たまごの魔女と、夜明けの口づけ
新月の夜は目を凝らしても、まっくら。
星々だけが、たよりない明かりだ。
あどけなさを残す赤髪の少女は、精一杯の背伸びをして、魔女屋敷の窓から外を窺っていた。一階広間の大時計が確かなら、二人が帰ってくる頃合いなのだ。
もっとも、時計などに関係なく、ずっと窓際にいるのだが。
少女の名は、フリーテ。後の世に『紅蓮の魔女』の偉名を轟かす英雄も、いまは雛鳥ですらない、たまごであった。今年、数えで十三歳になる。
再度、背伸びをして窓から闇夜を窺う。飛竜のたまご集めは、修行中の魔女見習いが避けては通れない難関だ。フリーテだって、昨夜は親竜につつかれて大変な目に遭っている。
いつもぽややと笑っている妹弟子。やる気があるのかないのか、いつもあやふやな同い年の彼女のことを思うと、のどの奥がなんだかきゅーんと痛くなってきた。
再度背伸びをして、黄玉色の瞳をこらして外を窺う。
すると、夜空の星がちらちらとまたたくのが見えた。
またたきはどんどん大きくなり、それがふたつの影だと気づく。
フリーテは、スカートの裾をつかむと、ばたばたと階段を駆け上がった。
◆
二階のバルコニーへ着くと、箒に乗った二人が降りてくるところだった。
優雅なたたずまいで箒に腰かけていた淑女は、師匠魔女。
その後ろについて、箒にまたがって降りてきた方が、妹弟子だ。
夜闇でも目立つ純白の髪を視界に捉えるや、フリーテは、たっと飛び出した。
「チャイム! 無事かしら? ケガなんてしてないですわよね?」
声をかけながらも、だだだんと駆け寄る。
あっけに取られて目を丸くした妹弟子。
彼女の赤みがかった瞳が、たちまちにフリーテの視界いっぱいになる。
がば、と姉弟子が妹弟子を抱きしめたのだ。
チャイムと呼んだ少女の肩をきゅっとつかんで、フリーテは訊ねた。
「外は寒かったでしょ? たまごは集められたの? 親竜には遭わなかった?」
矢継ぎ早の問いに、訊かれた少女は、はにかむように笑った。
「いつも心配しすぎだよ。師匠も一緒なんだもん」
妹弟子が細い声で言うと、姉弟子はぐいっと顔を近づけた。
「ほんっとうに、どこにもケガなんてないのですわね?」
「だいじょうぶだって」
「怖い目にも、遭ってないですわね?」
「平気だってば」
妹弟子の返事に、赤髪の少女は、にぱっと笑んだ。
いつものように、こつんとおでこを合わせる。
「なら、よかったですわ」
白髪の少女も、おでこをすり合わせる。
「ふふ、気をもみすぎだよぉ」
いつもの儀式を済ませて、二人の少女はくすくすと笑い合った。
◆
(それにしたって...)
先ほどの心配顔はどこへやら。
フリーテはじとりとした目つきになると、チャイムの背負った鞄を見やった。
昨夜、自分が魔女屋敷へ戻ってきたときは、鞄をぱんぱんにしている。
あまりに詰めすぎたので、帰りにたまごが割れないかと冷や冷やであった。
ところが、である。チャイムの鞄はそれほどふくらんではいない。
ぺったんこでないところから、収穫はあったのだろう。
ただし、数が集められなかったらしい。
(勝ちましたわ)
ひそかにひとりごちて、フリーテはむふんと鼻を鳴らした。
くいとあごを軽くあげると、気の毒な妹弟子に声をかける。
「あらあら。チャイムったら、ずいぶんと遠慮さんなのね。獲ってきたたまごはひとつかしら? それとも、ふたつ? それじゃあ、試験には受からなくってよ」
喜色満面で言いつつ、フォローも忘れない。
「まあ? わたしが先の修行へ進んでも、ちゃあんと勉強はつきあいますわよ?」
腰に手を当て、ふんふんと鼻息の荒いフリーテに、
「あはは...ありがとう」
はたしてチャイムは、なんともあいまいな微笑を浮かべている。
フリーテは眉をひそめて、口をとがらせた。
「あなたねえ。試験のごほうび、わすれているんじゃないの?」
「おぼえているよぉ」
「はいはい、二人とも。おしゃべりはそこまで」
ぽんぽんと手を打ちながら、師匠魔女が穏やかに声をかける。
「今回の試験の講評をしますよ」
◆
魔女屋敷の広間で、弟子の少女たちは緊張の面持ちで立っていた。
正確には、固まっているのはフリーテで、チャイムはにこにこ顔のままだが。
相対して師匠魔女が立っていて、その両脇には二つの台座がある。
ひとつは赤い布が、もうひとつは白い布が、それぞれかけられていた。
言わずもがな、弟子たちの獲得成果である。
まず師匠が手にしたのは、赤い布だ。
ふぁさ、と取り払われると、淡いこがね色に光るたまごが五つも積まれていた。
チャイムが息を呑む気配に、フリーテは思わず口元をゆるめた。
「みごとです、フリーテ。数、色、大きさ、形。申し分ありません。合格です」
師匠魔女の言葉に、赤髪の少女はきゅっとこぶしを握り、口の端を持ち上げた。
「次に、チャイムですね」
師匠魔女がそう言って、白い布の台座へ近寄る。
白い布のふくらみは、赤い布に比べてとても及ばない。
大きさからして、一個がせいぜいだろうか。
(どんくさいんだから。きっとまごついたのですわ、あの子ったら)
内心で悪態をつきながら、フリーテはちらとチャイムを見やった。
白髪の少女は、穏やかな笑みのまま、まったく動じていない。
(なによ。開き直っているのかしら? ちゃんと自分の失敗は認めなさいよ)
心がかゆくなるのを感じつつ、フリーテは視線を白い布へ戻した。
師匠魔女の手が、布を取り払った瞬間。
目にしたものに、フリーテは思わず「ヒュッ」と変な声を出した。
飛竜のたまご、ひとつきり。
黒曜石のようにきらめく、闇夜色のたまごだ。
師匠魔女が手で指し示しつつ、広間中に響く声で告げる。
「まさか修行中の子が、これを獲るとは思いませんでした」
興奮気味な様子を隠さず、師匠魔女は言葉を続けた。
「新月竜のたまごです。一人前でもめったに見つけられません。よくやりました、チャイム。魔女の師として、これほど誇らしいと思ったことは、数えるほどですよ」
師匠の言葉に、チャイムの微笑が、満面の笑みに変わった。
眉じりをさげにさげ、身体を揺らして、もじもじとしてみせる。
妹弟子の仕草に、思わず目をつりあげたフリーテだが――ハッとして訊いた。
「お、お師匠さま。じゃあ、今回の試験勝負は...」
赤髪の弟子魔女が、おそるおそる問いかける。それに対して、
「同点引き分けです。フリーテも、見事でしたよ」
師匠魔女はにっこりと笑んで、言った。
「だから、ごほうびは二人で仲良く、半分こしなさいね?」
◆
「あああ――なんか、納得できませんわあ!」
部屋に着くなり、フリーテはぱたぱたと駆け、奥の大きなベッドへぽふっと身体をなげだした。シーツに顔をうずめて、うーうーとうなっている。
「わあ、すごい。ここがわたしたちの新しい部屋になるんだね」
のんきなチャイムの声に、フリーテはふんと鼻を鳴らした。
ごそごそと身を起こすと、室内を見回す。
宙に浮かぶ鬼火の精霊で、部屋は明るく照らされている。
天井までの高さはある本棚。色とりどりの装丁の魔法の本でぎっしりだ。
大きな黒檀の机は重厚な作り。竜が踏んでも支えられるだろう。
なによりも寝台だ。
部屋の奥の大きな出窓に、ぴったり沿うようにしつらえてある。
玻璃越しに半分だけ外界につながったようなデザインになっていた。
ここで毎朝起きられたら、なんて贅沢なことか!
前のせま苦しい弟子部屋に比べたら、天地の開き。
もっとも、ひとりじめできればの話だけれども。
「じゃあ、新しい部屋でも。またよろしくね、フリーテ」
にこにこ顔で近寄ってくる妹弟子を――姉弟子はぎろとにらみつけた。
「領土を決めますわよ」
唐突な申し出に、チャイムは目をぱちくりとさせた。
「へ? ど、どういうこと?」
「獲ってきたたまごの数に合わせて、使える部屋の広さを決めるんですの」
びしっと指をつきつけて、フリーテは宣言した。
「二人合わせて、たまごは六個。六等分して五つ分の広さをわたくし。のこりひとつ分はあなたが使えばいいわ。よろしくて?」
無茶無理無法は、百も承知で言い放つ。
「そんなあ。同点でしょ。わたしのは新月竜のたまごなのに」
情けない声で不平を鳴らす妹弟子に、姉弟子はこう言ってのけた。
「なら、その黒檀の机をお使いなさい。色が同じでちょうど良いですわ」
「ええー...」
「もう夜も遅いわ。明日はたまごを使った儀式ですわよ。早く寝ましょ」
フリーテがぱちんと指を鳴らすと、鬼火の明かりがすうっと暗くなる。
暗がりの中で立ち尽くしているチャイムに背を向けて、フリーテはさっさと寝台の上で丸くなった。
自分自身の、心のせまさとふがいなさに、ひそかに爪を噛みながら。
◆
いっかな寝付けないフリーテである。
耳には、暗がりでごそごそと動くチャイムの音が聞こえていた。
ときどき「いたっ」「ううっ」とか聞こえるのは、どこかで脚でも打ったのか。
しばらく口をまごつかせていたフリーテだが、
「...だいじょうぶ?」
そうっと、いまさらながらに訊いてみる。
すると、星空のかすかな光を受けて、ぽわっと白い影が暗がりに浮かんだ。
チャイムがおそるおそる寝台へ近づいてくる。
にらみつけようとして、しかし、フリーテの目はじわと潤んだ。
いとけなさに真剣さが混じった声で、妹弟子が言う。
「ねえ。フリーテ...いっしょに、寝ちゃ、だめかな」
いつもなら続けて「あはは」という照れ笑いがつくのに。
今夜この時だけは、チャイムの声は真面目そのものだった。
むしろ、どこかせっぱつまってさえ聞こえる。
フリーテは大きく嘆息すると、身を起こした。
かぶっていた毛布を大きくかかげて、窓際へ自分の位置を少しずらす。
そうして、空いた場所を、ぽんぽんと手でたたいてみせた。
姉弟子の無言の了承に、妹弟子がにぱっと笑みを浮かべる。
白髪の少女は寝台へ駆け寄り、よじ登った。
赤髪の少女の隣にすべりこむと、「んふふ」と笑いながら、身を寄せてくる。
そんな彼女に、フリーテはふんと鼻を鳴らして、窓の外を見つめた。
◆
「――ここなら空がよく見えますわ。天の果てまで見えてしまうかも」
しみじみとつぶやいたフリーテに、チャイムがくすくす笑う。
「こんな時でも、遠くを見てるなんて、とっても『らしい』や」
さらさらした白髪を揺らしつつ、妹弟子は自分のおなかをさすった。
「わたしなんか、明日のオムレツで頭がいっぱいなのに」
「食いしん坊ですわね。料理じゃなくて儀式でしょう」
「一緒だよ。飛竜のたまごを、お師匠様が料理してくれる。それをわたしたちが食べる。魔物を食べれば食べるほど、魔女の力は強くなるんでしょ?」
チャイムの言葉に、フリーテはこくりとうなずいた。
「...竜のたまご。いくつ食べたら、果てに届くのかしら」
「そんなに、行きたいの? 世界の端っこまで」
目をぱちくりさせる妹弟子に、姉弟子がそっと顔を寄せる。
こつんとおでこを合わせつつ、赤髪の少女は宣言した。
「たどり着いてみせますわ。魔女フリーテの名を、世界にとどろかすのよ」
妹弟子の瞳に、自身の瞳のきらめきを映しつつ、告げたのは夢か野心か。
赤髪の少女の宣言に、白髪の少女がひと呼吸置いて、応える。
「なら、わたしはそんなあなたに、どこまでもついていくよ」
「あなたが? このわたくしについてこれると?」
あおってくる言葉に、熱っぽいささやき声が応じてみせる。
「ついていけるよ。果てでも、天界でも、冥界でも。だって――」
おでこをあわせたまま、白髪の少女が唇を寄せる。
赤髪の少女の、小さなつぼみのような唇へ。
ついばむような軽い口づけを、ひとつ。
「~~~~ッ!?」
みるまにフリーテの頬が朱に染まり、耳までたちまちに赤くなる。
そんな彼女を、慈しむように見つめながら、チャイムはささやいた。
「――わたしは、フリーテを、心の底から好きだもん」
赤髪の少女は、何も言えない。
なにやらうめきながら、寝台に倒れ込む。
白髪の少女は、愉快そうに小さく笑った。
その顔へ、白みかけた空の光がやわらかにそそぐ。
後に、紅蓮の魔女を生涯にわたって翻弄し続ける、『白露の魔女』の笑みである。
◆
紅蓮の魔女フリーテと、白露の魔女チャイム。
数々の偉業を為した二人は、時に手を取り合い、時に仲を違えた。
十七年の短い生涯を共に終える時まで、それは続いたという。
けれど、いまはまだ、いずれの魔女もたまごのまま。
殻の外を夢見つつ、来るべき飛翔の日を待つのであった。