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59 三月ウサギをとらえる作戦

 クリニックの休診日である水曜日、初田はふたりの母を招いてお茶会を開いた。
 初音と友子は呼ばれた理由を察して「やっとなのね」と口を揃えた。

 ネルが初田によりかかって座り、手を繋いでいる。視線を交わして微笑み合う姿は、仲睦まじい夫婦のよう。何かあったと思わないほうがおかしい。

 初音が音を立てないようにティースプーンで紅茶を混ぜながら、息子の顔を見る。
 初田初斗は常に笑顔を浮かべている人間だが、その笑顔はうさんくさいものが多かった。これほどまでに穏やかに笑う姿を、母ですら見たことがなかった。

「子どもの頃からお馬鹿だと思っていたけど......ここまでお馬鹿だったなんて。自覚するのが遅すぎよ」
「ごめんなさい」

 母にバカバカ言われても返す言葉がない初田である。中学二年の頃から女手一つで育ててもらっていた。いまなお、母に頭が上がらない。
 初田は友子に頭を下げる。

「友子さんには謝らないといけないです。ナルコレプシーの治療のために預かったのに」
「謝らなくていいのよ、初斗くん。それは出会ったきっかけにすぎないでしょう。ネルがここまでのびのび自由に成長できたのは、あなたの力添えあってこそ。この先もネルのそばにいてくれるというのなら、こんなに嬉しいことはないわ」

 ネルを引き取ったばかりの頃、初田は光源氏だと揶揄われ否定してきた。
 自分の嫁にするために囲ったなんて言われるのは癪だったし、そんなつもりは一切なかった。当時ネルは十五歳だったから、なおさらだ。
 紅茶のおかわりを飲みながら、初音は感慨深そうに息をつく。

「ネルちゃんが娘になるなんて嬉しいわねえ。今度からは初音さんじゃなくてお母さん、って呼んでもらわないと」
「お母さんだと、二人が一緒の時どっちに言っているか分からなくなると思うの......」

 ネルは友子のことをお母さんと呼んでいるから、同じ呼び方では混乱する。

「じゃあ初音母さんなんてどう。ね、初音ちゃん」
「友子ちゃんナイスアイデア」

 年の差がありすぎるだとか平也のことがあるだとか、そういう反対意見は一切出てこず、いっそ「いつ付き合うのかと思っていた」とすら言われるしまつ。楽しげな母二人を見て、初田は安堵した。

「今回話したいのはこのことだけじゃなくて、兄さんのこともあるんだ」
「平也のこと?」

 初田はタブレットにとあるテレビ番組の特集記事を表示させる。

 逃亡犯を追う、指名手配犯捜査番組だ。未解決のまま二十年経過しているものや犯人が逮捕されていないもの、いろんな事件の記事が載っている。

「歩に提案されてね。今日の夕方、撮影のためテレビ局に行く手はずになっている。ほら、平也が顔を変えていない限り、平也はわたしと同じ姿形をしている。わたしが集めた限りの情報は全て警察に提供したから、あとはテレビやインターネットの力を借りる」

 平也が捕まらないまま十年という時間が過ぎ、いまでは人々から事件の記憶が薄れつつある。
 日々新たなニュースが飛び込んでくるから、いかに凄惨な事件だったとしても風化するのは仕方のない話だ。
 けれどこのまま風化されては困る。
 初田はこの先も隠遁いんとん生活を送るなんてご免めんだった。

「初斗......。危険なんじゃないの? あなたが平也だと思われて騒ぎ立てられたら大変よ」

「兄さんがするような服装をして、現在の姿はこうですっていうのを撮影するだけだよ。兄さんは普通にマスクかサングラスをする程度で歩き回っているようだから、目撃者はかなり多いはずなんだ。実際、七夕祭のときにわたしを見て、「この商店街の人だったんですか?」と勘違いした人がいた。電車に乗っているのを見たって。近隣で平也を目撃したのは、その人だけじゃない」

 テレビやインターネットの拡散力があれば、多くの目撃情報を集められる。初田が平也と同じ服装をして、“この顔でこの服装をする男を見たなら教えて欲しい”と言えばいくらでも情報が寄せられる。

 寄せられた情報の中から、初田だとわかるものを除外すれば平也の居所を割り出せる。

「せっかく双子なんだから、この顔を利用しない手はないだろう? かくれんぼは終わりにしたいんだ。このままわたしが隠れ続けても、ただの現状維持。新しい手を打たないと、きっとずっとこのままだから」

 初音も友子も、初田がどれだけ苦労を強いられているか見てきた。初田の気持ちを痛いほど理解できた。

「それに、恩を売っておいたうちの一人がテレビ局にも顔が利く人だったからね。協力をお願いしたら二つ返事だったよ。うまくいけば兄さんのほうが表を歩けなくなるよ」

「......二つ返事って、にいさん。スピーカーにしなくても私にも聞こえてくるくらいすごい剣幕だったよ。人をあおるのはよくないと思うの」
「リナさんは顔に似合わず血の気が多いですよね。さすがアリスさんのお姉さんです」

 リナとアリスが聞いていたら全力でビンタされそうなことをのたまう。
 無自覚に人の神経を逆なでしていく天才である。

 初音は残念すぎる息子の発言に、頭が痛くなる思いだ。

「ネルちゃん、ほんとうに初斗でいいの? やめるなら今のうちよ」
「大丈夫よ、初音母さん。ちょっとずれたところも含めて初斗にいさんなんだから」

 ネルはクスクス笑う。九年も一緒に暮らしているから、いいところも悪いところも全部見えている。

「頼もしい娘ができて嬉しいわ。馬鹿な子だけどよろしくね」
「はい!」



 初音と友子が帰ったあと、初田はネルと共にテレビ局へと向かう。
 平也を捕まえるための作戦決行の時が迫っていた。
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初田ハートクリニックの法度作者:ちはやれいめい
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 クリニックの休診日である水曜日、初田はふたりの母を招いてお茶会を開いた。
 初音と友子は呼ばれた理由を察して「やっとなのね」と口を揃えた。

 ネルが初田によりかかって座り、手を繋いでいる。視線を交わして微笑み合う姿は、仲睦まじい夫婦のよう。何かあったと思わないほうがおかしい。

 初音が音を立てないようにティースプーンで紅茶を混ぜながら、息子の顔を見る。
 初田初斗は常に笑顔を浮かべている人間だが、その笑顔はうさんくさいものが多かった。これほどまでに穏やかに笑う姿を、母ですら見たことがなかった。

「子どもの頃からお馬鹿だと思っていたけど......ここまでお馬鹿だったなんて。自覚するのが遅すぎよ」
「ごめんなさい」

 母にバカバカ言われても返す言葉がない初田である。中学二年の頃から女手一つで育ててもらっていた。いまなお、母に頭が上がらない。
 初田は友子に頭を下げる。

「友子さんには謝らないといけないです。ナルコレプシーの治療のために預かったのに」
「謝らなくていいのよ、初斗くん。それは出会ったきっかけにすぎないでしょう。ネルがここまでのびのび自由に成長できたのは、あなたの力添えあってこそ。この先もネルのそばにいてくれるというのなら、こんなに嬉しいことはないわ」

 ネルを引き取ったばかりの頃、初田は光源氏だと揶揄われ否定してきた。
 自分の嫁にするために囲ったなんて言われるのは癪だったし、そんなつもりは一切なかった。当時ネルは十五歳だったから、なおさらだ。
 紅茶のおかわりを飲みながら、初音は感慨深そうに息をつく。

「ネルちゃんが娘になるなんて嬉しいわねえ。今度からは初音さんじゃなくてお母さん、って呼んでもらわないと」
「お母さんだと、二人が一緒の時どっちに言っているか分からなくなると思うの......」

 ネルは友子のことをお母さんと呼んでいるから、同じ呼び方では混乱する。

「じゃあ初音母さんなんてどう。ね、初音ちゃん」
「友子ちゃんナイスアイデア」

 年の差がありすぎるだとか平也のことがあるだとか、そういう反対意見は一切出てこず、いっそ「いつ付き合うのかと思っていた」とすら言われるしまつ。楽しげな母二人を見て、初田は安堵した。

「今回話したいのはこのことだけじゃなくて、兄さんのこともあるんだ」
「平也のこと?」

 初田はタブレットにとあるテレビ番組の特集記事を表示させる。

 逃亡犯を追う、指名手配犯捜査番組だ。未解決のまま二十年経過しているものや犯人が逮捕されていないもの、いろんな事件の記事が載っている。

「歩に提案されてね。今日の夕方、撮影のためテレビ局に行く手はずになっている。ほら、平也が顔を変えていない限り、平也はわたしと同じ姿形をしている。わたしが集めた限りの情報は全て警察に提供したから、あとはテレビやインターネットの力を借りる」

 平也が捕まらないまま十年という時間が過ぎ、いまでは人々から事件の記憶が薄れつつある。
 日々新たなニュースが飛び込んでくるから、いかに凄惨な事件だったとしても風化するのは仕方のない話だ。
 けれどこのまま風化されては困る。
 初田はこの先も隠遁いんとん生活を送るなんてご免めんだった。

「初斗......。危険なんじゃないの? あなたが平也だと思われて騒ぎ立てられたら大変よ」

「兄さんがするような服装をして、現在の姿はこうですっていうのを撮影するだけだよ。兄さんは普通にマスクかサングラスをする程度で歩き回っているようだから、目撃者はかなり多いはずなんだ。実際、七夕祭のときにわたしを見て、「この商店街の人だったんですか?」と勘違いした人がいた。電車に乗っているのを見たって。近隣で平也を目撃したのは、その人だけじゃない」

 テレビやインターネットの拡散力があれば、多くの目撃情報を集められる。初田が平也と同じ服装をして、“この顔でこの服装をする男を見たなら教えて欲しい”と言えばいくらでも情報が寄せられる。

 寄せられた情報の中から、初田だとわかるものを除外すれば平也の居所を割り出せる。

「せっかく双子なんだから、この顔を利用しない手はないだろう? かくれんぼは終わりにしたいんだ。このままわたしが隠れ続けても、ただの現状維持。新しい手を打たないと、きっとずっとこのままだから」

 初音も友子も、初田がどれだけ苦労を強いられているか見てきた。初田の気持ちを痛いほど理解できた。

「それに、恩を売っておいたうちの一人がテレビ局にも顔が利く人だったからね。協力をお願いしたら二つ返事だったよ。うまくいけば兄さんのほうが表を歩けなくなるよ」

「......二つ返事って、にいさん。スピーカーにしなくても私にも聞こえてくるくらいすごい剣幕だったよ。人をあおるのはよくないと思うの」
「リナさんは顔に似合わず血の気が多いですよね。さすがアリスさんのお姉さんです」

 リナとアリスが聞いていたら全力でビンタされそうなことをのたまう。
 無自覚に人の神経を逆なでしていく天才である。

 初音は残念すぎる息子の発言に、頭が痛くなる思いだ。

「ネルちゃん、ほんとうに初斗でいいの? やめるなら今のうちよ」
「大丈夫よ、初音母さん。ちょっとずれたところも含めて初斗にいさんなんだから」

 ネルはクスクス笑う。九年も一緒に暮らしているから、いいところも悪いところも全部見えている。

「頼もしい娘ができて嬉しいわ。馬鹿な子だけどよろしくね」
「はい!」



 初音と友子が帰ったあと、初田はネルと共にテレビ局へと向かう。
 平也を捕まえるための作戦決行の時が迫っていた。
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