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46 失敗だらけのトランプ

 六月最初の日曜日。
 ネルはアリスと二人で最寄り駅の中にあるレストランにいた。
 アリスはクリニックの向かいで働いているから、開店準備中のアリスと話をする機会も多い。
 そのうち意気投合して、今日はこうして一緒に買い物に来た。

「ふふふ。予想していたとおり、アリスさんはかっこいい服が似合うね」
「ネル。そういうのやめてよ恥ずかしい......」

 駅ナカの服屋をまわり、アリスは服や下着を、ネルは初田の夏用カッターシャツを買ってきた。

「初田先生の服はネルが買っているんだね」
「そうなの。初斗にいさんはあまり外に出ないから」

 初田は出張診察でもないと外出しない。だから買い物は基本ネルの担当だ。重くて運ぶのが大変なものは通信販売を利用する。
 アリスが初田の事情を知っているから、ネルも話しやすい。

 レストランは日曜の昼すぎだから、七割以上の席が埋まっている。
 入店してから三分ほどして、男性店員がオーダーを取りに来た。
 アリスは席に備え付けられているメニュー表を、ネルの方に向ける。

「あたし、ハーフのトマトリゾットとミルクスープにする。ネルは?」
「私は焼き魚定食がいいな」

【研修中・とらかど】という名札をつけた男性店員は、震える手で注文を書き込む。
 視線は手元の紙に釘付けで、一度もネルたちと目が合わない。
 ネルはメニュー表の端にテイクアウトありますと書かれているのを見て、オーダーを追加する。

「このテイクアウト用の、醤油からあげ盛り合わせも一つください」
「あ、先生用に? じゃあ、あたしも歩さんに差し入れで持って行こっかな。からあげ盛り合わせもう一つ追加で」
「は、はい」

 店員はびくびくしながら紙に書き足して、逃げるように厨房に向かってしまった。

「......なんかすごく怯えられていたんだけど、あたし、そんなに怖い? それともこの服装だから?」
「それは違うと思うよ。名札が研修中になっていたし、緊張しているんじゃないかな」

 今日アリスが着ているのは、ワンダーウォーカーで売っている功夫クンフー服。
 アリスの雰囲気は怖がられるようなものではないので、ネルはすぐにフォローした。
 それから料理が来るまで話に花を咲かせる。

 隣のテーブルでは、ネルたちと同年代の男女がパフェを食べさせあいっこして、甘いムードを漂わせている。

 アリスは小声で言う。

「あたし、もし恋人ができてても人前でああいうのできそうにないなぁ」
「ああいうの?」
「食べさせてあげるやつ。普通、恋人か夫婦でもないとしないでしょ」
「そ、そうなの?」

 ネルは普段から料理の味見などで初田にやっている。初田も当たり前のように、野菜スティックなどをネルの口に押し込んでくる。
 恋人じゃないとやっちゃいけないこととは知らなかった。

「おまたせしました」

 女性店員がネルとアリスのテーブルに料理を運んできた。
 トン、とテーブルに置かれたのはからあげ盛り合わせ二皿とミルクスープ。

「焼き魚定食とトマトリゾットは今作っていますので......」

 ネルとアリスは顔を見合わせて、目を瞬かせる。

「......あの、私たち、からあげはテイクアウト用でってお願いしたんですけど」
「はああ!? ちょっと虎門とらかど! あんたまたやったのね! テイクアウト用は専用の黄色い伝票に書けってもう三回は教えたよね!」

 女性店員は鬼の形相で、配膳の途中だった虎門に詰め寄った。

「え、あ、そ、そうでしたっけ、あの、そ、その、ごめんな、さい」

 虎門はどもり、視線をさまよわせて、可哀想なほどに怯えている。

「ああもう。ワタシに謝っても意味ないでしょ! 迷惑しているのはお客様なの。さっさとそれ持ってって。それから3番テーブルの伝票をちゃんと書き直しなさい!」
「は、はい。すぐに3番の伝票を......あれ、これ、何番テーブルだったかな」
「5番でしょ」
「はい、5番の伝票を書き直し......」
「違う!」

 怒濤の勢いで怒鳴られた虎門は冷や汗をだらだら流し、座り込んでしまった。ヒューヒューと短く荒い呼吸を繰り返し、持っていたトレーを落とした。皿が割れる音が響き渡り、まわりの客も騒然となる。

「虎門! ちょっと、またなの!? そんなことしている暇があったら......」
「すみません失礼します」

 ネルはすぐ席を立ち、虎門のそばにかけよる。
 虎門の背をなで、ゆっくりと声をかける。

「おちついてください、虎門さん。大丈夫ですよ。十秒かけて息を吐きましょう。いち、に、さん、よん」
「は、はい......」

 虎門は目に涙をためながら、ネルのカウントに合わせてゆっくり息を吐く。
 二、三回繰り返して虎門は落ち着きを取り戻した。

「すみま、せん。おきゃくさんに、めいわくを、かけてしまって」
「謝らなくていいですよ。さ、落ち着いたらお仕事に戻りましょう」
 
 背中を押すと、虎門は何度も謝りながら仕事に戻っていった。
 ネルも自分の席につく。

「すぐ対処できるなんてすごいね、ネル」
「ううん。たまに患者さんが同じようになるから、前に初斗にいさんが対処法を教えてくれたの」

 ゆっくり食事という空気でなくなってしまったので、すぐに食べて伝票をとる。

 他の客も、怒鳴り散らす女性店員とおどおどする虎門を見て、顔をしかめていた。
 さっきの台詞から察するに、彼は普段から落ち着きがなくて何度も怒られている。似たようなことに悩んでクリニックに来る患者を何人も見てきたので、ネルは考えた。

 レジに虎門が立ち、深く頭を下げてくる。

「さっきは、ありがとうございました。それから、あの、からあげのオーダーを間違えてしまって、すみません。何回も教わったんですけど、おれ、またやっちゃって......」
「いえ。ちゃんとお土産用にもらったので問題ありません。虎門さんは、大丈夫ですか?」

 あまり大丈夫ではないらしい。虎門はうつむいてしまう。

「私、この近くにある初田ハートクリニックというところで働いているんです。さきほどのようなことでお悩みのようでしたら、うちにいらしてくださいね。先生が協力してくれますから」

 アリスと二人で店を後にして、翌日。クリニックに新規診察予約の電話が入った。
 ネルが偶然レストランで出会った男性は、初田の新たな患者となった。
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初田ハートクリニックの法度作者:ちはやれいめい
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 六月最初の日曜日。
 ネルはアリスと二人で最寄り駅の中にあるレストランにいた。
 アリスはクリニックの向かいで働いているから、開店準備中のアリスと話をする機会も多い。
 そのうち意気投合して、今日はこうして一緒に買い物に来た。

「ふふふ。予想していたとおり、アリスさんはかっこいい服が似合うね」
「ネル。そういうのやめてよ恥ずかしい......」

 駅ナカの服屋をまわり、アリスは服や下着を、ネルは初田の夏用カッターシャツを買ってきた。

「初田先生の服はネルが買っているんだね」
「そうなの。初斗にいさんはあまり外に出ないから」

 初田は出張診察でもないと外出しない。だから買い物は基本ネルの担当だ。重くて運ぶのが大変なものは通信販売を利用する。
 アリスが初田の事情を知っているから、ネルも話しやすい。

 レストランは日曜の昼すぎだから、七割以上の席が埋まっている。
 入店してから三分ほどして、男性店員がオーダーを取りに来た。
 アリスは席に備え付けられているメニュー表を、ネルの方に向ける。

「あたし、ハーフのトマトリゾットとミルクスープにする。ネルは?」
「私は焼き魚定食がいいな」

【研修中・とらかど】という名札をつけた男性店員は、震える手で注文を書き込む。
 視線は手元の紙に釘付けで、一度もネルたちと目が合わない。
 ネルはメニュー表の端にテイクアウトありますと書かれているのを見て、オーダーを追加する。

「このテイクアウト用の、醤油からあげ盛り合わせも一つください」
「あ、先生用に? じゃあ、あたしも歩さんに差し入れで持って行こっかな。からあげ盛り合わせもう一つ追加で」
「は、はい」

 店員はびくびくしながら紙に書き足して、逃げるように厨房に向かってしまった。

「......なんかすごく怯えられていたんだけど、あたし、そんなに怖い? それともこの服装だから?」
「それは違うと思うよ。名札が研修中になっていたし、緊張しているんじゃないかな」

 今日アリスが着ているのは、ワンダーウォーカーで売っている功夫クンフー服。
 アリスの雰囲気は怖がられるようなものではないので、ネルはすぐにフォローした。
 それから料理が来るまで話に花を咲かせる。

 隣のテーブルでは、ネルたちと同年代の男女がパフェを食べさせあいっこして、甘いムードを漂わせている。

 アリスは小声で言う。

「あたし、もし恋人ができてても人前でああいうのできそうにないなぁ」
「ああいうの?」
「食べさせてあげるやつ。普通、恋人か夫婦でもないとしないでしょ」
「そ、そうなの?」

 ネルは普段から料理の味見などで初田にやっている。初田も当たり前のように、野菜スティックなどをネルの口に押し込んでくる。
 恋人じゃないとやっちゃいけないこととは知らなかった。

「おまたせしました」

 女性店員がネルとアリスのテーブルに料理を運んできた。
 トン、とテーブルに置かれたのはからあげ盛り合わせ二皿とミルクスープ。

「焼き魚定食とトマトリゾットは今作っていますので......」

 ネルとアリスは顔を見合わせて、目を瞬かせる。

「......あの、私たち、からあげはテイクアウト用でってお願いしたんですけど」
「はああ!? ちょっと虎門とらかど! あんたまたやったのね! テイクアウト用は専用の黄色い伝票に書けってもう三回は教えたよね!」

 女性店員は鬼の形相で、配膳の途中だった虎門に詰め寄った。

「え、あ、そ、そうでしたっけ、あの、そ、その、ごめんな、さい」

 虎門はどもり、視線をさまよわせて、可哀想なほどに怯えている。

「ああもう。ワタシに謝っても意味ないでしょ! 迷惑しているのはお客様なの。さっさとそれ持ってって。それから3番テーブルの伝票をちゃんと書き直しなさい!」
「は、はい。すぐに3番の伝票を......あれ、これ、何番テーブルだったかな」
「5番でしょ」
「はい、5番の伝票を書き直し......」
「違う!」

 怒濤の勢いで怒鳴られた虎門は冷や汗をだらだら流し、座り込んでしまった。ヒューヒューと短く荒い呼吸を繰り返し、持っていたトレーを落とした。皿が割れる音が響き渡り、まわりの客も騒然となる。

「虎門! ちょっと、またなの!? そんなことしている暇があったら......」
「すみません失礼します」

 ネルはすぐ席を立ち、虎門のそばにかけよる。
 虎門の背をなで、ゆっくりと声をかける。

「おちついてください、虎門さん。大丈夫ですよ。十秒かけて息を吐きましょう。いち、に、さん、よん」
「は、はい......」

 虎門は目に涙をためながら、ネルのカウントに合わせてゆっくり息を吐く。
 二、三回繰り返して虎門は落ち着きを取り戻した。

「すみま、せん。おきゃくさんに、めいわくを、かけてしまって」
「謝らなくていいですよ。さ、落ち着いたらお仕事に戻りましょう」
 
 背中を押すと、虎門は何度も謝りながら仕事に戻っていった。
 ネルも自分の席につく。

「すぐ対処できるなんてすごいね、ネル」
「ううん。たまに患者さんが同じようになるから、前に初斗にいさんが対処法を教えてくれたの」

 ゆっくり食事という空気でなくなってしまったので、すぐに食べて伝票をとる。

 他の客も、怒鳴り散らす女性店員とおどおどする虎門を見て、顔をしかめていた。
 さっきの台詞から察するに、彼は普段から落ち着きがなくて何度も怒られている。似たようなことに悩んでクリニックに来る患者を何人も見てきたので、ネルは考えた。

 レジに虎門が立ち、深く頭を下げてくる。

「さっきは、ありがとうございました。それから、あの、からあげのオーダーを間違えてしまって、すみません。何回も教わったんですけど、おれ、またやっちゃって......」
「いえ。ちゃんとお土産用にもらったので問題ありません。虎門さんは、大丈夫ですか?」

 あまり大丈夫ではないらしい。虎門はうつむいてしまう。

「私、この近くにある初田ハートクリニックというところで働いているんです。さきほどのようなことでお悩みのようでしたら、うちにいらしてくださいね。先生が協力してくれますから」

 アリスと二人で店を後にして、翌日。クリニックに新規診察予約の電話が入った。
 ネルが偶然レストランで出会った男性は、初田の新たな患者となった。
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