剣の乙女04 出撃
父の後を継いでシチリア王国の王となったヴィルヘルム三世は、王冠をかぶるにはあまりにも幼かった。
神聖ローマ帝国の勢力が巨大化することを恐れた教皇が後ろ盾となっていても、神聖ローマ帝国皇帝およびドイツ国王ハインリッヒ六世率いる大軍を止める力になりはしない。
皇帝は今度こそシチリア王位を手にしようと、ドイツ諸侯の軍をロンバルディア平原に集結させた。
六月、軍勢はジェノバへ。
七月、ピサに向かう。
この二つの都市の共通点は、強力な海軍力をもつ地中海有数の港湾都市だということだ。
ハインリッヒ六世のシチリア王位を認めないシチリア諸侯たちが結束する前に叩くには、海軍の力が必要だったのである。
同盟を結んだジェノバとピサの連合艦隊に乗り込んだ皇帝は、シチリア王国の港湾都市ナポリを目指す。
ナポリの前にひろがるフレグレイ平野。
そこで、イタリア半島南部出身の騎士とナポリ市民の在郷軍で構成された軍勢が皇帝軍を迎え撃つ。
兜の面頬をあげて、カーラインは、額の汗をぬぐった。
綿を切り裂いたような雲が、青空をよぎっていき、草が波を思わせる音をたてて、なびいていく。これから戦が始まることが嘘のような気がした。
だが、目を地上に転じれば、緑の沃野を埋め尽くす軍隊が黒い染みのように広がっているのだ。
無数に林立する軍旗が鮮やかにひるがえる。軍馬にまたがり華麗なる戦装束をまとう騎士の勇壮なる姿。
旗がはためく音、興奮した馬のいななき、動く度に鎖帷子が鳴る音、交わされる低い声、しわぶく音、敵味方あわせれば、万を超すであろう軍勢のたてる音が洪水となって押し寄せてくる。触れれば切れそうなほど張りつめた空気のなか、皇帝自ら率いる軍は、突撃の時を待っていた。
心臓が連打される太鼓のように轟き、吐き気がこみあげてくる。自ら率いる隊を見渡せば、臆病風に吹かれている様にはみえなかった。
彼女は汗ばむ手を握りしめる。戦場の経験のない自分が彼らを率いて戦うことなどできるのだろうか。戦う前から脅えているというのに!
奥歯を噛みしめた。
ここまできて怖じ気ついてどうするの。しっかりしなさい!
出征した父のかわりに領地の経営を任された十四歳のときから、どのようなことがあっても、彼女は弱音を吐かなかった。
アルベルトが帰ってくるまでは。それまでは頑張ろう、と。
だが、アルベルトは帰ってこなかった。だからこの呪縛が解かれることはないのだ ――死ぬまで。では死ねば楽になれるのか。アルベルトに会えるのか。
ならば、死を恐れるな。今度こそ。
息を深く吸いこむ。
心配そうにこちらを伺っているグスタフに気づいたが、目を合わせられなかった。
面頬を下ろす。視野が狭まったおかげで、前だけを見据えることができる。
「グスタフ。......万が一、わたしが命を落としたら、後のことを頼みます」
抗議の声は、皇帝の突撃を告げる喇叭の鳴り響く音にかきけされた。
大気を震わせる突撃喇叭の音を合図に、動き出した前列に続こうと、カーラインは振り上げた剣を前方に下ろして号令する。
「突撃!」
雷鳴のごとき騎馬の音を轟かせ、皇帝軍は怒濤の波となって敵軍へと押し寄せていく。
カーラインも拍車をかけ、その激流のなかに身を投じたのだった。