9.岩石亀
灰青が巨大な岩へ手を伸ばす。
「猫神の少宮司が命ずる。十三比良坂への道よ、開け」
今度は、岩が光を放った。前回の経験を生かして、花凛は目を閉じる。次に目を開いたときには、薄暗く冷たい洞窟が広がっていた。
「十三比良坂だ......!」
「そら、俺も神職やからな」
灰青は得意そうに笑った。
「ほな、行こか」
花凛は灰青に続いて坂を下っていく。前は黒っぽい土肌が見えていたが、今回の壁は黄土に見えた。
「ここ、本当に前に来たところと同じ......?」
「さぁ? 入る場所は選べるさかい。銀杏に連れてきてもろた時は、どうやったん?」
「壁が......もっと黒い土で出来てたと思う」
「玄層......たぶん淡玄層付近やね。ここは濃黄層、淡玄層よりも下層にあんねん。それにしても、よう見て覚えてはるやん」
灰青は少し感心したように言うと、何の迷いもなく奥へ歩き出した。花凛が慌てて追いかける。
「え?灰青さん、ここから行くの?」
「せや。あんたが居らんかったら淡青層まで行ってたんやけど、まぁ......しゃあないな」
そこに千草が口を挟んだ。
「灰青様。姫君をお連れするのは、少々危険では?」
「......行きたい言うたんは、そこの姫さんの方や。それとも帰るか?」
挑発的な視線で灰青が花凛を見る。花凛はムッとして、彼の目を睨め返した。
「帰りません」
「さよか。......名を呼べんと不便やな。お姫さん、名は?」
「......あ。花凛です」
「聞き慣れん響きやけど......。......まさかと思うけど真名やないやろな」
「......本名です、けど?」
灰青が両目を瞑って額に手を当て、天井を見上げた。
「嘘やろ......。銀杏の君も|十三比良坂を連れ回すより、まず、常識教えた方がええんちゃうか......」
「......普通、尊い方々は真名を名乗らないのです」
千草の補足に、この世界では、そういうものなのかと花凛が曖昧に頷く。
「......この様子やと真名の持つ力を、分かってへんみたいやな。まぁ、詳しいことは、銀杏の君にでも聞き。俺はお姫さんの保護者やない。......お姫さんのことは......まぁ、しばらくお姫さんでええか。勝手に名でもつけようもんなら、銀杏の君に殺されそうやわ」
「リ......銀杏くんは、そんなことしないと思いますけど?」
首を傾げた花凛に灰青は薄く笑うと、それ以上何も言うことはなく、さっさと歩き出した。
魔物は、ほどなくして現れた。
「岩石亀か。ちょっと面倒やな」
そう言いながらも灰青は駆け出す。駆けながら腰に差した刀を抜く。
「乙」
灰青が唱えると刀身は青く輝いた。首を狙った一撃は、岩石亀が首を引っ込めたことで空振る。その間に千草は翡翠色の玉を手にしていた。フワリと神秘的に掌の上で浮かび輝く玉もまた、青い光を帯びていた。
「貫け」
千草の短い声に呼応するかのように、いくつもの尖った木が槍のように岩石亀に襲いかかった。亀は手足を甲羅に隠す。硬い甲羅にガッ、ガッと木の槍が音を立てるが、効果抜群とは行かないようだ。
ここでようやく花凛は書を取り出した。だが、どう戦えば良いかが分からない。分からなければ書は呪を示してはくれない。
(リオン君みたいに、識別出来ればいいのに......)
――チリン
どこかで鈴のなる音がした。岩石亀の上に名前と属性が浮かび上がる。
――岩石亀・土属性・二級上
(なに、これ?......これが識別? 名前と属性......となると二級上っていうのがレベル?)
灰青や千草が木属性を使っているのは、正しい判断なのだろう。彼らも識別を持っているのだろうか? それとも経験則だろうか?
(でも、私なら......)
決めた瞬間、開いた書に呪が浮かび上がった。花凛はそれを読み上げる。
「麒麟の名の下に命ずる。土よ槍となり、我が敵を封じよ」
「は? なんで土属性選ぶねん!」
灰青の叫びを聞きながらも、花凛は神術を操る。黄色い光は地面に降り、地面からは土が槍のように隆起した。狙うは胴体ではなく、その真横。いくつもの土の槍は、岩石亀の甲羅の周りを固め、動きを止めた。岩石亀は首を出し、土の槍を壊そうと足掻いたが、土の槍はびくともしない。
同属性を選んだのは、同属性同士は攻撃が通りにくいと本で知ったからだ。一度使ったことがあるので、間違いなく使えるだろうという安心感もある。
「ハッ! なるほどなぁ、ようやった!」
灰青は花凛の目的を察すると、また駆け出した。そのまま、青く煌めく刀を岩石亀が首を引っ込めた空洞に刺し込んだ。ギュオンと低い悲鳴を上げて、岩石亀がバタバタと手足を動かす。
「貫け」
その手足も千草の操る神術の木槍が貫いていく。やがて、岩石亀の動きは緩慢になり、動きを止めた。
それを確認して灰青が岩石亀に触れた。
「辛」
灰青の言葉と共に、岩石亀は魔法石と甲羅、いくつかの肉と瓶へと変わった。
「お姫さんは、なにがええ?」
「なにって......?」
「戦利品。お姫さんの足止めのおかげで、早う勝てたからな。まずは自分から選び?」
「うーん......リオ、銀杏さんは何を喜びますかね?」
「......岩石亀の血をお姫さんから渡されたら、銀杏の君は喜ぶんちゃう?」
「じゃあ、それで!」
朗らかに笑う花凛に灰青は瓶を渡す。どうやら、その中身が岩石亀の血らしい。
「それにしても、それなりにやるなぁ。銀杏の君に愛想尽かされたら、俺の従者にならん?」
(リオン君に、愛想を尽かされたら......?)
ギュッと心臓を掴まれたような、嫌な気持ちになって花凛は顔を顰める。それを見て灰青は意地悪く笑い、千草は呆れたように溜息をついた。
その時だった。
――ぞくり、と。
花凛の背中を冷たいものが撫でた。同時に灰青と千草の猫耳がピンと立つ。
「今、なにか......」
「......これは大物のお出ましやな」
空気が重く感じられた。明らかに今までとは違う。3人の間から和やかな雰囲気が消えて、周囲を隙なく伺う。
――ズルリ、ズルリと。奥から、何かが近づいてくる音がしていた。