第三話
風呂から上がった鴨居の食事を見届けてから、荒野はいつものように家事を一通り済ませた。
荒野は、差し出された鴨居の人差し指をじっと見つめる。
針で刺してできた微かな点から、球状の血が徐々に大きさを増していく。
その赤色に荒野は目が離せなくなった。
息が上がり、自然と口の中から唾液が溜まっていく。
ごくり、と一度喉を鳴らすと、荒野はゆっくり舌を伸ばした。
――あの日、病院から電話を受けた鴨居は早々に国家権力に屈した。
食事を済ませた少年を、車に乗せて病院へ向かう。
抵抗はあったが、元の体よりずっと扱いやすくなったサイズ感に、鴨居はありがたく思った。
車の窓から覗く、オレンジ色の街灯に照らされて「この裏切り者」と恨みがましく少年は呟く。
鴨居はバックミラーで少年をチラリと見た。
「......友達だから心配なんだよ」
そう言いながら、鴨居はハンドルを切った。
拍子抜けするほど、スムーズに診察室に通された荒野を見送り、待合室の椅子に座る。
(なんだ、全然やばそうじゃないじゃないか)
少年、もとい荒野の口ぶりから心配していた鴨居は肩の力を抜いた。
夜間の割に院内は人が行き交っているが、そんなものかと息を吐いて、鴨居は腕を組んだ。
「鴨居様、先生が呼んでいますので診察室へ来てください」
半ば眠りかけていた鴨居は看護師に声をかけられ、目を擦りながら待合室を後にした。
「お呼び立てしてしまい、すいません」
医師の丁寧な言葉に「いえいえ」と頭を下げながら、鴨居は空いていた椅子に座る。
医師の前には荒野がいたが、鴨居の方を振り向くこともなく、肩を落としていた。
「鴨居様は、荒野様についてどこまで把握されていますか?」
「いえ、ほとんど何も」
鴨居は軽く首を振る。
医師は、そうですか。と呟くと一度深呼吸をした。
「......単刀直入にいうと、荒野様は新しく発見された病気に感染しています」
「あぁ......はい。そう、なんですね」
鴨居は、椅子からぶらりと足を垂らす荒野に視線を向けた。
「吸血鬼病――と医療関係者からは仮称されていますが、症状としては身体能力の増進、意識の混濁、日光への忌避反応。極め付けは吸血衝動の発現です」
鴨居は首を傾げた。
共にいたのは、ほんの数時間だけだが、言われた症状を荒野から確認していない気がする。
鴨居は今の説明と、荒野の話を頭の中で整理した。
(あぁ、なるほど)
「つまり、荒野は処置の途中で逃げたんですね?」
「えぇ、臨床試験同意書に丸が付いていたので、最新医療の処置を施したのですが、説明資料を取りに行っている間に」
(恐らく医療カード裏の同意書に丸をつけていたこと自体、荒野は忘れていたのだろう......人騒がせだなぁ)
鴨居は眉を顰める。
「ちなみに荒野の体が小さくなっているのは?」
「吸血した相手に吸血鬼病を感染させる事や意識の混濁は防げました。ただ症状に対しては緩和させる事しか出来ない段階でして、身体能力増進と吸血衝動を抑える為の処置になります。体格の変化はその副作用です」
「抑える、という事は血の摂取は必須なんですね」
「はい。ただ無差別に吸血しないよう初回の処置で、吸血する血液を固定する作業があったのですが」
医師が言葉を切った。
(その途中で荒野が逃げた、と)
鴨居はため息を吐く。
「......その作業というのは?」
「投薬後の吸血です。投薬済みの状態で飛び出してしまったので......」
「そうなんです――」
鴨居は言葉を言い切る前に嫌な予感がした。
どうして自分がここに呼ばれたのか。
――辻褄が合ってしまった。
「荒野、舐めたの?」
鴨居は、未だにこちらを向かない荒野に呼びかけた。
「僕の血、舐めたの? 荒野」