ガラクタ
廃墟の中、無機質な声が繰り返す。
『取り残される気分は、君、どんなものなんだい?』
『その色は、味は、匂いは、手触りは、音は』
『ねえ、君。どんなものなんだい?』
問いかけに答えはない。
◇
戦火や大地震でぼろぼろに崩れてしまったその場所で、青年はガラクタを集めていた。
そこら中に散らばるガラクタを拾い、手押し車に載せる。そうして、山盛りになったそれらをひとところに集めるのだ。
青年が昼の間に作ったガラクタの山を、他の誰かが夜のうちに回収していく。
毎日がその繰り返しだった。
青年は今日もまた地面を注視し、ガラクタを探す。
大きな土くれの塊を抱えて投げ、瓦礫の崩れる音を聞きながら、埋もれていたガラクタを拾う。
ガラクタは脆い。青年の身体を作り上げる物とはまったく違う構造だ。
それらをじっと見つめ、青年の瞳は瞬く。
こんなもの、どう使っていたのだろう。
軽くて脆い。
何の役にも立たないようにも思えるのだ。
しかし、これを集める仕事がある以上、どこぞで使われているのは確かだった。
ガラクタがどう扱われるのかは知らない。
もはや重要ではない。
ただ、集め、回収することに意味がある。
ガラクタとはそういうものなのだ。
青年は息をつき、手ごろな土くれの上に座る。
ふと思い立ち、広がる苔や草の合間に手を這わせた。柔らかで不確かな感触のおかげで、自身の感覚が壊れていないことを知る。
上を向けば眩しい光。
骨組みだけを残して崩れた天井から届く陽光が、廃墟の暗がりの中で揺れていた。
小さな埃がちかちかと瞬き、青年はゆっくりと手を翳して目を細める。
あの光も、昔とはまったく別物になってしまったという。
「光というものはもっと温かで、喜びにあふれ、かけがえのないものだったんだよ」
「誰にでも手にできるものではなく、求め、そして受け取る覚悟のある者にだけ与えられる恵み。それこそが光の本来の姿」
光の話をしてくれたのは青年の家族だった。
「いつかお前にも見せてやりたい」
そう微笑んだ彼らも、いつだったかの噴火に巻き込まれ、壊れてしまったのだけれど。
その時にも沢山のガラクタが生まれたそうだ。
だが、それらは青年以外の、どこの誰とも知らない別の業者が回収してしまったらしい。
もう、遠い昔の話だった。
青年は立ち上がる。
この区画での収集ももうすぐ終わりだ。
あとは最上階のみ。
今まで誰も入ったことのない部屋を残すだけ。
歪んで開かなくなった扉を丁寧に外し、廊下側の壁に立てかける。
部屋に入れば、宙を舞う埃がきらめき、吹き抜ける風が青年の耳元で音を鳴らした。
青年は足を止める。
声が聞こえるのだ。
この建物で回収を始めてからずっと流れていた音。酷いノイズでしかなかったそれが、コトバとなって溢れ出していた。
コトバは今、青年へと届く。
『取り残される気分は、君、どんなものなんだい?』
『その色は、味は、匂いは、手触りは、音は』
『ねえ、君。どんなものなんだい?』
部屋の中央に浮かんだモノが話す。
繰り返す。
部屋の中央に浮かぶそれは、実体のない映像のようだ。青年が手を伸ばしてみると、何の抵抗もなく背後の空間へと突き抜けてしまった。
映像の表面に浮かんだ波が、青年の手を中心に広がっていく。青年が正面に回り込めば、映像はふつりと消えた。
消えた映像の向こう。
うす暗がりの中、筒状の機械が震えている。
水で満たされた硝子の筒だ。
『取り残される気分は、君、どんなものなんだい?』
『その色は、味は、匂いは、手触りは、音は』
『ねえ、君。どんなものなんだい?』
未だ繰り返されるコトバは筒状の機械から漏れ聞こえるもの。
これはなんだろう?
青年は首を傾げる。
分厚い硝子でできた筒の中、沈んでいるもの。青白い水に抱かれて泡を吐き、影のように揺らめいている、懐かしい形。
その形は、壊れてしまった青年の家族によく似ていた。
丸くて細く、役に立たない。
けれど、価値あるもののような。
脆くて軟く、使えない。
だからこそ、意味があるもののような。
ただかけがえのない、尊い形。
かつて家族から光の話を聴いた時、青年が真っ先に思い浮かべた形だ。
「光とは、あなたたちのこと?」
そう問う青年に、皆は笑った。
いなくなってしまった彼らの形だけが、いつまでも青年の中に残っている。
一瞬だけそばにあった光の記憶として、強く強く、いつまでも消えずに焼きついているのだ。
だが、目の前のモノはどこか違う。
筒の中で溺れ続けるそれは、暗い水に埋もれてしまって、まるで光の形をした影のよう。
青年が硝子の筒に触れると、振動が伝わったのか、影の一部が揺らめく。
『取り残される気分は』
コトバは相変わらず硝子の筒から溢れていて、けれど、中に眠る影は口を閉ざしたままだった。
青年は動き一つも見逃さないように、それを見つめる。
「取り残されるとはどういうことですか?」
青年は問う。
それまで同じコトバを繰り返すばかりだった筒が強く震えた。
『取り残される』
『取り残されるとは、自分だけが時の波を進んでいくということ』
『変わらないものばかりの世界で、自分だけが変化していくということ』
返ってきた答えに目を伏せる。
青年はやっと気付いた。
そうか。
自分は取り残されたのか、と。
家族が壊れ、ガラクタになってしまったあの日。傍らにあった温かな光に背を向けて、一人、動き続けることを決めたあの日から。
『取り残される気分は、見知らぬ君、どんなものなんだい?』
『その色は、味は、匂いは、手触りは、音は』
硝子の筒から新しいコトバが流れ出す。
コトバに合わせて、筒の中の影が泡を上げた。
『ねえ、名もない君。それはどんなものなんだい?』
筒はただひたすらに振動を続け、青年の答えを待っているようだった。
青年は考える。
「その色は見えず」
「味はせず」
「匂いはなく」
「手触りは失われ」
「音はしない」
「ただ、どうしようもなく」
「言葉にならず、ただ」
青年の乾ききった瞳が揺らいだ。
「ただ」
続く言葉が見当たらず、青年は動きを止める。
言葉の中身は、青年にもわかるのだ。
だが、それを表す言葉を教わる前に、家族は皆、いなくなってしまった。
こぽり、と。
筒の中で泡が歌う。
『そうか』
『ありがとう、悲しい君。代わりに答えてくれてありがとう。ありがとう』
『私も君と同じだ。同じ気持ちだ』
『私はただ、彼女にそんな思いをさせたくなかった』
筒はコトバを紡ぎ続ける。
その振動が次第に弱くなっていく。
役目を終えて、眠るように。
『ねえ、姿持つ君。お願いがあるんだ』
『この子と生きてくれ。彼女を取り残すことなく、ずっとずっと、最後まで』
『残酷かもしれないけれど、お願いだ』
『お願いだよ、優しい君』
ふわりと途絶えたノイズ交じりのコトバ。
弱々しく震える硝子の筒。
それはようやっと眠りについたのだろう。
青年は自身の両手を見た。
頑丈に造られた硬い手。
ガラクタを拾い続けるための冷たい手。
取り残された金属片。
青年は少し悩んだ後、目を閉じ、冷たい両手を振り上げた。
崩れ落ちた筒はもう震えていない。
硝子の破片を払いのけ、流れ落ちる液体が自身を濡らしていることすら気にせずに、青年は中のモノへと手を伸ばす。
丸く細く、脆く軟く、そして何より温かい。
記憶の底で薄れかけていた不確かな思いがよみがえるほどに、その感触は懐かしかった。
青年は今、確かに思い出す。
ああ、光だ。
これが光だ。
光の瞼が震える。
それは小さく呻き、青年の姿を見て首を傾げた。
「あなたは、なあに?」
◇
少し遠い未来の話。
廃墟で埋め尽くされた世界。
青年は今日もガラクタを集め、目を閉じる。
日々は長く、永く変わらない。
少しの変化があるとすれば、そう。
青年の傍らに盛られた小さな土の山。
そこに光が眠っている。
それはガラクタ。
白く冷たい、一片のガラクタ。