2.顔なし令嬢と公爵夫人
予想通り、ほどなく父である伯爵から正式に通達があった。
新しい許嫁がアルフォンスに変わったこと、ローゼンハイム家の要望によりエリザベスの身柄をアルフォンスの住む塔へ移すことが決定されたということだった。
エリザベスのただ一人の血縁である伯爵は実の娘との別れを惜しむ素振りをまったく見せなかった。
父が自分に関心を持っていないことはエリザベスにはわかっていたが、あらためて目前につきつけられるとそれは辛い事実だった。
「謹んで、公爵家へ参ります」
エリザベスが口にできたのはそれだけだった。妹のソフィアはまだ結婚適齢期ではないため、この家に残ると言うことだった。
「早くわたくしも公爵家へ行きたいですわぁ、そうしたらまたお姉さまと会えますものね。まあ、お顔のないお姉さまは一生離れの塔から出られないかもしれませんけど! 化け物ともっさり男、じめじめと仲良く暮らすのが分相応ですし!」
「そうね、そうかもね」
「まあお強がりになって! くすくす、それではお姉さま、ごきげんよう!」
くすくすと笑いながら邪魔をしに来たソフィアを適当にあしらい、エリザベスはあまり多くない私物をまとめる。
メイドは手伝ってくれなかったが、ドレスやアクセサリーの大半がソフィアに奪われていたのであまり時間はかからなかった。
「わたしにはこれがあれば十分」
エリザベスはまだ読みかけの上中下セットの本を三冊、カバンに忍ばせた。刺繍の道具は置いて行くことにした。
ソフィアはエリザベスが刺繍のできない女だと思っていたが、エリザベスとてハンカチに刺繍のひとつもしたことがないわけではない。誰も彼女が刺繍したハンカチに興味を持たなかったのだ。
無為に刺繍の施された雑巾が増えたところで、何の意味があろうか。
(ずっと塔にいていいのなら、妹に馬鹿にされながら無理に夜会に連れていかれる生活よりいいかもしれないわ。アルフォンス様はみすぼらしい外見だとの噂だけど、外見が何?)
もうこの家から出ていくということがわかっているエリザベスは少しだけ前向きな気持ちになる。
(クラウス様はとてもハンサムで堂々としていたけど、私の顔がなくなってからは優しくしてくれたことなどなかった。アルフォンス様が沼で蛙を捕まえてるのは魔術の材料に使うのよね。使用人に任せずに自分で調達してるってことじゃない。立派だわ)
実家からついてきたいメイドはいなかったので、ローゼンハイム邸へ向かう馬車の中で一人きりのエリザベスは考え事に耽る。
父や後妻やソフィア、そしてクラウスは典型的な魔術嫌いだった。魔術を嗜むアルフォンスを蔑む言葉がクラウスから出るのも、エリザベスに宛がうのが適当だと思うのも不思議ではない。
しかし、エリザベスが軟禁されていた建物には先祖が集めた書物が何冊もあった。その中には魔術について書かれた物もいくつか紛れていた。
どうやら父はそれは把握していなかったようだった。ゆえにエリザベスが読書によって魔術の基礎を独学で学んでいたことも知らない。
(魔女や魔術師の存在が国に認められたのはお父様の世代からだと聞いたわ。ということはうちのご先祖様は隠れ魔術師だったのかもしれない。そんな血筋のわたしが若き魔術師の妻になるのは運命かもしれないわ。そう思えば光栄じゃないの)
魔術について語り合える夫ができる。そう思うと、この婚約は自分にとっていいことなのだという気持ちにどんどん変わって行く。
それは親に捨てられた自分を幸せだと思い込むエリザベスの防衛反応にすぎないかもしれない。
それでも、思ったより明るい気持ちで婚家へ向かえるのはありがたいとエリザベスは思った。
そんなエリザベスを乗せた馬車はほどなくローゼンハイム公爵の治める公爵領へとたどり着く。
王国の北端にあるこの土地はいくつもの村や町、森などを内包し、その向こうにとても大きな城が見えている。
ローゼンハイム公爵邸。クラウスの婚約者として、そこで行われるパーティに参加するために何度か赴いたことはある。
顔を失った10歳以降はずっと仮面ごしの小さな視界で見ていたため、改めて何もつけていない状態で見るとその大きさにエリザベスは怖気づきそうになった。
(しっかりしなさいエリザベス。今日からあそこに住むのよ。アルフォンス様の婚約者として......)
そこまで考えて、エリザベスはかつての婚約者の弟であるアルフォンスに一度も会ったことがないことにようやく思い至る。
(ひきこもりって言ってたっけ......。兄の婚約者が来たら挨拶くらいには出てくるのが普通よね。アルフォンス様、わたしに会いたくなかったのかしら。わたし、嫌われているのかしら。そんな人のところにお嫁に行くの? わたし......)
一人きりの馬車の中にエリザベスの疑問に答える者はいない。
エリザベスは勝手に不安な考えに至りそうになる自分を押さえながら、ローゼンハイム公爵邸へ向かった。
ローゼンハイム公爵とその夫人は多忙を極めていて、今は嫡男のクラウスがこの城の運営を取り仕切っているのだと聞いていた。
ゆえにエリザベスは公爵と夫人にあまり会ったことがない。
顔を失う前には会ったことがあるはずだが、それ以降は俯いて本館の応接室とパウダールーム、大広間に飾り物のように座って動かなかった。
だから今日がほぼ初めてのようなものだった。
(クラウス様のお父上とお母上......。クラウス様と同じようにわたしを見下すかしら。でもいいわ。そんなの慣れっこだものね。どんなに見下されても蔑まれても、わたしは堂々としていよう......)
悲壮な覚悟をしたエリザベスは止まった馬車から降りる。
御者はうやうやしくエスコートをしてくれた。公爵邸に仕えるものとしてレディに対し最低限の礼儀はわきまえているらしい。
それすらない実家のメイドとくらべてなんと上等なのだろう。自分も応えなければ。エリザベスは背筋を伸ばした。
「あら、あらあらあらあら! ようこそレディ、エリザベス! 早くこちらにいらっしゃい。ガーデンでお茶をしましょう!!」
顔なしの自分への罵倒やおののきで迎えられると思っていたエリザベスを迎えたのは、高く大きいがうるさくない女性の声だった。
「お久しぶり。大きくなりましたわね。いつも都合が合わなくて顔を出せず申し訳ないと思っていましたのよ。これからよろしくお願いしますわね」
「ろ、ローゼンハイム公爵夫人......!」
少し埃っぽい旅装の女性は柔らかな黒髪を頭に頂き、優しそうだが理知的な瞳のきらめきを持っていた。
エリザベスはそれが子供のころに会ったきりのクラウスの母であることにすぐ気が付き、驚きの声を上げる。
「私も帰ってきたばかりなの。夫はまだ新しい国境の視察から戻れなくてね。ああ、わが家が懐かしいわ。しかも心配していたアルフォンスに婚約者が......。いけない、長旅で疲れたでしょう。早く座れるところに行きますわよ。荷物はこれだけ? そんなの従者にお任せなさい!」
顔のない自分に対して屈託なく話しかけ、あれよあれよという間に引っ張ってしまう夫人の勢いに気圧されたままエリザベスは庭園へ移動する。
そこは見事に整えられた花咲き乱れる庭園で、大きな白い東屋に設置されたガーデンチェアに促されるまま腰をかけた。
テーブルには素晴らしい香りのお茶と見たことのない美しいお菓子が次々と運ばれてくる。
「食べて食べて! もうすぐアルフォンスもここに来るでしょうから、お義母さんとお話しましょうよう!!」
「あ......えっと、こ、光栄ですわ......」
公爵夫人はクラウスがパーティで目にしたら眉を潜めそうな姦しい女性で、聞いてもいないのにいろいろなことをどんどん話してくる。
どの家の令嬢にも気味悪がり遠巻きにされていたエリザベスは10年ぶりに女性と談笑しながらのお茶とお菓子を味わうことができた。