
第三話 屈折の理論
街道は、変わらず続いている。 昼の光は高く、影は短い。風は少しだけ強く、乾いた空気が
一定のリズムで馬車を揺らしていた。街道の両脇を流れる草地は、
陽を受けて淡く白んでいる。単調な景色だが、それが今は心地
よかった。その単調さの中で、会話は自然と生まれるように
なっていた。「あの......お姉様」 ナディアが口を開く。ためらいは、まだある。だが、前よりも
滑らかだった。「生活魔法以外にも......色々お使いになるんですよね?」 視線はまっすぐ、メリアへ向いている。純粋な興味だった。「使います」 メリアは簡潔に答える。それ以上は言わない。「その......どのような......」 ナディアは言葉を探す。何を聞けばいいのか、自分でも分かって
いない。ただ、知りたいという気持ちだけが先にある。「屈折率を調整すれば、視覚情報は再構築できます」 メリアは一拍も置かずに口を開いた。説明としては、成立して
いる。だが、入口としてあまりにも直線的だった。「くっせつ......?」 ナディアはその言葉を繰り返す。聞き慣れない響きに、理解が
追いつかない。(今の説明、多分九割の人には伝わらないと思うよ)
れもんの声が、メリアの内側でこっそり呟く。(要するに、光を点ごとに操作して透かしてるんだよね。一点ずつ透過率をずらして情報を拾って、それを最後にまとめて
一枚の絵に結像する。前世でいうスキャナーの原理に近いよ。紙の上を細い光がなぞって、一列ずつ情報を読み取って、最後に
画面上で一枚の画像に組み上げる。あれと同じ)
メリアはその喩えを、頭の中でそのまま受け取った。だが、
口から出た言葉は、いつも通り削ぎ落とされたものだった。「水膜と風圧で層をずらすだけです」 さらに短く、具体的で、しかし掴みにくい。ナディアはしばらく
黙る。頭の中で、何かを組み立てようとしている。だが、材料が
足りない。「つまり......見え方を変えている、ということですか?」 出てきたのは、形だけ整った答えだった。方向は間違って
いない。だが、深度が浅い。「結果としては」 メリアは否定しない。それで会話は成立する。「いや、それで納得していいのか?」 レオンが眉をひそめる。「え、えっと......違うんですか......?」「いや、俺に聞くなよ!」
ナディアは少し困ったように視線を泳がせる。だが、メリアは
何も言わない。訂正も、補足もない。その沈黙が、答えのようにも
見えた。 ナディアは少しだけ身を乗り出す。声を落として、慎重に
尋ねた。「それって......隠れているものも......見えるんですか?」 問いの方向が、わずかにずれる。だが、そのずれはまだ小さい。「理論上は可能です」 断定だった。余白はない。(理論上、というより実演済みだけどね。焦点を合わせる面を
ずらせば、遮蔽物の向こう側の光の情報も点単位で拾える。あとはそれを結像処理でまとめるだけ。まあ、今それを言うと
話がややこしくなるから黙っておくよ)
れもんが小さく付け加える。悪戯っぽい響きだった。「待て」 レオンが即座に口を挟む。空気が一瞬だけ引き締まる。「いや、今のさらっと流していい話じゃないだろ」 視線がメリアへ向く。だが、メリアは変わらない。「理論の話です」 それだけ。 ナディアは、そのやり取りを見ていた。そして、ゆっくりと
頷く。理解ではない。納得でもない。ただ、受け取った。「......すごいです」 頬がわずかに赤くなる。内容よりも、現象としての印象が先に
来ていた。「観測の問題です」 メリアの答えは一貫している。本質は変わらない。「いや、なんか違う方向に行ってないか?」 レオンが頭を押さえる。だが、その違和感を言語化する前に、
話は終わっている。 ナディアは窓の外へ視線を移す。流れていく景色の中で、
先ほどの言葉を反芻していた。「......なるほどです」 小さく呟く。その表情は、理解した者のそれに近い。だが、
実際には届いていない。(あの子、多分半分も分かってないと思うけど、分かった気に
なれてるならそれでいいのかもね)
れもんがのんびりと呟く。(理屈を全部理解しなくても、面白いって思う気持ちの方が
大事な時もあるし)
メリアは何も言わない。訂正もしない。れもんの言葉に、
内心でだけ小さく同意していた。 馬車は進む。風は変わらず、街道を撫でていく。三人の間に
ある構図は、わずかに形を変えていた。ナディアは、理解した
つもりでいる。レオンは、納得していない。メリアは、気にして
いない。 そのずれは、まだ小さい。だが、確実にそこにあった。 第三話 屈折の理論
街道は、変わらず続いている。 昼の光は高く、影は短い。風は少しだけ強く、乾いた空気が
一定のリズムで馬車を揺らしていた。街道の両脇を流れる草地は、
陽を受けて淡く白んでいる。単調な景色だが、それが今は心地
よかった。その単調さの中で、会話は自然と生まれるように
なっていた。「あの......お姉様」 ナディアが口を開く。ためらいは、まだある。だが、前よりも
滑らかだった。「生活魔法以外にも......色々お使いになるんですよね?」 視線はまっすぐ、メリアへ向いている。純粋な興味だった。「使います」 メリアは簡潔に答える。それ以上は言わない。「その......どのような......」 ナディアは言葉を探す。何を聞けばいいのか、自分でも分かって
いない。ただ、知りたいという気持ちだけが先にある。「屈折率を調整すれば、視覚情報は再構築できます」 メリアは一拍も置かずに口を開いた。説明としては、成立して
いる。だが、入口としてあまりにも直線的だった。「くっせつ......?」 ナディアはその言葉を繰り返す。聞き慣れない響きに、理解が
追いつかない。(今の説明、多分九割の人には伝わらないと思うよ)
れもんの声が、メリアの内側でこっそり呟く。(要するに、光を点ごとに操作して透かしてるんだよね。一点ずつ透過率をずらして情報を拾って、それを最後にまとめて
一枚の絵に結像する。前世でいうスキャナーの原理に近いよ。紙の上を細い光がなぞって、一列ずつ情報を読み取って、最後に
画面上で一枚の画像に組み上げる。あれと同じ)
メリアはその喩えを、頭の中でそのまま受け取った。だが、
口から出た言葉は、いつも通り削ぎ落とされたものだった。「水膜と風圧で層をずらすだけです」 さらに短く、具体的で、しかし掴みにくい。ナディアはしばらく
黙る。頭の中で、何かを組み立てようとしている。だが、材料が
足りない。「つまり......見え方を変えている、ということですか?」 出てきたのは、形だけ整った答えだった。方向は間違って
いない。だが、深度が浅い。「結果としては」 メリアは否定しない。それで会話は成立する。「いや、それで納得していいのか?」 レオンが眉をひそめる。「え、えっと......違うんですか......?」「いや、俺に聞くなよ!」
ナディアは少し困ったように視線を泳がせる。だが、メリアは
何も言わない。訂正も、補足もない。その沈黙が、答えのようにも
見えた。 ナディアは少しだけ身を乗り出す。声を落として、慎重に
尋ねた。「それって......隠れているものも......見えるんですか?」 問いの方向が、わずかにずれる。だが、そのずれはまだ小さい。「理論上は可能です」 断定だった。余白はない。(理論上、というより実演済みだけどね。焦点を合わせる面を
ずらせば、遮蔽物の向こう側の光の情報も点単位で拾える。あとはそれを結像処理でまとめるだけ。まあ、今それを言うと
話がややこしくなるから黙っておくよ)
れもんが小さく付け加える。悪戯っぽい響きだった。「待て」 レオンが即座に口を挟む。空気が一瞬だけ引き締まる。「いや、今のさらっと流していい話じゃないだろ」 視線がメリアへ向く。だが、メリアは変わらない。「理論の話です」 それだけ。 ナディアは、そのやり取りを見ていた。そして、ゆっくりと
頷く。理解ではない。納得でもない。ただ、受け取った。「......すごいです」 頬がわずかに赤くなる。内容よりも、現象としての印象が先に
来ていた。「観測の問題です」 メリアの答えは一貫している。本質は変わらない。「いや、なんか違う方向に行ってないか?」 レオンが頭を押さえる。だが、その違和感を言語化する前に、
話は終わっている。 ナディアは窓の外へ視線を移す。流れていく景色の中で、
先ほどの言葉を反芻していた。「......なるほどです」 小さく呟く。その表情は、理解した者のそれに近い。だが、
実際には届いていない。(あの子、多分半分も分かってないと思うけど、分かった気に
なれてるならそれでいいのかもね)
れもんがのんびりと呟く。(理屈を全部理解しなくても、面白いって思う気持ちの方が
大事な時もあるし)
メリアは何も言わない。訂正もしない。れもんの言葉に、
内心でだけ小さく同意していた。 馬車は進む。風は変わらず、街道を撫でていく。三人の間に
ある構図は、わずかに形を変えていた。ナディアは、理解した
つもりでいる。レオンは、納得していない。メリアは、気にして
いない。 そのずれは、まだ小さい。だが、確実にそこにあった。