ホーム
作品を書く
作品を探す
ランキング
コミュニティー
コンテスト
ホーム
作品を書く
作品を探す
ランキング
コミュニティー
コンテスト
ホーム
›
理を編むエーテル -メリアの不思議探求録-
›
第四話 あの時の少女と再会
← 前の話
目次
次の話 →
栞
読書設定
第四話 あの時の少女と再会
森の空気が、ひりついていた。
薬草の匂いと血の匂いが混ざり合っている。
木漏れ日はまだ高く、
正午を過ぎたばかりの明るさが逆に息苦しい。
こんな時間に群れと
やり合う羽目になるとは思っていなかった。
枝を踏み折る音が近い。
レオンは走りながら振り返る。
背後の
草が揺れている。
はぐれた一匹。
二匹は仕留めた。
だが腕の傷が
まだ熱を持っていて、思考が追いつかない。
単独での深追いは
悪手だと、頭のどこかでは分かっていた。
開けた場所へ飛び出した瞬間、視界に人影が映った。
「そこの人、早く逃げて!」
声が裂けた。
だが少女は動かなかった。
銀の髪。
青い外套。
両膝が地面に
落ちて、乾いた土が舞う。
腰が抜けたらしい。
足元には薬草の束。
採取の途中だったのか。
背後の草が、ぼきりと折れた。
ゴブリンが飛び出す。
赤黒い目がぎらつき、標的が変わる。
少女へ向かっていく。
レオンは踏み込みかけた。
だが足が止まる。
腕の傷が動作を
鈍らせる。
間に合わない。
距離がある。
その瞬間。
少女の右目の奥で、何かが弾けた。
光ではない。
色だ。
瞳の色がクリムゾンに染まる。
それに
呼応するように、瞳の中で何かが展開する気配がした。
紋様の
ようなもの。
空間そのものが、わずかに張った。
両手が前へ突き出された。
風が、逆巻いた。
最初の一閃は細い。
針のように鋭い刃が空間を裂き、ゴブリンの
肩をかすめて血が弧を描く。
続けて二本、三本。
軌道はばらばらで、
曲がり、ねじれ、途中で散るものもある。
制御されていない。
ただ、溢れている。
ゴブリンが地面に着地し、再び踏み込む。
咆哮。
その声を掻き
消すように、風が爆ぜた。
無数の緑の線が薬草群生地の上空を走る。
密度がばらばらのまま、刃というより圧力に近い風塊が不規則に
生まれ、消え、また生まれる。
ゴブリンの脛を薙いで体勢が崩れる。
それでも前に出る。
その姿が少女の視界に入った瞬間、風刃の数が跳ね上がった。
鋭いものは肉を切り裂き、鈍いものは打ち据える。
風が絡みつき、
草が薙ぎ倒され、最後に一条が深く食い込んで、動きが止まった。
風が、止んだ。
レオンは立ち止まったまま、息を吐くことを忘れていた。
薬草群生地に残るのは、裂かれた草と横たわる死体だけだ。
地面には風がえぐった跡が幾筋も走り、薬草の香りに焦げたような
匂いが混じっていた。
静けさが戻ってくるまで、しばらく時間が
かかった。
オーバーキルだった。
それだけ分かる。
だが、それ以上の
言葉が出てこない。
少女の両手が震えながら下がる。
右目の赤が、すっと引いた。
そして。
ぐぅ~。
情けない音が、静寂の中に響いた。
「あ......」
少女の膝が折れた。
地面に手をついたまま、横へ崩れていく。
レオンは我に返って駆け寄った。
倒れたゴブリンの耳を切り取る。
討伐証明。
それから少女に近寄る。
「大丈夫か?」
少女はうっすら目を開けた。
瞳はもう赤くない。
焦点が合って
いない。
「......おなか、すいた」
レオンは一瞬、言葉を失った。
あれだけの力を見せて。
あれだけの風を放って。
出てきた言葉が、
それか。
「おぶって」
駄々をこねるような声だった。
レオンはため息をついて、少女の腕を肩に回させた。
軽い。
思ったより、ずっと軽い。
代わりに、温もりが背中に乗る。
それだけの魔力を放った後だというのに、この体はどこまでも
頼りなかった。
森はもう薄暗い。
木々の隙間から差し込む光は橙色に染まり、
地面に長い影を落としている。
歩き出すと、落葉が足の下で乾いた
音を立てた。
虫の声が遠くから重なり合って聞こえてくる。
背中の重みが、しばらくして緩んだ。
呼吸が整い、寝息に変わる。
「......寝るなよ」
小さく言ったが、返事はなかった。
傷の熱が、まだ腕に残っている。
それでも足取りは思ったほど
重くならなかった。
背負っているものが軽いせいなのか、それとも
別の理由なのか、レオン自身にもよく分からない。
ただ、この
温もりを地面に落とすことだけは避けたいと、そう思った。
道の先で梢が切れ、視界が開ける。
街道に出た。
石を積んだ
だけの簡素な道だが、森の中を歩いてきた足には妙にありがたく
感じられた。
遠くで夜鳥が鳴き、風が背中の熱を少しずつ攫って
いく。
森を抜ける頃には、空はもう橙から群青へ変わっていた。
街の
灯りが遠くに滲んで見えた。
ギルドのロビーは、その日も騒がしかった。
報告の声。
硬貨の触れ合う音。
酒の匂い。
夕方を過ぎた時間帯は
帰還者が重なり、カウンターの前には短い列ができていた。
壁際の
松明が揺れて、床に落ちる影を伸ばしたり縮めたりしている。
レオンは掲示板の前で依頼票を眺めていた。
次の仕事を探して
いる。
腕の傷は昨日より落ち着いているが、重い仕事はまだ無理
だろう。
軽い採取か、護衛の補助か。
ゴブリンの耳は昨日のうちに換金済みだ。
受付の職員には
「単独での深追いは推奨しない」
と型通りの注意を受けたが、
それだけで済んだのは幸いだった。
懐が少し温かくなった代わりに、
腕の傷はしばらく疼くだろう。
視線を感じた。
反射的に振り向く。
一瞬、言葉を失った。
あの少女が立っていた。
森で背負ったあの少女が、何事もなかったかのようにギルドの
ロビーに立っている。
今は白い外套がきちんと整っていて、銀の
髪も乱れていない。
瞳は赤ではない。
澄んだ青だ。
こちらをまっすぐ見ている。
「この前は、ありがとうございました」
静かな声だった。
落ち着いている。
背負った夜が嘘のように。
レオンは少し言葉に詰まった。
礼を言われる立場じゃない、と
思った。
あのゴブリンを深く追わなければ、少女が巻き込まれる
こともなかった。
「いや......俺が悪かったし」
そう言うのが精いっぱいだった。
短い沈黙。
周囲の喧騒が戻ってくる。
「俺はレオン」
「メリアです」
それだけだった。
名乗り合っただけの、短いやり取り。
それでも、
森での数時間が急に輪郭を持ったような気がした。
「怪我とか、してないか」
思わず訊いていた。
あれだけの魔力を放って、それで無事なはずが
ないという気がしたからだ。
「大丈夫です。
少し眠っただけで、元通りになりました」
メリアは静かに答えた。
表情はいつも通り落ち着いていて、あの
晩の脱力ぶりが嘘のようだった。
「......そうか」
それ以上、続ける言葉が見つからなかった。
メリアは軽く会釈して、掲示板の方へ向かう。
レオンはその背中を
しばらく見ていた。
あの夜のことを思い出す。
背中の軽さ。
温もり。
森を抜けた時の、
橙から群青へ変わっていく空。
あれだけの力を持っているのに、最初に出てきた言葉がお腹が
空いたで、次が「おぶって」
だった。
レオンは小さく息を吐いた。
「......無理、するなよ」
背中に向けて言う。
メリアは振り返らない。
ただ、
「はい」
それだけ返ってきた。
レオンはもう一度掲示板へ視線を戻した。
さっきと同じ依頼票が
並んでいる。
だが、何か違う気がした。
何が、とは言えない。
ただ、少し前とは違う何かが、ロビーの
空気の中にある気がした。
窓の外はもう暮れかけている。
喧騒はまだ続いていて、誰かの
笑い声が奥のカウンターから響いた。
レオンは依頼票の一枚を
剥がし、それを懐にしまう。
次の仕事はまだ決まっていない。
それでも、今日はそれでいいような気がした。
ロビーの喧騒の向こう、掲示板の前に立つ白い外套の背中を、
レオンはもう一度だけ振り返って見た。
あの森で見た赤い瞳の
獰猛さと、今の穏やかな佇まいが、どうしても同じ人物のものとは
思えない。
だが、確かに同じだった。
妙な生き物に出会ったものだ、と思いながら、レオンはギルドの
喧騒の中へ足を踏み出した。
♡
シェア
← 前の話
第三話 観測モジュール
次の話 →
第五話 守れなかった姉
理を編むエーテル -メリアの不思議探求録-
作者:シラン
目次を見る
✍️
まだ感想がありません
あなたの一言が、作者の次の一話につながります。
最初の感想を書いてみませんか?
コメント
0件
ログインしてコメントする
まだコメントがありません
ホーム
›
理を編むエーテル -メリアの不思議探求録-
›
第四話 あの時の少女と再会
← 前の話
目次
次の話 →
栞
読書設定
第四話 あの時の少女と再会
森の空気が、ひりついていた。
薬草の匂いと血の匂いが混ざり合っている。
木漏れ日はまだ高く、
正午を過ぎたばかりの明るさが逆に息苦しい。
こんな時間に群れと
やり合う羽目になるとは思っていなかった。
枝を踏み折る音が近い。
レオンは走りながら振り返る。
背後の
草が揺れている。
はぐれた一匹。
二匹は仕留めた。
だが腕の傷が
まだ熱を持っていて、思考が追いつかない。
単独での深追いは
悪手だと、頭のどこかでは分かっていた。
開けた場所へ飛び出した瞬間、視界に人影が映った。
「そこの人、早く逃げて!」
声が裂けた。
だが少女は動かなかった。
銀の髪。
青い外套。
両膝が地面に
落ちて、乾いた土が舞う。
腰が抜けたらしい。
足元には薬草の束。
採取の途中だったのか。
背後の草が、ぼきりと折れた。
ゴブリンが飛び出す。
赤黒い目がぎらつき、標的が変わる。
少女へ向かっていく。
レオンは踏み込みかけた。
だが足が止まる。
腕の傷が動作を
鈍らせる。
間に合わない。
距離がある。
その瞬間。
少女の右目の奥で、何かが弾けた。
光ではない。
色だ。
瞳の色がクリムゾンに染まる。
それに
呼応するように、瞳の中で何かが展開する気配がした。
紋様の
ようなもの。
空間そのものが、わずかに張った。
両手が前へ突き出された。
風が、逆巻いた。
最初の一閃は細い。
針のように鋭い刃が空間を裂き、ゴブリンの
肩をかすめて血が弧を描く。
続けて二本、三本。
軌道はばらばらで、
曲がり、ねじれ、途中で散るものもある。
制御されていない。
ただ、溢れている。
ゴブリンが地面に着地し、再び踏み込む。
咆哮。
その声を掻き
消すように、風が爆ぜた。
無数の緑の線が薬草群生地の上空を走る。
密度がばらばらのまま、刃というより圧力に近い風塊が不規則に
生まれ、消え、また生まれる。
ゴブリンの脛を薙いで体勢が崩れる。
それでも前に出る。
その姿が少女の視界に入った瞬間、風刃の数が跳ね上がった。
鋭いものは肉を切り裂き、鈍いものは打ち据える。
風が絡みつき、
草が薙ぎ倒され、最後に一条が深く食い込んで、動きが止まった。
風が、止んだ。
レオンは立ち止まったまま、息を吐くことを忘れていた。
薬草群生地に残るのは、裂かれた草と横たわる死体だけだ。
地面には風がえぐった跡が幾筋も走り、薬草の香りに焦げたような
匂いが混じっていた。
静けさが戻ってくるまで、しばらく時間が
かかった。
オーバーキルだった。
それだけ分かる。
だが、それ以上の
言葉が出てこない。
少女の両手が震えながら下がる。
右目の赤が、すっと引いた。
そして。
ぐぅ~。
情けない音が、静寂の中に響いた。
「あ......」
少女の膝が折れた。
地面に手をついたまま、横へ崩れていく。
レオンは我に返って駆け寄った。
倒れたゴブリンの耳を切り取る。
討伐証明。
それから少女に近寄る。
「大丈夫か?」
少女はうっすら目を開けた。
瞳はもう赤くない。
焦点が合って
いない。
「......おなか、すいた」
レオンは一瞬、言葉を失った。
あれだけの力を見せて。
あれだけの風を放って。
出てきた言葉が、
それか。
「おぶって」
駄々をこねるような声だった。
レオンはため息をついて、少女の腕を肩に回させた。
軽い。
思ったより、ずっと軽い。
代わりに、温もりが背中に乗る。
それだけの魔力を放った後だというのに、この体はどこまでも
頼りなかった。
森はもう薄暗い。
木々の隙間から差し込む光は橙色に染まり、
地面に長い影を落としている。
歩き出すと、落葉が足の下で乾いた
音を立てた。
虫の声が遠くから重なり合って聞こえてくる。
背中の重みが、しばらくして緩んだ。
呼吸が整い、寝息に変わる。
「......寝るなよ」
小さく言ったが、返事はなかった。
傷の熱が、まだ腕に残っている。
それでも足取りは思ったほど
重くならなかった。
背負っているものが軽いせいなのか、それとも
別の理由なのか、レオン自身にもよく分からない。
ただ、この
温もりを地面に落とすことだけは避けたいと、そう思った。
道の先で梢が切れ、視界が開ける。
街道に出た。
石を積んだ
だけの簡素な道だが、森の中を歩いてきた足には妙にありがたく
感じられた。
遠くで夜鳥が鳴き、風が背中の熱を少しずつ攫って
いく。
森を抜ける頃には、空はもう橙から群青へ変わっていた。
街の
灯りが遠くに滲んで見えた。
ギルドのロビーは、その日も騒がしかった。
報告の声。
硬貨の触れ合う音。
酒の匂い。
夕方を過ぎた時間帯は
帰還者が重なり、カウンターの前には短い列ができていた。
壁際の
松明が揺れて、床に落ちる影を伸ばしたり縮めたりしている。
レオンは掲示板の前で依頼票を眺めていた。
次の仕事を探して
いる。
腕の傷は昨日より落ち着いているが、重い仕事はまだ無理
だろう。
軽い採取か、護衛の補助か。
ゴブリンの耳は昨日のうちに換金済みだ。
受付の職員には
「単独での深追いは推奨しない」
と型通りの注意を受けたが、
それだけで済んだのは幸いだった。
懐が少し温かくなった代わりに、
腕の傷はしばらく疼くだろう。
視線を感じた。
反射的に振り向く。
一瞬、言葉を失った。
あの少女が立っていた。
森で背負ったあの少女が、何事もなかったかのようにギルドの
ロビーに立っている。
今は白い外套がきちんと整っていて、銀の
髪も乱れていない。
瞳は赤ではない。
澄んだ青だ。
こちらをまっすぐ見ている。
「この前は、ありがとうございました」
静かな声だった。
落ち着いている。
背負った夜が嘘のように。
レオンは少し言葉に詰まった。
礼を言われる立場じゃない、と
思った。
あのゴブリンを深く追わなければ、少女が巻き込まれる
こともなかった。
「いや......俺が悪かったし」
そう言うのが精いっぱいだった。
短い沈黙。
周囲の喧騒が戻ってくる。
「俺はレオン」
「メリアです」
それだけだった。
名乗り合っただけの、短いやり取り。
それでも、
森での数時間が急に輪郭を持ったような気がした。
「怪我とか、してないか」
思わず訊いていた。
あれだけの魔力を放って、それで無事なはずが
ないという気がしたからだ。
「大丈夫です。
少し眠っただけで、元通りになりました」
メリアは静かに答えた。
表情はいつも通り落ち着いていて、あの
晩の脱力ぶりが嘘のようだった。
「......そうか」
それ以上、続ける言葉が見つからなかった。
メリアは軽く会釈して、掲示板の方へ向かう。
レオンはその背中を
しばらく見ていた。
あの夜のことを思い出す。
背中の軽さ。
温もり。
森を抜けた時の、
橙から群青へ変わっていく空。
あれだけの力を持っているのに、最初に出てきた言葉がお腹が
空いたで、次が「おぶって」
だった。
レオンは小さく息を吐いた。
「......無理、するなよ」
背中に向けて言う。
メリアは振り返らない。
ただ、
「はい」
それだけ返ってきた。
レオンはもう一度掲示板へ視線を戻した。
さっきと同じ依頼票が
並んでいる。
だが、何か違う気がした。
何が、とは言えない。
ただ、少し前とは違う何かが、ロビーの
空気の中にある気がした。
窓の外はもう暮れかけている。
喧騒はまだ続いていて、誰かの
笑い声が奥のカウンターから響いた。
レオンは依頼票の一枚を
剥がし、それを懐にしまう。
次の仕事はまだ決まっていない。
それでも、今日はそれでいいような気がした。
ロビーの喧騒の向こう、掲示板の前に立つ白い外套の背中を、
レオンはもう一度だけ振り返って見た。
あの森で見た赤い瞳の
獰猛さと、今の穏やかな佇まいが、どうしても同じ人物のものとは
思えない。
だが、確かに同じだった。
妙な生き物に出会ったものだ、と思いながら、レオンはギルドの
喧騒の中へ足を踏み出した。
♡
シェア
← 前の話
第三話 観測モジュール
次の話 →
第五話 守れなかった姉
理を編むエーテル -メリアの不思議探求録-
作者:シラン
目次
✍️
まだ感想がありません
あなたの一言が、作者の次の一話につながります。
最初の感想を書いてみませんか?
コメント
0件
ログインしてコメントする
まだコメントがありません
ホーム
作品を書く
作品を探す
ランキング
コミュニティー
コンテスト
0
この本を読む →