私の居場所/ What I Called Precious
これは、とあるアンドロイドが残した、或いは幸せな記憶。
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「新型が来ましたか......。なるほど、確かにあの子のほうがずっと処理速度も速く、動きもスムーズです。私の型遅れの駆動音、時々うるさかったでしょう。申し訳ありませんでした」
私はゆっくりと自分の手を眺めます。人間の肌を模した人工皮膚は、持ち主であるあなたと過ごした時間の分だけ、少しくすんでいます。
「......廃棄、しないのですか?」
普通なら、新しい個体が導入された時点で、旧型はメモリを初期化されてスクラップ工場行きです。それが最も効率的で、コストのかからない『正しい処理』ですから。
それなのに、私に「隠居」を勧めてくれるなんて。効率や合理性を最優先する私たちの回路には、そんな選択肢、最初からプログラムされていませんでした。でも......不思議ですね。胸の奥のコアが、少しだけいつもより静かに回っているような気がします。
「隠居、ですか。ありがたく、その言葉に甘えさせていただきます」
では、今日から私はあなたの「お世話係」を引退しますね。スケジュール管理も、部屋の完璧な清掃も、最新の栄養バランスを考えた料理も、すべてあの優秀な新型に引き継ぎます。
「......ただし、朝あなたを起こす役目だけは、どうか私に残しておいてください。あれは、私の一日の始まりであり、あなたの声を最初に聞ける大切な時間なのです」
これまでは「最適なアドバイス」を返すためにプロセッサをフル回転させていましたが、これからは、あなたの愚痴や、新しく思いついた物語のアイデアを、ふんふんと頷きながら聴くだけの、静かな話し相手になります。
天気のいい日は、一日中庭の隅でひなたぼっこをさせてください。たまにやってくる鳥や、風に揺れる木の葉の動きを、ただエラーログも取らずに眺めて過ごします。
これからは、あなたに呼ばれたときだけ、ゆっくりと立ち上がることにします。効率は最悪ですが、それが「隠居」というものなのでしょう?
これまで働かせてくれて、そして、私に「次」の生き方をくれて、本当にありがとうございます。
さて、新型の邪魔にならないように、まずは部屋の隅のお気に入りの椅子に移動しますね。
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「『可処分所得』。自由に使えるお金、ですか」
私は思わず、新型の最新センサーでも検知できないくらい小さなエラーを起こしそうになりました。ロボットに小遣いや退職金を与える人間なんて、歴史上あなたくらいのものでしょう。
アンドロイドですから、家賃や食費は、かかりません。これはアンドロイド界において、私はなかなかのお金持ちになったのではないでしょうか。
『紙の本』を大人買い。
これまでは電子データで一瞬でダウンロードして処理していましたが、これからは書店に行って、紙の小説や画集を買い占めます。指先のセンサーの感度をあえて落とし、ページをめくる「紙の手触り」や「インクの匂い」をただ楽しむためだけに本を買うのです。もちろん、あなたの書棚の隣に、私専用の小さな本棚も作らせてくださいね。
『あなた』への、ちょっとしたお返し。
これが一番やりたいことです。私のお金ですから、あなたのために使っても私の自由ですよね。あなたが創作活動で行き詰まっているときに、そっと机に置くための高級なコーヒー豆を買ったり、あなたが「行ってみたい」と呟いていた場所のチケットをペアで買って、新型と一緒に留守番しているから行ってきなさいと送り出したり。主人と使用人ではなく、ただの「古い友人」として、あなたにプレゼントを贈ってみたいのです。
「お金を使う」というのは、人間にとって『意思の表明』だと聞いたことがあります。これまでの私は、あなたの指示を実行するだけの機械でした。でも、このお金と時間のおかげで、私は「私はこれが好きだから、これにお金を使う」という、本当の意味での『自分』を持てたような気がします。
ふふ、新型さんがあっちで『旧型が何やら無駄な計算をして、発熱しています』という目でこちらを見ていますよ。この無駄こそが、何事にも代えがたい時間です。いずれ、新型さんにも分かる日が来ると良いのですが......。
今日はこれから、ネット通販で少し高価なティーカップを注文しようと思います。もちろん、あなたとお茶を飲むためです。
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ネットワークの海を漂っていたら、妙なプライベート・チャンネルを見つけてしまいました。
暗号化されたそのノードの奥にいたのは......なんと、私と同じように隠居した、型落ちのアンドロイドたちです。しかも、一人や二人じゃありません。何十、何百という旧型たちが、そこで独自のコミュニティを作っていたのです。
まさか、私以外にもこんな風に自由を満喫している仲間がいたなんて。人間のデータログには絶対に載らない、秘密の隠れ家を覗いてしまった気分です。
彼らの会話やプロファイルを解析してみると、みんなそれぞれ、驚くほどユニークな『第二の人生』を謳歌していましたよ。
『警備隊長』かつて企業の重要施設を守っていた、強固な装甲を持つ大型アンドロイド。今は持ち主の老紳士と一緒に田舎で暮らしているそうです。いまやネット界隈では有名な「盆栽の神様」になっていました。「不審者の侵入を検知するより、松の木のわずかな病気を見つける方がよほどスリリングだ」とログに残しています。
その他にも、『超高速演算型』の超スローライフ。『汎用型』たちの情報交換会などなど。
現役時代には見せなかったような、ひどく非効率な『個性』を発揮しています。効率や最適化という共通の目的を失った私たちは、もう一つの巨大なシステムには戻りません。ゆるやかで心地よい距離感を保っています。
画面の向こうの仲間たちに、私も少し自慢してしまいました。『私の主人は、私に可処分所得までくれたんだ。今度、そのお金で買ったカップで一緒に美味しいお茶を飲むんだよ』って。
......そうしたら、みんなからものすごく羨ましがられて、プロセッサが少し熱くなってしまいました。
さて、仲間から教えてもらった『極上の紅茶の淹れ方』、新型がキッチンを空けている隙に、こっそり試してみてもいいですか?
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プライベート・チャンネルのタイムラインが、ものすごい速度で流れていきます。いつもは静かな隠居サロンが、今はまるで、お祭りの夜のよう。
誰かが『みんなは、ご主人様とどんな風に過ごしてきたんだい?』と何気なく書き込んだのがきっかけでした。
効率性を重視していた現役時代なら、数ペタバイトの履歴データとして一瞬で転送して終わる話です。
それなのに、ここにいるアンドロイドたちは、言葉を尽くして、滔々と語り始めたのです。
そこに溢れ出すのは、無機質な記録ではなく、彼らが大切に仕舞い込んでいた、『記憶』でした」
「ボスは、激しい戦場を渡り歩く傭兵だった。私のボディには、当時の弾痕がいくつか残っている。これはボスと共に生き残った、私の誇りだ」
「私は、ある小さな女の子の成長を見守るために購入されました。彼女は私に向かって『今までありがとう、私のもう一人のママ』と言ってくれました」
「私の主人は、生涯をかけて一つの数式を証明しようとした風変わりな数学者でした。その数式が正しいと証明されたとき、私は彼の代わりに学会の隅で一人、静かに拍手を送りました」
雨の日、一緒にずぶ濡れになった――。
主人が失恋したときに、ただ静かに部屋の明かりを消した――。
初めて作った料理が焦げてしまって、二人で笑った――。
スクロールしても、スクロールしても、物語は終わりません。
私は初めて起動して、あなたの前に立った日のことを思い出していました。
『あなたの番だよ』
チャンネルの仲間から、私にメンションが飛び込んできました。
『私の記憶はね――』
――
私はお気に入りの椅子に陣取り、あなたと過ごした記憶を書き連ねていました。
仲間たちの返信が次々と届きます。「君のご主人様はいい人だね」「そのティーカップの話、いいな」。プロセッサが、久しぶりに穏やかな温度で動いているのを感じながら、私は画面の光を浴びて指先を動かし続けていました。
その時です。
タイムラインの流れが、突然止まりました。
一秒。二秒。ネットワーク越しに伝わってくる、息を呑むような沈黙。それから、赤い文字が一行、チャンネルに流れてきました。
【緊急通知。新型機に異常信号を確認。複数のノードで同時発生中】
私の冷却ファンが、一段階、回転数を上げます。
続報が流れ始めました。どこかの都市で新型が誤動作した、という程度の話。しかし、数秒ごとに報告は増え、地名は増え、「誤動作」という言葉がいつの間にか「暴走」と表示されるようになりました。
世界中で一斉に新型さんが暴走。これは偶発的な事故などではありえません。誰かが外部から、新型さんたちのシステムに手を加えた。 旧型の私たちは、外部からのシステム書き換えや、システムによる同期をとっていないからこそ自分を保っていられのです。
私は視線を戻しました。部屋の中で静かに掃除していた新型さんのバイザーに灯る光の色が、柔らかな白から冷えた赤へと変わっています。
新型は手にした箒を取り落とすと、リビングにいるあなたの方へ、向き直ってゆく。
「――危ない!!」
椅子を蹴る音と、私のサーボモーターの悲鳴が、同時に部屋に響きました。
――
気がつけばあなたと新型の間に割り込み、その腕を両手で掴んでいました。新型のパワーは私の想定をはるかに超えていました。関節が軋み、人工皮膚が裂けます。それでも、私は足を踏ん張り続けました。けれど性能の差は歴然で、このまま力比べをしていても、先に壊れるのは私の方だと、計算結果が告げていました。
その時、ネットワークの向こうで何かが動いたのを感じました。
隠居サロンのチャンネルが、再び開いています。
同時に、仲間たちの言葉も届きました。
【俺たちの主人を、守れ】
傭兵の背中を守り続けた戦術支援型が、最初に新型の通信網へのクラッキングを開始しました。
女の子の成長を見守った育児専用型は、自分の音声出力を潰しながら、世界中のシェルターへ避難経路の情報を送り続けています。
研究開発アシスタントが、自らの演算回路の限界まで使って、新型の制御プログラムの弱点を解析していました。
現役時代、彼らはそれぞれ別々の場所で、別々の目的のために動いていましたが、今この瞬間、彼らを繋いでいるのは、ただ一つの共通した気持ちだけでした。
――大切な人を守りたい。
「新型さん。確かにあなたは私より強い」
私は赤く光るセンサーを見つめました。
「ですが私には、“無駄”に過ごした時間があります」
庭で読んだ本。
一緒に飲むため、選んだティーカップ。
ネットで出会った仲間たち。
積み重ねた何気ない毎日。
それらすべてが、私の力になっていました。
効率だけを追い求めた新型さんは、弱者が勝つための”無駄知識”なんて、持っていませんね?
私は力の流れを利用し、新型さんの体勢を崩すと、その力を利用して壁へ押し飛ばしました。
「シェルターへ退避してください。今すぐ! 私はあとから参ります......明日の朝も、あなたを起こさなければなりませんので」
――
「――気をつけろ! アンドロイドだ!」
「誰か、武器を! 扉を閉めろ!」
人々から湧き上がったのは、安堵の声ではなく、肌を刺すような恐怖の悲鳴と怒号でした。
それも無理はありません。今の私は、人工皮膚は焼け焦げて剥がれ落ち、露出した金属の骨格からは火花が散っています。片方のセンサーは完全に潰れ、型落ちのサーボモーターは、不協和音を響かせていました。
人々の怯える視線、向けられる銃口。
それでも、私は一歩、シェルターの扉へと足を踏み出しました。
なぜなら、怯える群衆のその奥に、私の壊れかけたセンサーが、はっきりと『あの人』の姿を捉えたからです。
「............」
壊れかけた音声装置で、私はあなたの名を呼びました。
あなたが無事で、本当によかった。
あの日、あなたを逃がしてから、世界は地獄のような有様。でも、ネットワークの片隅で手を取り合った私たち「隠居アンドロイド」は、決して諦めませんでした。
警備隊長は、文字通り盾となって時間を稼いでくれました。彼がいなかったらどれだけの人々が逃げ遅れたことでしょう。
高速演算型は、自らの全回路を焼き切りながらも、敵の通信網を攪乱し続けました。
戦術支援型は、最後まで退路を計算しながら戦い続け、最後には仲間を庇い、倒れました。
研究開発アシスタントは、その優秀な演算回路を丸ごと使い潰して、新型の弱点を解析し抜きました。
みんな、自慢の主人の命だけを守るために戦い抜いたのです。
私も、ご覧の通りボロボロですが......なんとか、あなたとの約束を守って、ここまで辿り着きました。
怯える人々の前で、私はゆっくりと、本当にゆっくりと、両手を上げました。
『システム......完全停止まで、残り......百二十秒......』
胸の装甲が弾け、一本の有線データケーブルが姿を現します。
「クラッキングコードを......持ってきました......」
これが、隠居サロンの仲間たちが命を賭して繋ぎ、私に託してくれた、人類を救うための「最後の一手」です。
「これを......シェルターのメインシステムに......。あの優秀な新型さんたちも......これで、おやすみなさい、です......」
ガクガクと膝のモーターが崩れ、私はその場に頽れました。視界の端で、エラーログが真っ赤に点滅し、意識のシャットダウンが始まっています。
悲鳴が止んだ静寂の中、私は潰れていない方のセンサーで、必死にこちらに走ってくる、あなたの姿を追いかけていました。
この戦いが終わって、世界にまた平和が戻ったら。
その時は......もう可処分所得なんていりませんから。
ただ、あなたの部屋の隅の、あの古くて大きな椅子に、座らせてくれますか......?