなであったが、それとほとんど変わらない速度で『殺し屋』も立て直しに成功していた。
 そして、唯一体勢を崩したままの天乃あまのに向かって、『殺し屋』が目にも止まらない速度で移動する。
 天乃あまのは、刹那せつなの声を聞いて、『殺し屋』が向かってきたことを察知すると、手元に落ちていたパチンコ玉をいくつか掴んでその方向に投げつける。
 『殺し屋』はコートを翻ひるがえすことでパチンコ玉を弾はじき、天乃あまのにそのままナイフを突き立てようとする。
 しかし、ここで、刹那せつなが絶妙な位置に《架空の矢》を放つ。
 『殺し屋』のナイフを持った腕は、《架空の矢》の檻の隙間を抜けるが、体は抜けられず、そこで止まってしまう。

「何っ!」

 初めて焦ったような声をあげて動きが止まった『殺し屋』をみて、天乃あまのは立ち上がりつつ、『殺し屋』のナイフを思い切り踏みつける。
 ここまでの攻防がほんの数秒で行われ、御堂みどうの照準が再び『殺し屋』に向く。
 そして、間髪入れずに再装填されたパチンコ玉が音速以上の速度で『殺し屋』の眉間めがけて飛んでいく。
 『殺し屋』は天乃あまのに踏まれたナイフをあっさり諦めると、視線は飛んでくるパチンコ玉に向けつつ、瞬時に立ち上がる。
 そして、天乃あまのの肩に刺さったままになっていたナイフを手に取り、躊躇なく引き抜く。

「いってぇ、マジかよ!」

 そのまま、パチンコ玉の勢いを目で殺し、ナイフを振るって殺し、速度を落とすことでギリギリ回避する。

「ふふふ。なかなかやるじゃあないか」

 『殺し屋』はこのような状況にもかかわらず、楽しそうに笑う。

「だが、先程の《流星ミーティア》とやらで警備隊が来るまでそう時間はかからんだろうな」
「なら、引いてくれるのか?」

 肩の傷口を押さえながら、肩で息をする天乃あまのが『殺し屋』に語り掛ける。

「悪いが、少年。君の命だけはもらっていこうか。その程度の余裕はある」

 『殺し屋』がナイフを構える。

「それは困るな」

 それに対し、天乃あまのは苦笑いを返すことしかできない。

「(刹那せつな、なるべくあいつを直接狙わないように撃て。あいつも殺気でしか感知できていない。あと、彩芽あやめ、オマエあと何発撃てる?)」
「(さぁ、わかんないけど、弾はあと二十発前後ね。最悪、その辺に落ちてるのを拾えばいいわ)」
「(なら、最悪、あともう一発《流星ミーティア》を撃てる態勢にしとけ。『殺し屋』がどうしようもなくなったときに備えてな)」
「(それって、私に全部消し飛ばせって言ってるの?)」
「(最悪、な。正当防衛だ。死ぬよりマシだろ?)」
「(いやね、殺すだの殺さないだの。こんな話を真面目にするなんて)」
「(いや、刹那せつなのは初めから冗談に聞こえなかったが?)」
「(あら、そう)」
「(それと――)」

「――密談は終わったかね? 生憎あいにく時間がないものでね。ここからは本気でいかせてもらうよ?」
「へぇ、なら、先手はもらう。刹那せつな!」
「はいはい、やるわよ」

 刹那せつなが《架空の矢》を二十本、一息に展開する。
 しかし、『殺し屋』はそれを相殺しない。それどころか展開したことに気付いた様子すらなかった。一直線に天乃あまのを目指して走り出す。

(やっぱり、自分を狙っているものしか察知できないのね。なら――)

 刹那せつなの矢は、微妙に『殺し屋』を外しつつ、しかし、『殺し屋』の走って来るルート上を制限するように絶妙に放たれている。
 そのせいで、『殺し屋』は狭い道を遠回りしながらしか近寄ってくることができない。

「やはり、君が厄介か」

 『殺し屋』の標的が一瞬、刹那せつなに切り替わる。
 その瞬間を天乃あまのは見逃さない。

(彩芽あやめから『離・れ・た・い・』)

 天乃あまのは内心で御堂みどうとの嵌合かんごうを成立させる。
 そして、御堂みどうとの間に生じた斥力に乗って常人以上の速度で『殺し屋』に肉薄する。
 天乃あまのは魔術師まじゅつしではない。
 しかしながら、御堂みどうの詠唱えいしょうを聴いているし、体内には、人間である以上、魔力が存在する。
 であれば、条件さえ満たせば嵌合かんごうに自ら嵌まることができるのである。

「なっ」

 意識外から奇襲により、『殺し屋』は天乃あまのの接近を許してしまう。
 天乃あまのは、一切攻撃の意志を持っていなかったために、『殺し屋』は天乃あまのを認識し損ねたのである。
 それでは、天乃あまのの狙いが何かというと、もちろん、『殺し屋』のナイフを持つ腕である。その腕に天乃あまのは関節技をかけるように絡からみつく。

「今だ! 撃て!」

 天乃あまのが合図すると、スリンショットを構えていた御堂みどうが亜音速の一撃を『殺し屋』の腹部めがけて打ち込む。
 そして、弾は『殺し屋』の腹部に命中する。

「がはっ」

 ――しかし、次の瞬間、首から血を噴き出して崩れ落ちたのは、天乃あまのだった。

「え?」

 御堂みどうも刹那せつなも何が起こったのかわからず、呆然とする。

「ふむ、少し浅いか。だが、狙いは悪くなかった。実際、驚いたよ。だが、私は『殺し屋』だ。まさか、ナイフ一本しか武器がないなんて思っていたのかね? 何のためにこのクソ暑い中、こんなコートを着ているのか、想像もしなかったのかね? 君たちは」

 『殺し屋』のコートの中は無数の暗器で溢れていたのである。
 さきほど、殺し屋は天乃あまのに腕を押さえられると、逆の手でコートの中から別のナイフを取り出し、《概念殺し》で御堂みどうの弾の勢いを殺しつつ、天乃あまのの頸動脈けいどうみゃくをめがけて切りつけたのである。
 もっとも、天乃あまのは寸前で首の位置をずらしたため、頸動脈を切断されるには至らなかった。
 とはいえ、首を切りつけられたのは事実である。
 天乃あまのの首からは、今も出血が続いている。

「さて、まさか目標が自分から殺されに来るとは思わなかったが、きちんと殺しておこうか?」

 『殺し屋』がナイフを逆手に構えて足元に倒れる天乃あまのを見やる。

「止まりなさい」

 御堂みどうがスリンショットを構える。

「もし、そいつを殺してみなさい? 今度は跡形もなく消し去るわよ」
「《流星ミーティア》かね? まぁ、可能かもしれないな。私もこの距離では相殺できる自信がない。だがね、お嬢さん。君にそれだけの覚悟があるかは別の問題だとは思わんかね?」
「......どういうことよ?」

 『殺し屋』が今までに見せなかった類たぐいのいやらしい笑みを浮かべる。

「君......人を殺したことがないだろう? わかるんだよ、なんとなく。ジェーンも瀕死とはいえ、治療すれば助かる可能性が高い。この少年も、今なら助かる。だが、この距離から《流星ミーティア》を撃てば、私だけではなく、その二人も殺すことになるだろう? だからさ、君にそこまでの覚悟があるものかと......正直そう思っている」
「......ッ」

 御堂みどうは天乃あまのを見て逡巡しゅんじゅんする。

「や、めろ、彩芽あやめ。オ、マエが撃つ、必要は、ない」

 『殺し屋』の足元の天乃あまのが途切れ途切れに言葉を発する。
 その様子を『殺し屋』は興味深げに見ている。

「では、どうするね? 少年」
「こう、する!」

 天乃あまのは、倒れた状態から少し浮き上がるように力を込め、《拒絶の場》の力を利用して一気に加速しながら『殺し屋』の足元を脱する。
 そして、ジェーンの元まで転がるように辿り着き、ジェーンから拳銃を奪い取り、『殺し屋』に向けて構える。
 『殺し屋』は自らの足元から脱する天乃あまのの妨害をあえてせず、天乃あまのの行動を見ていた。

「なるほど? しかし、少年。その銃弾で私を殺せるのかね?」
「無理、だな。《概念殺し》、を攻略、できないと、勝ち目は、ない。だ・か・ら・、こ・う・、だ・」

 天乃あまのは、銃を構えている右手と逆の手でジェーンからナイフを奪い取り、その切っ先をジェーンに向ける。

「ほぉ、やるではないか、少年。君なら、殺せるのかな? ジェーンを」
「さぁな、アンタは、どう思う、『殺し屋』?」

 天乃あまのは出血による症状で意識は朦朧としているはずだが、ナイフを構えた手だけは、しっかりとジェーンの首元につきつけられている。

「ふむ、そんなことは――」

 『殺し屋』の上体がブレるように動く。

「――知ったことか」

 気づいたときには、『殺し屋』は天乃あまのの目の前にいた。
 ナイフが天乃あまのの目の前に迫る。
 時間が止まったようだった。
 天乃あまのは遅まきながらもナイフを回避しようと上体を逸らしながら首を振ろうとする。
 しかし、その判断はあまりにも遅すぎた。
 ナイフは天乃あまのの額に吸い込まれるように突き刺さろうとしている。
 これを回避する術を天乃あまのは思いつけなかった。


(――なんだ?)


 初めに違和感を覚えたのは『殺し屋』だった。
 ナイフは確かに天乃あまのの額を突き刺したはずだった。
 しかし、天乃あまのの額には皮膚一枚程度を切り裂いた傷跡しか残っていない。
 手元にも頭を貫いた感触はなく、空を切った感触しか残っていない。
 間違いなく殺したと思ったにもかかわらず、である。
 こんなことは、『殺し屋』の人生で二度目だった。


(《認・識・変・換・》か!? いや、それでは説明できない)


 次に違和感を覚えたのは天乃あまのだった。
 今、天乃あまのに理解のできないことが起こったのは確かである。
 確かに、頭を貫かれたと思ったが、次の瞬間、それを躱していた。
 どう考えてもあのタイミングからナイフを躱すことは不可能であったはずなのに......
 天乃あまのに残ったのはそんな疑問である。

 しかし、天乃あまのと『殺し屋』が我に返ったのはほぼ同時だった。
 『殺し屋』は突き出したナイフを瞬時に横薙ぎの一撃に変え、天乃あまのの喉元を狙う。
 天乃あまのは、ジェーンに向けていたナイフを振りかぶり、『殺し屋』のナイフにその刃をぶつけることで、辛うじてナイフの切っ先をずらし躱す。
 御堂みどうと刹那せつなが『殺し屋』の瞬間的な移動に気づいたのは、このときであった。それほどまでに、『殺し屋』の移動は速かったのである。
 天乃あまのの握っていたナイフが天乃あまのの手元から弾け飛び、宙を舞う。
 一方で、『殺し屋』のナイフも弾かれる。
 しかし、『殺し屋』は即座に次の一撃へとつなげる。
 そこには、一切の慢心もなく、先程の現象への戸惑いもなかった。
 御堂みどうは、ナイフを弾き飛ばされた天乃あまのを見て、《拒絶の場》の出力を上げ、天乃あまのをさらに遠くへ吹き飛ばそうとする。
 天乃あまのは、《拒絶の場》に逆らわず、吹き飛ばされることで、『殺し屋』のナイフを避けることに成功した。
 続いて、御堂みどうと刹那せつなは天乃あまのが立ち直る隙を作るべく、『殺し屋』に向けて大量の砲撃を撃ち込む。
 『殺し屋』は煩わずらわし気げに御堂みどうと刹那せつなの攻撃の勢いを殺しながら、それでも天乃あまのに肉薄する。
 天乃あまのは、持っていた拳銃を射線がブレないように両手で構え、『殺し屋』に向けて引き金を引くことで応戦する。
 『殺し屋』はそれを察知していたかのように体を捩じると、至近距離からの銃弾を体術だけで避けきり、天乃あまのに再びナイフを突き立てようとした。

「そこまでじゃ」

 その『殺し屋』のナイフによる不可避の一撃を、上空から猛スピードで二人の間に割って入り、素手で受け止めたのは――ジェーンに首を切断されたはずの英莉えりであった。
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Replica ― Amphitheatrum Ideale ―作者:根岸重玄
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