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理を編むエーテル -メリアの不思議探求録-
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第九話 順番
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第九話 順番
夜の月兎亭は、少し静かだった。
客足はもう引いている。
皿は片付けられ、油の匂いだけが薄く
残っていた。
木の椅子がいくつか、規則正しく並んでいる。
厨房の
奥で水音がして、それも止んだ。
リナが帳簿を閉じた。
「ふー......今日はこんなもんやな」
ぱたん、と音がする。
背もたれに体を預けて、メリアを見た。
「昨日の続き、やるん?」
メリアは少し考えた。
ほんの一瞬だけ。
「......検証です」
リナはにやっと笑った。
「やっぱやるんや」
「やってみないと分かりません」
「まあ、せやな」
リナは椅子を引いて、テーブルの端に肘をついた。
「うちも見てていい?」
「いいです」
「やった」
リナは子供のように少し嬉しそうな顔をした。
こういう検証に
いちいち付き合ってくれる律儀さは、メリアにとっても案外
ありがたいものだった。
食堂の灯りが、石の壁に橙色を落としている。
外から波の音が
した。
港町の夜は、どこかで海の気配がある。
メリアは少し目を
細めてから、手を出した。
膝の裏あたりに、小さな気配がある。
れもんが座って、こちらを
見上げていた。
指先に、ほんのわずかな熱を集める。
小さな火が灯る。
揺れる。
でも燃えてはいない。
(温度上昇、確認)
れもんの声が頭の中で響いた。
メリアにしか聞こえない。
「火ってさ......」
リナが言う。
「普通は燃えるやん?
燃えるから火やろ?」
「燃えないこともあります」
「それはそうやけど......」
メリアは火を見た。
揺れている。
橙色の光が手のひらに落ちる。
「火は、燃焼ではありません」
「え?」
「燃えているのは、結果です」
リナは首を傾げた。
「結果?」
「木が燃えるのは化学反応です。
物質が別の物質に変わります。
酸素と炭素が反応して、二酸化炭素と熱が出ます」
「......うん、さっぱりわからへん」
「でも魔法は、その式を組んでいません。
木も酸素も使っていません」
リナはしばらく考えた。
「......じゃあこれ、何なん」
「熱の移動です」
メリアは火を消した。
「燃焼は物質が変わる現象です。
でも今やっているのは、
熱をある場所から別の場所へ動かすだけです」
(燃焼材料、非依存。
エネルギー効率、良好)
れもんが補足するように言う。
誰にも聞こえない声で。
「熱の移動......」
リナは自分の手をかざした。
さっきの残り熱がまだある。
「......あー。
火ないのに、あったかいな」
「そうです」
「じゃあこれ、火ちゃうやん」
「火っぽいだけです」
「火っぽいだけ!
?」
リナが声を上げた。
「なんかだまされた感ある」
「だましていません」
「そういう意味ちゃうねん......」
(心外だという顔をしている)
れもんがぼそりと言った。
メリアは反論しなかった。
事実だった
からだ。
メリアは続ける。
「燃焼だと、材料が尽きたら終わりです。
でも熱の移動なら、
体力が続く限り動かせます」
リナはしばらく黙っていた。
テーブルの上で指を組んで、何かを
考えている様子だった。
「......めっちゃ強くない?」
「まだ制御が甘いです」
「でも理屈はすごいやん」
「理屈は前世で知っていました」
「前世?」
メリアは少し止まった。
「......昔の話です」
「あー、うん」
リナはそれ以上聞かなかった。
それもリナらしかった。
追及しない
優しさが、リナにはいつもあった。
メリアは次に手を動かした。
空気が少し揺れる。
強くはない。
細く、静かに。
「じゃあ風は?」
リナが聞く。
「空気、動かしてるんやろ?」
「違います」
即答だった。
「流れを作ります」
「......どう違うん?」
「動かすと乱れます」
メリアは指先で線を引くように動かした。
空気が滑る。
テーブルの
上のリナの前髪が、ふわりと揺れた。
(乱流係数、低下中)
れもんが小さく呟く。
膝の陰で尻尾がゆっくり揺れていた。
「乱れると、どこへ行くか分かりません。
思ったところに当たりません」
リナはしばらく考えてから、川みたいな感じ、と言った。
「上流から下流に流れていくみたいな」
「そうです。
流れを作ると、向きが決まります」
「おお、分かった気する」
リナはちょっと嬉しそうだった。
両手を広げて、何かの流れを
表現するような仕草をした。
「要するに、風は押すんじゃなくて流すんやな」
「そうです」
「なんかそれ、剣術みたいやな。
力で押すんじゃなくて、
流して崩すみたいな」
メリアは少し考えた。
「......近いかもしれません」
メリアは両手を動かした。
先に風。
空気を整える。
細く、静かに。
流れを作る。
そのあと、
ほんの少しだけ熱を乗せる。
ふわ、と温度が上がった。
チリっとはならない。
焦げない。
ただ、温かい風が流れる。
(統合精度、六十二パーセント)
れもんの声が、少し硬くなった。
(この出力なら安定。
だが、これ以上は――)
「まだ何か言いたそうだね」
メリアは小声で呟いた。
(六十二が限界。
七十を超えると崩れる予測)
「分かってる」
リナが目を丸くした。
「......あれ?」
自分の髪に触れる。
「さっきより、ええ感じやん。
焦げてへん」
「まだ弱いです。
出力を上げると崩れます」
「でも焦げてへん」
リナが少し身を乗り出した。
「なんで昨日はチリってなったん?」
「昨日は順番が逆でした。
熱を先に出して、そこに風を通そうと
しました。
だから乱れました」
「順番が大事なんや」
「今は流れに熱を乗せています。
崩れにくいです。
でもまだ弱い
出力でしか保てません」
メリアは手を下ろした。
風と熱を同時に扱う時、どちらかを上げるともう一方が崩れる。
別々に動かしているからだ。
それをひとつの流れとして最初から
設計できれば、出力を上げても崩れない気がした。
でも、それは
まだできない。
どこから手をつければいいのかも、まだ見えて
いない。
(統合設計、未着手。
次回演算課題として記録)
れもんが淡々と付け加えた。
メリアは小さく頷いた。
誰にも
見えない相棒への相槌だった。
「なんで、そんなこと思いつくん?」
リナが腕を組んで聞いた。
「火は燃焼じゃないとか、風は流れとか」
メリアは少し言葉を探した。
「知っている現象なら」
少し間。
「再現できます」
リナはしばらく黙った。
「......なんかすごいこと言ってる気するけど、よく分からん」
「大丈夫です」
「ほんまか?」
「多分」
「多分かい」
リナが笑った。
「まあでも、なんかすごいのは分かる」
メリアは首を傾げた。
「何がですか」
「メリアちゃんが」
平然と言われた。
メリアは何か返そうとして、やめた。
言葉が
見つからなかった。
(照れている)
れもんが冷静に指摘した。
「照れてない」
(顔が赤い)
「照れてない」
二回目は少し早口だった。
「明日、成功させよな!」
リナが立ち上がりながら言った。
椅子を戻して、カウンターに
戻る準備をしている。
灯りをひとつ落とした。
食堂が少し暗くなる。
メリアは頷いた。
「順番は分かりました」
「それって、どういう意味?」
「何を、どの順でやるか。
それだけで結果が変わります」
「魔法の話?」
「魔法の話です」
「......なんか、それって魔法だけの話じゃないな」
リナが少し遠くを見るような顔をした。
それきり黙って、もう一つ
灯りを落とした。
メリアは何も言わなかった。
ただ、リナの横顔をしばらく見て
いた。
ふとした一言が、時々、驚くほど的を射ることがある。
この人は、こういうところが侮れない。
静かな夜だった。
月兎亭の灯りが、ゆっくりと落ちていく。
風は穏やかで熱は残らない。
膝の裏で、れもんが小さくあくびをした。
誰も気づかない、
静かな一日の終わりだった。
ただ、少しだけ前に進んでいた。
明日はもう少し先まで
行けるかもしれない。
そんな予感だけが、静かな食堂の空気の
中に残っていた。
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第十話 完成
理を編むエーテル -メリアの不思議探求録-
作者:シラン
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夜の月兎亭は、少し静かだった。
客足はもう引いている。
皿は片付けられ、油の匂いだけが薄く
残っていた。
木の椅子がいくつか、規則正しく並んでいる。
厨房の
奥で水音がして、それも止んだ。
リナが帳簿を閉じた。
「ふー......今日はこんなもんやな」
ぱたん、と音がする。
背もたれに体を預けて、メリアを見た。
「昨日の続き、やるん?」
メリアは少し考えた。
ほんの一瞬だけ。
「......検証です」
リナはにやっと笑った。
「やっぱやるんや」
「やってみないと分かりません」
「まあ、せやな」
リナは椅子を引いて、テーブルの端に肘をついた。
「うちも見てていい?」
「いいです」
「やった」
リナは子供のように少し嬉しそうな顔をした。
こういう検証に
いちいち付き合ってくれる律儀さは、メリアにとっても案外
ありがたいものだった。
食堂の灯りが、石の壁に橙色を落としている。
外から波の音が
した。
港町の夜は、どこかで海の気配がある。
メリアは少し目を
細めてから、手を出した。
膝の裏あたりに、小さな気配がある。
れもんが座って、こちらを
見上げていた。
指先に、ほんのわずかな熱を集める。
小さな火が灯る。
揺れる。
でも燃えてはいない。
(温度上昇、確認)
れもんの声が頭の中で響いた。
メリアにしか聞こえない。
「火ってさ......」
リナが言う。
「普通は燃えるやん?
燃えるから火やろ?」
「燃えないこともあります」
「それはそうやけど......」
メリアは火を見た。
揺れている。
橙色の光が手のひらに落ちる。
「火は、燃焼ではありません」
「え?」
「燃えているのは、結果です」
リナは首を傾げた。
「結果?」
「木が燃えるのは化学反応です。
物質が別の物質に変わります。
酸素と炭素が反応して、二酸化炭素と熱が出ます」
「......うん、さっぱりわからへん」
「でも魔法は、その式を組んでいません。
木も酸素も使っていません」
リナはしばらく考えた。
「......じゃあこれ、何なん」
「熱の移動です」
メリアは火を消した。
「燃焼は物質が変わる現象です。
でも今やっているのは、
熱をある場所から別の場所へ動かすだけです」
(燃焼材料、非依存。
エネルギー効率、良好)
れもんが補足するように言う。
誰にも聞こえない声で。
「熱の移動......」
リナは自分の手をかざした。
さっきの残り熱がまだある。
「......あー。
火ないのに、あったかいな」
「そうです」
「じゃあこれ、火ちゃうやん」
「火っぽいだけです」
「火っぽいだけ!
?」
リナが声を上げた。
「なんかだまされた感ある」
「だましていません」
「そういう意味ちゃうねん......」
(心外だという顔をしている)
れもんがぼそりと言った。
メリアは反論しなかった。
事実だった
からだ。
メリアは続ける。
「燃焼だと、材料が尽きたら終わりです。
でも熱の移動なら、
体力が続く限り動かせます」
リナはしばらく黙っていた。
テーブルの上で指を組んで、何かを
考えている様子だった。
「......めっちゃ強くない?」
「まだ制御が甘いです」
「でも理屈はすごいやん」
「理屈は前世で知っていました」
「前世?」
メリアは少し止まった。
「......昔の話です」
「あー、うん」
リナはそれ以上聞かなかった。
それもリナらしかった。
追及しない
優しさが、リナにはいつもあった。
メリアは次に手を動かした。
空気が少し揺れる。
強くはない。
細く、静かに。
「じゃあ風は?」
リナが聞く。
「空気、動かしてるんやろ?」
「違います」
即答だった。
「流れを作ります」
「......どう違うん?」
「動かすと乱れます」
メリアは指先で線を引くように動かした。
空気が滑る。
テーブルの
上のリナの前髪が、ふわりと揺れた。
(乱流係数、低下中)
れもんが小さく呟く。
膝の陰で尻尾がゆっくり揺れていた。
「乱れると、どこへ行くか分かりません。
思ったところに当たりません」
リナはしばらく考えてから、川みたいな感じ、と言った。
「上流から下流に流れていくみたいな」
「そうです。
流れを作ると、向きが決まります」
「おお、分かった気する」
リナはちょっと嬉しそうだった。
両手を広げて、何かの流れを
表現するような仕草をした。
「要するに、風は押すんじゃなくて流すんやな」
「そうです」
「なんかそれ、剣術みたいやな。
力で押すんじゃなくて、
流して崩すみたいな」
メリアは少し考えた。
「......近いかもしれません」
メリアは両手を動かした。
先に風。
空気を整える。
細く、静かに。
流れを作る。
そのあと、
ほんの少しだけ熱を乗せる。
ふわ、と温度が上がった。
チリっとはならない。
焦げない。
ただ、温かい風が流れる。
(統合精度、六十二パーセント)
れもんの声が、少し硬くなった。
(この出力なら安定。
だが、これ以上は――)
「まだ何か言いたそうだね」
メリアは小声で呟いた。
(六十二が限界。
七十を超えると崩れる予測)
「分かってる」
リナが目を丸くした。
「......あれ?」
自分の髪に触れる。
「さっきより、ええ感じやん。
焦げてへん」
「まだ弱いです。
出力を上げると崩れます」
「でも焦げてへん」
リナが少し身を乗り出した。
「なんで昨日はチリってなったん?」
「昨日は順番が逆でした。
熱を先に出して、そこに風を通そうと
しました。
だから乱れました」
「順番が大事なんや」
「今は流れに熱を乗せています。
崩れにくいです。
でもまだ弱い
出力でしか保てません」
メリアは手を下ろした。
風と熱を同時に扱う時、どちらかを上げるともう一方が崩れる。
別々に動かしているからだ。
それをひとつの流れとして最初から
設計できれば、出力を上げても崩れない気がした。
でも、それは
まだできない。
どこから手をつければいいのかも、まだ見えて
いない。
(統合設計、未着手。
次回演算課題として記録)
れもんが淡々と付け加えた。
メリアは小さく頷いた。
誰にも
見えない相棒への相槌だった。
「なんで、そんなこと思いつくん?」
リナが腕を組んで聞いた。
「火は燃焼じゃないとか、風は流れとか」
メリアは少し言葉を探した。
「知っている現象なら」
少し間。
「再現できます」
リナはしばらく黙った。
「......なんかすごいこと言ってる気するけど、よく分からん」
「大丈夫です」
「ほんまか?」
「多分」
「多分かい」
リナが笑った。
「まあでも、なんかすごいのは分かる」
メリアは首を傾げた。
「何がですか」
「メリアちゃんが」
平然と言われた。
メリアは何か返そうとして、やめた。
言葉が
見つからなかった。
(照れている)
れもんが冷静に指摘した。
「照れてない」
(顔が赤い)
「照れてない」
二回目は少し早口だった。
「明日、成功させよな!」
リナが立ち上がりながら言った。
椅子を戻して、カウンターに
戻る準備をしている。
灯りをひとつ落とした。
食堂が少し暗くなる。
メリアは頷いた。
「順番は分かりました」
「それって、どういう意味?」
「何を、どの順でやるか。
それだけで結果が変わります」
「魔法の話?」
「魔法の話です」
「......なんか、それって魔法だけの話じゃないな」
リナが少し遠くを見るような顔をした。
それきり黙って、もう一つ
灯りを落とした。
メリアは何も言わなかった。
ただ、リナの横顔をしばらく見て
いた。
ふとした一言が、時々、驚くほど的を射ることがある。
この人は、こういうところが侮れない。
静かな夜だった。
月兎亭の灯りが、ゆっくりと落ちていく。
風は穏やかで熱は残らない。
膝の裏で、れもんが小さくあくびをした。
誰も気づかない、
静かな一日の終わりだった。
ただ、少しだけ前に進んでいた。
明日はもう少し先まで
行けるかもしれない。
そんな予感だけが、静かな食堂の空気の
中に残っていた。
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